パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

6年前の連載コラム「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」の再録。本日は、うまれよの「れ」です。

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うまれよ の「れ」。それは「れいぎ正しくしろ」だ。

俺は学校卒業後、社会で働いて28年になる。学生時代のアルバイトも含めると、32年間働いてきた。(※2011年11月時点での年数です)

小さな会社も大きな会社も経験した。学生時代は駅弁製造工場で1年。割烹料理屋で半年。バス会社で添乗員として2年ほど働いた。

いろんな社会人が、いろんな職場にいた。いろんな大人たちが、いろんな職場での、お客様やパートナーだった。

22~23歳のころまでは、仕事で一緒になる社会人のほとんどが俺よりも年上。

時には、芸能人やプロスポーツ選手と会うこともあった。倍以上、年齢の離れた企業の経営者や重役の方々と打ち合わせをすることもあった。

そして、いろんな社会人と一緒に仕事をするなかで発見したことがある。

それは、

「本当にスゴイ人、偉い人、一流の人ほど、礼儀正しく腰が低い」

ということだ。

これは、俺が大学2年生のとき。バス会社で車掌のアルバイトをしているときのエピソードだ。

あるプロ野球チーム(差し支えないと思うので明かすが、広島東洋カープだ)の選手たちを、都内のホテルから後楽園球場(今の東京ドーム)まで、貸切バスで送っていく仕事があった。

球場に着くと、俺はバスを降りる選手たち一人ひとりに「お疲れ様でした!試合がんばってください!」と挨拶をして見送るわけだが、若い選手たちは、車掌の俺なんぞに挨拶を返してくれたりはしない。

しかしそんななか、球界を代表する超一流プレイヤーだった山本浩二選手と衣笠祥雄選手の二人だけは、俺の目を見てニコッと笑って「ありがとう!」と言ってくれたんだ。

超一流選手の二人にお礼を言われるなんて……。思わずゾクゾクしたことをよく覚えている。

そしてさらにゾクゾクしたのは、いちばん最後にバスを降りてきた古葉竹織監督の丁寧なお辞儀だ。

古葉監督は帽子を脱いで「私たちを安全に送っていただき、ありがとうございました」と、低く太い声をゆっくりと発しながら、深々と頭を下げてくれたのだ。

このころの広島カープは、リーグ優勝、日本シリーズ制覇を重ね、赤ヘル軍団として隆盛を極めていた。

その常勝球団の監督とスター選手のこの礼儀正しさ。俺はまだ学生だったんだが、むちゃくちゃ感動したものだ。

一方で、中途半端に優秀な奴(優秀なように自分を見せようとしている奴)や、中途半端に偉い(と勘違いしている)奴は、いかん。

スポーツ選手だけの話ではなく、一般の会社員も含めて、すべての社会人に言えることだ。

中途半端に偉い奴は、態度がふてぶてしい。頭を下げるということを知らん。

自分の(相手より相対的に優位な)立場に安住し、ふんぞり返ってしまうんだな。あるいは、偉ぶることでしか自分の威厳を保てんのだな。

見ていて実に不愉快だし、痛々しいものだ。

それはともかく。

お前たちは、とにかく礼儀正しくしろ。周囲の人たちに心から敬意を払え。

特に挨拶だ。

大きくはっきりと、心のこもった声で挨拶するんだ。相手の目をしっかりと見て、きちんと頭を下げるんだ。

就職活動中はもちろんだが、お前が社会に出て仕事をある程度こなせるようになった時こそが要注意だ。

人は少し仕事が出来るようになると自惚れ、ついつい他人に対して傲慢になることがある。

しかし、いつまでもそれが続くと、そういう奴からは人も仕事も遠ざかっていく。

でも悲しいかな本人は、そのことに気がつかない。そして、ついには自分自身の成長機会を逃してしまうんだな。

お前たちには、そんな残念な奴にはなってほしくない。

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本日の再録はここまで。うまれよの「れ」。なかなか熱が入ってましたね。

僕は子供の頃からエラソーにしている大人が大嫌いだったことを覚えています。

いまでもコンビニや吉野家や立ち食いそば屋で、店員さんが「ありがとうございました」って言っているのに、それに返事もせずに出ていく無愛想でエラソーな客を見ると、追いかけていって「おい、どーもくらい言えよ!」って怒鳴りつけたくなります(実際にはそんなこと勇気がなくて出来ませんがw)。

では、(すずふり亭でウエイトレスとして働く)みね子の「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」っていう気持ちのいい挨拶を見てから行ってきます!

