入社2年目の爽やかビジネスマンがやってきた日
2009年6月9日 (火曜日)
3年前から2年前にかけて、パフを通じながら就職活動をしていた(当時の)学生のT君が、きょうの夕方、パフに立ち寄ってくれた。
T君は、「うまれよ塾」をきかっけとしてパフとの接点を持ってくれた。以来、就職活動の要所〃〃で、(あるときはパフのイベントで、あるときは顧客のセミナーで、そしてまたあるときは、T君の出身大学での講演で)会う機会がたくさんあった。
僕にとって、とても印象に残っている学生のひとりだ。
当時のパフは、いろんなことでゴタゴタしていたため、新卒採用活動を控えていたのだが、もし採用活動を行っていたとしたら、真っ先に首に縄を巻きつけたかった優秀な奴である。
結局T君は、縁もゆかりもない大阪本社の会社に就職することになった。
グローバル企業なので、本社が大阪だからといって大阪が勤務地になるとは限らなかったのだが、昨年の入社後配属されたのは、やっぱり大阪だった。
T君は就職後も、僕に近況を報告してくれていた。僕のこの「釘さん日記」もチェックしてくれており、「ライブに参加できなくてすみません!」なんていうメールも律儀にくれたりしていた。
けさ、そのT君から、僕の携帯宛てに突然連絡が来て、嬉しい再会となったわけである。
一年半ぶりに会うT君は、とても立派になっていた。
清々しさと、逞しさと、爽やかさが、絶妙にバランスされていた。
たまたま僕は、月に2回のメルマガ原稿を書き終えたばかりで、その内容というのは、奇しくも、T君の会社の創業者(故人)Mさんのエピソードの紹介だった。
僕は創業者Mさんが残した数々の言葉やエピソードに、最近とても興味を持っていたこともあり、T君との“よもやま話”では、当然そのことが話の中心となった。
コンパクトにまとめられた「社内限」の冊子を見せてもらったのだが、理念や社是や社訓や行動原則などのなかに、創業者Mさんの発した言霊(ことだま)が溢れていた。
毎朝の朝礼では、この創業者の言葉を、部署の社員全員で唱和しているらしい。なんだか僕は、T君の会社の創業者になったような気分で、とても嬉しかった。
あ、いかん。脱線してしまった。T君の会社の創業者の話ではない。T君自身の話だった。
この日記でもよく書いていることだが、社会に巣立った若者が、元気な姿を見せに、こうやって少しの時間でも立ち寄ってくれるというのは、本当に嬉しいことなのである。
まさに、「マジックドラゴンPuff」になった気分である。
T君、きょうはホントにありがとう。おまけに、お土産まで頂戴しちゃって。恐縮です!!
今度はぜひ、夜ゆっくりできるときに遊びに来てください。きょうのお土産のお返しに、寿司でも一緒に食べに行こう♪
K社の元社長を囲む会だった日
2009年6月8日 (月曜日)
きょうは、パフのコンサル事例にもよく登場する「“K社の元社長”を囲む会」を行った日だった。
「元社長」と書いたのは、(あたりまえだが)いまはもう社長ではない、ということ。
え? 首になっちゃったの?
そういうわけではない(笑)。
1年前に、元社長は、社長からさらに上のポジションに昇格したのだった。
社長より上のポジション?
