歌手デビュー前夜の日
2008年12月10日 (水曜日)
ただいま、12月10日25時ジャスト(つまり12月11日の午前1時ですね)。
あと18時間で、ついにコンサートが始まってしまう。⇒ http://www.puff.co.jp/concert2008/
夜10時頃からついさっきまで、会社の8Fの会議室に籠って最後の悪あがき(練習)をしていた。
なんだか練習すればするほど、ヘタになる気がするのは気のせい?
・・・うん、気のせいだ、きっと(苦笑)。
歌詞はやっぱりなかなか覚えられない(というか覚えるんだけど、いったん忘れると、その後ボロボロになる)ので、やっぱり譜面台と歌詞カードを用意することにした。
でも最近、老眼がひどくて近くの小さな文字がよく見えないんだよなあ。
こりゃ、なかなかスリリングな歌手デビューとなりそうだ(笑…ってる場合じゃない)。
観客の皆さんも、きっとハラハラドキドキするだろうなあ……。
まあ、いまさらジタバタしてもしょうがない。あとは当たって砕けろだ。
素晴らしいピアノと、美しいバイオリンと、ダイナミックなサックスと、懸命なオヤジのボーカルを、あすは観客の皆さんに、とくと堪能していただこう。
最後には、観客の皆さんと、 “ジングルベル”の大合唱も予定している。
出演者&スタッフ&観客。みんなで一緒になって、この暗い世相と、今回の不況を、吹っ飛ばそう!!
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本日の校長は、渋谷に出没した日
2008年12月9日 (火曜日)
協賛企業の幹部の方々との対談企画、『校長が行く』。本日伺ったのは、渋谷に本社がある東洋システム開発さんだ。
パフが採用のお手伝いを始めて3年目となる同社だが、僕は本日、初めての訪問だった。
対談のお相手は、なんと代表取締役社長。トップ対談なのであった。
社長のお名前は松本さん。年齢は41歳。僕より7歳若いのだが、それ以上に、ずっと若く見える。童顔で、優しさの漂う柔和な方だ。
実は昨年、会津大学でのイベントでもご一緒したことがあったのだが、そのときは数分間のご挨拶だけだったので、きょうの対談をとても楽しみにしていた。
東洋システム開発さんは、先代の社長(実は松本さんのお父様)が35年前(1973年)に創業された会社。独立系のソフトウェア開発の会社では、たいへん歴史のある会社である。1970年代の前半に、ソフトウェアの会社を創業するなんて、ものすごいことなのだ。
松本(現)社長は、お父様のご病気をきっかけに、それまで務めていた大手コンピュータ会社を辞め、東洋システム開発に転職したのだった。
まあ詳しい話は、来年の1月に職学校Webに公開されるので、ここではあまり書かないことにしておこう。
ここで書きとめておきたいのは、対談の本番が終わった後のこと。
写真撮影のために、しばし松本社長と雑談を交わしていた。
すると松本社長も、高校生のときバンドを結成していたことが発覚。サザンオールスターズのコピーをよくやっていたという。松本社長は、ベースやギターを担当していたらしい。
かなり本格的にやっていたそうで、ポプコン(ヤマハポピュラーミュージックコンテスト)にも出場したことがあるという。
まさに、感動!!である。
#一緒に取材に参加していたパフの内定者のオオノに、「おい、ポプコンって知ってるか?」と聞いたら、 「え、ポップコーンですか?」聞き返されたのには、ショックを受けてしまったが(苦笑)。
写真撮影のことも忘れて、もうノリノリの楽しい雑談タイムであった。「校長が行く」本編の番外編として載せたいくらいだ(笑)。
しかも、カメラマンのフルカワさんが写真を撮りながら、「いやあ、きょうのクギサキさんは、とっても良い気が出てますよ」と褒めてくださった。
松本社長に、「じゃ、また次回は音楽談義をぜひ一杯やりながら♪」と、帰り際にご挨拶。
上機嫌で、渋谷をあとにした校長先生だった。
大学訪問をした日
2008年12月8日 (月曜日)
本日は午前中、ふたつの大学を訪問した。ふたつとも東京都千代田区に校舎をおく、伝統ある大学だ。
