パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

新規顧客への提案に同席した日

2018年5月22日 (火曜日)

新規顧客への同行営業を行う機会が最近はほとんどない。

嫌がっているわけでも拒否しているわけでもないのだけど、まあ要するに、現場社員からすると「およびでない」ということだろう(^^ゞ。

ちょっとだけ寂しい気もするが、むしろそれは誇らしいこと。社長がイチイチ営業現場に足を運ばなくても大丈夫な会社になったんだな、と思う(ことにしているw)。

そんななか、昨日は久々に新規顧客(未契約なので正確には新規見込み客)への提案現場に同席させてもらった。

同行の依頼を受けたのは、新卒一期生営業マン兼、営業グループ長兼、取締役のヨシカワから。

「で、オレは同行して何すればいいの?」

「何もしなくていいです」

「ん?」

「隣に座って、ニコニコしてもらってればそれでいいです」

「あ、そ」

というふうなやりとりがあって、昨日の午後2時。会社にいたらちょうど眠くなるくらいの時間に現地に出かけて行った。

先方は、若い女性担当者とその上司(僕と同年代の男性責任者)の2名。

景色のいい応接に通され、ちょっとだけ他愛もない会話(アイスブレーキング)をしたあと、すぐに商談に入る。

昨日は2回目の訪問で、正式な提案を行うタイミングなのだという。

ヨシカワは、おもむろに提案書を鞄から取り出して、お客様の前に並べて説明を開始した。

 

 

ふむふむ、ほうほう。

と、頷いているのは僕である。

お客様からは様々な質問が飛び出してきた。

するとヨシカワは、自分のノートPCをさっとお客様の方に向けて、他社の事例を紹介し始めた。

お客様の関心はその具体的な他社事例に向いていく。身を乗り出してきた。

さらにヨシカワは、パフで制作したという会社説明会用のスライドや配布資料をお客様にお見せして詳しい説明を行った。

へー、これすごいね。

と、思わず口に出したのは僕である(笑)。

釘「これ、誰が作ったの?」

ヨ「タシロです」

釘「へー、すごいね。これは?」

ヨ(あきれながら)「イシガミですよ」

釘「へー、たいしたもんだね」

「ハハハ、なんだクギサキさん、知らなかったの?」と笑うのは先方担当者の上司である。

実はこの上司、僕の古くからの知り合いで、その方も商談に同席されるということを知ったヨシカワは、僕を連れて来たのだった。

商談はその後も順調に続き、月末までを期限に昨日の提案内容を検討していただくことになった。

 

僕がこのような提案の現場を見るのは本当に久しぶり。

自分で自分の会社の営業を褒めるのもヘンな話だが、まー、昔のパフの営業とは比べ物にならないくらい高度化している。かといって小難しくなっているわけではなく、むしろ簡潔で分かりやすく納得できる内容だ。

こうやって営業提案にたまに同席するのも悪くない。会社や社員の成長ぶりがよくわかる。

「社長元気で留守がいい。でもたまに、営業現場に行くのもいい」というのをこれからのスローガンにしようかな。昨日の提案、無事通るといいね(^_-)-☆

さて、声もほぼ普通に出るようになってきた。イヤな咳も鎮まってきた。菌が退治されたのかもしれない。本日再度、耳鼻咽喉科で診てもらうことにしよう。

では、全快を期待しつつ行ってきます!

いつかは、だけど、寂しいね。

2018年5月21日 (月曜日)

先週は訃報が相次いで流れてきた一週間だった。

朝丘雪路さんは年齢こそ離れているものの、中学生時代、11PMをいつも観ていたものとしてはとても身近な存在だ。「雨がやんだら」を色っぽく歌う姿も、ずっとアタマに残っている。

星由里子さんは加山雄三の映画(若大将シリーズ)での姿がもっとも有名なのだが、僕には花登筺(はなとこばこ)の三人目の奥さんという印象が強い。花登筺って知ってる人は少ないかもしれないけど、大阪商人を題材とした小説やドラマを多数残した小説家・脚本家だ。1983年に55歳の若さで亡くなっているのだが、僕は「どてらい男」というテレビドラマ(主演は西郷輝彦)にもなった小説が好きだった。こんな美人(星由里子さん)と結婚できるなんて、小説家っていいよなーと15歳のころの僕は羨ましがったものだ。

 

岸井成格さんの訃報にはショックを受けた。癌であることは知っていたし、サンデーモーニングに出演しなくなって久しかった(昨年12月3日が最後の出演だった)ので心配していたのだが、ついにその日が来てしまったかという残念な気持ちだった。

