東へ西へ
2018年7月4日 (水曜日)
僕は自分でオヤジライブをやっているくせに、ほかの人のライブを(好きなミュージシャンのライブであっても)自分からすすんで観ることはあまりなかった。親しい友人から誘われれば行くくらいだ。
でも、それってもったいない。自分の残りの人生もそう長くはないだろうし、ましてや僕が中高生時代に好きだったミュージシャンは皆、僕よりも10歳前後年上。いつ鬼籍に入るかわからない。生で彼らの演奏や歌を聴く機会もそう多くは残ってないだろう。
ということで、これからはできるだけ時間を作って、昔好きだった(いまでも好きな)ミュージシャンのライブに行くことにした。
第一弾はこの人。
そう、井上陽水である。
僕は昔(10年くらい前)の「釘さん日記」でも陽水を熱く語っていたことがあった。ちょっと引用してみよう。
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井上陽水は、いま60歳(8月30日で61歳)。僕より12歳年上。僕と同じ、ねずみ年でもある。
デビューしたのが40年前ということは、陽水が20歳。僕がまだ8歳。小学校3年生のときなのだが、残念ながらこのときの陽水のことを僕は知らない。それは当然といえば当然。陽水はこのときまだ陽水ではなかったのだ。
1969年。“アンドレ・カンドレ”の芸名で陽水はデビューした。デビュー曲は、『カンドレ・マンドレ』。なんじゃそりゃあ?・・・という芸名とデビュー曲である。
当然のごとくまったく売れず、陽水は3年間、沈黙する。
1972年。陽水は、芸名を“井上陽水”(いのうえようすい)と本名と同じ字に改める(本名の読みは、“いのうえあきみ”である)。
僕らが陽水を陽水として認識するのは、ここからだ。僕が小学校6年生のときだ。そこからの活躍は、もうここには書ききれないくらいだ。僕たちに大きすぎるくらいの影響を与え続けた。
「拓郎と陽水、お前はどっちが好きだ?どっちが上だと思う?」なんてことを、よく友達と言いあっていた。
どっちも凄いシンガーだが、僕の好みは、断然、井上陽水だった。
あるときは過激で、あるときは美しいメロディー。あるときは繊細かつ情緒あふれ、あるときは支離滅裂かつ難解(でも深い意味がありそう)な詩。甲高くも深みと透明感あふれる歌声。掴みどころのない天才シンガーソングライターだった。
1972年12月、アルバム『氷の世界』がリリースされた。いま聴いても、ちっとも陳腐じゃない、すごい曲が詰まったレコードだった。一曲たりとも感動しない歌はない。
嗚呼、井上陽水の日(2009年8月24日)
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あらためて読んだけど、ずいぶん好きだったんだな(‘_’)。
そんなわけで、昨日は夕方から会社を抜け出して(!)、陽水のライブに行ったのだった。陽水の歌を生で聴くのは生まれて初めてだった。
よかった。音楽はもちろん、陽水のそこはかとないユーモアあふれる喋りとそのキャラが実に楽しかった。
影響を受けやすい僕は、来年の自分のライブでは陽水の曲を歌いたいと思った。
何にしよっかなー。
昨日のセットリストで特にいいなあと思ったのは、「東へ西へ」「帰れない二人」「氷の世界」「夢の中へ」。やっぱり僕が中学生~高校生のころの楽曲ばかりですね(笑)。
このうちどれかを演ると思いますので、来年2月の釘さんライブに参加しよっかなあと思っている皆さん、どうぞお楽しみに!
ところで僕は本日、午後から名古屋に行く。来週は北海道だし。まさに「東へ西へ」である。
夜はお酒なのだが、その前に、今朝は胃カメラを飲まなきゃいけない(詳しい話はまた後日)。
では、まずは病院に行ってきます!
本日は23期キックオフミーティング
2018年7月3日 (火曜日)
昨日は23期第一日目。今期からパフには新たな戦力が数名加入するのだが、昨日はそのうちの一人、Aokiさんが正式に合流した。
Aokiさんのことは別の機会にちゃんとご紹介したいので、ここでは書かない。
とはいえ、少しだけ(^^♪。
年齢は僕と同じ。同学年。
なんだクソオヤジか?
