パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第46話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


またまた引き続き1997年10月下旬。

若手起業家の支援をライフワークとされているKさんの事務所を、オプトの鉢嶺さんと一緒に訪れたのでした。

釘「鉢嶺さん、ほんとーにその方は、何の面識もないボクなんかに資金を提供して下さるものなんですかねー?」

鉢「それは釘崎さん次第だと思いますよ。しっかりとした理念と事業プランを説明できれば良い方向に話は進むと思いますが」

釘「し、しっかりとした『事業プラン』ですか……」

ボクがこの日用意していたのは、友人に出資をお願いするときに作っていた、「事業計画書」と呼ぶにはあまりに厚かましいA4用紙2枚の「紙切れ」だったのです。

(えーい!ともあれ、あたって砕けろだ!)

なかば開き直りつつ、高田馬場にある事務所に到着したボクと鉢嶺さんは、Kさんの部屋に通されたのでした。

Kさん 「やー、鉢嶺社長、よくいらっしゃいました。あ、この方が例の就職情報のビジネスでの起業を考えておられる方ですね」

釘「ど、どうも初めまして。クギサキと申します」

Kさんはとても背が高く、体格もよく、高そうなダブルのスーツをキチッと着こなしており、しゃべり方もとても紳士的で表情も極めて柔和なのですが、風格というか威厳が漂っており、「むむむ、これはタダモノではないな」というのが一目で見て取れる、そんな方でした。

鉢嶺さんから後に聞いたところ、この方は数年前ゼロから興した不動産関係の会社を株式公開し、そこで得た創業者利益(株の公開益)を資金にしてベンチャーキャピタルを運営しているとのこと。

しかし、Kさんが株式公開したその会社は複雑な事情があって某大企業の子会社となり、ご自身は自分が作った会社を辞任せざるを得ない、という大きな挫折を経験した方でもあったのです。

そんなこともあって、今後は自分が実業界の表舞台に立つのではなく、有望な若手起業家を発掘し支援していくことを自分の使命とされていたのでした。

ボクはこの時、そんな細かい事情は一切知らず、ただただ出資を仰ぐことだけに気持ちを集中させていました。

Kさん 「さて、それじゃあクギサキさん、あなたの考えておられる事業プランをお聞かせ願えますか?」

ボクは手元にあるたった2枚の「紙切れ」をKさんに渡し、身振り、手振り、口からはツバを飛ばしながら、自分の考えている就職情報ビジネスについて30分ほど語りました。

Kさんは、ボクがひと通りの説明を終えた後も表情を変えずに、しばらくじっと2枚の紙切れを眺めていました。

Kさん「それで、会社を作るためにあといくら必要なんですか?」

この時集まっていたお金が、自分の出資分も入れて約400万円。あと100万円くらいは、これから会う友人や知人で、なんとかなるだろう。とすれば、会社設立までに必要な残額は・・・

釘「ご、500万円です」

Kさん「わかりました。出資させていただきましょう」

釘 「え!ほ、ほんとですか?」

Kさん「もちろんですよ、がんばりましょう!」

Kさんはスクッと立ち上がり、ボクに握手を求めてきました。

ボクは、一瞬なんだかよく分からない感じだったのですが・・・

釘「あ、ありがとうございます!!!」と、次の瞬間には握手に応じていたのでした。

お会いしてから30分しか経過していないのに、500万円の商談(?)が成立した瞬間でした。

Kさんは後に、

「いやー、しかしよく私もあんな紙切れ2枚の事業計画に、しかも初めて会った人に対して出資の判断をしたものだと思いますよ。まあ、クギサキさんの会社が将来成功したら美談になるんでしょうけどね(笑)」

と、冗談交じりに仰っていましたが(汗)。

ともあれ、これで会社設立まであと一歩。ムライさんにそそのかされた夜から数えてまだ2週間。

こんなに簡単にコトが運んでいっていいのだろうか……。

すべてがトントン拍子に進んでいくことに、逆にちょっと怖ささえ感じられた秋晴れの日でした。

(次回、何か波乱でもあるのかな?つづく)


Kさんはこの後、約15年間、パフの大株主として僕の相談に乗ってくださっていました。

5年ほど前に個人事務所を閉鎖し完全に引退されたのですが、3年前の20周年記念には体調のすぐれないなか、わざわざ遠方からお越しいただいたりもしています。

出資してもらった500万円が紙屑になることはなんとか免れたものの、何倍ものお金に化けるまでには至らなかったことは申し訳なく感じています。

ご無沙汰をしてしまっているので、世の中が落ち着いてきたらご挨拶に伺わねばと、今日の物語をリライトしながら思った次第です。

さて、本日は朝から出社です。お昼ご飯を食べるために(笑)。

では朝食&エール再放送後、行ってきます!

