パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

一昨日の土曜日をもって秋の第5クールが終了した。

そして今年の8月8日から(広報活動も含めると4月中旬から)始まった、100×10チャレンジ全10クール(夏5クール+秋5クール)がすべて終了した。

この10クールで送り出したインターン修了生は全184名。当初は200名の計画だったが、授業や他インターンとのバッティング等の影響で直前の辞退者が出てしまったため計画数値をやや下回ってしまった。とはいえ90%以上の学生に参加してもらえたので、まあ、まずまずといったところかな。

昨年までとは大幅にプログラムを変えた今年の100×10チャレンジ。反省箇所や改善点は多々あるものの、変更の意義は大いにあったと感じているし、今後の展開に活かせるものを多数残せたと確信している。

何はともあれ、今年の100×10チャレンジにご協力くださった(多数の学生を貴重な時間を割いて受け入れてくださった)協賛企業の皆様方、キャリアフラッグの講師各位、学生の成長・変化のデータをつぶさに分析してくれている(本番はこれからでしょうがw)採用学研究所の皆さん、デビュー戦を見事完投&完封した清水真理、事務局3年目の杉平綾、学生広報に尽力してくれた内定者の皐月彩、その他、協力・関係スタッフのみんな、本当にありがとうございました&お疲れ様でした。

といっても、僕はまだまだ仕事が残っており……。全修了生と1対1の個人面談を実施することになっているのだ。

現在184名中113名まで終えたのだが、あと70名との面談がまだ残っている。年越しはやむなしだけど、なんとか1月中にはやり遂げたい。

で、それで終わりかというと、そんなことはなく、むしろここからが正念場。少なくともあと数年は(たぶん僕がパフを引退するまでは)苦行(あ、もとい。楽しみですw)が続くだろう(‘_’)。

せめて、これから12月末までの2週間くらいはゆっくりさせてもらおう。名古屋や仙台への忘年会を兼ねての出張もあるし。年明け早々にはチャリティライブやマラソンが待ってるし(笑)。

では、記念すべき最終クール最終日の写真を何点か掲載したうえで、行ってきます!

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25歳前後のころ、僕は九段下で働いていた。ホテルグランドパレスから水道橋・三崎町方面に数分歩いたところにある雑居ビルの8階。30坪ほどの小さなフロアに入居するシステム開発会社でSEの仕事に励んでいたのだ。

仕事が終わるのは(いや、やってもやっても終わらなかったんだけどw)いつも深夜遅い時間だったので、晩御飯は会社のそばで済ますことが多かった。

で、当時3日に一回は通っていたラーメン屋さんがあった。

グランドパレスの右側の小さな雑居ビルの1Fにあった「秀栄」というラーメン屋さんだ。ざるラーメン(つけ麺に似て非なるもの)がとても美味しかった。いくら食べても飽きのこない味だった。

あれから30年の歳月が過ぎた。

職サークルセミナールーが九段下に移転した際、久々にこのラーメン屋さんに行こうと思ったのだが、残念ながらすでになくなっていた。ビルも建て替えられていたようだ。

が、九段下から飯田橋方面に向かう途中(セミナールームから道を挟んだ反対側)に「秀栄」の看板を発見することができた。

果たして昔、通っていたあの「秀栄」なのだろうか……。

いちど行ってみようと思っていたのだが、なかなかタイミングが合わず行くことができていなかった。昼間はいつも行列ができているし、夜は閉店が早いようで20時過ぎにはもう看板の灯りが消されている。

昨日、たまたま午後3時から4時にかけて時間が空いた。昼ご飯を食べていなかったのでおなかが減っていた。

「そうだ、あの店に行ってみよう!」

ということで、セミナールームのある精文館ビルを出て飯田橋方面に向かった。途中の歩道橋を使って道路の反対側に渡る。100メートルほど歩くとそこにはレトロな佇まいの店の看板が見える。

 

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ドキドキしながらドアを開けて店内に入った。

10席ほどのカウンターのみの古臭くて狭い店内。中途半端な時間なので客は僕ともう一人だけ。

いちばん奥の席に座った。カウンターの中で店主とおぼしきオヤジは、しゃがんで新聞を読んでいた。

おお、あのオヤジだ!間違いない!