そう、社長より上のポジションというのが世の中にはあるのだ。
(あまり詳しく書くと本人が特定されてしまうので、このくらいにしておきます。)
囲む会に出席したのは、人事、教育、採用関連でK社の経営改革を支援していた3社の社長(うち1社の社長が僕ですね)。
4人で会うのは、約1年ぶりだった。
K社の経営改革が始まったのは、いまからもう3年近くまえになる。今夜は、その当時の懐かしい話がたくさん飛び出した。
いまから考えても、元社長はホントにすごい人で、それまで蔓延っていた「常識」や「慣習」といったものをすべてひっくり返した。そして短期間で、新しい組織や経営のカタチを創り出した。
元社長が今夜、仰っていたことがある。
『社長にとって最大のお客様は社員である』
ということ。
元社長がK社の社長だったころ、K社の社員たちは取引先との商談のときに、「いやあ、うちの社長はなんだか面白いんですよー」と、社長の話題を出すことがよくあったらしい。
つまり、社長が何を考え、何をしているかということを社員に見せることによって(もちろん人様に誇れるような考えと行動であることが前提なんですが)、社員は、そのことをお客様や、取引先に、どんどん広めてくれるということなのだ。
他にも、いろんなことを教えてくれた元社長。
これからも、ずーっとお付き合いさせてもらいたい、(できればもっともっと出世していただきたい)「人物」である。
骨太の作品を連続して観た日
2009年6月7日 (日曜日)
この週末は、久々に映画&テレビDAYだった。
昨日は『ターミネーター4』、きょうは『ハゲタカ』を観た。いずれの作品も、観終わったあと唸った。なかなかのものだ。
かたやアメリカのSF映画、かたや日本の社会派(経済)映画で、まったくジャンルが違うのだが、いずれもテーマは“人間”だったように思う。
人間の悲しさ、儚さ、卑しさ、貧しさ、愚かさといったものを描き出した後に、人間が人間として失ってはならないものを訴えかけていた。
夜は、お決まりのNHK大河ドラマ『天地人』。今夜は、いよいよ、「愛の兜」が登場した。こちらも戦国時代の“人間”の義と愛がテーマである。
その後、NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー~通商国家の挫折~』。開国から150年間の日本人の歩みを、「貿易」という視点から検証したドキュメントだったのだが、これも人間の欲やプライドや意地のようなものへの批判が底辺にあったように思う。
時代がどんなに変わっても、社会や経済がどんなに複雑になっても、いつまでも変わらないのは「人間」。そして、その人間のなかに潜む「善と悪」。
これは、我々人間の永遠のテーマであり、小説やドラマや映画で、ずっと描かれ続けるものなのであろう。
連続試合安打が止まった日
2009年6月6日 (土曜日)
イチローの連続試合安打が、きょうついに止まった。記録は、「27」だった。
僕は、さほどの野球ファンでもイチローファンでもないのだが、この記録が止まったのは、やはり少し残念だった。
マスコミも飽きるくらい、地味にずーっと続けてくれたらなと思っていたのだが、こればっかりはしょうがない。(実はこの日記は翌日に書いているのだが、翌日のイチローは3安打を打っている。さすが!!)
ところで、イチローの安打が常人とは違うところ。それは、とんでもない悪球を、こともなげに打ち返すところ。ピッチャーが外すつもりで投げた球が、スコーンと打たれてしまうわけだから、ピッチャーとしてはショックが大きいことだろう。
しかし、イチローにとっては、 「打てる球はすべてストライク。球審がボールと判断するかどうかなんか問題じゃないんだ」という。
ビジネスの世界でも、成功した人には、「よく、そんな誰も手を出さないことにチャレンジしましたね!」という称賛の言葉を送る凡人がいる。
一方で、(同じことをやったとしても)失敗した人には、「なぜ、そんな誰も手を出さないことをやったんですか?」という軽蔑の言葉を送る凡人がいる。
凡人にとっての常識は、「ストライクゾーンは打つべき球」。「ボール球に手を出す奴はバカ」。でも、イチローくらいボール球を打ち続けると、「スゴイ」に変わる。
所詮、凡人の評価なんてそんなものだ。
できるビジネスマン(いつしか成功を収めるひと)は、「打てる球はすべてストライク。球審がボールと判断するかどうかなんか問題じゃないんだ」っていう軸を持っているものだ。
なーんてことを、イチローの連続安打が止まった日に思った。
アタマのメモリ不足を痛感する日
2009年6月5日 (金曜日)
きょうは金曜日。週末である。あっという間の1週間だったのだが、もんのすごく多くの方々に会い、様々な案件の打ち合わせを行った週だった。
様々な案件には、前向きなもの、後ろ向きなもの、公開できるものも、絶対誰にも明かせないもの、いろいろなものがある。
数多くの案件があって、いろんな方々と打ち合わせしたり、交渉したりするのは、別に苦ではない。
ただ1点、とても最近心配なのが、僕のアタマの記憶容量。
さすがに大事なことはノートに記入しているのだが、記録するに足らない小さな部分までは書きこまない。
