パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

きょうと明日の二日間。パフは、採用・教育担当者向けのイベントに出展している。

「採用・教育の最新動向がわかる合同セミナー2009」という、そのまんまの名称のイベントだ。

場所は、パフから歩いて10分足らずのところにある、浜離宮朝日ホール(朝日新聞本社ビルの脇)だ。

採用や教育研修に関連する事業者14社が一堂に会し、来場する企業の採用・教育担当者に、自社のサービスを紹介している。

僕は、ほぼ終日、このイベントに張り付いていたのだが、会話をしたのは同業者の方々とが中心だった。8年ぶりくらいにお会いする企業の代表者の方もいて懐かしかった。大手ナビの編集長や、大手学生コミュニティサイトの責任者の方も訪ねてきてくださり、いろいろな情報交換も行えた。

営業現場ではライバル関係の同業者の皆さんであるが、悩みや課題は共通している。競うべきは競い、協力すべきは協力するような関係づくりができたらなと思う。

ところで明日(この日記をご覧の皆さんにとっては本日の29日、金曜日)は、僕が来場者の皆さん向けに講演する。

他社とは全然違う形式の講演なので、眠くならないんじゃないかと思う。

実は、講演ではなく対談形式で行う。

ゲストとしてマングローブの今野社長をお迎えする。

パフとマングローブとで協力して行った、とある会社の、採用と、人事制度改革、組織活性化施策の事例をご紹介する予定だ。

マングローブの今野社長といえば、『おやじバンドMSP』のMとしても有名(?)である。

せっかくMとPが一緒に登場するんだから、やってみたいこともある(不吉?)。

皆さん、お時間がありましたら、どうぞご来場ください!!

詳しくは以下をクリックしてご覧ください。↓

「採用・教育の最新動向がわかる合同セミナー2009」

『人を育てる』を書く日

2009年5月27日 (水曜日)

日経新聞朝刊の最終面(文化面)に、『交遊抄(こうゆうしょう)』というコラムが連載されている。

毎回、各界の著名人が登場し、自分のこれまでの人生のなかでの、忘れ得ぬ人との出会いや交流の話を語る企画だ。

昨日のコラムの語り部は、リクルートエージェント社長の村井満さん。いまから26年前の、新入社員時代のお客様の話を書いていた。

僕はこのコラムを、嬉しく、懐かしい気持ちで読んだ。

なぜかっていうと、僕は26年前、この村井さんと一緒に仕事をしていたからだ。

舞台は、日本リクルートセンター(現リクルート)の神田営業所。所長は当時30歳ちょっと。他のメンバーたちは皆、20代の若い連中ばかりだった。

このコラムに登場する、秋葉原の(当時は)小さな会社(栄電子)のこともよく覚えている。営業所内で、毎日のように話題に上っていた会社だった。

村井さんは新入社員でありながら、この会社の営業担当者として、あらゆる課題に取り組んでいた。昔のリクルートは、単なる『媒体売り』の営業ではなく、お客様に必要であると判断すれば、どんなものを提供しても良かった。ホントの意味で、お客様と並走するパートナーだったのだ。

当時、中小企業が優秀な大学生を採用するのは極めて難しいことだったのだが、我が神田営業所のお客様は、ほとんどが中小企業。皆、知恵を絞りながら、お客様の採用成功に向けて、懸命に取り組んでいた。お客様と一心同体になりながら汗をかいていた。涙も流していた。

だから26年経ったいまでも、当時のことは忘れない。

僕らは、お客様のことを、人の採用を通じて育てていたつもりだったのだが、育てられていたのは、実は僕たちのほうだった。

お客様に傾ける愛。お客様から頂戴する愛。このふたつの愛が、人と会社を育ててくれたのだと思う。

盟友との楽しい会食だった日

2009年5月26日 (火曜日)