昨年までは、担当者が首都圏の各大学を訪問していたのだが、今年は少し思うところもあり、僕が訪問することにしている。
訪問の目的は3つ。
1.社長として、「株式会社パフ」をご説明すること。
2.大学側が感じている、学生の就職活動の現状をお聞きすること。
3.求人企業や我々のような就職情報事業者や採用支援事業者に対してのご意見をお聞きすること。
である。
僕がいちばんお聞きしたかったのは、「3」についてである。
学生にもっとも近く、学生の卒業後の進路に責任を負う立場にある大学が、どのように企業の採用を捉えているか。パフは、大手メディアではないだけに、かなりホンネに近いご意見を伺えるのではないかと思っている。
予想はしていたものの、指摘されると、やはりとてもツライご意見を伺った。
ずばり、 「採用活動の早期化」についてである。
特に、一部の外資系企業やマスコミの採用試験の早期化に対しては、大きく嘆いておられた。
また、我々事業者に対しても、学生の授業や試験の日程を考慮したイベントの開催を強く求めておられた。
「後期試験が目前に迫っている1月のイベントやセミナーの開催だけは、なんとかやめて欲しい」と、具体的にお願いされた。
学生には、就職活動を優先して後期試験をないがしろにする傾向があるという。
卒業できなかった学生のことを調べると、3年生の後期試験(の成績不良による単位落とし)が原因となっていることが、とても多いらしい。
就職活動を優先させて内定が決まったはいいものの、「卒業できませんでした」というのでは、本末転倒というものだ。
我々も、「学生の視点に立った」と言っているくせに、このような現状に対して無策であることを情けなく思う。
企業にとって、大学にとって、学生にとって、せめて“まとも”な就職と採用の環境を取り戻すためには、何をどうしなければならないのか……。
なかなか難しい問題ではあるが、この業界でビジネスを行なう者として、キチンと向き合わなければならない課題である。
ちょっとあせっている日
2008年12月7日 (日曜日)
12月11日のコンサートまであと4日。いよいよあとがなくなった。
「練習はすすんでますか?」と挨拶代わりに聞かれることも多くなった。
しかし……。
むむむ。
きょうも練習しているのだが、どうも思うようにはいかない。
ピアノ、バイオリン、サックスの方々との日程が合わないため、本日は単独練習をすることになったのだが、ひとりでの練習というのは寂しく、張合いもなく、ついつい妥協してしまう。
むむむ、まずい。
気がつけば、もう夜遅い時間だ。大きな音を出すことができなくなってしまった。
こういう切羽詰まった気持ちになるのは久しぶりだなあ。
すでに深夜零時を過ぎているのだが、もうちょっとだけ練習するかな。
いや、それよりYoutubeで、南こうせつや、伊勢正三や、チューリップの若かりし頃の演奏を聴きながらイメージトレーニングをしたほうがいいかな。
いや、ジタバタしてもしょうがないので、もう寝るとするかな。
・・・と、今夜はめずらしく焦って、日記さえ満足に書けないでいる釘さんでした(苦笑)。
年内最後のパフLiveだった日
2008年12月6日 (土曜日)
きょうは2008年最後のパフLive。
#最後といっても、別のイベントは、しぶとく年末ぎりぎりまで開催される。クリスマスイブの日にまで開催されるくらいだ。
きょうのパフLiveは、口コミで評判が伝わったせいか、いままでのパフLiveの中でも、もっとも出席率が高かった(ドタキャン率が低かった)ようだ。最初のほうは人が多すぎて、ちょっと窮屈な思いをさせてしまったかもしれない。
とはいえ終わった後のアンケートをみると、学生の満足度、企業の満足度ともに高く、まずまずの終わり方が出来たのではないだろうか。
ということで、きょうの日記では、2008年最後のパフLiveの風景を貼り付けて終わることにしよう。
受付3人娘と、誘導ふたり男。
タシロ司会によるオープニングガイダンスと企業ブース(右にみえるポスターは宮崎あおい?)