面識があるわけではないのだけど、好きなジャーナリストだった。岸井さんのNEWS23(膳場貴子と一緒にやっていた)は毎晩観ていた。岸井さんがキャスターを降板して以降はほとんど観なくなってしまったのだが、岸井さんを引きずり下ろした権力者たちが今になって恨めしく思う。

 

そして何よりショックだったのは、西城秀樹さんの訃報。「えっ…噓でしょ……」という感じだった。

僕らの中学生時代は、新御三家といって、野口五郎、郷ひろみ、そして西城秀樹の三人が、女子生徒の人気を分けあっていた。でも僕ら男子生徒にも西城秀樹の人気は高くて、「薔薇の鎖」「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」なんかは、よく真似て歌っていたものだ。

あ、そうそう。掃除の時間に、長いホウキをマイクスタンドに見立ててよく真似していたのを思い出した(笑)。

実は、亡くなる数日前も、僕は西城秀樹をテレビで観ていた。

あの「寺内貫太郎一家」が、BS12(トゥエルビ)で放映されていたのだ。そのことを途中から知った僕は、最終回まで全部録画を録っていた。時間がある時にチマチマ再生して観ている。

実際には、僕が中学1年~2年生のころにTBS系列で放映されていたドラマだ。西城秀樹ふんする周平が父親の貫太郎(小林亜星)と取っ組み合いの喧嘩をするシーンが有名なのだが、僕は、ドラマの最後に浅田美代子と屋根の上で歌うシーンが一番好きだった。

哀悼の意を込めて、Youtubeに上がっていたこの動画にリンクをはっておこう。

 

 

享年63歳。最期まで脳梗塞の後遺症と闘っていたという。僕と5歳しか違わないのか……。

そういえばこのドラマに出演していた左とん平さんも今年亡くなったばかりだ。同じ時代に広島カープで大活躍していた衣笠祥雄さんも先日亡くなったばかり。それから、やはり同時期に大活躍していた(「太陽にほえろ」や「愚か者」の作曲者でもある)井上堯之さんの訃報もつい最近のことだった。

生あるものに、死はいつかは訪れるのだけど、でも、やっぱり寂しい。僕らが多感だった時代に、大きな影響を与えてくださった方々の死であればなおさらである。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

さて、僕の体調も徐々に戻りつつある。声も出るようになってきた。まだまだくたばるわけにはいかない。なんたって70歳まではライブをやるって宣言してますからね(^_-)-☆。

では今週最初の、行ってきます!

 

昨日は朝の会議を終えた後、茅場町の耳鼻咽喉科に行ってきた。3月初旬、軽度の副鼻腔炎になっていたときに通っていたクリニックである。

予約制なので、到着すると時間通りすぐに診察室に呼ばれた。昨日の九段下のクリニックで30分以上待たされたのとは大違いである。

すぐさま鼻に棒状のカメラを突っ込まれて診察が始まった。

「うーん、これは酷いですね」

「え、そんなに?」(と、僕は言ってるつもりだけど掠れてしまって殆どコトバにならず…)

これ、前回のノドの写真。これ、今回のノドの写真。前回とは比べ物にならないくらい腫れてるでしょ?」

「・・・は、はあ」

「これじゃ声は出ないですね。というか声出しちゃいけないですね」

「・・・・・・うぅ」

「時間あります?ちょっと点滴打っていきましょう。抗生物質と炎症を抑える薬を用意しますんで」

「・・・う、うぅ」

「あ、それとね、数日間は、できる限り声を出さないようにしてください。特に電話はダメですよ。電話は普段よりも大きな声を出しがちなので」

「言わずもがなですが酒は絶対に飲まないように」

「・・・・・・う、う、う、うぅ」

「これ以上腫れが酷くなったら大きな病院に行って手術してもらうかもしれませんよ」

「・・・・・・(@_@)」

「また来週、来てください。抗生物質は6日分出しておきますので」

「それまでムリに声を出さないこと。お酒も絶対に飲まないこと。この二つだけは守ってくださいね」

「・・・・・・(´;ω;`)ウッ…」

 

歌手として声が出ないのは致命的である。ここは医者の言うことをちゃんと聞いて根治せねば。

ということで、これから一週間ほど禁酒の日が続く。大きな声も出せないので、会食では静かなお店でヒソヒソ話になるだろうか。いや、そもそも会食には行かないほうがいいか(-_-;)。

実は昨夜、中途採用候補者との面談だったのだが、静かなホテルのラウンジで抹茶を飲みながらやることにした。

 

 

採用候補者には僕のすぐ隣に座ってもらって、耳元でのヒソヒソ話で面談を進めていったのだった。傍から見たら、怪しいカップルに見えたのではないだろうか(笑)。

 

と、冗談を言っている場合でもなく、今日以降の会食等の予定をリスケしなければならない。

僕との予定を組んでくださっている皆さん、個別にご連絡をお入れしますね。ご迷惑をおかけすることになり申し訳ありませんm(__)m

では、朝食後(ご飯はちゃんと食べられます)行ってきます!