この年齢になって、「友」と呼べる人がいることのありがたみを、痛切に感じる。

「友」という言葉を辞書で引いてみると、「志や目的を同じくする人。仲間。同志。」という意味が出てくる。

僕が友という言葉を使うときは、いつも上記のような意味合いのときだ。特に、事業上の真のパートナーのことを呼ぶときには「盟友」という言葉を僕は好んで使う。

きょうは、そんな友=盟友と、楽しくまじめな会食を行った日だった。

今夜の盟友はふたり。M社のI社長と、D社のS専務である。

ふたりともこの日記によく登場する人物である。が、不思議なことに、いままでふたりが顔を合わせる機会がなかった。

きょうは、ふたりをお引き合わせするために、I社長とS専務にわざわざパフまでご来社いただいた。

バカな話と真面目な話を織り交ぜながらのミーティングを一時間少々行った後、東銀座のシャレた店で会食を行った。

僕にとってはふたりとも、気ごころの知れた「盟友」なのだが、I社長とS専務は、きょうが初めての対面。

普通なら緊張の場となるところだが、そんなことは最初から最後まで一切なかった。

I社長もS専務も旧知の仲であるかのごとく、最初からうち解け合い、互いの会社の(普通なら言えないような)課題を語り合った。

なんというか、とても清々しい空間だったのだ。

最後はI社長のM社と、S専務のD社と、僕のP社とで、ボウリング大会を実施することまで決まってしまった。

ボウリング大会は、この3社だけじゃなく、なぜかMSPのひとり、S社のS社長を仲間に引きずり込むことまで勝手に決めてしまった(Sさん、このことはまたあらためて。断れませんよ、笑)。

冒頭に書いたように、「友」の存在は、ホントにありがたい。いつまでも大事にしていきたい「友」がいる幸せを感じながら、今夜はそろそろ寝ることにしよう。

一日が短すぎると感じた日

2009年5月25日 (月曜日)

社長の仕事には、社員にはなかなか言えないものが多い。

そういう仕事(主として交渉のための材料集めや資料づくり)は、自分ひとりで行うしかない。

簡単な内容ならいいのだが、難しいことや細かいことを相手から求められることもある。

すると、資料もそれなりに細かなものを作らざるを得ない。数字やグラフを羅列した細かい資料作りである。

・・・これって結構たいへんなんですわ。

何がたいへんかというと、最近、老眼が酷くって(苦笑)。

それから、もうひとつ。

パソコンが苦手になってしまったのです(大苦笑)。

昔はそんなことなかったんだけどなあ……。

きょうも、黙々とやるわけなんだけど、自分が想定していたよりも随分と時間がかかる。

僕のすべてのスケジュールはオープンになっていて、全社員が閲覧できるようになっている。

そして空いている時間帯は、社員が自由に僕の予定を押さえて、客先に連れ出したり、打ち合わせを設けたりすることができるようになっている。ついさっきまで空いていたはずの時間が、何の前触れもなく押さえられているなんてことも、よくある。

そうすると、資料作りに割くことのできる時間は、より限定的になってくる。睡眠時間を削るなんてこともでてくる。

うーん。まずい。終わらないぞっ。

・・・と、この日記で愚痴ってる暇があったら、とっとと早くやれっていう話ですよね。

仕事に戻ります!!

今夜の『天地人』(NHK大河ドラマ)は、石田三成が話の中心人物だった。

石田三成の人柄や能力については諸説あるようだ。

数ある説の中でも、「きわめて有能ではあるのだが、対人的には冷徹で、不遜で、横柄なところから、人望はなかった」とする内容が多いようである。

今夜の『天地人』でも、そのような石田三成を、小栗旬が好演していたように思う。

小栗旬は、13年前の大河ドラマ『秀吉』(秀吉を演じたのは竹中直人だった)でも、子どもの頃の石田三成を演じている。

今夜の放送では、その13年前のシーンを白黒で流していた。NHKのキャスティングや演出の妙に感心した。

 

脱線したが、石田三成のような人材って多いような気がする。「有能ではあるのだが人望がない人材」である。

そもそも人望のない人材を、「有能」と呼んではいけないのかもしれないが、それはともかく。

せっかくの優秀さを、人望のなさ(対人関係の未熟さ)のために生かし切れていない人材。仲間となるはずの者が、いつしか気がつけば敵に回ってしまい、滅ぼされてしまう(あるいは窮地にあっても助けてもらえない)ような人材。そんなもったいない人材が、最近は多いような気がする。

では、人望のある人材となるためには、何が必要なのか。

いろいろあるとは思うのだけれど、いちばん大事なのは、「アホになれること」なんじゃないかと思う。

中途半端に有能な人材は、自分の足りないところを隠すのに一生懸命だ。アホなどやる余裕がない。だから、必要以上に人に厳しかったり、理不尽に高圧的だったりする。つまり、アホのできない人材は、本当の意味で「有能」ではないのだと思う。

