パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

ちょっとあせっている日

2008年12月7日 (日曜日)

12月11日のコンサートまであと4日。いよいよあとがなくなった。

「練習はすすんでますか?」と挨拶代わりに聞かれることも多くなった。

しかし……。

むむむ。

きょうも練習しているのだが、どうも思うようにはいかない。

ピアノ、バイオリン、サックスの方々との日程が合わないため、本日は単独練習をすることになったのだが、ひとりでの練習というのは寂しく、張合いもなく、ついつい妥協してしまう。

むむむ、まずい。

気がつけば、もう夜遅い時間だ。大きな音を出すことができなくなってしまった。

こういう切羽詰まった気持ちになるのは久しぶりだなあ。

すでに深夜零時を過ぎているのだが、もうちょっとだけ練習するかな。

いや、それよりYoutubeで、南こうせつや、伊勢正三や、チューリップの若かりし頃の演奏を聴きながらイメージトレーニングをしたほうがいいかな。

いや、ジタバタしてもしょうがないので、もう寝るとするかな。

・・・と、今夜はめずらしく焦って、日記さえ満足に書けないでいる釘さんでした(苦笑)。

きょうは2008年最後のパフLive。

#最後といっても、別のイベントは、しぶとく年末ぎりぎりまで開催される。クリスマスイブの日にまで開催されるくらいだ。

 

きょうのパフLiveは、口コミで評判が伝わったせいか、いままでのパフLiveの中でも、もっとも出席率が高かった(ドタキャン率が低かった)ようだ。最初のほうは人が多すぎて、ちょっと窮屈な思いをさせてしまったかもしれない。

とはいえ終わった後のアンケートをみると、学生の満足度、企業の満足度ともに高く、まずまずの終わり方が出来たのではないだろうか。

ということで、きょうの日記では、2008年最後のパフLiveの風景を貼り付けて終わることにしよう。

 

受付3人娘と、誘導ふたり男。

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タシロ司会によるオープニングガイダンスと企業ブース(右にみえるポスターは宮崎あおい?)

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仕事まなびカフェの風景と企業ブース(右にみえるポスターは、来年の干支?)

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一昨日に続き、本日も『校長が行く』の企画で、協賛企業の方との対談を行った。

きょうは名物採用責任者である二馬さん(三菱電機ビルテクノサービスの採用担当部長)との対談である。

同社の人事部が入居する有楽町のビルのセミナールームに、大勢の学生が集まっていた。

テーマは、「仕事の面白さ」。「最初っから面白い仕事や、やりがいのある仕事なんてない」という、やや乱暴な僕たちの主張は、学生に伝わったかなぁ。

対談の後は、古くらかの友人で、人材紹介事業を営むW氏との情報交換で池袋へ(そういえば最近なぜか池袋に行くことが多いような…)。

高校の6期うえの先輩が経営する郷土料理の店で、3時間ほど真面目な話をした。

12月の週末の繁華街。普通なら忘年会シーズンで賑わいのピークだと思うのだが、不況の影響か、どことなく寂しい感じがする。

昨日は九州の山奥まで日帰りしため、僕もさすがにお疲れ気味。W氏とは池袋で別れて、おとなしく帰宅することにした。

さあて、明日はパフLive。前回に引き続き、学生の就職相談やミニ講座を行う予定だ。

今週も、もうひと頑張りだな。

母親の大恩人を見送ってきた日

2008年12月4日 (木曜日)

きょうは、すべての予定をキャンセルして、朝一番の飛行機で九州にやってきた。実は、この日記は、福岡空港で、帰りの飛行機の待ち時間に書いている。

九州にやってきたのは、僕の母親の親友であり、息子さんは兄貴の中学生時代の同級生であり、息子さんの奥さんは僕の小学生時代の同級生である、湯布院の親しいおうちのご主人が急逝されたからだ。

亡くなられたご主人と、その奥様は、僕の母親の湯布院でのいちばんの親友であり、かつ命の恩人でもある。

7年ほど前、一人暮らしの母親が脳梗塞になったことがある。ご夫妻は、この母親の異状を真っ先に発見し、すぐに病院に送り届けてくださった。おかげで母親は大事に至らず、大きな後遺症もなく、いまも元気に湯布院で暮らしている。さすがに高齢なので「元気」といっても心配なので、ご夫妻は、しょっちゅう、うちの母親の様子を見に来てくださったり、御自宅に招いてくださったりしていた。

お盆を過ぎたころ、ご主人が体調を崩され、別府の病院に入院された。・・・実は癌だった。

以前の日記にも書いたが、僕が10月の中頃、湯布院に戻ったのは、実はこのご主人のお見舞いに行くのが大きな目的のひとつだった。

お見舞いに伺ったときは、とても元気で顔色もよく、一時間以上いろんな話をしてくださった。

自分で歩いて缶コーヒーを買ってきてくださり、一緒に飲んだくらいだ。退院したら、またゴルフに行きたいと仰っていた。このご主人は、熊本工業の野球部員だった。読売巨人軍の(名選手でありV9時代の名監督だった)川上哲治氏の高校時代の後輩でもあり、野球選手としても有名だったそうだ。

