パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

男を磨く合同合宿の日

2008年3月8日 (土曜日)

きょうは、新卒採用業界で、パフと同じ志をもちながら頑張っている会社S社との合同合宿の日。

昨年の暮れ、S社の社長であるSさんと居酒屋で会食(?)をしているとき、

「そうだ、釘さん、合宿しましょう!」

「お、いいっすねえ。やりましょやりましょ!」

という、両社長の数十秒の間の会話で決定した合宿だ。

全社員を参加させるとたいへんな大人数となってしまうので、各社3,4名ずつを人選することにした。

パフからは、 『男を磨く』 という大義名分のもと、男性社員のみをセレクトした。S社からは、政治家希望の暑苦しい男性社員と、パンクロックのボーカル出身の男性社員が参加した。

両社あわせて全7名の男どもだけの合宿である。

Photo 場所は、伊東のリゾートマンションタイプのホテル。30畳ほどの広いリビングで合同の会議が行われた。

「どうせ遊び半分の合宿でしょ?」

という批判の声が聞こえてきそうであるが、さにあらず。大方の予想を裏切って、相当にまじめな議論が続いた。

そして、あっとびっくりするような新商品のアイディアも生まれた。

Photo_2 ここで内容を公開するわけにはいかないが、他社には真似のできない(真似をしようとも思わない?)斬新な商品だ。

その後も、深夜におよぶまで(一部は早朝におよぶまで)議論は続いた。

なかなか、実のある合宿であった(・・・現在も継続中)。

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70年代に行った日

2008年3月7日 (金曜日)

古くからの協賛企業P社の人事部長Iさんに、ずっと以前から「いっしょに行きましょう」と誘われていた場所がある。

ギターを抱えて唄える、フォーク居酒屋だ。

店の名前は、亜古木(あこぎ)。

アコースティックギターのことを僕らは「アコギ」と略して呼んでいたのだが、そこからとった店の名だ。

今夜、やっとIさんと時間の調整がつき、一緒に出かけることになった。Iさんはすでにこの店の常連になっており、今夜で6回めだという。

池袋の東口から歩いて10分ほどの、繁華街からはずれたところにその店はあった。

店に入ると、木のいい香りがしてくる。壁も床もカウンターもテーブルも、すべてほんとうの「木」でできているのだ。

玄関で靴を脱いで、スリッパに履き替えて店の中に入る。

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店の奥のほうには小ステージがあり、アコースティックギターが4本置かれている。客はこのギターを使って、自分の好きな唄を歌うことができる。

歌本もたくさん置かれているのだが、すべて70年代フォークソングの歌本だけだ。壁に目をやると陽水拓郎かぐや姫山崎ハコはっぴぃえんど(松本隆、細野晴臣、大瀧詠一らが一緒にやっていたバンド)のLPレコードのジャケットが飾ってある。

まさに、我々おやじ世代が、涎をたらしてしまいそうな店なのである。

我々以外に2組のお客さんがいたのだが、みな交代ごうたいで、それぞれの持ち歌をうたった。

息子さんに感化されて、つい最近ギターを習い始めたという方がいた。50代なかばくらいだろうか。「神田川」や「22歳の別れ」を、つまりながらも一生懸命に奏でながら唄うその姿に感動してしまった。休みの日には、息子さんといっしょに練習するのだそうだ。うらやましい。

中島みゆきを熱唱する御婦人がいた。脇では連れの男性の方(ご主人ではないようだ)が、きれいにギターのアルページオを奏でる。すばらしい歌唱力だ。

Iさんは、加川良(って今の人は知らないだろうけど)の曲を熱唱。僕も、久々に小椋佳やチューリップを唄った。

フォーク居酒屋。やみつきになりそうだ。カラオケ屋さんとはぜんぜん違う店内の一体感がある。

僕がシンガーソングライターになれた暁には、こういう店を副業として経営するのも悪くない。店の名前を「Puff」にしたら、きっとフォークソングを愛する人たちで溢れかえるんじゃないかな(笑)。

P社のI部長、本日は素敵なお店をご紹介いただき、ありがとうございました!!

