パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

人事異動の季節である。

パフの取引企業にも、この4月で他部署に異動される方々や、昇進・昇格される方々が、多数いらっしゃる。

パフの創業初年度(1998年)からお付き合いいただいている某商社でも、このたび大きな人事異動があった。

関連子会社H社の社長を勤めておられた方(名前をFさんといいます)が、異例の若さで親会社の要職を務めることになったのだ。

Fさんと僕とは5年前からのお付き合い。

Fさんは、創業したてのパフとの取引を決めてくださった当事者であるIさん(親会社の当時の採用責任者)の先輩にあたる。そのIさんは8年前、本社人事を離れて3年間アメリカに行っていた。そして5年前日本に帰任した際に、H社の社長に就任したばかりのFさんを、僕に紹介してくださったというわけだ。

Fさんは僕と会った直後に、パフとの取引を決めてくださった。そして以来、Fさん(社長)自ら、H社の新卒採用(それまでやっていなかった)に取り組み始め、学生の前面に積極的に出て行ってくださった。

「いやあ、僕は学生の前に出て行くのが大好きなんですよ」と、にこやかに仰っていたのが印象的だった。

僕も毎年、「学生向け特別セミナー」のいちコーナーで、Fさんとの社長対談に出演させてもらっていた。

H社の業績もこの5年間で急成長。その経営手腕が大きく評価されての、今回の親会社の人事だったのだと思う。

これは僕にとっても、とても嬉しいこと。

そこで今夜は、このFさんの「社長退任ご苦労様会」と、4月からの「新職務激励会」を兼ねて行なった。

5年前、Fさんを紹介してくださった、もともとのパフの大恩人であるIさんも、もちろんお招きした。それから、Fさんと初めてお会いしたときに同席したパフの影の創業仕掛け人である某大手人材会社社長のMさんも特別ゲストでお招きした。

場所は僕のふるさと(大分県)のアンテナショップを兼ねたお店。関サバ、関アジ、カボス、椎茸など、大分特産の料理を出してもらった。

大分の麦焼酎を何杯もおかわりしながら、昔の話、いまの話、将来の話などなどで、楽しい時間を過ごした。

 

4月から新年度。

世の中の経済は、先の見えない混迷の様相を呈している。

しかし、新しいフィールドで活躍する人々(もちろん新入社員もその一人)がたくさん生み出されるこの季節。新しい力が、きっと新たな世界、新たな価値を創りだしてくれることと思う。

Fさんの新しいフィールド(正確には古巣ですね)での活躍を、心から期待したいと思う。

#Fさん、これからもますますよろしくお願いします!!

札幌まで日帰りした日

2009年3月16日 (月曜日)

M社の説明会コーディネートのために、本日は朝7時過ぎに自宅を出発。羽田空港から北海道(札幌)に向かった。

東京は朝から暖かかったのだが、新千歳空港には、まだ雪が積もっていた。

札幌に向かうエアポート快速の車窓から外を見ると、一面、雪景色。温暖化の3月中旬とはいえ、やっぱり北海道なんだなぁ…と、妙に感心した。

飛行機の到着が定刻よりも30分以上も遅れたため、きょうも昼ご飯抜きだった。会場に到着して説明会の準備を手伝っていたら、多数の学生が訪れはじめた。

午後3時。説明会は無事終了。

まだ帰りの飛行機までには多少時間があったので、遅めの昼御飯を食べることにした。

以前、MSPのメンバーS氏から、「札幌で旨い立ち食い寿司を食べた。あのネタであの値段はスゴイ!」と聞いていたことを思い出した。

速攻でS氏の携帯に、「以前言ってた札幌の立ち食い寿司ってどこ?」という、ぶっきらぼうなメールを送ってみた。すると、すぐさま、詳細な場所の説明を書いたメールが返ってきた。さっすがSさん!!

で、その立ち食い寿司がココ。

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「一カン80円から」という、非常にリーズナブルな値段設定。でも、ネタはいい。さすがにトロやイクラやウニは、80円という訳にはいかなかったが、でも、東京の回転寿司と比べると満足度は極めて高かった。オキテ破りのサッポロ生ビールも飲んじゃった。だって北海道なんですもの^^。

寿司を食べて満足したあとは、おとなしく新千歳空港に向かう。

チェックインを済ませ、出発ロビーにある土産物屋さんのコーナーへ。

ふと目をやると、行列ができている。看板をみると、「花畑牧場」と書いてある。

ああ、これがいまブームになっている、田中義剛が経営している花畑牧場の生キャラメルかぁ…と思い、流行りものに弱い僕は列に並ぶことにした。

幸い、さほど待たされることもなく、生キャラメルのセットをふたつ購入。ひとつは自宅に。ひとつは会社に買ってみた。さて、評判はいかに?