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第45話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


引き続き1997年10月下旬。

会社を作るための最低資本金が(1997年当時の法律では)1,000万円、現在集まった金額が200万円。

あと800万円を、なんとか調達しなければ会社を設立することができない。

ボクは昔からの仲の良かった友人を中心に、ひとりひとり連絡をとり、新会社の事業計画を説明し、いずれ利益が出たら配当することを約束し、出資者を募ることにしたのです。

いちばん多く会ったのは、学生時代の仲間たち。

「俺さー、会社作ることにしたんだ。ついてはお前にも株主になって欲しいんだけど・・・1株でも2株でもいいから出資してくれんだろうか?」

いつもは、ヘラヘラとふざけていたボクが、かなりの真面目モードで迫ったこともあってか、

「わかった、お前が会社作るんだったら、なんとか協力するよ!」

と、会ったかつての仲間たちほぼ全員から出資の約束を取り付けることができました。

1株で5万円、2株で10万円の出費。サラリーマンにとっては、極めて大きな金額です。

しかも、返ってくる保証は(その時点では)まったくと言っていいほどない。また、この年は、橋本内閣の失政など(消費税増税、アジア通貨危機の発生、国内金融システム
の不安)により、景気が奈落の底に落ち始めた時でもあり、企業の倒産が相次ぎ、経済の先行きが非常に暗い頃だったのです。

それにもかかわらず、学生時代の仲間たちは皆、出資を快く引き受けてくれたのです。人数にして約10数名。感謝の言葉もありませんでした。

しかし、それでも集まったお金は、まだ300万円程度。

「うーん、まだまだ前途多難だな~」

この時、救世主となってくれたのが、現在(注:2000年当時)パフの協賛企業でもある株式会社オプト社長の鉢嶺さん。

オプトは当時、FAXを利用した営業・販売支援企画を企業に提供しており、ボクは「登龍門」の販促を通じてお付き合いをさせてもらっていました。

同時にオプトの新卒採用を「登龍門」を通じて行ってもらう関係でもあり、鉢嶺さんとは親密なお付き合いをさせてもらっていました。

この時、鉢嶺さんは29歳の好青年。大学卒業後、ある大手企業を経たのち会社を設立・成長させてきた、若きベンチャー経営者でした。

 釘:「鉢嶺さん、ボクついに会社をつくることにしましたよ!」

 鉢:「へー、おめでとうございます。よく思い切りましたね。でも釘崎さんが会社をつくるなんて楽しみだな。で、株式会社ですか?よく資本金を用意できましたね」

 釘:「い、いや、それが・・・実はまだこれからでして……」

 鉢:「え?そうなんですか?よし、わかりました。じゃあボクが出資してくれそうなベンチャーキャピタルの方を紹介しますよ」

こうして、話はトントン拍子に進んでいき、数日後、起業家支援を手がけるベンチャーキャピタルのオーナーの方と面談することになったのでした。

(1,000万円までの道のりは遠いですね。つづく  )


 

今回は、いまやIT業界の雄となっているオプト(現デジタルホールディングス)創業者の鉢嶺さんが登場しました。

以下の写真は、パフ創業時オプトの新入社員だった菊ちゃん(菊ちゃんの詳細はこちら⇒創業時メンバーの菊ちゃんが帰ってきた!)と鉢嶺さんと、3年前に一緒にご飯を食べた時の写真です。

パフ創業の陰には、いろんな方々のご支援があったんですよね。

現在のパフの社員たちにも、この事実は知っておいてもらいたいことです。

さて、本日の午前は、パフ第25期9月度のキックオフミーティング。僕は自宅からオンラインでの参加です。業績の進捗はどうなってるのかな?

では、朝食&エール再放送後、在宅します!