今週の日記は6年前の連載コラム「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」の再録。本日は、うまれよの「ま」です。

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うまれよの「ま」。それは、『まけるな』だ。

就職活動は楽ではない。思うようにいかないことばかりだろう。

10社や20社、連続して不合格通知をもらうことなんてザラだ。たぶん、いまだかつて経験したことのない挫折感を味わうことになるだろう。自分が全否定されたような錯覚に陥ることもあるだろう。

しかし、それは決して「負け」などではない。これからの長い人生に勝つための試練なのだ。

本当の「負け」とは、あきらめて困難から逃げることを言う。うまくいかない原因や理由を、他人や世の中のせいにして、自分の努力を放棄したときに「負け」が確定する。

失敗をくり返しても、うまくいかないことが続いたとしても、絶対にあきらめるな。逃げるな。

でも、本当につらいとき、苦しいときは、立ち止まってもかまわない。休んでもいい。誰かに助けてもらってもいい。それは、全然はずかしいことではない。

進んでいる方角を、軌道修正することが必要なときもあるだろう。それは、逃げるためではない。勝つためだ。

あきらめなければ、逃げなければ、ぜったい最後には勝つ。

まけるな。

苦しくなったとき、なにもかも放りだしたくなったとき、このことを思いだしてほしい。

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なんとも暑苦しいオヤジですね(笑)。

このコラムを書いたのは学生の就職活動がたいへん厳しい頃でした。リーマンショックによる経済の混乱、猫の目のように首相が交代した民主党政権の迷走、加えて東日本大震災による政情不安。いったいこの国はどこに向かっていくんだろうと、重苦しい空気が日本中に流れていた頃でもありました。わがパフも、実はこのころがイチバンきつかったんですよね。

この「まけるな」のメッセージは、自分自身に向けたものだったのかもしれません。

では、どんなに辛い経験をしてもいつも明るい笑顔。決して逃げたりしない、みね子を見た後に行ってきます!

今週は夏休み特別手抜き企画として、いまから6年前(2011年7月~11月)、学生向けのメルマガのなかで書いていた連載コラム「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」を再録します。僕が書いた最後の連載コラムです。当時「頑固オヤジ」のキャラになり切って書いていました💦。

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うまれよ の「う」。それは、『うそをつくな』だ。

どんな聖人君子だろうと、人間である限り、一度や二度のウソをつくことはあるだろう。

ウソとは言えないまでも、本当のことを言えないことは生きていくなかでは数多くあるだろう。俺も過去たくさんのウソをついてきた。

しかし、やっぱりウソはダメなんだ。

ついていいウソと、ついてはいけないウソがある、と人はいう。

俺もそう思いながら「ついていいウソ」をついてきたのだが、それはともすると、ウソつきに対して「ウソをついても構わない」という免罪符を与えることにつながってしまう。本当は「ついてはいけないウソ」なのに、「これは、ついても仕方ないウソだったんだ」という言い訳を与えてしまうことになると思うんだ。

俺は少し前に、ある人を助けるために大ウソをついたことがある。そのときは、それが正しいことだと思った。

しかし結果的に、そのウソは、その人を助けることにはならなかった。それどころか、そのウソが呼んだ別のウソによって、その人をさらに苦しめることになった。後悔してもしきれない。

他人に対するウソはもちろん、自分に対してのウソもダメだ。自分の心の声によく耳を傾けろ。好きでもないことを好きだと言うな。おもしろいと感じたことは自信をもっておもしろいと言え。ただし勘違いするな。それは、独善的になることではない。常に謙虚に、そして客観的に、自分自身を見るんだ。

就職と採用には、ウソが公然とまかり通っている。「ウソも方便」という奴も、なかにはいるだろう。

しかし、俺はお前にはウソをついてほしくない。不器用な奴だと言われても、馬鹿正直な奴だと思われても、ウソをつかずに、自分の正義を貫いてほしい。

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うまれよの「う」はここまで。明日は、うまれよの「ま」です。

では、うそをつくのがとても苦手なみね子を見た後に、行ってきます!

 

釘さん最後のメルマガコラム

2017年8月18日 (金曜日)

1998年の秋くらいから学生向けのメルマガを発行していた。そこから5年間は編集者も執筆者も僕自身。その後は若い社員たちが編集長を務めながら今日まで続いている。

編集長を社員に譲った後も、しばらくはコラムを寄稿していた。2004年11月から2007年11月まで連載していた「釘さんの素晴らしき100の出会い」は、その代表的なものだ。アーカイブがあるので、いまでも(過去のことを調べるために)たまに読むことがある。

この連載が終わった後も、社員からの求めに応じて不定期で寄稿していた。

最後の執筆はいつだったのか?

