パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

早寝早起きが崩れそうな日

2010年10月26日 (火曜日)

月曜日。いつもより早めの朝4時半に目が覚めた。ブログの更新をやったのち外へ。早朝ウォーキングだ。

その後、朝食を済ませ会社へ。

朝8時から9時まで営業会議。その後、こんどは週に一度の全社会議。

そこから今期の数字(予算)の全面見直し&シミュレーションを実施。必要経費として使うお金、使わなくてもいいお金を、自分なりに仕分けした。「ひとり事業仕分け」である。

会社の予算というのは、インプットとアウトプットがワンセットで構成される。インプットが当初予想よりも小さくなるのなら、アウトプットもそれに応じて小さくしなければならない。しかしこのアウトプットを既得権益のように考えている輩がいるからやっかいだ。会社は生き物。予算も生き物。その時々の状況に応じて、柔軟に対処しなければならないのだ。

ところで、長らく続いている早寝早起きが崩れそう。

昨夜も実は床に就いたのは、すでに12時を過ぎていた。そして今夜も。遅寝早起きになりそうだ。

すでに頭の中は熟睡状態に近いのだが、まだ眠れない。

明日(もう本日だ)は四半期業績開示のための打ち合わせ。そして株式関連業務のための打ち合わせ。

午後は、社内会議のあと某社の社長のところに表敬訪問。某社の社長は、僕がIT関係の仕事をしていたときの仲間なのである。つい最近、念願かなって独立したのだ。

夜は、事業パートナーの送別会も予定されている。明日も遅寝になりそうな予感。

あ、もう駄目だ。限界。

早いところ風呂に入って寝ることにしよう。

この土・日は、ずっとギターを弾いていた。ハモニカも吹いていた。おかげで左の指先は赤紫色になってしまった。キーボードを打つのも痛い。数日すると皮がコチコチに固くなるんだろうな。ハモニカも吹きすぎて、いまちょっと酸欠状態かも(苦笑)。

さて。11月13日の曲目を正式に発表しよう。

以前この日記で発表した内容とほぼ同じなんだけど、ここにいっぺんに載せておいた方が自分でも便利なのだ。

唄とギターは下手糞なのだが、曲は名曲ぞろい。しかも伴奏のピアノとバイオリンは、プロ級の腕前(ピアノはホントにプロ)。イントロや間奏を聴いただけで涙がこぼれ出ること間違いなしなのです。

まだお申込みでない方、迷っている方は、以下からお早めにお申し込みください。

http://www2.gol.com/users/akku/sasakami/liveinfo.html

※すでに申し込んでおられる方々も含めまして、一週間前までには確認のご連絡を差し上げます。

さて。では、以下、一挙、76曲。当日の演奏曲です!!

—–

50歳記念ライブinささかみ 演奏曲一覧
 
第一部(午後3時半~5時半)

1.今日までそして明日から(吉田拓郎。※オープニング)

1963年(以降、曲が発表・発売された年を記述しています)
2.上を向いて歩こう(坂本九)
1965年
3.涙くんさよなら(ジャニーズ)
4.ヨイトマケの唄(丸山明宏)
1967年(ここから小学生)
5.この広い野原いっぱい(森山良子)
6.花と小父さん(伊東きよ子)
1968年
7.イムジン河(ザ・フォーク・クルセダーズ)
8.悲しくてやりきれない(同上)
9.亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガーズ)
10.長い髪の少女(ザ・ゴールデンカップス)
11.小さな日記(フォー・セインツ)
12.風(はじだのりひことシューベルツ)
1969年
13.希望(岸洋子)
14.さすらい人の子守唄(はしだのりひことシューベルツ)
15.真夜中のギター(千賀かほる)
16.どうにかなるさ(かまやつひろし)
1970年
17.戦争を知らない子供たち(ジローズ)
1971年
18.翼をください(赤い鳥)
19.出発の歌(上条恒彦+六文銭)
20.虹と雪のバラード(トワ・エ・モア)
1972年
21.さよならをするために(ビリー・バンバン)
22.太陽がくれた季節(青い三角定規)
23.東へ西へ(井上陽水)
24.学生街の喫茶店(ガロ)
25.旅の宿(吉田拓郎)
1973年(ここから中学生)
26.心の旅(チューリップ)
27.神田川(かぐや姫)
28.僕の胸でおやすみ(かぐや姫)
29.ひこうき雲(荒井由実)
30.五番街のマリーへ(ペドロ&カプリシャス)
31.さらば青春(小椋佳)
1974年
32.岬めぐり(山本コウタローとウィークエンド)
33.青春の影(チューリップ)
34.ふれあい(中村雅俊)
35.22才の別れ(風)
36.サボテンの花(チューリップ)
1975年
37.俺たちの旅(中村雅俊)
38.いつか街で会ったなら(中村雅俊)
39.風の街(山田パンダ)
40.「いちご白書」をもう一度(バンバン)
41.なごり雪(イルカ)
42.時代(中島みゆき)
43.僕がつくった愛の歌(チューリップ)
 