いやいや、そんなことはありません、ナイスオヤジです(笑)。
最初に会ったのは、30年以上前。お互いがまだ20代のころ。共通の友人の結婚式で司会をしていたのがAokiさんだった。
あ、そういえばこの日記にもちょっと前にAokiさんのことを写真付きで載せたことがあった。
ちょっと探してみよう。
あった、あった、これだ。 ⇒ 歴史は夜つくられる(2018年3月6日)
そうか、3月6日の日記だったか。ちょうど4か月前だったんだな。やっぱり歴史は夜つくられる、というのは正しかった(笑)。
で、本日はこのAokiさんも参加したうえでの第23期キックオフミーティング。午前11時からのスタートだ。
ほぼ正確な前期(22期)の売上と利益が集計できたので、その業績報告を皮切りに、各グループの振り返りの報告が行われる。
その後は皆でランチ。仕出し弁当を食べながらの懇親会だ(昼なのでアルコールはナシですがw)。
そして、午後は各グループやプロジェクトチームから、今期どのような戦略、計画、体制で戦っていくかを発表してもらう。
合計4時間のキックオフミーティング。好業績で終えた22期の勢いを、そのまま23期のスタートに乗せていきたいものだ。
ところで今朝は、日の出前の午前4時から起きている。
ワールドカップを観るためではない。咳が出てきて目が覚めてしまったのだ。
就寝が午前1時だったのでテレビ観戦はあきらめて朝のニュースで結果だけを見ればいいやと思っていたのだが、せっかく目が覚めたんだったらと思って、テレビのスイッチを入れてみた。
ちょうど後半戦が始まったところ。きっと負けているんだろうと思ったら、なんと0対0の同点の状態。
へー、日本は善戦してるんだなと思いながらベッドに横になりながらボーっと眺めていたら、なんと原口の先制ゴール。ベッドから跳ね起きてしまった。
そしてその数分後、乾の2点目のゴール!
わ、日本は勝ってしまうんじゃないか?と、サッカーは素人でファンでも何でもない僕までもドキドキ・ワクワクしてしまった。
最後は残念な結果になってしまったものの眠気を吹き飛ばす見事な試合だった。咳で目覚めてしまったときは憂鬱だったのだが、いまは咳に感謝である。
パフの23期も(負けちゃダメだけど)ドキドキ・ワクワクできるような戦いが繰り広げられるといいね(^_-)-☆
では朝食後、今朝は(大掃除を手伝うために)少し早めに行ってきます!
先週で第22期が終わり、本日から第23期がスタート!
2018年7月2日 (月曜日)
金曜日の日記で
>いよいよ本日はパフ第22期最終日。有終の美を飾ることになるのだろうか。その結果は、来週月曜日の日記で晒すことにいたしましょう
と書いたので、予告通り晒すことにする。
土曜の朝、全社員に宛てて以下のような22期を簡単に振り返ったメールを書いたのでこの日記でも公開することにしよう(一部、修正やマスクありですがw)。
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みなさん
22期は本当にお疲れさまでした。
7月~12月
いまだかつてない高い業績目標が設定され、それでも営業活動に邁進した日々でした。
そんな営業活動多忙のなか、20周年記念式典を皆の総力でやりきり、古くからのお客様、パートナー、株主様、最近仲間になってくださった取引先、それからメインバンクの担当者や支社長にまでもパフらしさを伝えることのできた上半期でした。
そして1月以降
お客様の2019採用とパフ自身の採用も本格的にスタート。
全社的にフル稼働の毎日でしたが、大きなトラブルや混乱もなく山場を乗り越えることができました。パフ自身の採用も結果的に計画通りジャスト2名が自分で自分に内定を出してくれました。
業績面では、10年ぶりに過去最高の売上・粗利・営業利益・経常利益・純利益を更新。有終の美を飾ることができました。
これであの忌まわしいリーマンショックの影を完全に追い払うことができました。
(中略)
ということで、22期の業績速報は、添付にてご確認ください。なお、賞与支給前の営業利益は約〇〇,000千円になる見込みです。
賞与原資は約〇〇,000千円(昨年の倍額)を割り当てることになります。支給日は7月25日です。
また、株主総会での決議を経て、ということになりますが、今期(税引き後)純利益の〇〇%を20周年記念配当にする予定です。配当総額は〇〇,000千円弱になるのではないかと思います。
持ち株会の皆さんにはちょっとしたお小遣いですが、お楽しみに。
では、23期も、22期をさらに上回る業績が出せるように、がんばりましょう!