昨日、ひょんなことから僕が書いた最後の(だと思われる)コラムを見つけることができた(日記に転載していたのだ)。

時期は2011年11月。東日本大震災が起きて日本が大混乱していたころ。パフも、リーマンショック後の低迷からなかなか抜け出せず、子会社(マジックドラゴン)を設立しながら喘いでいたころだ。

コラムのタイトルは「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」というもの。僕がメルマガ読者である学生たちの父親になったつもりで説教をタラタラと垂れるという企画だった。約4か月続いたようだ。

その最終回はパフの社訓にもなっている「うまれよ」。3話連続で書いている。

今日はその前文だけ転載して、来週の日記ではその本文を再録することにしよう。夏休み特別企画ってところかな(笑)。

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頑固オヤジの『うまれよ』

職サークルのメルマガで、先日まで、 「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」というタイトルのコラムを執筆していた。

今年の7月下旬から4カ月間。『頑固オヤジ』のキャラになりきって書いてきたのだが、本来のキャラではないので、正直ちょっと辛かった(笑)。

先日の配信で最終回となったわけだが、最後の3週間は、「うまれよ」について執筆した。

「うまれよ」はパフの、そして僕自身の精神的支柱であり、行動規範に通ずるものである。

頑固オヤジの最後のメッセージとして、その意味をあらためて書き下ろしてみたのだが、さて、果たして、娘&息子たちには響いたのであろうか……。

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本日はここまで。

続きは来週の月曜日です。どうぞお楽しみに!

先週の金曜日から夏休みに入ったこの日記。本日でちょうど一週間だ。

休みを宣言した前回の日記では

>いつまで夏休みにしようかしら。一週間は当たり前。おもいきって10日間くらいの休みにしてやろうかしら(^^♪

と書いていたけど、きょう再開してしまったら「当たり前」な男になってしまう。それじゃつまらない。

なので、本日も夏休みモード( ˘ω˘ )。

実は昨日、ホントの夏休みをとることに決めた。

前々から気になって、いつか行かなきゃと思っていた熊本と大分に行くことにしたのだ。

熊本は、地震の被害に見舞われた親戚宅に遅ればせのお見舞い訪問。そして再建中の熊本城に20年ぶりくらいに行ってみる。

大分は、九州北部豪雨災害で大被害を被った日田市へのお見舞い訪問。日田は僕の父親(故人)が、昔(僕が高校生だったころ)働いていた地であり、いまも知人が地域創生事業に取り組んでいる。ということで、ささやかな義援金を携えてお邪魔する。日田市の高校生にプチ講演するかもしれない。

そして帰り道は湯布院にも寄る。地元で頑張っている湯布院中学の旧友にお願いして、プチ同窓会を開催してもらうことにしたのだ。

いまNHKを見ていたら、天皇・皇后両陛下も、10月に九州の被災地にお見舞い訪問をなさるというニュースが流れていた。なかなか気が合うじゃないか(失敬しましたw)。ちなみに僕の訪問は、9月下旬。両陛下より一足早いタイミングかな。

ということで本日は「ホントの夏休みをとるぞ!」という、ちょっとした報告でした。

では引き続き日記夏休みの、のんびりした朝を過ごします!

 

日記ぐらいは夏休みをとるかな

2017年8月10日 (木曜日)

なんだか世の中は、知らないうちに夏休みモードに入っているみたいだ。

昨日の朝、あまりに暑かったのでウォーキングを途中でやめてタクシーを拾った。

すると運ちゃんが「いやー、お客さん参りましたよ。今朝はぜんぜんお客さんいなくてね。もう夏休みなんですねー」といきなり愚痴り始めた。

そうか、もう夏休みなのか。そういえば日中に乗った大手町を通過する地下鉄もいつもよりかなり空いていた。

「働き方改革」っていうやつの影響なのか、今年はお盆休みの前後に有給休暇などをくっつけて、長期の夏休みを取る人も多いようだ。

長期休暇か、そうか、いいな。

ふと考えてみた。僕は社会人になってからどのくらい休んでるんだろうか・・・。

100%プライベートで一週間以上の休みを取ったことはないような気がする。仕事にかこつけて、ニューヨークに行ったり、ロサンゼルスに行ったり、沖縄に行ったり、セブ島に行ったりはしていますが(#^^#)。

それはともかく。

僕は転職を2回経験しているんだけど、転職者にありがちな「有休消化」っていうやつを一度も一日も使ったことがない。いま考えたら実にもったいないことをした。当時の僕は「働きもしないのに給料をもらうなんてバチが当たる」くらいに考えていたのだ。