金沢の朝は雪!の日

2008年3月6日 (木曜日)

昨夜は思わぬアクシデント(・・・といっても、日記の原稿が消えてしまったという、どうでもいいアクシデントだが、苦笑)で、落ち込みながら床に着いたのだが、朝めざめてビックリ。

部屋の障子を開けると、一面、雪景色なのだ。

Photo_3 実は昨夜、金沢の同業者、J社のG社長に案内されて、この旅館に着いた。G社長のことは、5,6年前から存じ上げていたが、キチンと話をするのは実は今回が初めてだったのだ。

僕よりも5歳年上のG社長は、出身地である金沢で独立して、すでに20年以上になる。地元では有力な人材系企業だ。いや、人材だけではない。ISOや経営コンサルの領域に至るまで幅広く手がけている。

「地元企業の経営課題の解決を行うのが私たちの仕事なので、人材だけっていうわけにもいかないんですよ」とG社長は、にこやかに語っておられた。

じっくりといろんなお話を、この温泉旅館で聞かせていただいた。地元のお酒や料理(とくに蟹は最高!)もご馳走していただいた。

ほんとに、G社長ありがとうございました(深々とお辞儀)。

さて、これから一風呂浴びて、東京に向かうことにしよう。

・・・それにしても、この雪の中から脱出できるのだろうか?

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北陸ひとり旅の日

2008年3月5日 (水曜日)

いまこの日記を書いているのは、金沢の温泉旅館の部屋の中。

金沢市街地からずいぶん離れたところにある。とても静かで、いい雰囲気の温泉宿だ。

実はついさっき日記を書きえ終えたのであるが、電波が弱すぎた関係で、途中で接続が切れてしまった。

なので、いま書いているこの日記は、ふてくされながら書き直している二度目の執筆の原稿だ。

さっきまで、せっかく今日一日のことを克明に書いたのだが、そのすべてが消えてしまった。

・・・さすがにショックである。

きょうは朝7時過ぎの新幹線に乗って福井に。

福井で学生向けの講演を終えて、その足で金沢へ。

金沢の同業者の会社で勉強会を開き、その後、この温泉旅館に来た。

その過程でいろんなドラマがあり、そのことをかなり詳細にこの日記に書いたのだが……。

ああ、ショック。もう書けない。やっぱりITを過信するのは禁物である(苦笑)。

ともかくも、(金沢本社の)J社のG社長。本日はたいへんお世話になりました。

また今後ともよろしお願いします!!

ああ、それにしてもショックだ。今年イチバンの文書の量と質だったのになぁ(涙)。

『かもめ』に載った日

2008年3月4日 (火曜日)

以前の日記にも書いた、リクルートの社内報『かもめ』。

そのなかの 「家族の肖像スペシャル」というコーナーに、僕と僕の兄貴のツーショットが掲載された。

兄貴とふたりだけの写真というのは、僕の記憶によると、僕が中学校を卒業したばかりのとき、自宅の玄関先で撮って以来ではないかな。

 

兄弟のツーショットが雑誌(というか、兄貴の会社の社内報だけど)に載るというのは、なんとも照れくさい気持ちではあるが、ちょっと嬉しい気もする。

幼少期からずーっと、世話になりっぱなしの兄貴である。こっちが世話をしたということは、ほとんどない。

かもめの編集者は最初、釘崎兄弟を、 「切磋琢磨している兄弟」という熱い系のテーマとして取り上げようと思ったらしいが、まったくといっていいほど、切磋琢磨を感じさせない僕らの話を聞いて、 「兄弟に通じる、人への思い」 という昭和ほのぼの系のテーマに方向転換したとのことだ。

たしかに取材のとき、貧乏だった我が家に、初めてカラーテレビがやってきた感動の大晦日の話をしたりしたのだから、昭和系であることに違いはない。

「家族の肖像スペシャル」。大切にとっておこうと思う。

かもめ編集者のSRさん、いい記事を、どうもありがとうございました!!