そんな話を懐かしく嬉しそうにしてくださったのが、つい一か月半ほど前。まさかこんなに早く天に召されるとは思っていなかった。

お葬式では、高校三年生のお孫さんも弔辞を読んだ。

“じいちゃん”と語りかけるような弔辞に、涙が思わず溢れてきた。大勢の参列者の方々も同様だった。本当に優しい、頼りになる、いいおじいちゃんだったんだなあ…ということが、よく分かった。最後まで立派に読み上げたお孫さんにも感動した。

 

おじさん、その節は本当にお世話になり、ありがとうございました。うちの母親が、いまだに元気で毎日を過ごせているのは、おじさんのおかげです。

おじさんのご冥福を心よりお祈りいたします。どうか、安らかにお眠りください。

合掌

校長が池袋に行った日

2008年12月3日 (水曜日)

きょうは夕方から池袋に本社のある協賛企業、ベルシステム24さんに伺った。目的は『校長が行く』という、公開対談企画を開催するため。

職学校の校長先生である僕が、学生の皆の前で、企業の幹部の皆さんに本音のインタビューをし、その光景を後日、職学校Webにアップするという企画なのだ。

きょうは、ベルシステム24の若き執行役員、間瀬さんとの対談。“リーダーシップ”について、間瀬さんの考え方をじっくりとお聞きした。詳しくは後日(来年かな?)に掲載される『校長が行く』のコーナーをお楽しみに!

 

この対談が終了したのが午後7時。実は本日は、このあとも打ち合わせの予定が入っていた。

まったくもって僕の都合なのだが、わざわざ打ち合わせ相手の方に、池袋まで来ていただいた。

お相手はM社のI社長だ。

池袋の東口で7時10分に待ち合わせして、かなり核心に触れた、真面目な打ち合わせをしばし行った。

その後、真面目すぎた打ち合わせの口直しで、近所のフォークソング居酒屋に行った。一週間後に迫ったコンサートの練習も兼ねようかという思惑もあった(苦笑)。

いずれにしろ夕方以降、とてもエキサイトした一日だった。

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校長先生と一献傾けた日

2008年12月2日 (火曜日)

本日はi-Company(アイカンパニー)の校長先生である小畑さんと一献傾けた日だった。

僕も、職学校の校長先生なので、差し詰め、校長会談ということだろうか(笑)。

僕は小畑先生の2学年下。僕が高校一年生のとき、小畑さんは高校三年生だ。

そしてきょうは、その間の学年(高校二年生)であるMさん(実は小畑校長の会社の社長)も、この校長会談に加わった。また、僕らが高校生の時には、まだ生まれてもいない、パフのホサカも加わった。

70年代フォークソング論、人材論、リーダーシップ論、新卒採用論などなど、校長同士の宴席に相応しい熱い話題で、あっというまに時間が過ぎた。

お互いの本職の商売柄、あまり詳しいことを書くわけにもいかないのだが、人と人との出会いって本当に面白い。気味が悪いくらいの偶然と必然性と縁を感じる。

あなたがいたから僕がいて、僕がいたからキミがいて、みんながいたから、今日がある。

そんなことを改めて感じた日だった。

12月のキックオフだった日

2008年12月1日 (月曜日)

きょうは、12月1日。泣いても笑っても、あと1ヶ月で2008年も終了となる。

そんな本日は、今年最後の月次キックオフミーティングの日。11月度の振り返りとともに、残されたあと1ヶ月の行動について、各グループからの報告が行われた。

そしてキックオフミーティングのあとは、恒例の社内懇親会。ビールで乾杯し、オードブルをつまみながら社員間の交流を行なう。

で、「たぶんあるんだろうなぁ」というセレモニーもあった。

昨日誕生日を迎えた僕と、本日誕生日を迎えたヨシダの、「誕生日おめでとう!」のセレモニーである。

なんと本日は、社員の「一発芸」や「かくし芸」の披露であった。

まあ、はっきり言って、「?」の芸が続いたわけであるが、その中でも「???」だったのが、田代の芸。

「枝豆を制限時間30秒のあいだに、どれだけたくさん食べることが出来るか」という、実に何のひねりもない、芸だ。

 

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まあ、たまにはこういうのも有りかな(苦笑)。

その後、和やかな歓談がしばし続き、午後10時過ぎにお開き。

 

・・・現在の経済は厳しい環境下にあることは間違いない。しかし、2008年を、なんとか有終の美で飾りたいと思う。