また、こんなこと絶対忘れないよな、と思うことや、その場で十分理解できたことなども、ノートにはとっていない。
昔までは、それでもよかった。
が、最近、ちょっとマズイ。
特に、今週のように、様々な案件が錯綜してくると、記憶がとっても曖昧になったり、記録してある事柄についても、「あれ?これは、なんでこうなってるんだっけ?」なんていうこともある。
やっぱり脳細胞が、日々かなり減少していってるんだろうなあ……。
そこで最近は、メモ帳を胸ポケットに入れておき、簡単な打ち合わせや小さなことでも記入するように心がけているのだが、メモしていたことすら忘れていたり…(苦笑)。
今週の打ち合わせ内容については、この土日、忘れないうちに整理しとこっと。
相手の立場になることの難しさを説く日
2009年6月4日 (木曜日)
「相手の立場になって物事を考えることが大事」ということは、新入社員のときにイヤというほど(耳にタコができるほど)聞かされることだ。
でも、これがなかなか難しい。
「立場」というのは、どんなにトシをとっていても、相手の立場を経験したことがない限り、本当のところは理解できないからだ。
きょうも理想論や筋論を演説する人に出くわしたのだが、なかなかその意見を素直に受け入れることができない。
言っていることは「正論」であり、筋が通ってはいるのだが……。
相手の立場を経験したことのない人の言葉は、たとえ「正論」であったとしても、とても空虚だ。聞いていて、「確かにその通りだけどね」という程度の反応しか返せない。
世の中の、「コンサルタント」という職種の人たちが、いまひとつ(一般的には)信頼を勝ち取れず、むしろ「胡散臭い仕事」だと揶揄される原因の多くは、そこにあるのだと思う。
僕が(僕に限らず中小企業の経営者が)素直に言うことを聞ける人。これはいたって単純明快。
「じゃあ、あなたが、いま仰っていることが、もしうまくいかなかったとしたら、その責任をあなた個人で取る覚悟はありますか?」
という問いに、即座に「もちろんです」と答えられる人だけである。
外側で偉そうに「べき論」を滔々と語る人のことは、残念ながら、信用できない。それはそれで価値があるという人もいるが、僕には、とてもじゃないが「余計なお世話」でしかない。
心から理念やビジョンに共感できる人。本当に会社の目的・目標にコミットできる人。いっしょに血と汗と涙を流せる人。そういう人じゃないと、「相手の立場になって物事を考える」なんていうことは、できないんじゃないかと思う。
パフの社員には、そういう人になってもらいたいわけなのだから、こりゃあハードルはとてつもなく高い。でも、ぜひ乗り越えてほしいと思う。
難しいことを偉そうに言うだけの「似非コンサルタント」には、絶対なってほしくない。
嬉しい内定報告をもらった日
2009年6月3日 (水曜日)
パフの2010年度の新卒者採用は、約100名の応募者に対して若干名(結果的に一人だけ)の採用。したがって、90数名の応募者には「ごめんなさい」を言わざるを得なかった。
僕も、20名以上の学生と直接面接を行った。
あたりまえだが、皆、それぞれの個性、持ち味がある。未熟なところもあるのだが、いずれ花開く素養を、皆それぞれが持っていた。
僕はできる限り、面接の場で、採用か不採用かのジャッジをし、不採用の場合には、その理由と、どういう仕事や会社との相性がいいかということを、(僕なりの主観ではあるのだが)伝えるようにしている。
最近、そうやって涙をのんで不採用とした学生諸君から、内定報告をもらうことが増えてきた。とても嬉しいことだ。
きょうもお昼ころ、とても嬉しい内定報告のメールをもらった。
その学生のことは、いまでもよく覚えている。面接したのは、もう2か月以上も前だったのだが。
僕の娘と同じ名前(そんなにある名前ではない)だったこともあり、「なんとか(この子にとっての)良い会社に入ってもらいたいな」と思っていた。
そんなこともあり、パフの創業時の協賛企業で、大企業ではないのだが、とっても個性的な会社を紹介し、「キミにはぴったりの会社だと思うから、ぜひチャレンジしてみなよ」「ホントにすごい社長だから、最終面接まで行けるように頑張りなよ」と言って送り出した。
そして本日の内定報告のメールには、この会社から見事内定をもらえたことが書かれていた。
人の縁とは不思議なものだ。
彼女のメールは、次のような一文で結ばれていた。
—
この会社に受かったら絶対報告したい。そんな想いでいました。なんでもないよくあることなのかもしれませんが、私にとっての「縁」を感じるものでした。
なにかをきっかけにしてそれが連なっていくのが縁だとしたらその大きなきっかけが釘崎さんでした。今回なんとかいい報告ができてよかったと思っております。
—
一人ひとりの学生と向き合うというのは、口で言うのはたやすいことだが、実際にはとても難しいこと。企業に偉そうに言っている僕ですら、すべての応募者とキチンと向き合えているかといえば、自信をもってそうだとは言い切れない。
でも、縁あってパフを応募してくれた学生たちには、社会人としてのしっかりとした第一歩を歩み始めてほしい。
そういった意味でも、きょうの内定報告は、とても嬉しかった。