一人の目標設定で3時間をかけた日
2009年2月25日 (水曜日)
パフの人事制度では、半期に一度、個人の目標を設定することになっている。
すでに下期がスタートして2ヶ月が経つ。
本来なら、とっくの昔に目標が決まっていなければならないはずなのだが、実はまだ終わっていない。
今回の目標決めでは、もんのすごい時間と労力をかけているのだ。
新しい人事制度が導入されて一年半。今回が3回目の目標設定のタイミングなのだが、やっと「目標を設定する」ということの重要性が分かってきた。
いや、「目標とは何か?」という本質が分かったというほうが正確だな。
僕だけでなく、3人のグループ長が、全員そろって分かってきた。遅すぎるかもしれないが、心の底から理解できてきたのだ。
「これはイチから出直しだ。一人ひとりの目標をキチンと見ていこう。評価のためではない。メンバー一人ひとりの成長のためだ。それが会社全体の業績向上に繋がるし、より良い会社作りに繋がる。メンバーがたとえ会社を離れることになったとしても、また別の世界で(家庭内でも)通用する、“素敵な人間作り”に繋がるんだ」
と思えるようになってきた。
今回は、そういう強い決意で、3人のグループ長と僕との4人で、全メンバーの目標をきちんと見直すことにした。一人のメンバーの目標の見直しで、1時間以上の時間をかけた(ちょっと前の日記でも書いたと思う)。
この作業は、本人へのフィードバックも含めて、先週までで、ほぼすべて完了している。膨大な時間を費やした。
が、3人だけ、まだ済んでいなかった。
いままで苦労してメンバーの目標設定に時間と頭を散々使ってきた3人のグループ長自身である。
この3人のグループ長の目標設定を、今夜8時から行なった。
今夜で3人すべての目標設定を終えるつもりだった。ひとり一時間かかったとしても、終電までには全員が完了するヨミだった。
が、甘かった。
結局やれたのは1名だけ。しかも、かけた時間は3時間。
でも、徒労感はまったくなかった。むしろ、充実感に満ちていた。
なぜならば、グループ長の目標設定こそが、会社全体の目標設定であるということが分かったからである。
一人のグループ長の目標を決めるプロセスが即ち、会社全体の課題を認識し、改善に向けてどうやって取り組んでいくのか、ということを話し合う場になっていったのである。
これは大発見。
あと2名の目標設定も、また別の時間でやることになったのだが、ここにかける時間は、ちっとも惜しくない。
目標設定の作業で、ここまで時間を費やす会社も珍しいかもしれない。単に要領が悪いだけなのかもしれない。「バカじゃないの?」と思われるかもしれない。でも、今はそれでいいのだと思う。
会社をつくって11年。やっと会社らしい会社、組織らしい組織に脱皮しつつあることを実感しているこの頃である。
納期が集中した日
2009年2月24日 (火曜日)
どんな仕事にも納期がある。
「いつでもいいから、時間のあるときにやっておいてね」 と、言われた仕事は、楽なようで実は曲者である。仕事を受ける側の、日頃からの仕事への取り組み姿勢や、仕事のできる・できないが、この仕事のやり方を眺めることで明らかになる。
むしろ、
「この仕事は○○までだからな!やっとけよ!もし間に合わなかったら、えらい目に合うからな。覚悟しとけよ!!」と、指示される仕事は楽である。納期が明確だから、スケジュールを立てやすいのだ。
社長の仕事って、基本的には自分で自分に指示を出す仕事がほとんどである。したがって、油断すると「いつでもいいから」に陥りがちである。
とはいえ、絶対間にあわさなければならない納期は必ずある。
で、本題。
「そのうち、時間のあるときにやろう」と思っていた仕事。気がつけば、本日中にやらねばならないことが三つ溜まっていた。
にもかかわらず、本日はぎっしりと夜まで予定が詰まっていた。
でも、本日中に完成させないと、「えらい目に合う」。
結果、深夜まで居残りである。いま三つの仕事をやっと全部終え、ひとり事務所でこの日記を書いている(午前2時を過ぎてしまった…)。
これ、仕事の出来ない人の典型的な仕事のやり方ですね。
いや、「仕事ができる」からこそ、こういう綱渡りができるのかな。
いやいや、そういう冗談は立場上、言ってはいけない。
良い子の皆さんは、けっしてマネをしないように。大きなトラブル・クレームのもとですぞ。
銀座の時代を感じる喫茶店で打ち合わせした日
2009年2月23日 (月曜日)
本日の昼休み、某社の某氏と打ち合わせのため、銀座のとある喫茶店で待ち合わせた。
銀座のど真ん中の大通りからひとつ裏に入っただけなのだが、あたりはすごくレトロな雰囲気が漂っていた。
喫茶店のなかに入ると、さらにそのレトロ感は深まった。
広い店内に客はまばら。しかも平均年齢は60歳を超えていたと思われる。そして全員がご婦人だった。ご婦人の服装がまた、レトロで昭和を感じさせるものだった。
2階の席に通されたのだが、階段がまたレトロ。途中の踊り場には、下の写真のような装飾が施されているし。
いやあ、まだまだ、こういう店ってあるものなんだ。しかも、銀座のど真ん中に。
二階席にはお客さんがほとんどいなかったこともあり、うち合わせもスムースに行えた。
ひとりになって何か考え事をする時にも、この喫茶店はお勧めかもしれない。
なんとも云えぬ、不思議な空間に迷い込んだような、お昼のひとときだった。
日曜日だった日
2009年2月22日 (日曜日)
きょうは久々に完全休養した一日だった。
年が明けて以来、なんだかんだと(公私ともに)忙しく、特に、この数週間は祝日も日曜日も、「休み」と呼べる日がなかった。
