パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

ランニングを再開して約1か月半。週末は土曜か日曜の夕方と、平日は火曜と木曜の朝、一週間に計3回走ることにしている。

どうせ続かないだろうと冷ややかな目で見ていた方々もいたと思うが、これまでサボったのは2回だけ。その2回のサボりも前日の飲み過ぎによるもの。無理はしない方針なので、自分としてはサボったという意識はない(キッパリ)。

そして、本日は木曜日。本来なら朝ランの日なのだが、残念ながら外は雨。ということでランの代わりに日記を書いている。

この1か月半のあいだで雨が降って休むのは初めて。確率的にはもっと降ってもいいはずだから、やっぱり僕は運がいいんだろうと思う。

11月の走行距離を書いておこう。

11月は合計13回のラン。トータルの走行距離は71.05kmとなっている。

 

 

まあ、100kmを超えるぞ!なんていう愚かな目標を掲げているわけでもないので、このくらいが適度なんだろうと思う。

しかし、今週末は土曜日も日曜日も予定がギッシリなので日中は走れそうにない。土日も朝ランにしてみようかなと考えている。

ともあれ、無理せず細く長く、朝ランを続けていくことにしましょう。

では、朝食&まんぷく後、行ってきます!

 

昨日はなかなか忙しかった。

ほとんどの社員たちは朝8時過ぎに出社して30分間の大掃除。僕もなんとなく8時半には出社して自分の席の周りのゴミ出しなどをしていた。

というのも、パフでは毎月初のキックオフミーティングの日は、朝早めに出社して掃除をする習わし。立派立派。なかなか健康的な習慣だ。

ということで、10時半から13時までは、12月度のキックオフミーティング。僕からは11月末までの会社業績を全社員に発表し、各グループからは前月までの業務や成果と12月度の行動計画を全社員に発表する。ずーっと昔からやっているパフの大事な月イチ全体会議なのである。

 

このキックオフミーティングの直後、今度はパフではなく「一般社団法人日本採用力検定協会」の事務局会議。来年の夏、いよいよ第一回検定をスタートさせるのだが、そのための各種業務を洗い出し、協会事務局としてどのように検定サービスを進めていけばいいかということを話し合った。

 

そしてお次は、昨日のいちばん重い仕事。「一般社団法人履修履歴活用コンソーシアム」の理事会がセミナールームで開催された。

本コンソーシアムは6月に社団法人化して第一期を正式にスタートさせたのだが、決算期を9月末と定めている。昨日の理事会では第一期の収支報告を行い、これまでの事業を振り返り、これからの事業についての各種議論を行ったうえで、いろんなことを決めていった。2時間を超える真剣な会議だったのだ。

採用力検定協会もそうなのだが、履修履歴活用コンソーシアムもゼロイチの事業。なかなか思ったようにならないことも多く、生みの苦しみを味わっている最中。でも、だからこそ面白いともいえる。

現場ではしのぎを削りながら戦っている複数の同業者が、互いの事業の垣根を超えたところで協働しながら新しい価値を生み出そうとしている。いまは辛抱のときだけど、数年後には花開かせたいと思う。

で、この理事会の後は、忘年会を兼ねた懇親会。2時間の真剣な会議の反動か、大爆笑の会とあいなった。

こちらは、懇親会後の集合写真。

 

ということで、昨日は珍しく真面目に仕事をした一日でした。というアピールでした(笑)。

さて、本日は12月とは思えない暖かな朝。いつもどおり朝食&まんぷく後、行ってきます!

僕が、なんちゃってなライブをやり始めて丸10年。東京八重洲にある小さなホールでデビューコンサートをやったのが2008年12月11日だった。

 

これがそのときのチケット。

 

たしかこれ、新卒一期生のササキアサヒが作ってくれたんじゃなかったかな。

そしてこの翌年、オヤジバンドMSPを結成して本格的な音楽活動を開始したのだった。

 

 

MSPとしてのライブは、非公式なもの(宴会の余興みたいなやつねw)も含めると10回近くやってるんではないだろうか。

なかでも2009年5月の赤坂での熱狂的なデビューライブと、2011年5月の原宿での震災復興支援チャリティーライブは、ステージにいる我々も感動するライブだった。

 

一方で単独での「釘さんライブ」をやり始めたのは僕が50歳になるとき。

2010年11月に行った「釘さん50歳ライブ」。新潟県のささかみ(新潟県阿賀野市)にあるペンションを貸し切って、午後3時から夜9時過ぎまで延々6時間、70曲以上の歌を唄うというジャイアン顔負けの暴挙をやってしまった。