 

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第44話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1997年10月中旬。

カミさんの承諾を取り付けたボクは、なんの気兼ねもなく正々堂々と独立に向けた準備を進めることができるようになっていました。

まず、真っ先に報告したのは、あのムライミツル氏。

釘:「ムライさーん、ムライさんの忠告通り、カミさんを説得し味方につけましたよ」

ム:「え?何の話?」

釘:「何の…って、おれ会社作るんですよ、作れって言ったのはムライさんでしょ?」

ム:「えー!?そうかあ、作るのかあ、へー、そうかあ、思い切ったなあ、へー」

まー、もともとこんな感じの人なので、あまり気にしませんでしたが(笑)。

そして、次の報告&相談が兄貴。そもそも弟のボクをリクルート業界に引きずりこんだのは兄貴。

このとき兄は、リクルートのグループ会社の社長に就任したばかりでした。

そんなことで兄にはぜひ出資を仰ぎ、株主になってもらおうと思って電話したところ・・・

釘:「あ、もしもし俺、清秀だけど久ぶり。あのさー、俺会社作ることにした」

兄:「そうかー」

釘:「よかったら出資してくれないか?」

兄:「わかった。100万円くらいなら何とかするぞ」

兄からは、少しは反対されるかと思いきや、むしろ独立することを喜んでくれたようでした。しかも100万円ポーンと出してくれるというので、逆に拍子抜けしたものでした。

さて、これで資本金は、とりあえず自分のお金(実際は娘名義の貯金ですが)とあわせて、200万円確保したことになります。

あと800万円をどうするか。

「そうだ!昔からの友人をリストにして、一人ひとりお願いしてみよう」

「とりあえず、『事業計画書』をつくんなきゃ!」

そして苦心の末できあがったのは、A4サイズ2枚だけの事業計画書。

今読み返すと、恥ずかしくなるほど拙いものでした。

そして、作成の翌日から本格的な出資者探しが始まるのでした。

( 詐欺でつかまるなよな! つづく)


結果から書くと、出資者を探し始めて1か月も経たないうちに、資本金1,000万円を集めることができたのですが、この間、会って話をした人は約30名。そのほとんどの方々には株主になっていただくことができました。

このときはまだサラリーマンなので、会えるのは夜間か土日。しかも、まだ携帯電話が普及していなかったころですから本人を捕まえるのにも苦労したものですが、我ながら粘り強く、よく頑張ったものだと思います。

フォークソング居酒屋開業に向けて同じことをやれと言われても、とても真似できないです(苦笑)。

さて、本日は終日在宅勤務の予定です。最近では本業以外の仕事がやたらと降ってきて意外と時間がありません。きょうも最後の打ち合わせが終わるのが夜の8時だし。眠くならないようにしなきゃ💦

では、朝食&エール再放送後、仕事します!

 

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第43話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1997年10月11日(土)の夜。

当時、幼稚園の年長組だった娘の運動会が開催された日の夜だったと記憶しています。

一昨日の夜、ムライミツル氏との会談(っていうか単なる飲み会)で独立を決意したクギサキくんではあったのですが、そのムライさんから授かった重ーい言葉…。

「でもな、クギサキ。お前が会社を作って成功するためには、絶対守らなければならない条件がひとつだけある。というか、それがないとお前は絶対に失敗する」

「カミさんに誠意を持って独立を説明し、そして許しをもらい、さらには独立を進めるにあたって、カミさんの協力を最大限得ることだよ」

正直言って、これはかなり憂鬱な条件でした。

自慢じゃありませんが、クギサキくんは九州男児。男子一生の志を立てるにおいて、女房にお伺いをたてるだなんて(って、実は反対されるのが怖かっただけなんですが…)。

しかし、ムライさんの「カミさん論」には、ものスゴイ説得力があり、カミさんの同意を得ないことには前に先に進めない、まるで呪縛にかかったような感覚でした。

ボクはムライさんのことを「売れないヘコキ営業マン」だとかなんだとか、この連載でもオチョクリながら紹介してきましたが、実は社会人の先輩として一番尊敬し、信頼している人物のひとりなのでした。

