鳴かぬなら・・・
2015年11月5日 (木曜日)
戦国武将の信長、秀吉、家康の気性や人材戦略を表す句として有名なのがこれ。
鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス(織田信長)
鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス(豊臣秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス(徳川家康)
自分はどのタイプの経営者だろうと考えるのだが、相手のステージ・能力・伸びしろによっても違うよなあ、と思う。
まず、新入社員であれば、「鳴くまで待とう」となる。入社後いきなり仕事ができるようになる奴なんて滅多にいない。1年間は待ってあげないと可哀そうだろう。
1年待っても鳴くことが出来なければ、(たぶん相手の性格や能力をある程度把握しているだろうから)次は、「鳴かせてみせよう」となる。焦りも出てくる。「こいつ、なんとかしなきゃ!」ということで、教育・指導方法をあれこれ考えながら徹底する。
そして、教育・指導の甲斐もなく、2年以上たっても鳴くことが出来なければ、そして、将来的にも鳴けるようになると思えなければ、残念ながら「殺してしまえ」に移行せざるを得ない。
これは信長のように気性が荒いから、ということではない。殺したくて殺すわけではない。鳴くまで待てるような経済的余裕があれば、鳴かせてみせるだけの指導力があれば殺さなくて済むのに…と、悔やみながら殺すのだろう。
おっと。なんだか朝っぱらから物騒な話になってきたぞ(苦笑)。
そういえば「殺してしまえ」以外に、こんなのもあるらしい。
鳴かぬなら 放してやろう ホトトギス (明智光秀)
鳴かぬなら 逃がしてしまえ ホトトギス (前田利家)
ふむ。こっちのほうがいいな。
鳴かないのではなく、ここで鳴けなかっただけ。別の場所、別の上司であれば鳴けるようになるのかもしれない。
でも本心は、これ。
努力して なんとか鳴いてよホトトギス(釘さん)
・・・とまあ、そんなことをいつも考えているのが、経営者というものなのかもしれない。
さて、ところで「あさ」は、どのタイプの経営者にこれからなっていくんだろうか。「びっくりポン」な策をホトトギスにも施すのかもしれないな。
では、あさで心を洗ったうえで、足早ウォーキングで行ってきます!
学生三昧だった文化の日
2015年11月4日 (水曜日)
昨日は文化の日。祝日である。明治天皇の誕生日であり日本国憲法の公布の日でもあった。
そんな文化の日、僕は昼も夜も多くの学生たちといっしょに過ごしていた。
まずはお昼。
午後1時半からウルトラインターンシップ100×10チャレンジ冬クールのガイダンスを開催した。
そうなのだ。秋クールが始まったばかりなのに、もう冬の仕込が始まったのだ。
集まってくれた学生は23名。みな真剣に僕の説明を聴いてくれた。応募書類に該当する「決意表明書」(ガイダンス終了後に20分程度で書いてもらっている)にも、皆のピュアで熱い想いが表現されて嬉しくなった。
さらに嬉しくなった…というより、びっくりしたのが、この23名の学生のなかに二人も大分県出身者がいたことだ。
ガイダンスの冒頭の自己紹介で僕が大分出身だということを話したからなのだが、ガイダンス終了後、まずは一人目の学生が僕に話しかけてきた。
「あのー、私も大分出身なんです。高校卒業して東京に出てきたんです」
「おー、そうか!そりゃ嬉しいな。高校はどこやったん?」(と、つい大分弁)
「大分雄城台です」
「おー、雄城台かあ。僕は舞鶴だったんよ」
「えー、やっぱり舞鶴ですかあ。なんだか舞鶴っぽいなあと思ってガイダンス聴いてたんです~」
なにが舞鶴っぽいのかイマイチ分からなかったのだが(笑)、そんな会話がなされたのだった。
そしてその後、また別の一人の学生が僕のところに来た。
「あのー、実は私、大分舞鶴高校出身なんです」
「なにー!舞鶴!?」
「さっき舞鶴高校って聞こえてきて、もうビックリしちゃいました」
「うん、さっきの学生さんは雄城台高校なんだって」