仕事まなびカフェの風景と企業ブース(右にみえるポスターは、来年の干支?)
校長が行った場所は有楽町と池袋だった日
2008年12月5日 (金曜日)
一昨日に続き、本日も『校長が行く』の企画で、協賛企業の方との対談を行った。
きょうは名物採用責任者である二馬さん(三菱電機ビルテクノサービスの採用担当部長)との対談である。
同社の人事部が入居する有楽町のビルのセミナールームに、大勢の学生が集まっていた。
テーマは、「仕事の面白さ」。「最初っから面白い仕事や、やりがいのある仕事なんてない」という、やや乱暴な僕たちの主張は、学生に伝わったかなぁ。
対談の後は、古くらかの友人で、人材紹介事業を営むW氏との情報交換で池袋へ(そういえば最近なぜか池袋に行くことが多いような…)。
高校の6期うえの先輩が経営する郷土料理の店で、3時間ほど真面目な話をした。
12月の週末の繁華街。普通なら忘年会シーズンで賑わいのピークだと思うのだが、不況の影響か、どことなく寂しい感じがする。
昨日は九州の山奥まで日帰りしため、僕もさすがにお疲れ気味。W氏とは池袋で別れて、おとなしく帰宅することにした。
さあて、明日はパフLive。前回に引き続き、学生の就職相談やミニ講座を行う予定だ。
今週も、もうひと頑張りだな。
母親の大恩人を見送ってきた日
2008年12月4日 (木曜日)
きょうは、すべての予定をキャンセルして、朝一番の飛行機で九州にやってきた。実は、この日記は、福岡空港で、帰りの飛行機の待ち時間に書いている。
九州にやってきたのは、僕の母親の親友であり、息子さんは兄貴の中学生時代の同級生であり、息子さんの奥さんは僕の小学生時代の同級生である、湯布院の親しいおうちのご主人が急逝されたからだ。
亡くなられたご主人と、その奥様は、僕の母親の湯布院でのいちばんの親友であり、かつ命の恩人でもある。
7年ほど前、一人暮らしの母親が脳梗塞になったことがある。ご夫妻は、この母親の異状を真っ先に発見し、すぐに病院に送り届けてくださった。おかげで母親は大事に至らず、大きな後遺症もなく、いまも元気に湯布院で暮らしている。さすがに高齢なので「元気」といっても心配なので、ご夫妻は、しょっちゅう、うちの母親の様子を見に来てくださったり、御自宅に招いてくださったりしていた。
お盆を過ぎたころ、ご主人が体調を崩され、別府の病院に入院された。・・・実は癌だった。
以前の日記にも書いたが、僕が10月の中頃、湯布院に戻ったのは、実はこのご主人のお見舞いに行くのが大きな目的のひとつだった。
お見舞いに伺ったときは、とても元気で顔色もよく、一時間以上いろんな話をしてくださった。
自分で歩いて缶コーヒーを買ってきてくださり、一緒に飲んだくらいだ。退院したら、またゴルフに行きたいと仰っていた。このご主人は、熊本工業の野球部員だった。読売巨人軍の(名選手でありV9時代の名監督だった)川上哲治氏の高校時代の後輩でもあり、野球選手としても有名だったそうだ。
そんな話を懐かしく嬉しそうにしてくださったのが、つい一か月半ほど前。まさかこんなに早く天に召されるとは思っていなかった。
お葬式では、高校三年生のお孫さんも弔辞を読んだ。
“じいちゃん”と語りかけるような弔辞に、涙が思わず溢れてきた。大勢の参列者の方々も同様だった。本当に優しい、頼りになる、いいおじいちゃんだったんだなあ…ということが、よく分かった。最後まで立派に読み上げたお孫さんにも感動した。
おじさん、その節は本当にお世話になり、ありがとうございました。うちの母親が、いまだに元気で毎日を過ごせているのは、おじさんのおかげです。
おじさんのご冥福を心よりお祈りいたします。どうか、安らかにお眠りください。
合掌