わくわくプロジェクトのキックオフミーティングに行ってきます!
2017年10月25日 (水曜日)
本日はこのあとすぐ、創業時から(厳密にいうと現社長とは創業前から)お付き合いのある物流企業ダイワコーポレーションさんに直行する。
朝8時半から、とあるプロジェクトのキックオフミーティングが開催されるのだが、そこにオブザーバーとして参加させていただく。
とあるプロジェクトとは?
僕が2年前に人事専門誌「月刊マネジメント」に寄稿した記事に詳しく掲載しているので、その紹介文章から引用してみよう。
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【タイトル】
【記事の概要】
弊社が新卒採用の支援を以前より行っている、株式会社ダイワコーポレーションという物流企業が本年2 月より取り組んでいる新卒採用プロジェクト(同社では
「和く和く(わくわく)プロジェクト」と命名している)について紹介。これは、入社3 年以内の若手社員全員に,新卒採用の企画・運営を全面的に任せるというもの。
【人事マネジメント9月号 記事ダウンロード】
http://www.puff.co.jp/official/201509JM.pdf
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このプロジェクト、入社2年目を迎えると全員が参加できることになっている。そして最長3年間在籍すると卒業していく。大学の部活のように、毎年メンバーの入学と卒業を繰り返すことで、組織の新陳代謝が図られているのだ。
本日から四代目のプロジェクトが、新メンバーとともにスタートする。
このプロジェクトをいままで側面から支えてきたのがパフのキムラなのだが、ご存知の通り(ご存知ですよね?)先日から産休に入っておりプロジェクトを卒業。本日からは新メンバー(さて誰でしょう?)が支えることになる。
ということで、僕も「行かねば!」ということで行ってくる。何もしないけど(笑)。
僕は「人事マネジメント」に寄稿した記事を、次のような文章で結んでいる。
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【互いに育て合う組織風土へ】
新卒採用に巻き込まれることに否定的な現場社員は多い。「新卒採用なんかのために駆り出されるのは迷惑だ」とあからさまに抵抗する社員も少なくない。採用担当者でさえも,自らが手足を動かして学生と接触することを「非効率」という名のもとに避けようとする風潮がある。
確かに仕事に効率性を求めるのは当然のことだし,ビジネスの最前線にいる現場の社員に,本業とは違う業務を行わせることに抵抗感があるのも無理ないことかもしれない。
しかし,それは実にもったいないことだ。効率性を追求するあまり,(組織に本来必要な)多様な価値観を受け入れるための寛容性や人間性が失われてしまっていないだろうか。採用に無関心であるということが,結局は自分の後輩や部下に対しても無関心な自分を作り出してしまっていないだろうか。無気力で不活性な,余裕のない組織風土を生み出す一因になってはいないだろうか。
新卒採用プロセスを利用して,現場の社員たちに多くの純粋な若者との交流の機会を持たせることで,社員たちは改めて自社の価値を発見できるはずだ。自分たちの将来の仲間は,自分たちで見つけ育てていく,という習慣が自然にできれば,会社は人間らしい温かい組織となり,ことさら大仰な教育制度など作らずとも,互いが互いを尊重し,助け合い,育て合う組織風土になるだろう。
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なかなか、いいことを書いているじゃないか(#^^#)。
では、ちょっと早めに大井町方面まで行ってきます。わくわくできるかな?
20年前の今日も朝ランしてた。
2017年10月24日 (火曜日)
台風一過。久々の朝ランだった。
ところでパフはもうすぐ満20歳。走りながら20年前の今ごろを思い出していた。
僕が起業を決意したのが1997年10月10日。その翌日から会社設立のための資本金集めに奔走していたのだが、早朝にも走っていた。
ダイエットとかではなく自分自身を鼓舞するのが目的だった。
僕は子供のころから走るのが大の苦手だった。そんな苦手で嫌いなことを継続してやってみようと思った。
嫌いなことや苦手なことをやり続けることが出来れば、独立してもなんとかやっていけると(当時の僕は)思っていたような気がする。なんて単純な奴なんだろう(笑)。
やっぱり独立することが怖かったんだと思う。うっかりすると弱気になってしまう自分がいた。
そんな気持ちを打ち消すためにも、毎朝走っていた。会社を登記する12月12日までの約2か月間、おそらく1日も欠かさずに走っていた。
・・・てなことを今朝、思い出した。
そういえば17年ほど前(会社を作って3年後くらいのころ)、約1年間かけて「パフの創業物語」というメルマガの連載コラムを書いていた。
ひょんなことから先週末、読み直していた。
あまりに稚拙な文章で読んでいて恥ずかしくなってしまったのだが、この節目のタイミングで書き直してみようかなという衝動に駆られている。
と、とりとめのないことを書いていたら家を出る時間が近づいてしまった。
この独り言の続きはまた今度。
では、いつも通りのウォーキングで行ってきます!
