パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

高密度の仕事始めと輪読会

2019年5月8日 (水曜日)

昨日は大型連休明けの令和初仕事。ボーっとするひまもなく仕事が始まりました。

この連休中、連絡を差し控えていた社内外の関係者への諸連絡。午前中だけで20通以上のメールを書いたんじゃないかな。

今週末のFネット(ふるさと就職応援ネットワーク)の幹事会や例会の準備とか、7月から始まる第一回採用力検定試験に向けての準備とか、もろもろの取引先との契約書のチェック・押印とかとかとか……。

 

そうそう、夕方からは「著者を囲んでの輪読会」というのが7階のセミナールームで開催されたりもしました。

パフの輪読会は、アクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)という手法に基づいて実施しているのですが、例えば200ページの本を10名で読むとすれば、一人あたりの分担は20ページ。その20ページには何が書いてあったのか、著者の主張は何だったのか、自分はそれを読んでどう感じたのか、なんてことを互いに共有し合うというもの。

昨日は、学生が15名くらいとパフの社員が5名。対象となった本は『「最高の人材」が入社する採用の絶対ルール』。そうです。伊達洋駆さんと僕とがこのほど上梓した採用本なのでした。

 

 

ということで、昨夜は伊達さんもゲスト参加。どんな感じの輪読会だったかは、きっとパフの社員の誰かがブログに書いてくれることでしょう。

 

おっと、もう日記執筆制限時間がやってきました。

では朝ランの証拠写真を貼り付けて、朝食&なつぞら後、行ってきます!

今朝は快晴、気持ち良かったです(^^)v

きょうは令和元年の仕事始め

2019年5月7日 (火曜日)

昨日の日記( 令和元年の「釘さん日記」基本方針 )で、「これから10月くらいまでは、朝5時起床、5時半~6時を朝ランの時間にしようと思うのであります」と書いたのですが、無事その公約?を果たして、この日記を書いています。

今朝の動きをもう少し正確に書くと、

朝4時55分、HeyJudeのスマホ音楽で目覚め、

~5時15分、顔を洗って歯を磨いて髭を剃り、

~5時25分、着替えて自宅を出発しランスタート、

~5時55分、ラン終えて帰宅⇒汗でびしょ濡れのウェアを洗濯機に入れてスイッチオン⇒シャワーを浴び

~6時35分、ウェアをベランダに干して、やれやれ日記でも書くかとノートPCを開く←今ここ

というタイムスケジュールですね(笑)。

 

今日は令和元年の仕事始め。僕もこの10連休は会社に行くのを控えていました(出張や自宅での作業はチョコチョコしてたけど)。

そういえば昨年のGWは、茅場町から九段下への事務所移転で毎日事務所に通っていたっけ。あれからもう1年…早いもんです。

おっと、そろそろ日記執筆制限時間の15分。なんだか、あっけないな💦

では朝食&なつぞら後、行ってきます!

 

☟今朝の隅田川沿いの写真とラン記録です(^^)v

 

 

令和元年になって最初の釘さん日記です。

せっかく新しい元号になったので、この日記の執筆方針も新しくすることにしました。

 

①「である調」から「ですます調」へ

これまで特別な日以外は「である調」で書いていましたが、今日からは「ですます調」を基本の文体にします。これといった理由はありません。強いて言うならば気分ですかね(笑)。

 

②できる限り短く

「手抜きだ!」という外野の声に惑わされながら(怯えながら?)書いてきたこの日記ですが、短文を原則にしたいと思います😜。

 

③できる限り速く

これまで執筆に費やしていた時間はだいたい30分。写真をたくさん載せたりすると45分くらいかかることもありました。

これを、今後は15分以内で書くことを目標にします。②の「できる限り短く」とセットにすることで出来るんじゃないかと。

実は、短くだの速くだのと言っているのは、朝ランを再開しようと思ってのこと。

いい加減ダボダボしたお腹まわりをなんとかしなきゃ💦。これから10月くらいまでは、朝5時起床、5時半~6時を朝ランの時間にしようと思うのであります。

 

④日記として

基本は前日のことを短く書き留めることにします。「あの日あのとき何してたんだっけ?」ということを、老後楽しく思い出せるように(#^^#)。

 

⑤土曜日も執筆

やっぱり「日記」なので、金曜日の出来事も書かなきゃな、と思うのです。

土曜日は比較的ゆっくりできることもあり、アップの時間を遅めの時間にします。それから平日の日記であぶれたネタは、土曜日にまとめて書きましょうか。なので、土曜日は②③の方針(短く速く)の適用外にします。

 

⑥日曜日は休み。祝日(振替休日含む)はたまに執筆

日曜日は従来通り休みます。でも、祝日は気分によって書いたり書かなかったりしようかな。あ、今日も祝日(正確にはこどもの日の振替え休日)ですね(‘ω’)ノ

 

⑦ゆるくの原則は不変で!