 

 

2015年12月の「釘さん55歳ライブ」はまだ記憶に新しい。四谷のライブハウスで、たくさんのゲストをお迎えしながらの楽しいライブだった。

 

 

 

うわー、懐かしさのあまり思わず当時の写真をたくさんアップしてしまいました(*^_^*)

 

 

この55歳ライブの直後に「山と鼓と葉」という3人組のユニットをあらたに結成して、昨年の2月の節分(立春)の時期に「春よ来いライブ」を開催した。

 

昨年12月の「パフthe紅白歌合戦」や今年2月の「春よ来いライブ2018」では、ユニット名を「山と鼓と葉と素敵な仲間たち」として、チェロとバイオリンのお二人にも加わってもらった。

 

そして来年の2月。3年連続で「春よ来いライブ」をやることになった。「春よ来いライブ2019」である。今回は「素敵な仲間たち」がさらに広がり、全9名のユニットとなった。質より量っていうわけでもないんだけど(笑)。

 

・・・ということで、やっと本日の日記の本題です。

日記読者のみなさん、「春よ来いライブ2019」にぜひお越しください!

2019年2月8日(金)18時半開場です。

場所はパフの事務所から徒歩15分くらいのところにある神保町のライブレストランです。

今回は完全予約制。定員(45名)になり次第、締切りとなってしまいますので、お早めに前売りチケットをご購入ください。

前売りチケットはこちらから⇒ https://yamatokotoha2019.peatix.com/

 

以下はチケット販売サイトからのコピペです。

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恒例の「春よ来いライブ」。2019年も開催します!
今年の会場は従来の四谷三丁目ではなく、食事をとりながら音楽を楽しめる神保町楽屋(ライブハウス&レストラン)に移しての開催です。
メンバーは、いつもの山と鼓と葉(釘さん&福田&荒木)とチェロ&バイオリン(桶家&住本)。今回からメンバーに加わったベース(三野)、トランペット(大門)、シンセサイザー(石上)、そしてゲスト女性ボーカル(阿久根)を迎えての、質より量!のすごい顔ぶれです。
今回のみどころは、いつものポピュラーミュージックに加えて、「北の国から」をモチーフにした音楽やクラシック、サンバ、そしてパフの由来であるPPMのPuffも登場するところ。美味しいお酒と料理を楽しみながら「山と鼓と葉」の音楽をぜひラストまでお聴きください。

◆◆◆ 春よ来いライブ2019 ◆◆◆
■日時:2019年2月8日(金)18時半開場(19時半スタート、終了は22時半の予定)
■場所:神保町楽屋(じんぼうちょうらくや)
(東京都千代田区神田神保町1-42-7 ソマードビル1F) 
■定員:45名
■チャージ料金:2,000円(税込)
※お食事代は別途お店でお支払いいただきます。

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ということで、みなさんのお越しをお待ちしております!

さんざん趣味の告知ブログを書いた後は、何事もなかったように朝食&まんぷく後、行ってきます!

11月が終わって12月へ

2018年11月30日 (金曜日)

きょうで11月もおしまい。2018年もあと1か月でおしまい。パフの20歳もあと12日でおしまい。来月12日には21歳を迎える。ついでに僕は本日58歳を迎えた(笑)。

昨年の今頃は、20周年記念式典に向けて全社員ともバタバタアタフタと準備を重ねる毎日だったのだけど、なんだかもうずいぶんと昔の出来事のようだ。

時の流れはホントにはやいなあ……。

ところで「日記」なので今週の出来事を少しだけ。

一昨日の夜は楽しい宴席にお招きいただいた。

ちょっと前の日記 大分で会いましょう。(2018年6月25日)でもご紹介した大分県の良さを内外に発信するプロジェクト「大分で会いましょう。」。このプロジェクトを推進しているマーケティング会社の社長ほか中心メンバーの方々を、県の広報責任者の方にご紹介いただいたのだった。

大分県の話題はもちろんだが、なぜか井上陽水とか南こうせつとかサイモン&ガーファンクルとかボブディランとか、大分とは全然関係ない話でも盛り上がったりした(あ、南こうせつは関係ありましたねw)。

話が盛り上がりすぎて写真を撮り忘れてしまったので、代わりにホームページに書いてある「大分で会いましょう。とは」をコピペしておきましょう。

「大分で会いましょう。」プロジェクトは、
全国から多彩なゲストを迎えて大分各地で
楽しいおしゃべりを繰り広げる移動型ネットラジオ放送局です。
地元の人たちとも交流し、そこから新しい企画も生まれる
大分のリアルな情報発信局です。

2018年6月から月1回程度、
計8組の生放送及びドキュメンタリー動画をインターネット上で配信。
まだ知られてない大分県の様々な魅力にゲストたちが出会い、
共に語り、共に考える、新しい旅番組の誕生です。
どんな出会いやどんな会話が生まれるのか、そして「何が」起きるのか。

大分についてみんなで語り合うイベントも
東京、大分で開催予定!ぜひ、ご期待ください!