ボクがリクルートでヘマをしながらも仕事を続け、そこそこの実績を出せたのもムライさんのおかげだし、顧客に接する姿勢や、「人生とは意気に感じながら生きていくもんだ」という姿勢を学んだのもムライさんからだったんですね(そんなことは照れくさくて本人の前では決して言いませんが)。

そんなムライさんの言うことを聞かないわけにはいかないし、内心ムライさんの言うとおりだと納得していたわけで……。

夜も深まり、アイロンをかけ終わって寝ようとしていたカミさんに意を決し声をかけました。

釘:「あ、あのさー」

カ:「え、なに?」

釘:「おれー、会社作りたいんだけど…」

カ:「・・・」

釘:「い、いやー、あのー、〇♂◆♀☆※★○●◎◇□■△▲…………」

それから1時間ほど、いろんなことをしゃべり続けました。

まるで、いたずらをした子どもが、必死になって自分は悪くないということを、どう考えても筋が通らないことなのに、無理矢理、母親に言い訳するように…。

いったいどんな理屈を並べたのか、実はさっぱり覚えていないのですが…。

ひとつ覚えている屁理屈は、

「会社を作ろうと作るまいと、失敗するときは失敗するし、成功する時は成功する。だったら自分の会社を作って失敗したほうがまだあきらめがつく」

という、かなり無茶苦茶な理屈だったかな…。

そして、最後には「わかりました。どうせ私がダメだと言っても、あなた、やるんでしょ?だったら好きにすれば!」と、いうことで無事カミさんは承諾してくれたのでした。

カミさんは、なんだかんだ言っても、亭主であるボクのことを信頼してくれていたのだ!と、勘違いかもしれませんが、自惚れた一瞬でした。

しかーし!もうひとつ実は難題があったのでした。

釘:「あ、あのー、会社を作るには、資本金が1,000万円必要なんだけど、ウチって貯金、いくらあるの?」

カ:「んなもん、ある訳ないでしょ!子どもの名義の貯金が100万円あるかどうかだけよ!!!」

釘:「う…。そ、そうか……」

さーて、困った。会社をつくるための資本金1,000万円。

10万円以上の現金を見たことのなかったクギサキくん。途方に暮れる秋の夜長でした。

(イッセンマンエンねー。どうするの?…つづく)


今朝の物語は、僕の人生の中でも一二を争うくらいに緊張した夜を再現した回でした。今でも思い出すと冷や汗が流れてきます💦。

さて、本日も朝から会社で打ち合わせです。

午後からは役所巡りをしなければなりません。自転車に乗っていくことにしましょう。

では、朝食&エール再放送後、行ってきます!

 

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第42話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1997年10月9日(木)、21:30頃(時間はかなりあやふやな推測)。

銀座8丁目の「やぐら茶屋」という居酒屋で、かつてのリクルート時代の先輩ムライさんと久々に酒を酌み交わしていました

ム : 「なんだ、クギサキ。じゃー、おまえ会社作れよ!」

釘 : 「ま、またー、ムライさんは他人事だと思って簡単に言いますねー」

ム : 「ちがうって、クギサキ。お前は会社を作って、自分でやっていけるだけの人間なんだって」

釘 : 「いや、ちがうって、ムライさん。ボクはそんな大した人間じゃなくて…」

ムライさんからいとも簡単に「会社を作れ」と言われて、むしろ自分はどれだけ頼りなく情けない人間であるかということを、グダグダと説明を始めたのでした。

そして……。

釘:「ムライさんさ、俺、兄貴のひょんなコネでリクルートで働きはじめて、そんでもって、その後、いくつかの会社を渡り歩いてきたんだけど、今振り返ってみると、いろんなドラマがあったよなあ」

ム:「おう、お前、よく、あの小さな会社に飛び込んでいったよな…。正直言って、ああいう生き方ができるお前がうらやましかったよ」

釘:「いやあ、無鉄砲というかね。勢いだけで、何にも考えてなかったんですよね、あのころは…」

ム:「自己分析もなんにもなかったよな」

釘:「リクルートの後、小さなソフト会社に5年、でかいコンピュータ会社に1年。そして今の会社に7年。考えてみたら俺、けっこう苦労してきたけど、無駄な経験ってひとつもなかったような気がします。ぜんぶ今の自分にキレイにつながってますよ。まさに、偶然の産物。結果オーライっていうやつですよ」