マジメなことをムズかしく書くのは性に合わないので(笑)。

 

では、これからチョコっと走ってこようかな。すっすっ、はっはっ、すっすっ、はっはっで、行ってきます!

 

☝2年前の東京マラソン出場時の写真です(^^)v

 

世の中は10連休のまっただなか。

僕は連休初日の27日と翌28日は福岡で過ごした。

昼間はマジメに仕事をし、

 

夜はちょっとだけ不真面目にここらへんで過ごした(笑)。

 

それはともかく。

平日しか書かないこの日記なのだが、今日は平成最後の日ということなので、月並みではあるが、平成のこの30年間を振り返って書いてみることにした。

 

僕は昭和35年(1960年)生まれ。日本の高度成長とともに幼少期を過ごした。昭和39年(1964年)には東京オリンピック、昭和45年(1970年)には大阪万博の開催もあったりで、日本の未来にワクワクしたものだ。

そんな昭和が終わりをつげ、平成にバトンを渡したのが1989年1月。僕は当時28歳で社会人6年目。世の中は二度のオイルショックや円高不況を乗り越えて、バブル景気絶頂の時代を迎えていた。

僕にとって、大きなキャリアの節目となったのも、この平成元年からの数年間だった。

初の転職が平成元年6月。実はこの転職は失敗に終わったのだが、その失敗のおかげで前職と出会うことができた。

この前職で責任者となって企画したのが(当時はまだ珍しかった)パソコンを使った人事業務アプリ。その数年後の平成7年には、インターネットによる就職情報メディアの立ち上げを行うことになる。長女が生まれたのが平成3年だったので、公私ともに変化の激しかった平成一桁の時代だった。

そして平成9年10月、酒の場で衝動的に独立を決意。その2か月後の平成9年12月に株式会社パフを設立。一夜でサラリーマンから経営者に。青天の霹靂ともいうべきキャリアチェンジだった。

平成10年1月より、本格的にパフの事業を開始。しかし、世はまさにバブル崩壊とアジア金融危機による平成不況。大手金融機関の倒産・統合・合併が相次ぎ、経済大混乱の嵐の中での旗揚げだった。

しかし、平成13年くらいから景気は上向き始め、パフの事業も比較的順調に伸びていった。社員も徐々に増えていき(ちなみに新卒一期生・ヨシカワの入社が平成13年4月で、二期生・ホサカの入社が平成14年4月だった)、株式上場も視野に入れていたのが平成10年代。パフにとっては浮揚の時代だった。

過程ではいくつかの迷走があったものの基本は成長のときを過ごし、平成19年12月には無事設立10周年を迎え、「さあ、これからだ!」というときに襲ってきたのが、あの忌まわしきリーマンショック。平成20年9月のことだった。

そこからの3年間は業績が右肩下がり。赤字続きで負債は膨らむ一方だった。

が、しかし、希望だけは失っていなかった。

おやじバンドMSPの初ライブ(平成21年5月)や、新潟での50歳ライブ(平成22年11月)など、音楽活動を精力的にやり始めたのも、このリーマンショック後のことだった。

ランニングを開始したのもこのころから。初ハーフマラソンは平成23年2月のことだった。マラソン効果なのか、業績も回復の兆しを見せ始めていた。

しかし、平成23年3月11日。東日本大震災が突如として多くの人々の命を奪い、人生を狂わせてしまった。

回復の兆しを見せ始めていたパフの業績も振り出しに戻り、この年の決算も大赤字。資金も底をつき、もはや後がないところまで追い詰められてしまった。

が、後々考えれば、この平成23年の大赤字決算と、その後矢継ぎ早に実施したいくつもの施策が、現在のパフの礎を作っているのかもしれない。

すべての取引銀行に頭を下げてリスケ(返済スケジュールの見直し)を依頼したのが平成23年4月。マジックドラゴン株式会社という子会社(いまは休眠させてます)を設立したのが平成23年7月

同じタイミングで、何人かの社員にはパートナー企業に出向・転籍してもらう、という辛い決断も行った。事務所を、それまでの築地(東銀座)から茅場町に移したのも平成23年9月だった。

これら施策によって、平成24年の決算は黒字となり、3年間下がり続けた売上もやっと下げ止まった。いまのベテラン社員たちの力が急速に向上し、頼もしくなっていったのも、このリーマンショック後のつらい体験があったからこそだと思う。

平成25年からは新卒採用も再開。パフの仕事は昔に比べるとずいぶん高度になってきたのだが、ベテラン陣が頑張って若手の育成を行っている。20余年の歳月を経て、遅まきながらやっと会社らしくなってきたともいえる。

僕にとっての平成はいま振り返ると、元年から平成9年までの足掛け10年間がパフを作るための準備期間平成10年から平成30年までの約20年間がパフと一心同体、苦楽(生死?)を共にした期間だった。後付けではあるが、まさにパフのための30年間だったような気がする。

僕のキャリアとパフを生み育ててくれた平成の30年間に、あらゆる意味を込めて感謝したい。

そして、明日から始まる令和は、僕自身がパフを巣立ち、人生の最終章を始める新たな時代となっていくことだろう。

てなわけで、平成最後の日記を終わります。

では今夜は久々に、平成最後の家族サービスに行ってきます!