 
第二部(夜7時半から終わるまで)
1976年(ここから高校生)
1.ささやかなこの人生(伊勢正三)
2.酒と泪と男と女(河島英五)
1977年
3.秋の気配(オフコース)
4.わかれうた(中島みゆき)
5.秋桜(山口百恵)
6.旅立ち(松山千春)
7.大空と大地の中で(松山千春)
1978年
8.オリビアを聴きながら(尾崎亜美)
9.チャンピオン(アリス)
10.巡恋歌(長渕剛)
11.この空を飛べたら(中島みゆき、加藤登紀子)
1979年(浪人時代)
12.いとしのエリー(サザンオールスターズ)
13.きみの朝(岸田智史)
14.恋(松山千春)
15.Wake Up(財津和夫)
16.さよなら(オフコース)
17.安奈(甲斐バンド)
18.異邦人(久保田早紀)
19.大阪で生まれた女(BORO)
1980年(ここから大学生)
20.昴(谷村新司)
21.万里の河(チャゲ&飛鳥)
1981年
22.もしもピアノが弾けたなら(西田敏行)
23.君は天然色(大滝詠一)
24.さらばシベリア鉄道(同上)
1982年
25.美しい女(来生たかお)
26.YaYaあのときを忘れない(サザンオールスターズ)
1983年(なんとなく社会人)
27.I LOVE YOU(尾崎豊)
1987年
28.夢をあきらめないで(岡村孝子)
1988年(結婚)
29.とんぼ(長渕剛)
1990年
30.少年時代(井上陽水)
31.会いたい(財津和夫、沢田知可子)
1992年(前年に娘が誕生)
32.サライ(谷村新司)
33.誕生(中島みゆき)

—-

曲は以上です。

しかしホントに全部歌えるのだろうか。いや、そのまえに観客は最後まで目の前にいてくれるのだろうか(苦笑)。

ともあれ乞うご期待です!!

ひとやすみの日曜日

2010年10月24日 (日曜日)

日曜日だ。きょうの早朝ウォーキングはいつもより少し遅めに(朝6時半ころ)出発した。いつも半袖のTシャツ姿で歩いているのだけど、さすがに最近は寒くなってきた。でも着るものがないんだよなあ…。

昨日は、朝から夜までずっと、11月13日のコンサートに向けた練習を行っていた。朝は自宅で。午後からは銀座のスタジオで。そして夜はスナックのろで(?)。

演奏曲がぜんぶで70曲以上あるものだから、練習しても練習しても、なかなか終わりが見えない。よくもまあ、こんなにたくさん歌おうと思ったものだ(苦笑)。

でも、本当に名曲の数々だ。練習していると、昭和30年代から昭和50年代までの歌謡史が鮮やかによみがえる。いちいち「この唄、いいよねぇ。涙が出ちゃうよ」と言いながら練習している(そんなこと言っているから終わりがみえない?)。

 

さて、きょうは完全休養日。

もちろんコンサートの練習もしなきゃいけないし、読みたい本もあるんだけど、基本はゆったり過ごすことにしよう。朝のウォーキングのときに着るウィンドブレーカーも買いに行きたいな。映画も観たいのだけど、どうしようかな。夜は龍馬伝だし。こうして考えると時間がないものだ。

そうだまずはとりあえず腹が減った。朝ごはんを食べよう。

もう金曜日だあ、の日

2010年10月22日 (金曜日)

