パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨日はHRプロさんが主催する大学と企業の大相談会「キャンリクフォーラム」に参加してきた。

場所は池袋のサンシャインシティ。

ここに、全国83の大学の就職指導・キャリアセンター職員と約80社の企業人事担当者が大集合。1大学ごとに設置されたブースに人事担当者が訪問して、自社の紹介や求人の相談をして回るというものだ。

パフからは僕の他に、この春から大学とのリレーションづくりを専門に行っているツカハラさん(なんと警視庁公安部の元警察官)の2名が参加。二人で手分けして、各大学のブースを一斉に訪問した。

僕の訪問ノルマは40大学だったのだが、結果的にお話しできたのはその半分の20大学。達成率は50%。あいかわらずのダメ営業マンだった(T_T)。

でも考えてみたら、開始時間が午後1時で終了時間が午後6時。5時間(300分)が、訪問のために許された時間。1大学15分話したとして、20大学回ると300分が経過することになる。ということは、40大学回ろうだなんてそもそも物理的に無理があったのだ(-_-;)。

とはいえ、5時間ぶっ続けで20大学もの方々と話をすると、もうヘトヘト。喉はカラカラ。疲れまくってしまった。

各大学にご説明差し上げたのは、もちろんこの企画。

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訪問した20大学のほぼすべての方々が、チラシの配布や掲示を快諾してくださった。なかなかの成果である。

大学職員の皆さん、昨日は真剣にお話を聴いていただき、どうもありがとうございました!

 

さて、本日はこのウルトラインターンシップのガイダンスが、飯田橋のキャリぷら東京にある職サークルセミナールームで開催される。どんな学生が来てくれるか楽しみだ。

ではでは、いつも通り朝食&花子後、行ってきます!

一昨日の日記では、「父の日」にちなんで昔のメルマガのコラムを転載してみた。毎朝、短時間で書いているこの日記とは違い、昔のメルマガは、うんうん唸って時間をかけて書いていたことを思い出した。

考えてみれば僕は、パフを創業した直後からメルマガを発行してきた。今でこそ巷に氾濫しているメルマガだが、当時は(特に就職情報会社がコラムを中心としたメルマガを発行するスタイルは)とても珍しかった。ある意味、最先端を行っていたのかもしれない。

社員を採用し始めてからも、しばらくは僕自身がメルマガの発行人であり編集者であり執筆者だった。

編集長の座を社員に譲ったのは10年ほど前だったのだが、それでもコラムの執筆だけは、しばらくのあいだ引き受けていた。

が、いまから丸2年前、そのコラムの執筆も完全に引退することにした。いま書いているのは、この緊張感のない日記のみ(笑)。

ではなぜ、メルマガの執筆を辞めたのか。

辞めた日のことを綴ったメルマガのバックナンバーがあったので、先日に続いて転載してみよう。

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パフのメルマガの歴史は創業時に遡ります。

最初の配信は1998年夏。会社を立ち上げて半年が経過したころだったと記憶しています。

学生向けのメルマガよりも先に、社会人向けのメルマガを書きはじめたのでした。

最初のころの社会人向けメルマガは、メールだけではなくFAXの一斉同報システムも使っていました。

まだ電子メールが企業に浸透していない時代。電話回線にモデムをつないで、ピーピー・ガーガーしながらネット接続していた時代でした。

当時は個人情報保護法などなく、企業の採用担当者名や電話番号、FAX番号(まれにメールアドレス)が収録された名簿が公然と売買されていました。

私も販売促進のためにその名簿を入手し、企業の採用担当者に対して、いろんなFAXDMやメールDMを送りつけていました。

☆☆☆

しかし、反応はいまひとつ。というか、まったく来ず。

であれば、『メルマガ』という形式で、

・自分がなぜ、パフという会社を創業したのか。
・就職と採用の業界の中で、どんな仕事をしていきたいのか。
・いまの業界をどう変えていきたいのか。
・企業の人事担当者にはどうあってほしいのか。
・就職活動を行う学生にはどうあってほしいのか。