30年前に通っていた、ラーメン屋さんのオヤジだった。

味噌ラーメン(520円也、安い!)を注文した。不愛想なオヤジは「はいよ!」と麺を茹で始めた。

「オヤジさん、この店、30年前は九段下のグランドパレスの隣にあったでしょ?」

「あれ?お客さん、その頃のこと知ってるの?」

「うん、ざるラーメンが大好きで、3日に一回は来てたんだよ。まだ僕が25歳前後の頃だったけど」

「ああ、そうかい。いやー、懐かしいねー、嬉しいねー」

という感じで、不愛想なはずのオヤジは相好を崩しながら、僕がラーメンを食べ終わるまでずーっと喋りっぱなしだった。

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ということで、オヤジまた来るぜ!3日に一度はもう無理だけど(笑)。次は、あの頃よく食べていた「ざるラーメン」をオーダーしよう。

なんだかホッコリとした気持ちになった昨日の夕暮れ時だった。

 

さて、本日もまたハードスケジュールだ。でも年内のハードスケジュールもそろそろ終盤。鼻水もすっかり治まってきた。

寒いけど、ダウンコートを着て元気なウォーキングで行ってきます!

 

新潟のホテルで朝を迎えている。雪だと思ったら晴れている。この季節、新潟で青空がのぞくのは珍しいことだ。今夜からは、また雪が降り始めるらしい。

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ところで僕の風邪。ちょっとノドの痛みはあるものの鼻水は鎮まってきた。ノドの痛みは風邪ではなく昨夜の日本酒利き酒とカラオケが原因かもしれないが(笑)。

昨日は無事、新潟の大学での講演・授業をやり終えた。

訪問した大学は、新潟県加茂市にある新潟経営大学。平成に入ってからできたまだ新しい大学だ。ここの教授からの依頼で、学生と市民聴講生に向けてお話しさせていただいた。

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大教室にデカく映す出された講演スライド

 

僕を呼んでくれた教授の名前は、山本淳子先生(専門は英米文学と英語)。実は僕の大学時代の後輩。まあ、おもろい女性なのである。

一昨年、准教授から教授に昇進し、昨年、就職指導担当教官に着任した。

「なんだよ、お前が就職指導担当教授だなんて学生が可哀想だな。じゃあ俺がいちど授業しに行ってやるよ」と軽口を叩いていたら、それが本当になってしまったというわけだ(笑)。

 

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さすが大学教授。広々とした研究室には何百冊もの本がずらりと並んでいた。

 

授業はどうにかこうにか無事やり終えた。聴講してくれたのは約100名。大学1年生から4年生まで。それから地域住民の皆さん。年齢にすると18歳から60超まで幅広い方々だった。

最後の質疑応答のとき、妙齢の聴講生(ご婦人)から「あの……。今後の新潟でのご予定を教えていただけないでしょうか」という質問をいただいた。

え?なんのことだろうと思ったら、ライブコンサートのことだった。自己紹介のときに「50歳ライブを新潟でやったことがある」と話したので、いつも全国でライブをやっていると思ってくださったのだろう。なんとも光栄なことである(笑)。

講演後、山本先生に連れられて新潟市内に向かった。約1時間のドライブである。

そして楽しみにしていた新潟の酒。それからカラオケ?

文字にするよりも写真のほうが伝わるだろうから、以下ヤバいのを除いてアップしておこう(*^^)v。

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さて、そろそろ帰りの新幹線の時間だ。ささっと朝食後、東京に戻ります!

ピンチです。

2016年12月14日 (水曜日)

先週末から風邪気味である。

でも熱は無く、少しだけのどの痛みと鼻水・鼻詰まりの症状がみられるくらい。放っておけば、そのうち治ると思っていた。

ところが……。

昨日より鼻水の症状がひどくなってきた。お昼前から面談続きでずっと九段下の面談室にいたのだが喋るのも辛くなってきた。ダラダラと鼻水が垂れてくる。

用意していたポケットティッシュ3包も使い果たし、トイレからトイレットペーパーを1巻持ち出して鼻をかみながらの面談。実に情けない姿だった。

こんな時はすぐに帰宅して寝るのがいちばんなのだが、あいにく昨日は夜9時30まで面談の予定が入っており帰るわけにもいかず……。

結局、帰宅できたのは夜10時半過ぎ。鼻水はいっこうに引く気配をみせず。自宅のティッシュBOXもひと箱空けてしまった。

で、一夜明けて今。鼻をカミカミ日記を書いている。

こんな感じ(´;ω;`)ウゥゥ。

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さらにタイミングが悪いことに、これから新潟に行かねばならない。