羽田空港に帰ってきたのは、すでに夜7時半。羽田から京急電鉄で自宅に向かったのだが、人身事故があったとのことで、通常よりもかなり遅れての運行。9時過ぎにやっと自宅に到着した。

慌ただしい札幌日帰りではあったのだが、それでも、新鮮な寿司とブームの花畑牧場のキャラメルだけはなんとか確保できたので、まあ、良しとしよう

14人連続で面接した日

2009年3月15日 (日曜日)

本日は日曜日だったが朝から出勤。パフ自身の採用面接を実施するためだ。

きょうは二次面接なので、本来は僕の出番ではなかったのだが、急きょピンチヒッターで僕が面接官を仰せつかった。

先日の2月28日の説明会参加者で一次試験を通過した14名が対象だった。

朝10時から始まり30分単位で連続14名。休んだのはお昼の1時間のみ。全員の面接が終了したときには、すでに18時を回っていた。

すべての応募者に5分間の自己紹介プレゼンを(宿題で)課していたのだが、多くの人たちが、とても個性的&独創的なプレゼンを見せてくれた。なかには二日間も準備に時間をかけてくれた学生もいた。いやあ、感心&感動させられた。

これだけのことをやってもらいながら、実際に採用できるのは2名(多くても3名)のみ。選考するのがとっても辛い。

明日は札幌への出張。移動や空港での待ち時間など、ひとりで過ごす時間が長い。人選について、じっくり考えるとしよう。

卒業式だった日

2009年3月14日 (土曜日)

世の中の学校では、来週が卒業式のピークだと思う。

我がパフも、本日が卒業式だった。

今年、パフのスタッフを務めてくれた2名の大学4年生に、感謝の気持ちを込めて「卒業おめでとう!」の宴会を行ったのだった。

2名の大学生というのは、SくんとIさん。

Sくんは、パフの内定者のツチダの友人で、何回もパフのイベントを手伝ってくれた。4月から、某外資系コンサル会社で働くことが決まっている。とっても賢い奴なんだけど、賢さに似合わず、人間くさい奴だ。

Iさんは、もともとはパフに応募してくれていた(最終段階まで残った)学生だ。最後の最後の決断で、悩みに悩んで、パフではなく、地元の銀行に就職することに決めた。でも、パフのことが大好きで、昨年の春からずーっと、パフでアルバイトとして仕事をしてくれた。

本日の卒業式には、パフの社員はもちろんのこと、過去の卒業生たちも多数駆けつけてくれた。パフの初代インターンシップ(なんと1999年に働いていた)の2名(N口とU杉)も来てくれた。

それから、おやじバンドMSPのメンバーである、Mことマングローブの今野社長と、Sこと就職エージェントの下薗社長も、出張公演を行うために、駆けつけてくれた(とっても感動的な歌を4曲、卒業生たちのために歌わせてもらった)。

いやー、楽しかった。

とくに、卒業生Iさんの涙が、とっても可愛く、感動的だった。

Iさん、一年間、本当にお疲れ様でした&ありがとうございました。銀行に就職してからも、ずっとパフのことを忘れないようにね

それと、Sくんは、コンサル会社で徹底的に鍛えられたのちに、パフに履歴書を送ってくること!

ということで以下は、卒業式がお開きになったあとに写した、Iさんと僕とのツーショットと、Iさん&Sくん&MSPの下薗社長とのおチャらけ写真です。

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10年近くお付き合いしている、志高き国家公務員(キャリア)がいる。名前をSさんという。

僕よりも数歳(7歳くらいかな?)若い。旧通産省に入省し、その後、旧労働省にしばらく出向していた(僕と知り合ったのはこの時期)。

その後、エジプトの日本大使館に3年ほど赴任。日本とエジプトの経済交流の橋渡し役を務めていた。このときも定期的にエジプトの様子を僕に伝えてくれていたし、一時帰国の折には、パフの事務所に遊びに来てくれていた。

3年ほどまえにエジプトから霞ヶ関の経産省に戻ったのだが、それから少しして、今度は東北大学の大学院で教鞭をとることになった。公共政策論を学生たちに教えるためだ。僕はこのときも、大学に招かれ、Sさんの研究室の教え子たちにミニ講演をやったりしていた。

一昨年12月の「パフ創立10周年式典」では、忙しい中(会議があったのに)、わざわざ仙台からお越しくださり、冒頭だけ参加されたのち、会議に出席するため、すぐに仙台に戻っていった。僕はSさんが来ていたなんて知らず、あとからこのことを聞いて、感動・感謝しまくりだった。

そんなSさん、東北大学での仕事も終了し、昨年の夏、霞が関の本省に戻ってきていた。

「おお、また落ち着いたら一度メシでも食べに行きましょう♪」と言っていたのだが、その直後のリーマンショックや、今般の経済大混乱もあり、なかなか会えずにいた。

が、本日やっとメシを食べに行くことができた。

いったんパフの事務所にお寄りいただいたのだが、今後の進路として中央省庁を視野に入れているインターンシップのスハラと面談してもらったり、Sさんの大ファンだといってはばからないキムラなど女性陣と話をしてもらった。