 

声が出ません。

2018年5月17日 (木曜日)

タイトルの通りである。

昨日の朝からノドがおかしく、およそ自分の声とは思えないヘンテコリンな声になってしまっていた。

鼻水も咳も酷くなってきており(まぎれもなく風邪の症状ですね)近所のクリニックに行って診てもらった。

30分以上待たせておいて診察時間はわずか3分くらい。冷たい感じの女性医師が「2日~3日クスリを飲んで治らなかったら耳鼻科に行ってください」だって((+_+))。

「なんじゃそりゃ?」と思いながらも処方されたクスリを昨夜は飲んで寝た。

で、いま。

なんだなんだ、昨日より酷くなっているじゃないか(@_@)。声がまったく出なくなってしまっている(´;ω;`)ウッ…。

やっぱり昨夜の紹興酒と超辛麻婆豆腐がよくなかったか?

アルコール消毒だなんてふざけたことを言ってる場合ではなくなってきた。

よし、今夜は禁酒だ。明日には治っていることを願う。

それにしても今年はしょっちゅう風邪をひいているような気がする。これはいかん。体力が低下しているのかもしれない。

いままで徒歩通勤だったのが、事務所の移転によって電車通勤になってしまったのもよくなかったのかもしれない。やっぱり人間は歩かなきゃだな。

今回の風邪が治ったら、朝ランやらスイミングやら、ちゃんと運動することにいたしましょう。

では、朝食後クスリを飲んで行ってきます!

飲みすぎ注意です!

2018年5月16日 (水曜日)

昨日はシモゾノさんとテラザワさんとの会食。このトリオでの付き合いには歴史がある。もう10年以上前になるが、シモゾノさんが「釘さんに紹介したい人がいるんだけど・・・」ということで引き合わせてくれたのが、当時「採用プロドットコム」という会社を設立したばかりのテラザワさんだった。

以来、何度もこの3人で食事する(飲む?)ことが多かったのだが、ここ最近はとんとご無沙汰だった。最後に3人で飲んだのは、もう2年ほど前のことだったろうか。

「久々に3人だけで行きましょうや!」ということになったのが2か月前。で、その実行日が昨日だったのだ。

出かけたのが90分で日本酒飲み放題の焼き鳥屋さん。パフの新事務所から徒歩5分くらいのところにある。

全国の銘酒が何十種類も置かれているお店で、焼き鳥もすこぶる旨い。貧乏性の我々は、飲み放題なら飲まなきゃソンだということで、くいっくいっくいっくいっと飲み始めた。

 

 

僕はここのところ風邪気味で体調万全ではなかったのだが、飲み始めると関係ない。むしろ、アルコール消毒になるからこれでいいのだ、と、自分を肯定してしまい……。

90分間で頼んだお酒は10銘柄はくだらない。これだけ飲んで4500円ぽっきり。しっかりと元を取った。

が、さすがに飲み過ぎた((+_+))。

まだ早い時間だったので、このあと別の店(昭和のカラオケスナック)に行ったのだが、静岡と名古屋の愚か者社長たちも合流してきて大騒ぎ(写真や動画がありますが載せられませんw)。僕の意識はどんどん薄れていって、帰り道や帰宅後の記憶がほとんど残っていない。

ということで今朝は、「飲みすぎ注意!」という自戒のコトバを載せるだけの日記とさせていただきます(m´・ω・`)m ゴメン…

といいつつ、今夜も会食ですけどね。

では、熱い珈琲を飲んで、酔いを醒ましたうえで行ってきます!