 

昨日はあさイチから久々にテンパっていた。

いま弁護士さんと、とある戦いに向けての準備(この日記でもちらちら書いているやつ)を進めているのだけど、その書類のチェックを昨日中に終えてほしいという依頼が未明にかかった。

なんで昨日中かというと、明日からの10連休のせいである。この書類を本日までに投函せねばならないのだそうだ。

その書類というのが、ファイル数で30個以上、ページ数で100ページ超。こりゃあてーへんだ。プリントアウトするだけでもえらく時間がかかってしまった。

気が付けばもうお昼。書類のチェックはぜんぜん進まず。

まだ、半日あるのだけど、昨日は午後イチから来客&ミーティングが詰まっていたため、弁護士さんに連絡し、チェックは本日の午前中までとさせてもらった(・・・ということで、この日記を書き終えたらすぐにチェックにとりかかります💦)。

 

で、昨日のメインイベントはここから。

12時過ぎに、名大社社長兼ふるさと就職応援ネットワーク会長兼パフ取締役…という長い肩書をもつ山田さんと、その部下のニムラくんが来社。

13時から始まるコラボミーティングに備えるためだ。

相手先の方々(COOと担当者)は、13時ちょうどにご来社。さらに社長(CEO)も大阪からSkype参戦。これからの方向性を確認し合う場となった。

このコラボ、まだ明らかにするわけにはいかないが、これからの新しい就職&採用を切り拓くうえでの鍵になると思われる。しっかりとやっていきたい。しっかりやってね山田さん(笑)。

 

このコラボミーティングの後、また別のコラボミーティングが始まった。

こちらには、名大社の営業のドンであるシゲノさんが新たに参戦。パフからも次代の経営を担う執行役員3名が勢ぞろい。そして、このコラボミーティングをファシリテートしてくださるマッピーさん(グロービス経営大学院の先生)も登場。

このコラボは「MAPプロジェクト」と命名されており、昨日はそのキックオフミーティングだったのだ。

18時までミッチリ、互いの事業や組織を理解し合うミーティングが実施された。

 

マッピーさんがまとめたWB。拡大しないでね(^^;

 

このMAPプロジェクトの趣旨は、名大社の昭和芸人ニムラくんが今朝のブログに書いてくれているので、気になる方はどうぞご覧ください。なんのことだか分からないと思いますが(笑) ⇒ MAP

そして会議室でのミーティング後は、近くの小さなお店での懇親会。僕は昼ごはん抜きだったこともあり、アルコールがカラダ中にすぐに浸透していき、あんまり覚えてないんだけど、えらく盛り上がった。ニムラくんは脱がなかったようだけど(笑)。

てなわけで、昨日は朝から晩まで、珍しくボーっとする時間がまったくなく真剣に仕事をした日なのでした。

では、これから朝食後、膨大な資料のチェックをしてから行ってきます!

 

<追伸>

世の中は明日から10連休なのですが、わたくし日曜日までオシゴトであります。平成最後の日記は、日曜日のオシゴトが終わったら書こうと思います。

病院で内視鏡検査を受けた日

2019年4月25日 (木曜日)

昨日は日記にも書いた通り、朝から病院に行き、内視鏡検査を受けてきた。

僕は昨年の春先から咳喘息のような症状が数か月続き、その原因も分からずに苦しんでいた。

通院していた呼吸器系の医師から「これは逆流性食道炎が原因かもしれませんね。専門の病院を紹介しますので検査してもらってください」と言われて、専門の病院で内視鏡検査など受診したのが昨年の7月。

「たしかに逆流性食道炎ですが、それほど重症ではないです。それより胃にポリープがあります。幸い悪性ではなく、まだ切除するほどの大きさではないのですが、急変する可能性もありますので、半年後にまた検査を受けに来てください」との医師の説明だった。