といった、(会社や商品の宣伝ではなく)自社や自分の想いだけを書き綴ったものを送ってみようと思ったのです。

現在のような定期配信ではありません。

書きたいときに、書きたいことを、書きたいように書いて送っていました。

企業の採用姿勢に憤りを感じた時や、学生の就職相談をしていて自分の無力さや非力さを感じた時などは、よく書いていました。きっと自分の想いを書くことで自分を励ましていたのでしょう。

いまはもう手元に残っていないのですが、とても青臭いことを書いていた記憶があります。

☆☆☆

不思議なものです。

販促のDMではまったく反応してくれなかった企業の人事担当者の方々から、感想が届くようになったのでした。

このころの『青臭いメルマガ』がきっかけで、後々取引が始まった企業が何社もあります。

13年間『職サークル』への協賛を継続してくださっている講談社さんも、最初のきっかけは、この『青臭いメルマガ』でした。

ですから私にとって社会人向けのメルマガとは、単なる販促ツールではなく、会社の理念や想いを伝えるための、大切な『メッセージの代弁者』とも言える大事なものなのです。

☆☆☆

一方、学生向けメルマガを本格的に定期配信するようになったのは、1998年の暮れからでした。2000年4月の就職を目指している学生向けに、毎週一回必ず配信していました。

ここでも私は、単なる就職情報の配信ではなく、「僕」という人間が「あなた」という個人に、一般論ではなく「僕はこう思うよ」ということを伝えることに努めていました。

企業を紹介するときも必ず、「この会社がパフと付き合ってくれているのはこういう理由があるからだよ」とか、「この会社の採用担当者の○○さんは、
僕にとってはこんな人で、こういうところが僕は好きなんだ」ということを書くようにしていました。

その翌年からは、その「僕」の生い立ちから起業までを綴った「パフの創業物語」の連載も開始しました。

こだわったのは、ネットであれ何であれ「顔が見える」ということ。

俺は、こんな奴だ。だから俺は、こう思うんだ。お前は、それについて、どう考えるんだ?

という、ある種の「人間臭い交流」を志向していたのだと思います。

手前味噌になりますが、このスタンスで送り続けていた学生向けのメルマガの影響はとても大きく、2001年のプロ野球オールスター戦のファン投票で、それまで3位だったある知り合いの選手を、いきなり1位に押し上げたりしたこともありました。批判もたくさんいただきましたが(苦笑)。

☆☆☆

今回、社会人向けメルマガの「Face to Face」を最終回にする(釘崎はメルマガを書かない)と決めたのは、先週の広報戦略会議でのことでした。

わりとあっさり決まりました。

というのも、パフが配信するメルマガが(販促やセミナー告知のようなメールなども含めると)乱立する傾向にあり、整理する必要を皆が感じていたからです。

メルマガだけでなく、ホームページやブログ(社員が交替で書いているブログや私が個人的に書いている“日記”)も、いまいちど見直す時期なのではないかというのが皆の意見でした。

そして私も、(私自身も含めて)執筆者が惰性や義務感で書いている状態を変えなければ、と思っていたのでした。

(以降、省略)

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あれから2年が経った。

果たして変化することができたのだろうか。退化、劣化はしていないだろうか……。

 と、問題提起をしつつ、本日は早朝会議なので、花子抜きで行ってきます!

 

我が家を巣立っていった娘と息子が同じ舞台で活躍している姿を、観客席の端っこでそっと見守る年老いた父親。

昨夜の僕はさしづめそんな感じ。

娘というのはパフの新卒一期生であるヨシカワアユ、息子というのは新卒二期生であるイトウアツシのこと。

ヨシカワは巣立った(結婚した)とはいうものの、まだ我が家(パフ)で歳の離れた妹や弟たちの面倒を見てくれている。

イトウは4年前に家を飛び出してすぐに、自分の小さな家(自分の会社)を建ててしまった。最初は吹けば飛ぶような家だったが、年々増築を繰り返して、しっかりとした足場を築き上げたようだ。

と、わかりにくい比喩はここらへんにして(笑)。

昨夜はそのイトウくんが4年前につくった会社(i4社)が主催するイベントが首都圏の某大学で行なわれ、そこにヨシカワがイチ企業のパネリストとして参加したのだった。

4社の現場で活躍する社員のリアルな話を聴きながら、仕事のオモシロさ、やりがいなどを深堀していくこのイベント。i4社はいわゆる上位校を対象に、年間数十回もの学内イベントを手掛けている。