 

ということで、僕も年が明けたら大分に行こう!

 

今週の火曜日、採用のBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)におけるトップカンパニーである某社の創業社長Fさんにお会いしてきた。目的は「履修履歴活用コンソーシアム」への加盟のお願い。

F社長は僕よりも5~6歳ほど先輩。元々は日本を代表する製造業の最先端を行くエンジニア。お会いしたことはなかったのだけど、業界の有名人でもあるので存在はもちろんよく知っていた。

お会いしてのお話はたいへんに盛り上がり、また第二弾を築地の寿司をつまみながらやることになった。もちろんコンソーシアムへの加盟も即決してくださった。たいへん光栄でうれしいことなので日記に書き留めておこうと思った次第だ。

 

他にもいくつかあるんだけど、もったいないので来週の日記ネタにとっておこう(*^_^*)。

さて、今夕は……お、そうだ。大分ではなく「新宿で会いましょう。」だ。大事な話は新宿でしてきましょう。

では、いつものように朝食&まんぷく後行ってきます!

 

そろそろ年賀状のシーズン。でも2019年は、会社としての年賀状をやめることにした。

お取引先や過去名刺交換した方々(日ごろパフのメルマガをお送りしている方々)へは、メールによる新年のご挨拶をさせていただくつもりだ。

ここ数年は、この「釘さん日記」でも(元旦早朝の皇居ランのあと)新年のあいさつを書いている。

ちなみに、

2018年は⇒ 2018年もよろしくお願いいたします。(2018年1月1日)、

2017年は⇒ 2017年あけましておめでとうございます(2017年1月1日)、

2016年は⇒ 2016年最初の釘さん日記です。(2016年1月1日)。

なるほど。こうやって並べてみると面白いものだ。ついつい読み込んでしまった(笑)。

 

紙の葉書の味わいは分かる。捨てがたい気持ちもある。

でも、年賀状を何百枚(会社全体だと何千枚)も印刷したり、書いたりする行為がどうも悩ましい。年賀状が無駄だとは決して思わないが、でも様々な手段でコミュニケーションできる時代でもある。いっそのことここらへんでやめてしまおう、と思ったのだ。

とはいえ「やっぱり紙の葉書で出したい!」という社員もいるので、年賀はがきそのものは必要枚数分(社員から申請があった数だけ)会社で購入することにした。

で、僕個人。プライベートでの年賀状はどうするか。

こちらも原則としてやめようと思っている。

ただ、年賀状でしか繋がっていない方々(メールやSNSでも連絡が取れない方々)にだけは、「俺、まだちゃんと生きてます」という安否を知らせる目的でお出しするつもりだ。

そんな僕でも、年賀状に命を懸けていた時代もあった。

小学生、中学生のころの話だけど、好きな女の子たち(なぜか複数w)に正々堂々と手紙を送れる唯一の手段が年賀状だった。

直接的な表現ではなく、暗に好意を寄せていることを示唆するようなメッセージを頭を捻りながら、何回も何回も書き直していた。

元旦の朝は、郵便受の前で年賀状が届くのを今か今かと待っていた。

そして届いた年賀状の束の中から、お目当ての女の子からの葉書をドキドキしながら探したものだ。

お目当ての葉書を見つけたときの感動。ありきたりで素っ気ないことしか書かれてなかったときの落胆。でも、その素っ気ない文章や筆跡に少しでも意味を見出そうとしているいじらしい自分……。あ、やっぱり年賀状っていいもんですね(笑)。

と、そんな未練を残しつつも2019年の年賀状を出さないご無礼をお許しくださいm(__)m。

さて。あ、今宵は小中学生のころに知り合っていたら絶対にドキドキしながら年賀状を出したであろう方との会食だ。

では夜を楽しみにしながら、まんぷく後、行ってきます!