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さすがに数字の詳細までを晒すことはできないが、10年ぶりに過去最高の売上と利益を更新したことは自慢を兼ねて公にしようと思う。
そう、パフの過去最高の売上は遥か10年前のことだったのだ。翌期、「さあ、来年はさらに上行くぞ!」と、高い目標を掲げてスタートしたのだが、皮肉にも業績は急転落。以降3年間、坂を転がり落ちるかのような業績低迷が続いた。
好転し始めたのは2012年から。とはいえ急回復とまではいかず、ゆっくり、ゆったりとしたペースだった。
そして今年やっと10年前の業績を上回ることができた。やったー、バンザイ!……というより、やっとここまできたか、やれやれ、という気持ちのほうが強い。
この業績を作りあげてくれたのは紛れもなくパフの社員たち。そしてパフのことを信頼し、助けてくださった数多くのお客様、お取引先、パートナーの皆さんのおかげ。この場を借りて、厚く御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました!!
さて、本日から23期。来年も「2年連続の過去最高更新です!」という報告ができるように、今期もいい仕事をたくさんできたらと思う。
ということで、その初日。暑さに負けず(途中までは)ウォーキングで行ってきます!
『ゼロ』って言われた日
2018年6月29日 (金曜日)
昨夜は某レコード会社の専務M上さんと、神楽坂付近の餃子屋さんでの会食だった。
M上さんと初めて出会ったのは1999年の3月頃。もうかれこれ20年近いお付き合いになる。
当時M上さんは、某大手出版社の採用担当者。でも、M上さんが採用の仕事をやっていたのは5~6年くらいで、その後は別の部署に異動していた。
それでも、年に一度くらいはお会いして飲んでいる。昨年12月のパフ20周年記念での『紅白歌合戦』では審査員長を務めてもらったりもしている。このお付き合いはきっと、どちらかがくたばるまで続くんだろうと思われる(笑)。
そんなM上さんから、「パフの移転祝いも兼ねて神楽坂あたりで一杯やりましょう。ヨシカワ大役員や弊社担当予定のカカさんも誘ってくださいよ」という連絡を数週間前にいただいたのだった。
あ、そうだった。
M上さんが専務をやってる某レコード会社の採用のことをずっと前に相談されていたんだった。僕はそんなことすっかり忘れており、ほったらかしにしていた。そうか、それで呼び出されたのか💦
だからかどうかは知らないが、昨夜カカから飛び出したのが『クギサキさんはゼロです!』という発言。
細かなやりとりは忘れたが、パフの業績への貢献度か社員の能力かの話題で、「パフの最前線で活躍している社員(ホサカとかかな)が100とすれば、釘さんのレベルはいくつ?」っていうことをM上さんがカカに振った際の発言だったように思う。
「クギサキさんゼロです!」
「おい、ゼロはないだろ!せめて0.5くらいにしといてくれよ。明日の日記ネタにしてやるからな!」と言って、自分のスマホのメモ帳に『俺ゼロ』と書き込んだのは覚えている。
まあ、そんなバカな話題で過ごした餃子屋さんでのひととき。楽しかったですね(^^♪
ということで、M上専務の某レコード会社の採用は、レベル30くらいのカカさんが担当することで決まりですな。ゼロの僕は夜の部専門のカバン持ちでもやりましょうかね(笑)。
さて、いよいよ本日はパフ第22期最終日。有終の美を飾ることになるのだろうか。その結果は、来週月曜日の日記で晒すことにいたしましょう。
では、今朝は歯医者に寄ってから行ってきます!
徒歩通勤を復活させる!
2018年6月28日 (木曜日)
実はいま風邪をひいている。症状は微熱と咳と痰と鼻水だけ。たいしたことはないのだけど、就寝時に咳き込んでしまうので寝つきが悪く、明け方には、咳で目が覚めてしまう。なので、どうもスッキリしない。
この数か月は、風邪をひくことが多くなってしまった。
症状はいつもだいたい同じで、最初にのどが痛くなり、次に鼻水や咳が出始める。こんなときに酒を飲みすぎたり、歌を唄いすぎたりすると、先日のように声が出なくなってしまう。
原因は分かっている。
ずばり、運動不足だ。
腹囲もこの数か月でベルトでひと穴分(2センチくらい?)膨らんでしまったし(-_-;)。
昨年12月に自宅を引っ越して以来(会社までの距離が近くなったことで)歩く時間が減っている。引っ越すまでは片道で35分、往復で70分歩いていたのに、12月以降は片道20分、往復40分に減ってしまった。
そして、事務所を九段下に移転した5月以降は、さらに劇的に減っている。
というのも、新事務所は歩ける距離ではなくなってしまい、この2か月間は徒歩ではなく電車で通っているのだ。
自宅-最寄り駅まで徒歩1分。九段下駅-会社まで徒歩5分。駅から近いのは有難いのだけど、日々歩かなくなってしまい、みるみる体力が落ちている。
ということで、決めた。
徒歩通勤を復活させる。
全部歩くと片道一時間かかってしまうので、まずはひと駅先から乗って、ひと駅手前で降りることにする。つまり2駅分を歩くことにする(ちなみに最寄りの駅から会社までは5駅ある)。
これでたぶん片道30分は歩くことになるだろう。
問題がひとつだけある。それは、朝の連ドラ「半分、青い。」が見られなくなること。
でも、連ドラよりもやっぱり自分の健康のほうが大事。
まずは今朝から。では、いつもより20分ほど早めに行ってきます!