ム:「いや、クギサキ、それは違うな」

釘:「え?」

ム:「結果オーライなんかじゃない。お前がお前自身の力で、結果をオーライにしてきたんだ。お前は結果をオーライにできるやつなんだ」

釘:「は、はぁ、そ、そうっすか」

ム:「そうだよ」

釘:「・・・」

ム:「クギサキさー、お前が会社作ろうと思ってるんだったら迷わず作ればいいよ。だいたいお前はリクルートを飛び出して、そのちっぽけな会社に入ったときから、すでに独立してるようなもんじゃねえか。それで結果をすべてオーライにしてきたんだろ?」

釘 :「・・・」

ム : 「クギサキ!やってみろよ」

このムライさんの 『 お前は結果をオーライにできるやつなんだ 』 のひとことは、ズシーッと効きました。

それまでボクは、いろんな修羅場をくぐりながらも、それなりの結果を出してきた自負はありました。

が、それは、いろんな人たちの支えがあったり、ラッキーが重なったりして出来上がったもので、自分の実力でやってこれただなんて、これっぽっちも思ったことがなかったんですね。

ところが、ムライさんのこのひとことで、勇気がフツフツと湧いてきて……。

釘:「ムライさん、オレやってみようかな」

ム:「おー、やれやれ!でもな、クギサキ。お前が会社を作って成功するためには、絶対守らなければならない条件がひとつだけある。というか、それがないとお前は絶対に失敗する」

釘:「え、な、なんすか?」

ム:「カミさんへの説得だ」

ム:「カミさんに誠意を持って独立を説明し、そして許しをもらい、さらには独立を進めるにあたって、カミさんの協力を最大限得ることだよ」

釘:「え゛~~!」

自慢じゃないけど、クギサキくん、九州男児のハシクレであり、女房にひれ伏して協力を仰ぐだなんて、想像しただけでもゾッとしていたのでありました。

(次回、ひれ伏すのか? つづく)


このシーンは、2007年の10周年式典のときに「パフの創業物語~Always三丁目の夕日編~」という寸劇に仕立てて、大きな舞台(銀座ブロッサム)で上演したことがあります。

クギサキを演じたのは当時入社2年目のタカタくん(いまはパートナー企業ガイアックスさんで活躍中)、そしてムライさんを演じたのはシモゾノさん(当時就職エージェントの社長で現キーカンパニーの社長)でした。

われながら感動の大作だったと思っています(笑)。

そして3年前の20周年式典のときには本物のムライさんが遠くUAE(アラブ首長国連邦)からビデオメッセージを送ってきて、この日のことを面白おかしく語ってくれました。

日記読者の皆さん限定の特別公開です(笑)。よかったらご覧ください。

さて、本日は朝からマジックドラゴンの顧問税理士さんとの打ち合わせです。フォークソング居酒屋開業に向けて、まずは資金調達や資本政策を整えねばなりませんからね。

では、朝食&エール再放送後、行ってきます!

 

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第41話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1997年10月9日(木)午後7時ころ。

銀座8丁目にあったリクルート本社の受付ロビーで、ボクはその男を待っていました。

その昔、分厚いリクルートブックの見本誌を両脇に抱え、

「クギサキさー、オレたちなんでこんなに売れないんだろう・・・」

と、ぼやきながら、神田の街を一緒にトボトボと歩いていたその男を。

「おー、クギサキー、わりーわりー、遅くなっちゃった。おー、久しぶりー」

当時とまったく変わっていないその男は、約束の時間に遅れたことなど少しも気にすることもなく、屈託のない笑顔でクギサキくんの前に現れました。

その男、名前を「ムライミツル」と言います。

売れない営業マンだったはずのムライさんは、本人のキャラクターとはまったく不似合いな人事部に所属していました。

「そうだ、クギサキ、昔よく行った、『やぐら茶屋』に行こうぜ!」

昔、リクルート本社で会議があると、帰りにはよくこの『やぐら茶屋』に立ち寄って飲んだものでした。

「いやー、ムライさん、久しぶりですねー」

久々に再会した2人は、かなりの急ピッチで飲み始めていました。

「ムライさん、俺さー、今の仕事十分面白いんだけど、なんかこう満たされないときがあるんだよね・・・」

「自分の会社だったら、もっと好きなように仕事をやれるんだけどな。しょせんサラリーマンだしな・・・」

そう愚痴るボクに対して、ムライさんは実に簡単に次の一言を発しました。

「なんだ、クギサキ。じゃ、おまえ会社作れよ!」

いとも簡単にそう言われたボクは、相当に心が揺れ動いていたのでした。

(ん?今日は短いね。つづく)