今夜の石田三成(小栗旬)は、そのことに少し気づいたようだ。アホのできる直江兼続をみて、そう理解したようだ。

アホのできる有能な人材。僕も憧れる。

少なくとも、「無能なくせに、アホになれない(無能を隠す)人材」ではなく、「無能を隠さず、アホになれる人材」のレベルはキープしていたいものだ。

京都を歩いた日

2009年5月23日 (土曜日)

昨日から僕は、京都に来ていた。

ふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)の全国加盟社会議が京都で開催されていたのだ。

京都の加盟企業である株式会社OVO(オーボ)さんのご厚意で、グループが運営するホテルを格安で提供してくださった。全国12社の加盟企業の代表者がこのホテルに集まって、みっちりと会議を行った。

そして夜は、やはりOVOさんのグループ会社が経営している京都鴨川倶楽部で、加茂の流れを眺めながらの会食。なかなか優雅なひとときだった。 

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明けて本日。きょうは完全休日で、皆で東山を散策した。

知恩院から円山公園、八坂神社を通り抜け、祇園の街を歩いた。

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にしん蕎麦を食べたあと、先斗町・歌舞練場での『鴨川をどり』を観劇し、舞妓さんたちの踊りで目を楽しませることができた。

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この季節の京都。本来は、修学旅行客などで賑わっているはずなのだが、きょうは新型インフルエンザの影響もあって観光客がまばらだった。地元の方々にとっては大きな打撃だと思うのだが、僕らにとっては、ゆったりと観光することができたので、(甚だ不謹慎ではあるが)ラッキーだった(それにしても帰りの新幹線の乗客の少なさにはビックリだった)。

ということで、束の間の休日の京都散策だったのだが、さすが日本の歴史を感じさせる素晴らしい都市だ。また今度、数日間かけて、ゆっくり寺巡りでもしてみるかな。

最近、中学校(あるいは小学校)のころの同級生からメールをもらうことがよくある。

僕の出身小中学校は、由布院小学校と湯布院中学校。

中学校は町にひとつしかなかったので、小学校の同級生は(よそに転校したり、よそからの転校生じゃない限り)全員が中学校の同級生である。一学年180人ほどだったのだが、とても気のいい連中ばかりだ。

昨夜も、会議室で遅くまで会議や勉強会をやっていて、夜9時過ぎに自席に戻ったら、 『いま湯布院の愉快な仲間と飲んでま~す♪』という、メールが写真付きで届いていた。懐かしい仲間たちの写真に疲れがいっぺんに吹っ飛んだ。

メールを送ってくれたのは、僕が昔書いたメルマガのコラム(「パフの創業物語」や「すばらしき100の出会い」)に登場したことのある同級生だった。

そして今夜も、同業者たちとの難しい会議を終えたあと携帯を覗いてみたら、また別の同級生(やっぱりコラムに登場したことのある女の子?)から、嬉しい癒しのメールが届いていた。僕のこの日記やパフのホームページをよく読んでくれており、 「パンダの楽しそうな顔を見てると、すてきな会社なんだなあって、うらやましくなっちゃいます」という内容だった。

こうやって、30~40年の歳月を経てもなお、幼いころの友達と交流できるというのは、とても嬉しい。これって、インターネットや携帯のおかげである。

ネットや携帯の普及は、若者たちのコミュニケーション能力の発達を阻害している一面もあるのだが、我々おじさんや、おばさんたちには、いったん途絶えたコミュニケーションを復活、継続、活性化させるという、プラスの効用をもたらしてくれた。

僕のこのブログ(日記)を、楽しみにしてくれる同級生もたくさんいる。遠く九州の地から、パフや僕のことを見てくれている幼馴染がいるって考えると、自然と力が湧いてくる。とても嬉しいことだ。日記の更新にも手が抜けない(日記の中身は緊張感に欠けてるけど)。

なにかと厳しく辛いことの多い時代だけど、これからも古き良き仲間たちに癒されながら、励まされながら、そしてもちろん僕も、みんなを元気にしてあげられるようなメッセージを発信しながら、頑張っていきたいなって思う。