早い。もう金曜日だ。

今朝もウォーキングを行い、ついさっき戻って来た。着替えを済ませ、朝食まであと10分ほど時間があるので、日記を書いている。

昨夜は帰宅したのが午後11時くらいだったのだが、もう眠くて眠くて、風呂に入ったのも覚えていないくらいすぐにバタンキューだった。早寝早起きが習慣化すると、いやでも夜遅くなると睡眠状態になるのだ。

ウォーキングも本日で13日目。なかなか好調だ。雨が降っても傘をさして継続しているのが習慣化に役立っているのかな。そしてジョギングではない(辛くない)のがいいのかも。

きょうは午前中、外からお客様を迎え、新しいビジネスの可能性を探る。午後も外出して、新しいビジネスの可能性を探る。夕方は急きょのお客様との会食。そしてその後すぐに、「グラミー賞アーチストのトークイベント」にご招待されているので聴きに行く。

そして明日は仕事は休みなのだが、丸一日、コンサートの練習が予定されている。銀座のスタジオを終日借り切った。コンサートまで、なんとあと3週間。いよいよお尻に火がついてきたな。ここから急ピッチで追い上げをはからねば。

さて、そろそろ朝ごはんかな。

では、(食卓に)行って来ます!

まずは昨日の日記に書いたクイズの答え。

ここから撮った写真でした。

取材0223 119 

分かるかな?

そう、銀座を象徴する「和光の時計塔」なのである。僕ら田舎者にとっては東京タワーと並ぶ東京の象徴といってもいい。この時計塔の最上階から撮った写真だったのだ。

「東京タワーと並ぶ」と書いたが、ある意味、東京タワーよりも和光の時計塔は、価値のある建物なのである。

現在の時計塔は二代目なのだが、初代の時計塔は明治27年(1894年)に完成したというから、120年近い歴史を有していることになる。現在の時計塔でも昭和7年(1932年)の竣工なので、僕よりも28歳先輩。東京タワーよりも26年先輩なのだ。映画「ALWAYS三丁目の夕日」でも、和光の時計塔が優雅に、かつ雄々しく映し出されていた。

この時計塔、一般の人間はもちろん登れない。

ところが、僕らは昨日、特別に登らせていただけた。その理由はまだ明かせないが、おそらく年末くらいには明らかにできると思うので、そのときまた。

いやー、それにしても、まさか和光の時計塔に登れるだなんて。感動したなあ。ツチダくん(パフの男組)のおかげです。感謝!!

 

昨日の夜は、もうひとつ感動的な出会いがあった。知る人ぞ知る、ライフネット生命の出口社長だ。同社は戦後初の独立系(大手生保会社を親会社としない)保険会社として事業認可された、いわばベンチャー企業である。事業スタートからまだ2年しか経っていない。出口社長は大手生保の社員だった時代から生保業界の有名人だったのだが、ライフネット生命を立ち上げたことで、さらにその名声を轟かせた方である。

ちゃんと説明しようとすると、とても長くなってしまうのだが、縁あって出口社長とお近づきになることができた。その縁というのは、同社の総務部長と僕とが旧知の仲だったことに端を発する。ずっとご無沙汰しており、消息がわからずにいたのだが、つい数ヶ月前にtwitterを通じて再会した。そしてその日すぐにお会いし、ライフネット生命に転職していたことが分かったのだった。それからとんとん拍子で話が進み、パフの社員とパートナー会社の社員向けに、出口社長の講演会を実施することが決まり、昨夜の(講演会のお礼を兼ねての)食事会が実現したのだった。

出口社長は、僕よりちょうど一回り先輩。同じ、ねずみ年なのだ。とても、ざっくばらんで竹を割ったような性格の出口社長。難しく複雑な話を、とても分かりやすく、シャープに論じてくださる。僕らは、スッキリさわやかだったのだ。

カッコつけず、偉ぶらず、物腰も柔らかく、でも、悪いものは悪いと、ずばずばとハッキリとした物言いをする。発想は柔軟で、視点と志はものすごく高い。

スゴイ人と(偶然が生んだ縁とはいえ)お近づきになれて、ホントに幸運、光栄だった。

 