午後五時。パフのお取引先であるA社の人事担当者の方々と、次期社長(3月26日に就任予定)のUさんがお見えになった。

パフのコンテンツである『社長対談』の取材兼イベントを行うためだ。

Uさんは20年前、A社に新卒で入社した。Uさんは入社当時の自分を振り返って、「天狗になっていた生意気なやつだった」と語る。

いまのUさんからは想像もつかない。

そんなUさんを変えたのは、大きな挫折を味わった10年ほど前の失敗経験だった。

「あのときの挫折がなければ、僕は人のことを考えることのできない、どうしようもない奴のままだった」と語るUさんは、あくまで謙虚で真摯だ。

そんなUさんとの対談。あと数週間後に、パフのトップページからリンクされる予定だ。乞うご期待!!

 

A社のUさんとの対談が終わった直後、R社のMさんがパフを訪ねてくれた。

Mさんは知る人ぞ知るパフの創業を陰で支えた(いや、操った? いや、そそのかした?)人である。

Mさんとの最初の出会いは、いまから25年前。僕が大学3年生、Mさんが大学4年生のときだ。まさかそのときは二人とも、経営者になるなんて夢にも思っていなかった。

Mさんは一年に1回は、パフに遊びに来る。きょうはその一年に1回の日だったのだ。

社内で雑談したあと、近所の行きつけの小料理屋・球磨川で、もろもろを語り合った。25年前、やんちゃなだけだったMさんは、今ではすっかり名経営者だ。Mさんなりの経営哲学や、Mさんの考える(パフの理念でもある)「世界でたったひとり論」を聞かせてもらった。

 

世の中にはたくさんの会社がある。そして、その会社の数だけ社長がいる。いろんなタイプの社長がいる。社長に個性があるように会社にも個性がある(社長の個性が会社の個性に乗りうつる)。社長の考えひとつで、その会社は変わっていく(可能性をもっている)。会社のすべての最終的な責任は社長が負う。社長はいつもその重圧と戦っている。

そんなことをあらためて実感した、二人の社長との対談の日だった。

雑誌記事が手元に届いた日

2008年3月2日 (日曜日)

『明日(あした)への遺言』という映画を観た。「ながい旅」という大岡昇平のノンフィクション小説が映画化されたものだ。

B級戦犯として起訴された陸軍中将の軍事法廷での姿を淡々と(しかし重大なテーマを伝えるためにしっかりと)映し出した、秀逸な映画だった。

陸軍中将を演じる、藤田まことが、実によかった。

この映画をプロデュースした原正人氏は、現代の日本を 「自己中心の時代の風潮が、人々を蝕み、行政や企業のリーダーさえ、責任や誇りや品格という人間としての美徳を失おうとしています」と述べている。そして、そんな世の中にあって、人間としての責任を、この映画を通じて、「明日の日本を担う若い人々に託したい」と語っている。

映画館には、年配の方々が多かったが、僕も、ぜひ若い人にこそ観てもらいたい映画だと思った。

・・・・・

ところで、ぜんぜん別の話だが、週刊ダイヤモンドの最新号(3月8日号)が手元に届いた。以前の日記でインタビューを受けたことを書いたが、そのときの取材内容が掲載されていた。

ところが見るなり、 「うわっ」と顔を引いてしまった。僕の写真が、ちょっとかわいそうな姿で掲載されているのだ。記事は、インタビューのときに編集者の方にお話した内容が、ほぼそのまま掲載されていたのだが、顔写真は、ちょっとなあ……。

まあ、僕の顔であることには違いないし、取材記事なので、こちらからは文句のいいようがないんだけど。

あんまり積極的に、「今週の週刊ダイヤモンドに、僕、載ってるんですよ♪」と言って回るのは控えることにしよう(苦笑)。

そういえば最近いくつかの雑誌に立て続けに顔写真が載っているのだが、いずれも納得がいっていない。まあ、もともとの顔がよろしくないからでしょ?といわれれば、その通りなのかもしれない……い、いやいや、ちがうちがう。認めるわけにはいかない(汗)。

やはり、いつ取材されてもいいように、プロのカメラマンにお願いして取材用の写真集でも作っておくのがいいのかなあ。