平成が終わる前に明治を想ふ

2018年11月26日 (月曜日)

明治というとずいぶん遠い昔のように思える。

でも、明治元年は1868年。たかだか150年前のことだ。明治から大正になったのは1912年のことだったので、現在106歳以上の方々は明治生まれということになる。まだまだご存命の方々もいらっしゃる。僕の祖父母も(すでに故人ではあるが)明治生まれだった。

ちなみに来週から「西郷どん」で描かれるであろう西南戦争は明治10年、日清戦争は明治27年、日露戦争は明治37年。なんだか、遠い昔なのか、意外と最近のことなのか、よく分からないですね(;^_^A

日本の多くの大学が創立されたのも明治の時代だ。そのまんまの名前が付いた明治大学は明治14年、僕の母校でもある明治学院大学は明治20年が創立の年とされている(起源とされるヘボン塾はそのずっと前だったようだけど)。

まあ、いずれにしても近代日本の幕開けが「明治」という時代だったわけで、その後、大正、昭和、平成、そして来年からの新元号へと時代は継承されていく。

僕は(何事もなければ)昭和⇒平成⇒新元号の3つの時代を生きることになるのだが、まだ自分の影も形もなかった明治という時代になぜか郷愁を感じてしまう。小学校のときに習った文部省唱歌の多くが明治時代のものだったからかな。

で、話はがらっと変わるけど、昨日、明治を象徴する場所に行っていた。

ここである。

 

wikipediaより

そう、明治座である。

公式HPより

 

この明治座が創設されたのは明治6年。以来、火災や、関東大震災や、東京大空襲などに見舞われて幾度となく立て替えられながら、現在ではこの立派なビルの中に劇場が収まっている。

昨日、東京に来て初めて、明治座で演劇を鑑賞した。

これである。

 

そう、「魔界転生」。学生のころ、千葉真一(柳生十兵衛)と沢田研二(天草四郎)が主演を務めた映画がヒットしていたので、なんとなく内容は知っていたけれど、きちんと観るのは(原作の小説も当時の映画も観たことがなかったので)初めてだった。

幕間の休憩時間を入れて約4時間の長い上演時間だったが、最後まで飽きずに鑑賞することができた(最後のカーテンコールがいちばん面白かったw)。

演劇そのものの感想は、またいつか気が向いたら。次は明治村にでも出かけてみようかな(^^)v。

では、いつものように戦後の昭和を描いた「まんぷく」を観てから行ってきます!

さし飯

2018年11月21日 (水曜日)

法政大学キャリアデザイン学部では、学生たちが「さし飯」という企画にチャレンジしている。「社会人とサシで昼飯を食べながらいろんな話をする」というもので、パフがやってる「100×10チャレンジ」のような一種の社会人訪問企画だ。

先ごろ同学部教授の梅崎先生より「学生からアポイント依頼があったらランチタイムに一緒にご飯を食べながら話をしてやってほしい」という依頼があった(実際にはもっと詳しい説明と丁寧なご依頼ですw)。

断る理由は何もない。「何人でもお引き受けしますよ~」と回答していた。

で、昨日、1名の学生が僕のところに来訪してくれた。午後から客先での打合せで外出しなければならなかったので「さし飯」を「はや飯」にしてもらったうえで。

やってきたのはオオモリ君という大学三年生。ゼミの研究の一環で、長野県飯田市の町おこし活動を懸命にやっている好青年だ。

 

 

僕の学生時代の話、就職先を選んだ時の話、仕事がまったくできなかった新人時代の話、起業までの話、パフをつくってから21年間の話…etc.

あっという間に時間が過ぎて、気が付けば予定していた12時半を回ってしまっていた。

パフの事業の話はともかく、58歳のオジサンの昔話がどれほど役に立ったかは分からないけど、少なくとも僕自身には為になるものだった。

学生の純な質問に答えることで初心にかえることができたし、親子以上に年が離れてしまった僕でも、学生の立場や気持ちを多少は理解できるようになった。

これからも積極的に「さし飯」の学生を受け入れていきたいと思う。

あれ?そういえば今年は100×10チャレンジの学生が誰も僕のところに来ていない。灯台下暗しなのか、社長っていうことで敬遠されているのか。ちょっと寂しいですね(苦笑)。勇気ある学生諸君、ぜひパフ社長のもとへ。お弁当くらいご馳走しますよ~。

さて、本日は学生ではなくメインバンクの行員が僕のところに来訪する予定。もう50歳を過ぎたオッサンですけどね(笑)。

では、朝食&まんぷく後、行ってきます!