5月の宣言

2018年5月15日 (火曜日)

パフでは毎月初のキックオフミーティング(社員全員が参加する月イチの情報共有会議)の最後に「今月の宣言」というのを紙に書いて発表している。

5月のキックオフミーティングはGWのためちょっと遅めで先週の月曜日(5月7日)だった。僕は翌朝から九州に出張だったため、全員の宣言を確認しないままだった。

出張中、(常勤お母さん契約社員の)MATSUZAKIさんから、

「新オフィスになり、掲示場所が各自の個人ロッカーの扉になりました。まだご記入いただいていない方は、ご自身で貼っていただくか、松崎にご提出ください。」

という全社員宛てのメールが入っているのを発見した。

こりゃいいや、と思った僕は、

「松崎さん、いいですね!日記ネタにしたいので、全景とおもしろそうなやつを見繕って写真添付して送ってもらえるでしょうか。よろしくお願いしますm(__)m」

と、すぐさま返信していた。

で、送ってもらった写真がこれ。

 

あ、MATSUZAKIさんは「むちゃぶりにも笑顔で対応」してくれるんだ(#^^#)

 

こうしてみると壮観ですね(*’ω’*)

 

 

何人かのを拡大すると、

執行役員ホサカの宣言。ぜんぜん負けてないと思うけど(笑)

 

新入社員アクネの宣言。毎日、目標達成ってーのがいいね!

 

コバヤんの宣言。仕事にぜんぜん関係なくても構わないのね(笑)

 

まさか社員たち(除くMATSUZAKIさん)は、自分の書いた宣言が釘さん日記で公開されるとは思っていなかっただろう(笑)。

ということで、これからも油断することなく毎月の宣言文を貼りだしてほしいなと思う訳でありました。

 

さて、本日も初夏の陽気。ずいぶん暑くなりそうですね。先週の不摂生が祟ってちょっと風邪気味だけど、5月の目標(秘密)達成するために行ってきます!

パフオリジナルのインターンシップである「クリエイティブチャレンジ」。3年前(2015年)のこの時期(5月~6月)の2か月間にわたるプログラムだった。

3年前のプログラムが終了したとき、釘さん日記では以下のように書いていた。

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5月9日からスタートしたシゴトノヲト(36ページの職サークルプロデュースの冊子)制作プロジェクト「クリエイティブチャレンジ」が先週土曜日の入稿パーティーをもって、ついに終了した。

何のつながりも面識もなかった24名の学生が集まって、皆で力を合わせて進めたこのプロジェクト。大変なことはいろいろとあったとは思うが、終わってみればすべてが結果オーライ。実に楽しいプロジェクトであった。

5月9日から始まったと書いたが、実は企画準備フェーズを入れると1月から始まっている。パフのインターン生だった大学(当時)3年生の3人に考えてもらっていたのだが、なかなか前に進まず。「低学年生(大学1,2年生)がワクワクしながらチャレンジできるインターンはなんだろう?」ということを考え続けた結果が、「学生だけで本をつくる」という企画だったのだ。

企画骨子がほぼ固まったのが2月末。その後、告知活動を展開し、3月から4月にかけてガイダンスや選考会を10回以上行ったのだが、学生が思うように集まらず、ずいぶんと冷や汗をかいたものだ。

そう考えてみると、約半年間の辛苦のプロジェクトだったわけだ。

クリエイティブチャレンジ終了!(2015年7月6日)より

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そう、「辛苦のプロジェクト」だった(苦笑)。

でも、このプロジェクトに参加した当時の大学2,3年生は(僕が知る限りにおいては)その後、充実した学生生活を送り、就職活動をして、いまでは立派な社会人。このクリエイティブチャレンジが彼・彼女らに与えたものは大きかったのではないかと思う。

そして今年、このクリエイティブチャレンジを3年ぶりに行うことになったのだ。

先週末の土曜日は、その初日。午後1時半から5時まで、みっちりとキックオフミーティングが行われた。

 

2か月間のプログラムの説明を真剣に聞くメンバーたち

 

今年、このプロジェクトに厳しい選考を潜り抜けて参加することになった学生は大学2年生と3年生合計で18名。厳しさを知ってか知らずかw飛び込んできた夏の虫たちだ。

一昨日はこのプロジェクトメンバーたちと3社5名の協賛企業(ジーシーさん、日経印刷さん、東愛知日産さん)の社会人とで「つきしま村塾」を行ったり、夜は、しゃぶしゃぶ食べ放題のお店で懇親会を開いたりもした。

 

つきしま村塾を終えたあとの記念撮影。冊子に載せるのかな?

 

さあ諸君、これから2か月間がんばって、いい本を作ってくれよ。僕は何もしないので(^^)/~

 

さて、なんと本日僕は、治療中の歯の手術(というほど大袈裟なものではないけど)で歯医者に行くためお休みである。いつもは土曜日が治療日なんだけど、6月末まですべての土曜日が押さえられてしまったので仕方ない(-_-;)

では、朝食後、歯医者に行ってきます!