新潟の大学でキャリアの授業や講演会を実施することになっているのだ。

それでなくとも最近、活舌が悪くなってきているのに、この鼻水が溢れた状態でうまく喋れるのだろうか。

夜は、新潟の美味しい酒と魚をご馳走してもらおうと思っていたのだが、ちゃんと飲めるのだろうか……。

ピンチです。

新潟に着いたら、薬局で鼻水止めを買って飲むことにしましょう。

あ、講演のスライドもまだ完成してないのだった。

東京駅発9時過ぎの新幹線。まだ時間はあるな。ではパパッと準備して行ってきます!

 

あえて、パフふたたび

2016年12月13日 (火曜日)

昨年、好評を博したパフ自身の採用ホームページ「あえて、パフ」。今年も2018年度採用を目的としてリニューアルすることになった。

昨日はその取材・撮影日。

昨年のページ制作後に入社した折原と大岡、それから内定者の皐月と石上、そして昨年は産休中で取材できなかった(取材時にちょうど出産を迎えていた)岩崎の5名へのインタビューと撮影を実施した。

あさイチから、

・皐月

・石上

・岩崎

・大岡

・折原

の順番。

ディレクターの類家さん、カメラマンの佐藤さん、それからパフの平原(育休中だけどなぜか採用担当)とで、着々と撮影&インタビューは進行していった。

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ちなみに取材対象である石上は、このためにわざわざ京都から早朝の新幹線でやってきた。

育休中の岩崎は、1歳の赤ちゃんを抱っこしてやってきた。採用担当の平原も、生後6か月の赤ちゃんを体に縛りつけてやってきた。

そして、二人のベイビーは、ごく自然に社内に溶け込んでいた(笑)。

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おもしろい写真もたくさん撮れた。初めて聞くビックリするような話もたくさん拾えた。ついでに僕の写真も撮り直してもらった。

リニューアルオープンは来年1月中旬ころ。どんな風に仕上がるか、今から楽しみだ。

読者の皆さんも、どうぞお楽しみに(^^♪

では、朝食&朝ドラ後、行ってきます!

本日はライブの宣伝です(^^♪

2016年12月12日 (月曜日)

来年2月3日(金)の「春よ来いチャリティライブ」。演奏する曲目がほぼ決まった。

その一部を本日は公開することといたしましょう。

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☆なごり雪(伊勢正三)

☆ロビンソン(スピッツ)

☆空も飛べるはず(スピッツ)

☆桜坂(福山雅治)

☆Yell(いきものがかり)

☆手紙~十五の君へ~(アンジェラ・アキ)

☆栄光の架橋(ゆず)

and more…(全12曲です)

ーーー

今回のライブのテーマは「もうすぐ春」。

だから、卒業や、入学や、新たな出会い・出発など、「来るべき春」にちなんだ歌を中心に構成した。

(僕にしては)最近の歌が多い。上のセットリストを見ても分かるように(「なごり雪」はちがうけどw)1990年代後半以降の歌ばかりだ。

人前で初めて歌う唄も多い。チャレンジなのである。

ということで、みなさん是非ぜひ2月3日は四谷三丁目までお越しください。

詳細&お申し込みは、以下のFacebookのイベントページまで。

https://www.facebook.com/events/222956571474794/

前売りやチケットはありませんので、当日、直接会場までお越しください(*^^)v

先週末の練習風景の動画を、いくつか貼り付けておきますね(^^♪

 

https://www.youtube.com/watch?v=tjo9_4K9EB8

 

https://www.youtube.com/watch?v=flbPi8jtF9Q

 

https://www.youtube.com/watch?v=cyYfJGrgMio

 

通勤中にご覧の皆さん音量にはご注意を(^^ゞ

さて、本日は12月12日。なにげなくパフの設立記念日である。本日で19歳になった。

19年前の今日も、とても寒い朝だったっけな。

では寒い朝、暖まるウォーキングで行ってきます!