このイベントの評判の良さは、企業の採用担当者や大学関係者から聞いてはいたのだが、僕はまだ一度も見たことがなかった。昨夜はヨシカワが参加するというので、これはいい機会。見にいって、あとから茶化してやろうと思った。

90分間のイベント。イトウくんはファシリテーターとして、最初から最後まで、4人のパネリストの話を聞き出すのみ。ただそれだけのイベントなのだが、これが飽きさせない。どころか、あっという間に90分が過ぎていった。

なるほど。面白い。これは評判がいいはずだ。

パフ以外の3社はパフの数十倍から数千倍(!)の大企業の社員だったのだが、パネリストとしてのヨシカワの語りも、まったく引けをとっていなかったし。

隠し撮り。ピンボケなので肖像権も大丈夫だろう(笑)

隠し撮り。ピンボケなので肖像権も大丈夫だろう(笑)

 

イベント終了後、僕は二人には声をかけず、茶化しもせずw、すぐに会場を後にした。

娘と息子の活躍を遠くからそっと見守る父親。涙こそ出なかったけど(笑)、なかなかよい時間を過ごすことができた夜なのであった。

真面目な話、自分の後進がこうやって活躍している姿を見ることができるのって、(ちょっと寂しい感じもするけど)いいもんですね。

さて、本日の午後はまた別の用事で、都内(ちょっとはずれだけど)のマンモス大学にお邪魔する。ここでも別の息子(いや、甥っ子だな)が活躍しており、その甥っ子にも会う予定だ。

では、まずはいつもどおり朝食&花子。その後、ウォーキングで茅場町まで行ってきます!

頑固おやじのコラム

2014年6月16日 (月曜日)

昨日のワールドカップ日本対コートジボワール戦。日曜日ということもあり、多くの人たちはテレビの前に陣取って応援していたのではないだろうか。

負けはしたものの、地球の裏側からエキサイティングな時間をもらった。

そして昨日は父の日でもあった。

だからといって、何があったわけでもないのだけれど(^^ゞ。

そういえば昔、「頑固おやじのコラム」を学生向けのメルマガで書いていたことがあった。

学生たちを自分の息子や娘と見立てたコラム。

不評だったようで、数か月の連載で打ち切りになってしまったんだけど(苦笑)。

どんなことを書いていたのか、父の日を記念して転載してみよう。

そう、本日の日記は手抜きです(笑)。

では、朝食&花子後、行ってきます!

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職学校校長・釘崎のコラム「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」

一人暮らしにチャレンジして、自分の力を高めていってくれ。
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おい、みんな元気か? 頑固オヤジの釘さんだ。

お前はいま一人暮らしか?それとも親と一緒に住んどるか?

もしお前が親と同居しとるんだったら、ぜひ学生のうちに親元を離れてみてほしい。

もしお前がいま一人暮らしだったとしたら、ぜひそのことを、最大限に自分の力にしていってほしい。

俺は自慢じゃないが、中学校を卒業してすぐに一人暮らしを始めた。家から大分市内の高校まで往復3~4時間かかるのと、2~3時間に1本くらいしかディーゼル機関車(電車ではない)が通っていなかったので、下宿せざるをえなかったんだな。

俺の家は貧乏だったから、一人暮らしをすると言っても、ぎりぎりの生活費しか親からはもらっていなかった。高校時代は(禁止されていたので)アルバイトで金を稼ぐこともできなかった。平日の朝食と夕飯は賄い付きの下宿だったので飢え死にすることはなかったのだが、仕送り間際になると昼飯抜きの日々が続いたりもした。

高校を卒業すると単身東京で四畳半一間のアパート暮らしを始めた。今度は賄いも付いていないから、金がなくなると朝・昼・晩ともに飯を抜くこともあった。少しでも金になるアルバイトを探して、夕方5時から翌朝9時までの、過酷な夜勤の駅弁屋で働いたりもした。

 ☆☆☆

この貧乏な一人暮らしが俺を強くしてくれたと思っている。

金の大切さ。1円の大切さを知った(1円足りないために食パンを買えないことだってあった)。

ギリギリまで自分の力でなんとかすることも覚えた。すべてのことを自分で考え、自分で判断した。そして行動した結果が最悪のものだったとしても、その責任は自分で負うしかなかった。