ただいま台風21号通過中です。
2017年10月23日 (月曜日)
今朝は、窓を打ち付ける雨と風の音で目覚めた。目覚ましのアラームは午前5時半なのだが、目覚めたのはその20分ほど前。
東京都心にこれほど台風が接近するのも珍しいのではないかな。
以下は午前5時現在の台風進路図(天気予報アプリのスクリーンショットです)。まさに台風のど真ん中にいたわけだ。
昨日のお昼ころ、社員たちには以下の連絡を行った。
ということで、パフのスタッフに急ぎの用事のある皆様、本日は出社していない可能性がありますので、まずはメール等でご連絡をお願いいたします!
本質を大事にするお客様
2017年10月20日 (金曜日)
「本質」という単語を辞書で調べてみると、
物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。「本質に迫る」「本質を見きわめる」(大辞泉)
物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。「 問題の-を見誤る」(大辞林)
といった解説が出てくる。
パフの就職&採用に関する事業も、創業来この「本質」を大切にしてきた。
昨日、久々にとあるお客様のところにうかがった。創業直後からお取引をいただいている企業のうちの1社だ。
いろんな事情があってしばらく取引が途絶えていた。
僕がまだ現場で仕事をしていたころ(もう12年ほど前になる)に採用担当だった方が(その後違う部署に異動になっていたのだが)このほど人事・採用部門の責任者として戻ってきた。
その責任者の方が現在の新卒採用担当の方々をご紹介くださるということになり、昨日は久々に新宿にある本社まで新任取締役のヨシカワを連れてお邪魔した。
そこで出てくる話がまさに本質ばかり。
とかく手法論やコスパ論だけになりがちな新卒採用の仕事なのだが、「そもそも新卒採用はどうあるべきか」「学生のため若者のため世の中のために自社の採用が貢献できることは何か」といった問題意識を皆さん持っておられる。
資本も経営者も事業環境も昔とは大きく変わってきた同社なのだが、新卒採用に向き合う誠実な姿勢はあのころのままだった。
そういえば、新規開拓をメインミッションとしている新入社員イシガミは最近、アポを取った企業への初回訪問後「あの担当者は本物ですね!」とか「あの担当者は本物ふう(つまり偽物?)ですよねぇ…」とか、よく言っているらしい(”ω”)。
それでいい。
我々はこれからも本質(本物)を大切にする仕事を、本質を大切にする方々といっしょにやっていきたい。
と、少し真面目なことを書いたところで、ピアノの練習を5分間だけやって行ってきます!
平成元年のころを語った日
2017年10月19日 (木曜日)
平成元年。西暦でいえば1989年。世の中はバブル真っ盛りのころ。僕は大手IT企業(当時はメインフレーマーと言っていた)のF社で、その時代においてはまだ異端だったオープンシステム(UNIXをOSとした水平分散型システム)の販売支援部門で仕事をしていた。
その頃のことは(あまりにもマニアック過ぎるので)周りの人たちに話したことがあまりない。なので、自分でも忘れていたことがたくさんある。
が、昨日はその頃のことを細かいところまで思い出した。
というのも、F社の本店所在地である武蔵中原で、そのF社の方々と酒席を共にしていたからだ。
昨日のイチバン年長者の方(採用責任者)は僕が働いていたころの新入社員。ひょっとしたら、すれ違ったことくらいあったかもしれない。
いやあ懐かしかった。
当時の話は、昔のコラムにも書いていたので、以下再掲しておきましょう。
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<第63話> 「大手コンピュータメーカーF社の人々(その1)」 2006/02/27
小さな会社S社で、ソフトウェア開発の仕事に携わり始めて5年の月日が経と うとしていた。
それは、昭和天皇が崩御し、新元号『平成』がスタートしたばかりの1989年の 春のことだった。
僕は“人材狩り”(カッコよく言えば“スカウト?”)の標的となり、それま でお世話になったS社を離れ、大手コンピュータメーカーであるF社の系列デ ィーラーに営業マンとして転職した。
エンジニアという仕事が嫌いだったわけではない。我ながら優秀な(というよ り、気の利いた)エンジニアだと思っていた。この道でも、なんとか食べては 行けるだろうと思っていた。
しかし、もともとエンジニアを志向していたわけではなかったし、義理人情の 世界に身を任せて入社した会社でもあった。
自分なりには、エンジニアの仕事の凄さや、大変さや、面白さを分かったつも りでいたし、義理人情の世界に対しても、十分報いたつもりでいた。