うーん、サラリーマンの特権を行使しなかったことを20年の歳月を経ていま後悔している(笑)。

ご存じのように経営者には有給休暇なんてものはない。そもそも就業規則なんてものは経営者には適用されない。いつ働こうが働くまいが、会社に行こうが行くまいが、自由なのだ。あんまり働かなさすぎだと、社員にそっぽを向かれるだろうけど・・・。

話がそれたけど、僕の今年の夏休み。

ありません(´;ω;`)ウゥゥ

明日(山の日)は100×10チャレンジ第一クール最終日で、優勝チームに社長賞を運搬しなければならない。明後日も同じく第二クールの最終日。その後のお盆期間(14日~16日)も、すべて予定が入ってしまった(主には夜の宴席ですがw)。

ということで、せめてこの日記だけは夏休みを取ることにする。

「手抜きだ!」という声が聞こえてきそうだけど、いいじゃないか、それくらい( `ー´)ノ

いつまで夏休みにしようかしら。一週間は当たり前。おもいきって10日間くらいの休みにしてやろうかしら(^^♪

やっぱり休みっていいですね。

皆さんも夏休み、カラダと心を休めてたくさんの充電をしましょう。

ということで皆様、しばしサラバ。僕はこれから奥茨城村を経由して、茅場町に行ってきます!

起業家インタビューを受けた日

2017年8月9日 (水曜日)

昨日は地味にいろいろと忙しかった。

朝9時からは経営会議。取締役と執行役員とで実施している週イチの定例ミーティングだ。

 

その後すぐに九段下に移動。

ふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)の幹事企業の社長たちが一堂に会しての幹事会。仙台、新潟、金沢、名古屋の各地から、台風の中わざわざ九段下の職サークルセミナールームに集まっていただいた。

実は今月からパフがFネットの事務局を引き受け、幹事会や定例会の議事運営を行うことになった。昨日は6名の幹事たちと喧々諤々。新しいFネットの枠組み作りがこれから始まるのだ。

 

Fネット幹事会は昼飯抜きで11時~13時半まで続いたのだが、その後すぐまた会議。職サークルチームの定例ミーティングだ。

現在100×10チャレンジまっただなか。50名の学生が現在進行形で社会人訪問を日々行っているのだが、大小いろんな出来事が起きている。その状況報告を受けたり、対策を考えたり。100×10チャレンジは12月まで続くのだけど、それ以外にもいろいろなタスク満載で現場は超多忙。世のため人のため、そして自分たちのためにも頑張りましょう!

 

そしてその後。やっと今日の日記のタイトルだ。

3年前からパフと一緒に様々な取り組み(主には100×10チャレンジ生の変化・成長の軌跡を追いかけての調査・研究やそれを踏まえてのアセスメント開発など)をやっているビジネスリサーチラボ(採用学研究所)の伊達さんと稲田さんが九段下に来社。目的は僕への「起業家インタビュー」である。

伊達さん現在、創業経営者を研究するための書籍を執筆しているらしい。「廃業することなく長く続けてきた創業者に共通するものは何か?」「続けるために必要なことは何だったのか?」といったことを、実際のケースをもとに解き明かそうという試みなのだそうだ。

僕の(パフの)ケースが役に立つかどうか甚だ疑わしいのだが、いつもお世話になっている伊達さんのためならっていうことで協力させていただくことにした。まあ、協力と言っても、インタビューに答えただけなんだけど(^^♪

伊達さんのインタビューは実に巧みで上手。創業直後の様々なこと(辛いことや、苦しいことや、厳しいこと・・・ネガティブなことばかりw)を、克明に思い出した。辛かったことや苦しかったことは、創業直後の約2年間にギッシリと詰まっている。よく諦めなかったものだと自分でも思うのだけど、その理由がインタビューに答える中で、分かってきた。他の創業経営者にもきっと通じるものなのではないかな。それは何か。きっと来春発行される伊達さんの書籍の中で明らかにされるでしょう(^_-)-☆

 

で、お次は昨日の締めくくりの超重要会食。飯田橋の(大神宮のすぐそばの)イタリアンレストランで行われたのだが、「絶対に日記に載せたらダメです!」というお相手の申し出があり、残念ながら非公開ということで(笑)。

 

という地味に忙しかった昨日1日の報告でした。

さて、本日も午後は九段下に詰めっぱなしとなる。大きいほうのセミナールームでは、100×10チャレンジのホームルーム。小さいほうのセミナールームでは、人材研究所の曽和さんをゲスト講師としてお迎えしての職サークル協賛企業向け勉強会だ。学生も人事も僕たちも学びの一日ですね。

では、奥茨城村に帰郷したみね子とお父さんを見てから、行ってきます!