「ですね、それにもびっくりして。最近、雄城台の追撃が激しいんです。雄城台だけには負けたくないですね!(笑)」
最近では、大分の高校から東京の大学に来る学生って少なくなったのだけれど、たかだか23名の中に二人の大分出身者。しかも一人は僕と同じ高校で、もう一人がライバル校だったというのがスゴイ。
感動的な第一回ガイダンスだったのだ。
これから12月にかけて10回以上のガイダンスが予定されているのだが、またスゴイ出会いがあると嬉しい。大分県人会ができたりすると嬉しいね(^o^)。
そして夜は、秋クール火曜日クラスのホームルーム。
本来であればホームルーム終了後は、「くだんトークナイト」という社会人を交えての座談会を開催するはずだったのだが、昨日は祝日ということもあり社会人の参加者がゼロだった。
というわけで、急きょ火曜日クラスの学生同士の親睦をはかるための懇親会が飯田橋の居酒屋で開催された。
僕も、高田コーチといっしょに社会人代表として仲間に加えてもらった。
この懇親会。全23名の学生が参加したのだがサイコーに楽しかった。
これだけ多くの学生たちとの飲み会はいつぶりだろう。
パフを創業してしばらくは、イベント後に飲み会を開くことが多かったのだが、この10年くらいは(若い社員たちは参加しても)僕は遠慮することが多かった。
でも、やっぱり学生たちとフランクに(真面目な話も馬鹿な話も含めて)語り合うのは楽しいものだ。自分も学生の頃に戻った気持ちになる。
いったんお開きになった後も「もう少し残って話をしたいです!」という学生たちと終電間際まで話し込んだりして(^o^)。
ということで昨日の文化の日。若者の文化に存分に触れることのできた、貴重な一日だった。2~3歳くらいは若返ったかな(笑)。
さて、本日は社長モードに戻る日。11月度のキックオフなのだ。日中はしかめっ面をしながら数字をまとめなきゃね。
ではでは、本日も足早ウォーキングで行ってきます!
11月だ!
2015年11月2日 (月曜日)
早いものだ。一年12か月のうち10か月が過ぎてしまった。
この調子でいくと、さらにあっという間に年末を迎え2016年に突入する。
季節はすっかり秋。
あの猛暑の日々がすでに懐かしく思える。
11月というのは、僕の誕生月ということもあり感慨深い月でもある。
中学、高校生時代の文化祭。大学生時代の学園祭。甘酸っぱかったり、ほろ苦かったりする思い出が詰まっているのもこの11月である。
年齢が切り替わる節目の月だからだろうか、意識や取り巻く環境が変化する月でもある。
会社設立からまもなく丸18年になるのだが、18年前(1997年)の11月は、会社設立に向けて東奔西走していた月。自分にとっては、大きな節目となった11月だった。
そして、翌1998年の11月は、人生でいちばん辛い11月だった。
以降、1999年の11月、2000年の11月、2001年の11月。それぞれ、大きな変化が生まれた創業期の11月だった。
さて、会社設立18年目となる今年の11月。どんな変化が訪れるのだろうか。
まずは初日の本日。その変化の第一歩が始まる。
きょうから入社する大型新人もいるしね。
では、これから起きるであろう大きな変化を楽しみにしつつ、行ってきます!
未来ビジネス会議だった夜
2015年10月30日 (金曜日)
昨日は夕方より、(広い意味で)同業のP社社長のT澤さんと、未来のビジネスを検討するための真面目な会議を行った。
その後は、やや真面目な情報交換会。
そしてそのまた後は、ワインを飲みながらのマジックアワー(?)。
久々に(でもないけど)ちょっと飲み過ぎてしまった。
あ、そうそう。
このT澤社長は、すごい腕力の持ち主だということが昨夜、発覚した。
パフのなかでも腕っ節の太さでは定評のあるラガーマン・サエキと腕相撲を取ってもらったのだが、あっというまにサエキは敗退。
T澤社長のこのゆとりの表情。
サエキは青筋をたてながら抵抗するものの・・・
抵抗空しく、ギャフン。
この凄腕のT澤社長とのコラボ。やはり真面目に考えねばなるまい(・_・)。
そして、午前零時過ぎの乾杯。
ということで新ビジネスを構想しながら行ってきます!