 

正直に言おう。本日は寝坊して日記を書く時間がなくなってしまった。

そこで本日は昔書いたの日記の再掲。いまから3年前。2013年9月17日に書いた日記である。

タイトルは「海賊とよばれた男を助けた男たち」。

そう、明日公開の映画「海賊とよばれた男」の原作本のことを書いた記事である。

たまたま昨日、職サークル協賛企業エーアンドエスの執行役員木津さん(僕と同じ大分出身の変な人w)から、この記事が大分県人のあいだで出回っていることを耳にした(厳密にいうと耳じゃなくてFacebookのメッセージだけどw)。

僕も3年ぶりに自分が書いた記事を読んでみた。「すごい!」と自分で自分の記事を読んで感動してしまったのだ。

僕がこれだけ熱をもって長い日記を書くのは珍しいこと。年に一回あるかないかだ(笑)。

ということで、ぜひ最近の読者の皆さんも含めて以下、お読みくださいませ(^◇^)。

ーー

 海賊とよばれた男を助けた男たち  2013年9月17日 (火曜日)

この3連休の後半(日曜日の夜から昨日いっぱい)、なんと不覚にも寝込んでいた。

治りかけていた風邪がぶりかえしたのか、別の菌が侵入してきたのか、扁桃腺が腫れてしまい39度近い熱が出てしまった。

幸か不幸か、台風が関東を直撃したことで、昨日の予定がすべてキャンセルとなり、丸一日、家の中で休むことができた。

で、床で横になりながら、最近読んで感動した小説を二度読みすることにした。出張中に読んで、新幹線や飛行機のなかで涙を流してしまった小説だ。

その小説とはこれ。

海賊

マラソンのライバルだった(最近の僕は戦線離脱気味なので過去形です苦笑)名大社の山田社長が、以前(5月中ごろ)、ブログに書いているのを見かけて「へー読んでみようかな…」と思っていたが、なかなか買うまでにはいたらなかった。

ところが8月中旬、山田さんのブログ記事も忘れかけたころ、ある人物から、「クギサキ、この本読んでみろ!」と、わざわざ僕に読ませるために書店から買ってきたというこの本を、手渡されたのだった。

この本の書評はいろんなところで書かれているので、僕なんぞが駄文を連ねる必要はないのだが、それでもやっぱり書いておきたいことがある。

小説の主人公である国岡鐵造(出光興産創業者の出光佐三)が、けた外れにスゴイ人物であることは言うまでもない。

が、この国岡鐵造の周りにいた男たちの存在が、国岡鐵造をして、スゴイ人物に成長させていくのだ。

僕は読んでいて、そこに感銘を受け、感動した。

いちばんは、国岡鐵造に、財産を売り払って作った六千円という大金(いまの貨幣価値で約1億円)を、独立資金として惜しげもなく差し出した日田重太郎。融資でも投資でもない。本当に「あげた」のである。

「国岡はん、六千円は君の志にあげるんや。そやから返す必要はない。当然、利子なども無用。事業報告なんかも無用」

「ただし、条件が三つある。家族で仲良く暮らすこと。そして自分の初志を貫くこと。ほんで、このことは誰にも言わんこと」

重太郎は、家に戻ってそのこと(財産を売った金を鐵造にやると約束したこと)を妻に告げた。

妻は、「はい」とだけ答える。

拍子抜けした重太郎は、妻に「怒らないのか?」と聞く。

妻「あなたがそれほどの人と見込んでのことでしょう」

重太郎「国岡はいずれ立派なことを為す男だ」

妻「はい。それはいつごろですか?」

重太郎「そうやなあ。何十年も後のことかもしれんなあ。もしかしたら、そのときは、わしはもうこの世にはおらんかもしれん」

妻は「それでもいいではありませんか」と言って、おかしそうに笑う。重太郎もそんな妻を見てにっこりとほほ笑む。

う……。このくだりを書き写すだけでも涙が出てくる。自分の創業のときに、何も言わずに出資してくれた知人・友人たちの顔が浮かぶ。しかも、まだなんの恩返しもできていない自分を恥じる。