そして本日も、幸運、光栄な再会があった。

「五つの赤い風船」のことをご存じだろうか。西岡たかしが1960年代後半から1970年代前半にかけて率いていたフォークグループである。名曲を多数生み出したが、特に有名な曲は、「遠い世界に」である。50代、60代前半の人で知らない人は誰もいないんじゃないかな。

この「五つの赤い風船」(2000年に再結成)で現在ボーカルを務めている方(青木まりこさん)と、15年ほど前に六本木のライブハウスで知り合った。共通の知人から紹介してもらい親しくお喋りするようになった。ただ僕が会社を創ってからは多忙な時が続き疎遠になってしまった。この間、青木まりこさんは五つの赤い風船の再結成に加わり、テレビにもちょくちょく出演することになり、ますます遠い人になってしまった。

ところが本日、この青木まりこさんから、「歌手デビューおめでとうございます」というメッセージが(twitter上で)届き、まさかの再会となったのだ。いやあ、twitterさん、なかなかやってくれるなあ。

でも「歌手デビューおめでとうございます」(僕のtwitter上のプロフィールには、確かに「2008年に歌手デビュー」と書いてしまっている)という誤解は、ちゃんと解かなきゃな(苦笑)。

11月下旬には、あの「ザ・フォーク・クルセダーズ」の北山修氏とジョイントコンサートを開くとのこと。北山修氏が作った唄(たとえば「戦争を知らない子供たち」とか)は、11月13日の僕のコンサートでも歌う予定だ。これはぜひ観にいかなきゃだな。

 

ということで、人の縁って実にスゴイし、貴重だし、ワクワクものなのだということを、あらためて実感した日々なのであった。

クイズを出す日

2010年10月19日 (火曜日)

さて、本日の日記はクイズである。

質問はカンタン。

Q:下の写真は、どこから撮った写真でしょう。

Ginza 

さて、どーこだー??

正解は明日の日記で発表します^^。

おっと、手抜きの日記ではないので、悪しからず(笑)。

 

僕が大学を卒業したのは1984年の3月。今年で卒業26周年を数える。

僕の学生時代は、大学2年生の終盤からゼミが始まり4年生の卒論提出でゼミの活動(研究?)が終了していた。僕が入っていたゼミは、(いまやマーケティング学会の大御所となっておられる)上原征彦先生のゼミで、マーケティングは当時まだ新しい学問だったこともあり、大勢の志願者が集まり、ゼミに入るための競争倍率はかなり高かった。でも、この難関のゼミに入るための選考基準は、「コネだけ」だったというから、がくっときてしまう(苦笑)。

このゼミの仲間たち。自慢じゃないが、いままで同窓会なるものを自発的に開いたことは一度もない。仲が悪かったわけではないのだが、案外ドライな連中が集まるゼミだったのだ。

そんなゼミの同期たちなのだが、久々に同窓会をやろうじゃないかということになった。

一学年12名が所属していたゼミなのだが、今夜そのうち4名が集まった。(僕をいれて)男が3名、女性が1名だ。女性の名前はチアキというのだが、卒業後初めて会う。男はヤマモトとヒデアキ。ヤマモトとはつい先日11年ぶりに会った(それが今夜のきっかけとなった)。ヒデアキとは、かれこれ20年ぶりくらいだ。いやー懐かしかったなあ。

どうでもいいことを、皆よく覚えている。そのくせ大切なことは(授業の内容含めて)ぜんぜん覚えていない。おかしなものだ。皆口々に「あのときもうちょっと勉強してればなぁ…」などというが、僕も含めて後の祭りなのだ。僕なんかは、ほとんどゼミには行かずに、確信犯的に、リクルートでの仕事に明け暮れていたわけだし。よく卒業させてもらえたものだ。

今夜集まった4名だけでも、卒業後さまざまなドラマを経験し、いまに至っている。卒業して丸26年経っているのだが、皆いろんな修羅場をくぐってきている。いまは皆、かつての自分たちと同年代の娘や息子がいたりする。考えてみたらトシをとったんだなあ……。

近いうちに、ホントの(正式な)ゼミの集まりを開催しようということになった。

遥か昔の同窓生たちに乾杯!なのである。

上原ゼミ