だから、比較的すっきりとした気持で、転職を決意することができた(でも、 それまで苦楽を共にしてきた仲間達と分かれるのが辛くて、勤務最終日には泣 いてしまったが)。
・・・・・
転職初日。僕が勤務を開始した場所は、F社のディーラーではなくて、F社の 本社そのものだった。
とても珍しいケースなのだが、ディーラーの経営陣とF社の営業幹部との話し 合いの結果、F社が発足させたとあるプロジェクトに、僕は転職早々組み込ま れることになったのだ。
そのF社のプロジェクトは、部長を含めて総勢10名程度。当時F社が取り組 み始めた初の「米国製OEMコンピュータ」を拡販するためのプロジェクトだ った。ディーラーから参加したのは僕だけで、残りのメンバーは全員F社の正 社員。プロジェクトが置かれていたのは、東京駅のまん前にあるドでかい高層 ビル。
超狭いビルにあった、それまでのS社とのあまりの環境の違いに、最初のうち は目まいがしたくらいだ。
だが、職場に慣れて仕事を進めるうちに、目まいなんかできる暇もなく、こり ゃ凄いところに来てしまった!という後悔やら、驚きやら、面白さやら、恐怖 やら、興奮やら、いろんな感情に襲われる毎日が続いていった。
転職して1ヶ月ほど経ったある日。僕は部長から、1週間後に開催される営業 会議でプレゼンテーションをするように命じられた。その営業会議は、全国の F社の支店から部課長クラスが100名ほど集まってくる大規模なものだった。
命令されたときは、そんなに大したことだとは思わずに平然と引き受けたのだ が、席に戻った後、他のメンバー達に「釘やん(と当時呼ばれていた)、ホン トに大丈夫なんか?」と口々に言われ、「え?」と大変な役目を引き受けてし まったことに気がついた。
100名を前にしたプレゼンなんてやったこともない。おまけに昔はパワーポ イントなんていう気の利いたプレゼンツールもない。できるのは、ワープロで 印刷したものをフィルムにコピーして、OHP(オーバヘッドプロジェクタ) を通して写しだすことくらいだ。
僕が途方に暮れている間に、会議は2日後まで迫っていた。
(途方に暮れながら「その2」へとつづく)
※続編を読みたい方はこちらからどうぞ( ^ω^ )
⇒ <第64話> 「大手コンピュータメーカーF社の人々(その2)」 2006/03/06
⇒ <第65話> 「大手コンピュータメーカーF社の人々(その3)」 2006/03/13
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そんなわけで昨夜はちょっと飲み過ぎて、実はいま二日酔い。日記も手抜きでゴメンナサイ💦
では、ちょっとだけピアノ(みね子)に触ってから行ってきます!
久々の「晴走」にカラダよろこぶ。
2017年10月18日 (水曜日)
やっと晴れた。
やっと走れた。
朝ラン1.5km地点でのこの朝日、最高である。
こんな晴天いつぶりだろう。
毎日がこんな一日の始まりだったらいいんだけど、でも雨の日が続いたからこそ、晴天のありがたさが感じられるというもの。ささやかな幸せは、辛さや悲しさの向こう側に隠れているものだ。
そう考えると、雨天続きも悪いことばかりではない。
ということで、朝の「晴走」でカラダが喜んでいる朝でした。
では、朝食後ウォーキングで行ってきます!
晴走雨弾
2017年10月17日 (火曜日)
「晴耕雨読」。よく目にする四字熟語だ。あらためてネット(故事ことわざ辞典)で意味を調べてみると「晴耕雨読とは、世間のわずらわしさから離れて、悠々自適の暮らしを送ることのたとえ」と出てくる。
「晴れた日は畑を耕し、雨の日には家で読書を楽しむ。体を使って汗を流せる喜びと、頭を使える楽しみは、人間にとって理想とした生活である」という注釈も出てきた。
いいなあ。憧れる暮らしだ。何歳まで生きるのか分からないけど、晩年は(足腰もアタマもしっかりしていることが前提だけど)このような日々を静かに送りたいものだ。
で、日記のタイトルに書いた「晴走雨弾」。ピアノの先生から昨夜頂戴した造語である。
この先生はいつもレッスンの数日後、前回の練習の振り返りとともにアドバイスメッセージを送ってくれる。
昨夜届いたメッセージに、この「晴走雨弾」という言葉が書いてあったのだ。
なかなか洒落ているじゃないか。
晴れた日の朝は走って、雨の日はピアノを弾く。
今日もそんな朝だ。
このところ雨続きで気分も沈みがちだったけど、この言葉に励まされながらピアノの練習をがんばっぺ!
天気予報を見ると、きょうの午後から晴れるという。久々に明日の朝は「晴走」になりそう。
では今朝は「雨弾」のあと、ウォーキングで行ってきます(^O^)/