のちに国岡商店(出光商会、のちの出光興産)を日本を代表する大企業に育て上げた鐵造は、重太郎の晩年の生活を手厚く保護する。亡くなった際には重太郎の故郷の淡路島で、大きな社葬を執り行っている。まちがいなく鐵造の大恩人であり、日田重太郎なくしては、国岡鐵造(出光佐三)が世に出ることはなかった。

 そしてもう一人(というか一社)。あまり書評にも出てこないのだが、二十三銀行(現在の大分銀行)の支店長と頭取である。国岡商店(出光商会)は、大正十二年の関東大震災のときと、昭和二年の金融恐慌のときに倒産の危機に瀕した。それを救ったのが、二十三銀行の気骨溢れるバンカーたちだったのだ。

関東大震災の折。多くのメガバンクが取引先からの融資を引きあげていた。国岡商店も第一銀行(現在のみずほ銀行)から突然25万円(現在の数十億円)の返済を迫られていた。二十三銀行の支店長は「国岡鐵造という男は立派な男です。国岡商店もまた立派な店です。できれば、われわれが支えてあげたいと思います」と、第一銀行が引きあげようとした金額と同額の莫大な融資を肩代わりしたいと頭取に申し出た。

頭取は、「君がそこまで言うのなら、そのとおりにすればいい」と言った。支店長はびっくりして「本当によろしいのですか」と確認した。支店長は「銀行家は立派な商人を援助することが使命です。話は終わりです」と言った。支店長はまるで自分が融資を受けたように喜びを感じ、「ありがとうございます!」と頭取に頭をさげた。

う……。泣ける。

金融恐慌の折にも(そのとき二十三銀行は合併によって新体制になっており、支店長も頭取も交代していたのだが)、やはりそのときの支店長と頭取が、国岡商店を体を張って助けた。

新体制となった二十三銀行の審査部は国岡商店への過大な貸付金を不良債権と見なし、融資引きあげの指示を当時の支店長に命じた。しかし、支店長は引きあげを拒んだ。「まことの銀行家ならば、国岡商店のような会社にこそ、援助すべきと私は考えます」と頭取に直訴。支店長のことばを受け、頭取は国岡鐵造と二人だけで会談する。そして翌日の重役会議で「国岡商店への融資回収の方針は撤回する。いや、さらに融資の枠を広げても良い」と発言し、重役たちを唖然とさせた。

もし、震災や金融恐慌の際、鐵造がこのような真の銀行家と巡り合っていなければ、国岡商店(出光興産)は今ないはずだ。一説には、震災の折の融資引きあげに際して、鐵造は憔悴しきっており、「自殺も考えていたのではないか」と言われているくらいだ。

ということで、ずいぶん長く書いてしまったけど、かくのごとく、英雄と言われる人物の陰には、その人物を支えた傑物たちが大勢いるものなのだ。

日田重太郎や銀行家のことだけ書いたが、さらにスゴイ魅力的な人物がこの小説にはたくさん登場する。

経営者、投資家、バンカーはもちろんのこと、21世紀を支える多くの若者たちにも読んでもらいたい本なのである。

国岡鐵造と重ねるにはあまりに器の違いすぎる僕だが、やはり日田重太郎のような人物に支えられながら生きてきた。この本を、「クギサキ、読んでみろ!」とプレゼントしてくれた人物は、さしづめ僕にとっての「日田重太郎」なのである。

 おっと、ちょっと時間をかけすぎた。そろそろ出なければ。

熱は下がってきたようたが、まだ扁桃腺は腫れている。早目に出かけて会社の裏のクリニックで診てもらうことにしよう。情けないけど、本日はタクシーを使って行ってきます!

ーー 【再掲以上】

ちなみに、「クギサキ、読んでみろ!」とプレゼントしてくれた人物は、Jリーグチェアマンに就任する前の村井満さんである。村井さんはいちいち僕の人生に影響を与える男なのである(‘_’)。

さて、実はちょっと風邪気味。暖かくして行ってきます!