そして、金より大切な人の有り難さを知った。

ホントにギリギリの状況に追い込まれたとき、その苦境を救ってくれたのは、やっぱり「人」だった。友人だったり、先輩だったり、隣人だったり、ときとして見ず知らずの大人だったりもした。

 ☆☆☆

俺がいま、社会人として仕事をして、家族をもって、会社をもって、どうにかこうにか暮らしていけてるのは、15歳のころから始めた「一人暮らし」があったればこそだ。

もし俺が親元でずっと過ごしていたとしたら、俺のような甘ちゃんは、社会に適応できなかったかもしれないと思うんだ。

 ☆☆☆

どうだ。思い切って一人暮らしを始めてみんか?
 
機会や余裕があるのなら、留学にチャレンジしてみるのもいいだろうな。

どこか遠くの町の観光地で、夏休み、冬休み、春休みを利用した住み込みのバイトをするのもいいかもしれんぞ。

そして金を貯めて、日本縦断や大陸横断の旅に出るのもいいかもしれん。

家を離れられん事情があるなら、「家庭内一人暮らし」というのもいいかもしれんぞ。いや「引き籠りになれ」と言っているわけではないぞ。一人暮らしをしているつもりで、炊事・洗濯など身の回りのことを、すべて自分でやるんだ。そして、親に家賃を収めるんだ。金がなくなったとしても、親には絶対頼らない生活をするんだ。

少なくとも1年間、そういう生活を続ければ、きっとお前はいまより格段に強くなると思うぞ。

 ☆☆☆

すでに親元を離れて一人暮らししている奴。お前らはずいぶん鍛えられているかもしれんが、親から仕送りをしてもらっている奴も多いんじゃないかと思う。

そうすると、せっかくの一人暮らしで得られる効用が激減する。

思い切って仕送りをSTOPしてもらったらいいと思うぞ。

強くなるぞ。知恵がつくぞ。生きる力がつくぞ。ぜひ試してみてほしい。

 ☆☆☆

お前らが就職する力を付ける前にまず必要なことは、「生きる力」を身につけることなんだ。自分の力で、どうにかこうにか暮らしていく術を身につけることなんだ。

俺はそう思うぞ。じゃ、また来週な!

 

一昨日、この釘さん日記に載せた書評<書評でも書こう(『みんなで変える日本の新卒採用・就職』)>に、著者である寺澤さんご本人からFacebook内にコメントをいただいた。

お互いの「褒め合い運動&助け合い運動」みたいだけど(笑)、嬉しかったので、転載し記録として残しておこうと思います。

—  以下、Facebookより転載 —

(ブログサイトにコメントしようとしたのですが、なぜかコメント欄が出てこず、こちらに書きます)  
・・・
釘崎さん、私の拙い書籍にご感想、メッセージをいただき、誠にありがとうございます!

正直、自分で書いた書籍は、書いたあと恥ずかしくて読み返すことができません。
書いていただいた内容を拝読して、改めて感じることが多々ありました。

そもそもですが、私の考えはかなり釘崎さんに影響を受けています。書籍の最後に謝辞を述べている方々の重要なお一人が釘崎さんであり、本書の内容も釘崎さんとの話の中からいくつもアイデアをいただいています。

言うまでもないのですが、釘崎さんは長らく採用支援、就職支援業界の「良心」であり続け、相手が経団連であっても、身内がいらっしゃる某最大手就職情報会社であっても、納得できないことに対しては歯に衣着せぬ発言を昔からされてきました。その勇気や考え方に、私自身が触発され、勇気づけられてきました。

私の長女は就職活動の初期に、自分がしたいことに対する迷いがあったので、釘崎さんの会社であるパフさんのイベントに参加を促しました。そこで多くのものを感じ、学んだようでした。


実は、娘はパフさんに興味を持ち、受けたのですが、見事玉砕! それでも釘崎さんや社員の皆さんからフィードバックをもらい、すごく感謝していました。こうした就職活動が増えれば、心が折れる学生はほとんどいなくなると思います。

パフさんがやられている「職サークル」の試みは、未来ある学生たちを、個別企業の採用活動の枠を超えて支援する運動体だと私は理解していますが、釘崎さんが書かれているように、ここに参加するのは少々の勇気が必要かもしれません。この動きが広がることが、日本の新卒採用・就職を変えることにつながるのではないかと思います。

「書評」の最後で釘崎さんは、私とまた飲んで語りたくなったと書かれていますが、すでに日程が決まりました(笑)。また、同志も集めて飲みましょう!