その後、近くのメシ屋で、(もちろんワリカンで)食事しながらあれやこれやのご意見を伺ったのだが、中身は例によってヒミツ。

高い志と広い視野で、世の中の事象を深く見つめているSさんならではの貴重なアドバイスを多数いただけて、とっても有意義なメシ会であった。

晩ごはん抜きだった日

2009年3月12日 (木曜日)

昔、悪さをすると、「もうあんたは、晩ごはん抜きや!」とよく言われたものだ。

でも、今夜の晩ごはん抜きは、悪さをしたためではない。食べるタイミングを逸したまま、夜中の11時を迎えてしまったためだ。

お腹ぺこぺこである。

ちょっと前の僕なら、帰り道に、ラーメン屋か吉野家に、ふらふらと立ち寄っていた。そして翌朝、もたれた胃をさすりながら後悔するのである。

が、今夜はラーメン屋の誘惑にも、吉野家の誘惑にも、負けなかった。

やはり日曜日に66Kg台を記録したことが大きな励みになっている。小さな成功体験って大事である。

辛くても、食べてなるものか。

ああ、朝ごはんが待ち遠しい……。

きょうは、日記を書く余裕もなく、朝起きてすぐに家を飛び出し、早朝(東京発午前7時)の新幹線に飛び乗った。

向かったのは広島。

飛行機の方が移動時間は少なくて済むのだが、車中での自由度や、手続きや、乗継(空港からの移動など)を考えると、新幹線に軍配が上がる。

広島は何の仕事だったかというと、お客様の会社説明会のコーディネート(最近、何回かこの日記でも書いている、アレ)である。

広島駅に到着したのが11時過ぎ。説明会の準備が12時から始まるので、ちょっと早めの昼御飯を食べようと思ったときだった。

「あ、そういえば、あいつは確かいま広島にいるんだったよな」

と、ある一人の若者の顔が浮かんだ。

その若者とは、5年前の、(ちょうど今ごろの季節にパフに応募してくれていた)パフの内定者である。

名前をDサクという。Dサクは、パフへの応募に先立って、パフで一週間のインターンシップも経験していた。

生意気な奴だったが、憎めない奴でもあり、抜群の賢さと、頭でっかちではない行動力もあったため、ぜひパフに入社させたかった。

しかし!!!

Dサクは、結局パフに入社せず、なんと同業大手のR社に入社してしまったのだった。

R社の内定をDサクが受諾し、パフの内定を辞退すると決めたその瞬間、Dサクと一緒にいたR社の採用担当者(古い知り合いであるSさん)から、僕の携帯にお詫びの電話がかかってきた。

僕はその採用担当者Sさんに、「ちょぉっとぉぉぉ、Sさんマジ? そりゃないでしょ? ウチが先に内定出したんだよ!! Dサクとあなたとで、頭を丸坊主にして謝りに来ないと、許さないからね!!」と、僕は冗談のつもりで伝えたのだが、以来、その採用担当者Sさんからは連絡がこなくなってしまった(苦笑)。

一方のDサクは、図々しくも年に一回は(節目節目で)僕に連絡を寄こしてくれていた。

入社後、かなりの実力を発揮していたようで、昨年は多数の営業のなかでのMVPも受賞したらしい。

実は先日の日曜日に、そのDサクから、とある相談ごとで電話をもらったばかりだった。

でも、Dサクが広島(R社の中国支社)にいたということを、広島にきょう降り立つまで、コロっと忘れていた。

僕がきょう広島に来たのも何かの縁だと思い、早速電話してみた。

「おお、Dサク、俺いま広島にいるんだけど、よかったら夕方お茶でも飲まない?こないだの電話の話もじっくり聞いてみたいし…」

すると奴は、さほどビックリするでもなく、 「え、ホントですか? 大丈夫です。ぜひお願いします!」と、二つ返事で答えてくれた。

直に会って話すのは約2年ぶり。この5年間のうちでは、3~4回目である。

相変わらず憎めない奴だった。頼りなさそうにも見えるのだが、この若さで、この春から、とあるエリアのとあるメディアの責任者を務めることになったのだという。

ここから先は、この日記には書けないけど、もろもろの四方山話(人生相談?)を、帰りの新幹線の出発間際までした。

昔パフを蹴った憎らしい奴なんだけど(苦笑)、こうやって遠慮なく突然会ったり、身の上話をしたりすることができるっていうのは、素晴らしいことだと思う。予感だけど、この腐れ縁は、これからもずーっと続きそうだな。

Dサク、俺は応援しないけど、これから勝手に、謙虚に、しっかり、頑張れよ!!