遺言書が完成した日。
2018年6月27日 (水曜日)
昨年の暮れから作り始めた僕の遺言書。昨日(平成30年6月26日)付で「公正証書遺言書」として完成させ、信託銀行と公証役場で一連の手続きを行った。
近く死ぬ予定があるわけではないのでご心配なく(苦笑)。
でも、人間いつ何どき何があるかは分からない。特に僕の場合、もし突然死んじゃったら、家族、従業員、取引先に、かなりの迷惑をかけてしまう。その範囲はサラリーマンをやっていた時代の比ではない。
財産がたくさんあるわけではない。負の財産(つまり借金ですねw)と相殺すると、たかが知れている。でも、僕しか知らないものも多少はあるし、誰に相続させるのかということも、きっちりと決めておかないといけない。死んだ後に、揉め事が起きるのはまっぴらごめんだ。
ということで、法的にちゃんと認められた公正証書としての遺言書を作ることにしたのだった。
おかげで遺言書について、ちょっと詳しくなった。社長を引退したら、ミュージシャン兼、遺言コンサルタントでもやろうかな(笑)。
ということで、本日は「遺言書が完成しました」という報告のみ。詳しい内容は僕のエンディングノートに認(したた)めておきましょう。死んだら読んでね(^_-)-☆。
さてと。お、本日の夜は、築地でおじさん二人だけでの語り合いが予定されている。遺言書を酒の肴にすることにいたしましょうか。
では、朝食後、行ってきます!
決算はパフだけではなかった。
2018年6月26日 (火曜日)
僕が会計に関わっている組織・団体は、パフ以外にもいくつかある。
設立10年の任意団体で、加盟企業から支払われる年会費だけで運営されている。収入も支出も限られているので、それほど複雑な会計処理があるわけでもない。が、今月末が決算なので一年分の収支をまとめないといけない。また来月から新しい期が始まるので約20社の加盟企業から年会費を徴収しなければならない。みんなちゃんと払ってくれるかな?
こちらは昨年の7月に設立されたばかりの一般社団法人。やはり6月末が決算だ。こちらはまだ収入がない。事業収入はおろか、会員もゼロなので入会金や年会費もゼロ。でも支出はそれなりにあるので、必要なお金は都度パフが貸し付ける形をとっている。法人なので、ちゃんとした決算書も作成しなければならない。もちろん税務署への申告も必要だ。
昨年7月に任意団体として発足。そして今年6月1日より一般社団法人として新たなスタートを切った。任意団体時代(先月まで)の収支を精算したうえで今月から法人としての会計をスタートさせる。第一期の決算は9月末だ。第一期は真っ赤かな赤字なのだが、第二期からは(営業がうまくいけば)まとまった収入が見込まれている。単年度黒字となってくれるといいのだけど。さて、どうなるか。
④マジックドラゴン株式会社
知る人ぞ知るパフの100%子会社。リーマンショックの苦難を乗り越えるために設立した会社だけど、いまは平時なので休眠会社になっている(なのでHPも閉鎖中)。でも会社としては存在しているので、今月末の決算が終わったら税務申告は必要なのだ。有事の際には眠りから覚める可能性のあるこの会社。本音ではずっと眠っていてほしいんですけどね……。
ということで、パフを含めると5社(団体)の会計をやってることになる。こりゃアタマがこんがらがっても仕方ないですね。あ、不正会計は決してやってませんので悪しからず(‘ω’)ノ
さて、本日は信託銀行さんと一緒に大事なお役目を果たしに行く。日記にはあんまり書けないかな?
では準備後、行ってきます!