・・・ああ、二日酔いだ(-_-;)
ランニング5周年
2015年10月29日 (木曜日)
「継続は力なり」という言葉を初めて知ったのは、中学一年生の頃。
柔道部の顧問の先生が、黒板に書いて毎日のように僕ら部員に言い聞かせてくれていた。
キツイ練習を日々続けたおかげで、団体としては郡体会で優勝したり、県大会でも上位に食い込むレベルになった(個人としてはずっと補欠だったんだけど笑)。
だから、継続することの大切さというのは、昔からよく分かっているつもりだ。
ところで僕がランニングを始めたのが、いまからちょうど5年前。2010年10月末だった。あのころも、50歳ライブを間近に控えつつ、毎朝よく走っていた。
以来、ゆるーくではあるが、どうにかこうにか続いている。55歳ライブも懲りずにやることになってるし(笑)。
ちゃんと力になっているかどうかは分からないが、もしランニングを続けていなかったとしたら、いま以上にメタボで情けないカラダと各種キケン数値に陥っていたに違いない。
と、いいつつ、実はこの一か月、ランニングをサボりがちだった。
先月、名古屋での勝利の美酒に酔いしれたあとは、なんとなく燃え尽きた感があり、それまで週2日ペースで継続していた朝ランが中断してしまっていたのだ。
今月は九州や仙台で美味しいものをたくさん食べたり、宴席が毎日のように続いたりで、腹回りも目に見えて膨れてきた。
こりゃあいかん、ということで、今週の月曜日からまた走り始めた。月、火、木(今朝)と、快調に走っている。明日は休んで、また週末は10kmくらい走ることにしよう。
そうそう、ウォーキングだけは(雨の日や早朝出勤の日以外は)快調に続いている。
きょうも、あさの後、速足ウォーキングで行ってきます!
職サークルシンポジウムの続編だった夜
2015年10月28日 (水曜日)
今年の7月15日、「職サークルシンポジウム」という、“よりよい就職と採用を考える”ためのセミナーを開催した。
もうあれから3か月以上経つ。
あの日は真夏の猛烈に暑い日だったのだが、いまはもうすっかり秋。気候や季節もそうだけど、僕らを取り巻くさまざまな環境は、たった3ヶ月で大きく変化するものだ。
昨夜は、このシンポジウムの目玉コンテンツだったパネルディスカッションメンバーが集まっての「打ち上げ」。
打ち上げってホントはイベント直後にやるものだが、皆(僕以外はw)それぞれ忙しくて、この時期になってしまった。
でも、この時期でむしろ良かった。
というのも、先週末の報道でも明らかになったように、またも就職活動時期が変更になりそうで、「いったいどうなる、どうする?」の情報交換や議論を、就職メディア、大学教員、企業人事、採用コンサルの立場から、熱く交わす場となったからだ。
議論を交わした場所が、新富町の「のろ」だったというのがまたいい。
僕らの議論が白熱したころ、カウンター席でも平均年齢50歳超の方々のカラオケも白熱してきたものだから、僕らも終盤それに応戦したりして(笑)。
服部先生、岩佐部長と米山さん、栗田さん、昨夜は実に楽しくてためになるひとときでした。次は12月3日ですかね?あ、12月5日もですね(^.^)。引き続き、よろしくお願いします!
さてと。そういえば昨日の記事が中途半端なままだった。昨日は急な面談で執筆する時間がなかったのだが、きょうのお昼は時間がとれそうなので、続きを書こうかな。
では、まずは朝食&あさ後、ウォーキングで行ってきます!
縁が縁を呼んで円(宴)になる
2015年10月27日 (火曜日)
9月4日に開催された100×10チャレンジの中間成果発表会でのこと。
オープニングの準備をしていた僕のところに、2人の女子学生がスタスタと駆け寄ってきた。
「く、釘崎社長!ちょっとよろしいですか?」
なんだろう?
「あのぅ、つい先日、私たち九段下でお昼ご飯を食べていたんです」
うん、そりゃ昼飯くらい食べるだろう。育ちざかりなんだからねえ。
「お店が混んでて相席にさせられて…」
そうねえ、お昼どきはしょうがないよねえ。
「私たちの目の前に座った方がいて…」
ん、おじさんかな?