「瓢箪から駒」というか「逆流性食道炎から胃ポリープ」ということで(ぜんぜん例えが違うねw)、昨日は、ポリープが急成長していないかを確認する検査だったのだ。

もしポリープが大きくなっていたらその場で切除する予定だったのだが、幸い昨年の大きさのままで、切除の必要なしと判断された。

しかし、その後の医師の話。

「ポリープは引き続き経過観察ということで問題ないのですが……」

「え、な、なにか?」

「逆流性食道炎の方が悪化してるみたいですね」

「・・・」

「風邪でもないのに咳が出たりします?」

「ああ、たまに」

「胸焼けしたりとかは?」

「ああ、たまに」

「そうですよね。それは逆流性食道炎が原因でしょうね」

ということで、その後いろいろと指導を受けた。いちばんは「一回の食事は控えめに。まんぷくになるまで食べちゃダメ」ということだった。

最近は太り気味なので(というか腹回りが史上最高の成長をみせているので)、飲みすぎ食べ過ぎには注意しなきゃと思っていた。目的は違うけど、ちょうどよかったのかも(苦笑)。

ということで健康第一。

健保の定期健診(数時間で終わる簡単な人間ドック)は毎年受けているのだが、それだけでは見つけられない体の不具合もたくさんあるようだ。

今後は、一泊二日の本格的な人間ドックでも受けてみようかしら。あと10年はフォークソング居酒屋で元気に働きたいですからね。

では、控えめの朝食&自分の演技に悩んでいるなっちゃん応援後、行ってきます!

 

子分と2年ぶりに対面した日

2019年4月24日 (水曜日)

いまから7年以上前のことになる。職サークル主催のイベントに、奇妙な学生が紛れ込んできた。

鼻だったか耳だったかにピアスをして、ズボンはお尻が見えるくらいにずり下ろし、アタマは丸坊主。私服で参加できるとはいえ、就職をテーマとしたイベントの場にはまった相応しくない恰好だった。

当時は、まだ僕がイベントの司会やコーディネーターとして運営にも携わっており、「なんだ、あいつは? なにか変なことしたらすぐに摘まみ出せ!」と、スタッフに命じていた。

ところが彼は、その外見とはまったく違って、とても素直で謙虚。イベントの片付けなども率先して手伝ってくれた。

話を聞くと彼はまだ大学二年生。関わっていた(パフがイベントの告知を依頼していた)学生団体の先輩に命じられて参加したのだという。

彼は、その後のイベントにも自分の意志で頻繁に顔を出すようになり、僕ともなぜか仲良くなっていった。

彼の名前はカメ(本名は違いますよw)。

「おいカメ、おまえ俺の子分になるか?」

「はい、親分!」

という契りがあったのは、彼が大学三年生になるころ。

その後は、まさに僕の子分のように、いろんなことを手伝ってもらった。名刺も持たせていた。さすがに名刺に「子分」と書くわけにはいかず「インターン生」と書いていた気がする(笑)。

あ、そうそう、彼はドラムを叩くこともできたので、僕のライブにも2年連続で出演してもらっていた。使いパシリはもちろん、ステージで前説なんかも無茶ぶりでやらせたりしていた。

そんな彼も大学卒業後、とあるサービス業界の中堅企業に就職していった。僕はパフで雇いたい気持ちもあったのだが、彼のことを毛嫌いする社員が当時いて断念した(いま初めて明らかにしますw)。

卒業後も何回か会ったり、メールでやりとりをしていたのだが、この2年半くらいは、彼には会えていなかった(というか彼は消息不明になっていた)。

それが先日、急に僕の携帯に電話があった。

「あ、ご無沙汰してます、子分のカメです」

「なんだお前、生きてたのかよ!」

まあ、そんな感じの久々の電話での会話だ。

聞けばカメの会社では、このほど営業所を秋葉原に立ち上げることになり、カメはその責任者として着任したのだという。

「じゃあ、とりあえず会社に来い。メシぐらいご馳走してやるから」

ということで、昨日の夕方、カメは2年ぶりにパフにやってきた、というわけだ。

カメは現在社会人5年目。新しくなった名刺を見ると「部長」と書いてある。ほほう、なかなかやるじゃないか。

その後、近場の中華料理屋に連れて行って、いろいろな近況を教えてもらったのだが、まさにマネージャーとしての視座での話も多く、あのズボンずり下ろしのピアス野郎が、よくもまあこんなに成長したものだと嬉しくなったのだった。

 

カメは来年には東南アジアに渡って飲食店を出店する計画も持っているのだそうだ。やるね、なかなか。そのうちフォークソング居酒屋も手伝ってもらうかな(笑)。

ということで、本日の日記は子分カメとの再会ばなしでした。

 

さてと、実は僕はこれから会社を休んで病院に行く。全身麻酔をしたうえで消化器官の内視鏡検査を受けることになっている。年明け早々には受けなければならなかったのだが、なんだかんだで先延ばししてしまった。

「前日の食事は20時までには終わらせてください」ということだったので、昨日の中華料理も20時ジャストで打ち止めにしたのだが、大丈夫かな(苦笑)。

では、今朝は食事抜きで、なつぞら後、病院まで行ってきます!