・・・
—転載以上。いいね!うれしいね!(#^^#) —

恩師から接待された日

2014年6月13日 (金曜日)

今朝の日記は(昨夕書いたばかりなので)サボろうと思っていたのだが、記録に残しておきたいのでちょっとだけ。

今年の4月下旬に以下の日記を書いた。

恩師に感謝を伝えた日

大学時代の恩師が今年、古希(70歳)を迎えたこともあり、あらためて先生に感謝の気持ちをお伝えしたいと思い、お食事にお誘いした日のことを書いた日記だ。

昨夜は、先生がこの日のお礼にと、僕と僕の先輩をお食事に誘ってくださった。しかも、我々のカミさんも同伴のうえで( ゚Д゚)。

お招きいただいたお店はここ。

亀戸桝本(ますもと)本店

亀戸にある明治38年創業の高級な料理店。実はこの桝本の経営者が、先生のMBA(明治大学グローバル研究科)の卒業生だとのこと。大事な人たちと打ち合わせする際は、このお店を使うのだそうだ。

そんなお店にお招きいただき光栄!

「亀戸大根」尽くしの料理とあさり鍋が絶品だったのだ。

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いやー、美味しかったし、楽しかったし、嬉しかった。

僕が4月にご馳走したときの3倍返しくらいだったのではないだろうか。いや、カミさん同伴なのでそれ以上かも。

あいかわらず先生は僕に、「それにしてもクギサキくんは、ぜんっぜんっ、授業に出てこなかったよな、憎らしくてよーく覚えてるよ」というイヤミを連発していたが(笑)。

昨夜は、北海道出身の先生が(先生の出身高校からは普通なら北大に進学するそうなのだが)東大に進学した経緯や、学生運動で警官に石を投げて神田警察の留置所にぶち込まれたことや、就職は通産省に行くはずだったのが勧銀に入った経緯や、勧銀のリクルーターが実は小椋佳だったことや、勧銀をやめて研究者になった経緯や、女優の山本陽子と渋谷で3回もデートしていた(!)事実を、30数年の歳月を経て初めて聞いたり……。なかなか収穫の多いひとときだった。

先生、すっかりご馳走になってしまいました。これからも一生研究を続けていかれるとのこと。お酒の飲み過ぎには気を付けて、ずーっとお元気で頑張ってください!

 

さて、本日は早くも金曜日。今夜は3月の大雪で中止になってしまった宴席のリベンジである。あいかわらず夜は飲んでばかりの一週間だったが、これも人生。まあよいだろう(笑)。

今朝は珍しく太陽と青空が顔を出している。では朝食&花子後、行ってきます!

 

本日の早朝、東京駅に向かう寸前に予告した通り、移動の合間に書評を書いてみる。

僕は書籍の評論って、考えてみたらいままで書いたことがない。お勧めの本を紹介することはあるけれど、評論なんて柄じゃないし、人の著書のことをあれこれ言うほど自分の知識や経験が十分あるとは思っていないからだ。

というわけで、ここから書くことは書評ではなく、たんなる読書感想文。それから、この本に触発されて湧き出てきた自分自身の考えとして、全国数十人の「釘さん日記」の読者の皆さんには読んでいただければと思う。

あらためて、ご紹介する書籍は、これ。

「みんなで変える日本の新卒採用・就職 ~不毛な就活、採活を撲滅する~」 (発行:HRプロ)

著者は、HRプロ社長の寺澤康介さんだ。

最初にお断りしておくと、僕と寺澤さんとは、同年代(ちょいと僕のほうが先輩だけど)の飲み友達。仲良くなったのは、寺澤さんがHRプロを創業したばかりの頃だけど、寺澤さんは僕のことをずっと前からご存じだったみたいだし、僕も(それが寺澤さんだとは知らなかったけど)就職ナビの先駆けでもあった文化放送ブレーン社(邪な投資家やベンチャー起業家たちに翻弄され現在は消滅してしまった)のインターネット事業の責任者として注目していた。寺澤さんが生み出したばかりの頃の就職サイトは、他の就職ナビとは一線を画しており、文化放送ブレーンがもし健全な状態で存続していたら、いまの就職情報業界の勢力図も、かなり変わっていたかもしれない。