「私たちが社会人訪問のことを話していたら、そのおじさんが…」
え?何かされたの?
「『キミたちは就活生かい?』って聞いてきて」
あ、それだけね(笑)。
「で、私たち、パフという会社でインターンをやってるって話をしたら…」
うん、就活生じゃないもんね。
「そしたら『パフ?パフって釘崎さんの会社?』って聞かれて…」
なに?そ、それからどうしたの???
<ここで断筆していましたが、以下、続きです>
「え!ご存じなんですか?…って聞いたら、昔、釘崎さんが起業する前に取引をしていたW社の人事担当者だと仰っていて…」
おお、W社!たしかに僕がサラリーマンだった時にお付き合いして会社だよ。
「そうだったんですね!それで『この名刺を釘崎さんに渡してください』ってその方に頼まれて持ってきたんです」
おお、S田さんだ!へー、いまここで人事マネージャーやってるんだあ。知らなかったなあ。
いやあ、ありがとう!しかし、すごい縁だよねー。君らがたまたまご飯食べてて声かけられて…だものねえ。
とまあ、こんなことがあったのだ。
W社は外資の最終消費財メーカー。ある分野では強いブランド力を持っていた。僕がサラリーマン時代、よくお邪魔していた会社で、人事情報システムなどを導入していただいていた。取引額はさほど大きいわけではなかったが、S田さんは僕と同年代でもあり、親しみをもって接していた。もう20年以上も昔の話だ。
パフを起業してからも一度だけご挨拶に伺ったことがあったが、新卒採用では強いニーズがなかった(当時のパフで貢献できることがなかった)こともあり、商売でのお付き合いはそれっきりになっていた。
さらに15年ほど前に、W社は強大な外資系企業に買収され、ついには組織が解体されてしまい、いよいよ連絡も取れなくなってしまっていたのだった。
そのS田さんの名刺がいま目の前にある。いまは会社も変わり、やはり某グローバル企業の人事マネージャー。これは、すぐに連絡しなきゃ!
ということで、メールをお出ししたならば、「せっかくなら夜ゆっくりできるときに飲みに行きましょう♪」という、必然的な流れになったのだった。
で、その飲みの約束が先週の金曜日だったのだ。
九段下の北の丸スクエアの1Fで待ち合わせ。でもお会いするのは18年ぶりである。顔を覚えているかどうか(覚えられているかどうか)、いささか不安だった。
でもそんな不安は一瞬にして吹き飛んだ。フロアに入室した瞬間、20メートル先にいる人がS田さんだと分かった。
「いやあー、お久しぶりですー!それにしてもスゴイ縁ですね。まさかうちのインターン生がS田さんと相席で昼飯を食べてたのがきっかけだなんて(笑)」
場所を九段下の居酒屋に移して、あれこれ懐かしい昔話や、近況の話、プライベートな話に花が咲いていた。
釘「ところで、S田さんってご出身どちらでしたっけ?」
S「僕は神奈川です。まあ、神奈川っていっても箱根にほど近い小田原ですけど…」
釘「へー、小田原ですか。高校は?」
S「小田原高校です」
釘「おお、小田原高校ですかあ!」
S「え?なにか?」
釘「いや、僕が学生時代に可愛がっていたひとつ下の後輩がやっぱり小田原高校の出身で……。あれ?S田さんも僕よりひとつ下の学年でしたね。ひょっとしたら野球部にいたO橋っていう奴、ご存知ですか?」
S「えーーーーー! 知ってるもなにも同級生で、来週末そのO橋くんたちとゴルフコンペの予定なんですよ!」
釘「えーーーーー!まじっすか!?僕もO橋とはつい先日、久々に会ったばかりですよ。なんだかウソみたい…」
とまあ、ウソみたいなホントの話なのである。
以下、公開を前提に許可をいただいて撮ったツーショットである(^o^)。
人の縁とは本当に不思議だよなあ…と、つくづく感じた秋の夜だった。おかげでその夜は日本酒を飲みすぎてしまったのは言うまでもない(笑)。