メルマガに掲載していたときの原稿では、10月8日の出来事として書いてあったのですが、先ほど1997年当時のカレンダーを調べたところ、正しくは10月9日(木)だったことが判明しました。

そして翌々日の10月11日(土)は娘の幼稚園の運動会。運命の日です。

このへんの話は次回以降、昔の記憶を手繰り寄せながら、できる限り詳しくリライトしていくことにします。

さて、本日も朝イチ出社です。雑用係の仕事を済ませたのちは、また自宅に舞い戻って在宅でのオンライン会議。画面を見ている時間が長いせいか、最近は肩凝りが激しいです。夜は近所の治療院で鍼でも打ってもらいましょうかね。

では、朝食&エール再放送後、行ってきます!

 

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第40話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1997年10月上旬。クギサキくん36歳と10ヶ月。

もう青年とは呼べないクギサキくんは、「登龍門」の運営責任者として足掛け3年を過ごしていました。

「登龍門」も、スタート時は赤字まみれの事業だったのが、なんとか3年目にして利益を出せるところまで漕ぎ着けていたし、それ以上に知名度がグングン上昇していた頃でした。

インターネットもようやく市民権を得て、ネット社会突入前夜といった雰囲気の頃でもあり、「ネット社会における就職情報ビジネスは、これからどうあるべきか?」なんてことを結構まじめに考え始めていました。

「登龍門」によって就職情報事業者の仲間入りをした自分なのですが、一方で、何となく不完全燃焼な状態の自分にも気づき始めていました。

自分の力不足のためなのですが、不本意なことであってもオーナーの意向には従わざるを得ず、「登龍門」が有名になればなるほど、利益をあげそうになればなるほど、我慢しなければならないことが顕著になってきていたのです。

そんなことは、サラリーマンであれば当然のことで、その調整をいかにうまくやるかが組織人としての腕の見せどころなのですが、

「くそー、オレがオーナー社長だったら、こんなクダラナイことで我慢しなくてもいいんだけどな」

なんてことを、夜な夜な行きつけの焼鳥屋でウジウジと愚痴っている、典型的なダメオヤジサラリーマンなのでありました。

そんな折、青春まっただ中の22歳の頃、リクルートで一緒に営業マンとして苦楽を共にしていたムライ氏と再会したのです。

(参照:<第14話> 「ぜんぜん売れない2人の営業マン」<第17話>「ヘンな新入社員ムライミツル」

きっかけは、JobWebが出版していた本に、ムライ氏がリクルート社の人事担当者としてコメントを寄せていたのを書店の立ち読みで見かけたことでした。

「あれー?ムライさん、今リクルートで人事やってるんだ、似合わねー(笑)」と思いつつ、次の日にはリクルート本社に電話していました。

「あのー、おたくの人事に、ムライミツルっていう人います?」

まことに怪しげな電話をかけてしまったのですが、次の瞬間に出てきたのは、当時の売れない営業マンの頃そのままの天衣無縫なムライさんの声。

「おー、クギサキー、ひっさしぶりだねー。よっしゃ飲みに行こうぜー!」

こうして、パフ創業への扉が、本人も気づかぬまま静かに開かれるのでした。

(うーん……。つづく)


ついに満を持してのムライさん再登場です(笑)。

この日からパフ創業日の12月12日まで2カ月ほどしかないのですが、さて、このあとどんな展開が待っているのでしょうか。楽しみですね。楽しみなのは自分だけかな?(笑)。

ちなみに以下の写真は、つい最近ムライさんのご自宅に「流し」をやりに行った時のものです^^

さて、本日も朝イチで会社です。

その後は、銀行との打ち合わせ&Webセミナー。テーマは事業承継です。まさか自分が考えることになるとは。創業からあっという間という感じですね💦

では朝食&エール再放送後、行ってきます!