そんな寺澤さんなので、同年代の親父としても、飲んべ仲間としても、事業家としても、僕はとてもリスペクトしている。今回のこの書籍を読んでも、違和感をもったりイマイチと思う部分は、まったくない。

ただ、ほんとうに読んでもらいたい人には読んでもらえないかな~……、いや、読んだとしても「フン」とあしらわれたり、理解してもらえないかなと、正直思った。

ほんとうに読んでもらいたい人というのは、日本の就活や採活を不毛な状態にしてしまった、大手就職情報会社の事業責任者や、経済団体のお偉方や、政府のお偉方や、彼らに(なぜだか)影響を与えている識者たち。いや、あしらったり、理解できないくらいなら読んでもらわないほうがいいのかもしれない。

そんななか、僕がこの本をいちばん読んでほしい人。それは、就活生の(あるいはこれから就活生となる子供を持った)親御さんたち。それから、就活を始める前の学生たちだ。あ、加えて、超大手人気企業以外の採用担当者の皆さんと超上位校以外の大学教職員の皆さんにも読んでもらいたい。

この本の中で最も秀逸なのは、「第五章 長男と長女の就職活動」だ。

学生諸君は、ここを読むだけで、たぶん就活の捉え方が変わってくると思う。就職支援業者や似非キャリアコンサルタントや似非カウンセラーが仕掛けてくる「シューカツ対策」に翻弄されずに済む。親御さんや大学も、誤った子供への接し方や指導をせずに済む。

僕はリアルタイムで寺澤さんの娘さんや息子さんの就職活動のことを聞いていたし、寺澤さんの父親としての接し方も聞いていた。娘さんは、大学3年生のとき「お父さんから勧められて」という理由でパフのイベントに足を運んでくれ、僕も何度か会話したことがある。

きっと、娘さんも息子さんも、納得のいく就職活動ができるだろうし、社会人として最高のスタートを切ることができるだろうと思っていた。寺澤さんが自信をもって自分のお子さんたちのこと書いているのをみて、とても嬉しくなった。

 

「第四章 実行すべき解決策」も、具体的な提言ばかりで、企業にも大学にも学生にも、実行してもらいたいことが端的に書かれている。

ただ、実行するためには少しばかりの「勇気」が必要だろうと思う。

考えてみれば、日本の就職と採用を不毛な状態にしているのは、大人たちの勇気の足りなさである。勇気というのは、「他者(社)から批判、非難されても、それが正しいと思うのならば、やってみる勇気」ということだ。「お話は分かるんですけどね。それができれば理想なんですけどね。現実を考えると難しいんですよ、ははは(乾いた笑い)」といって、何も変えることのできない大人たち。経団連だって、最初は今回の採用活動の後ろ倒しには抵抗していたくせに、最後は安倍政権に屈した形だ。そのことが産業界や大学・学生に大きな混乱をもたらすことは十分予想していたはずなのに。

細井平洲が、米沢藩主としてお国入りする上杉鷹山に与えた言葉がある。それは、「勇〈ゆう〉なるかな勇なるかな、勇にあらずして何〈なに〉をもって行なわんや」という言葉。上杉鷹山がその後成し遂げた藩政改革は、歴史の教科書でも皆さんご存知の通り。

現場を知らない政治家や識者の言うがままに就職や採用を弄ばれてしまっていいのか。大学も企業も、勇気をもって改革に取り組んでほしい。そのためにも寺澤さんの提言に耳を傾けてもらえたらと思う。

 

おっと。次のところにそろそろ移動しなければならない時間なので、ここらへんで終わりにするが、この「書評」を書いていて、また近々、寺澤さんとお酒を飲んで語り明かしたくなった釘さんでした(^^ゞ

最後に寺澤さん、執筆どうもお疲れ様でした。誤植をみつけたので、次に飲んだ時、こっそりお知らせしますね(^_-)-☆

では、次の場所に(なんと大学時代の恩師にご接待していただくのですが)行ってきます!