先週は、出張があったり、会合があったり、イベントがあったりで、かなり疲れが溜まっていた。週末は、その自覚もあった。
でも、本日は完全休養日。
携帯電話の目覚まし時計は、休日でも朝6時にアラーム音が鳴るようにセットしてある。
だが、本日はまったくアラーム音に気がつかなかった。30分間は断続的にアラーム音が鳴るはずなのだが、まったく気がつかなかった。
結局、目が覚めたのは朝8時半。
ちょっと信じられなかったのだが、カラダはすっきり。寝たぁ~、という感じだった。
やっぱり睡眠は大事だ。目覚まし時計に起こされるのではなく、自発的に目が覚めるまで寝る。
なんという贅沢だろう。
外は晴天。温かい。部屋の中にいるのはもったいない。
実はきょう、読まなきゃと思って完全読破を計画していた本が2冊あった。
が、計画を急きょ変更。本はまた雨が降る日にでも読めばいいや。
ひとりで散歩がてら、映画館に行くことにした。映画に行くのも久々だった。
映画館に行く途中、梅の花が咲いているのを見かけた。もうすぐ春なんだなあ。
観た映画は、『20世紀少年』。僕と同い年の天才漫画家、浦沢直樹氏の作品の映画化だ。僕と同年代の主人公たちが登場する映像には憧憬を感じた。
映画を観終わって、晴海と有楽町と銀座を無目的に彷徨。帰宅したのは夜の7時。夕食時には(自宅では珍しく)ワインを飲む。
また明日から多忙な日々が続くのだが、休みはやっぱり休みらしい、ゆったりした一日を過ごすに限る。
イベントを2本、見学した日
2009年2月21日 (土曜日)
きょうは朝から渋谷に向かった。朝っぱらから僕に似合わぬ渋谷に行って何を?
先日もFネットの会議で一緒だった、京都本社の同業者OVO(おーぼ)さんの主催するイベントが、朝10時半より渋谷で開催されており、「クギサキさん、良かったら見学しに来ませんか?」と、OVOの社長に誘われていたのだった。
イベントの名前は、「就職ベストマッチング交流会2010」。
このイベントの評判は、パフのお客様からも聞いていた。キャリアコンサルタントとして有名な櫻井照士さんがファシリテーター。櫻井さんとも久々にお会いしたかったこともあり、「ぜひ!」ということで、朝のオープニングから見学させていただいた。
学生が150名と企業が15社のマッチングイベントなのだが、いわゆるありがちな「ゴウセツ」とはまったく違う、異色のイベント。櫻井さんの持ち味も存分に活かされたイベントだった。
12時まで見学したのち、僕は築地のパフの事務所へ急ぎ戻った。午後から、別のイベントがパフのセミナールームで開催されることになっていたからだ。
これは現在、某大手広告代理店で働いている入社2年目の若手社員が主催しているイベント。国内の大手広告代理店で働いている6人の若手社会人をゲストとして迎えて、広告業界を目指す学生に対して「現実」をしっかりと教えるために開催している。人事が主催しているイベントではないので、「本当のこと」がたくさん語られていた。
なぜパフのセミナールームで、このイベントが開催されたかというと、理由は単純。主催者のKくんと知り合いだったから。セミナールームをタダで貸してあげる代わりに、参加した学生にパフの宣伝をさせてもらった。
「宣伝」というわりに、僕がやったことは40分間の説教。「広告代理店」を目指す学生に対して、「どこで働くかより、どう働くかのほうが大事なんじゃないか?」という趣旨の講演を行った。
イベントに参加した学生は約40名。若手社会人の数が約10名。50名もの人間がパフのセミナールームで半日以上詰め込まれていたわけで、狭い部屋の中は、熱気でムンムンだった。
広告代理店もいま、これまで経験したことのない苦境におかれている。きょう参加した若手の広告マンや、これから入社する学生たちが、どこまで問題意識を有していくかで、この業界の将来と存在価値は決定づけられるんだろうな。
ダイワさんの説明会とボウリング大会だった日
2009年2月20日 (金曜日)
本日は午後より、古くからの協賛企業であるダイワコーポレーションさん(以降ダイワさん)の特別会社説明会をパフのセミナールームで開催した。
何が「特別」なのかというと、何回か開催される説明会のなかで、本日の回だけは僕が特別に協力・参加しているということ。僕が参加して何をやっているかというと、ダイワの代表取締役専務の曽根さんとの対談をやっている。これが「特別」の意味である(なーんだ、そんなことか…なんて言わないでくださいよ、苦笑)。
この形式で行う説明会は、もう今年で10年目になる。いちばん最初にやった10年前は、まだパフに僕しかいなかった時代。ダイワさんは、それまで新卒者採用を行っていなかったのだが、「これからは新卒者を積極的に採用していきたい。でも、どうすればいいのか、よくわからない。クギサキさん、手伝ってもらえませんか」という相談があった。以来足かけ10年。パフは、ずっとダイワさんの新卒採用に関わってきているというわけだ。
本日の対談のテーマは、「リーダー」について。曽根さんのリーダー論を、あらためて聞かせてもらった。学生も、セミナールームが満席になるほどに多数集まってくれ、本日の特別説明会は無事終了した。
が!
問題はここから。
本日のメインイベントは、実はここからだった。
毎年1回ダイワさんと開催している会社対抗のボウリング大会が、この説明会後に行われることになっていたのだった。
今回は両社からそれぞれ10名の選抜メンバーが参加。両社で合計20名の大大会となった。
前回、前々回ともパフが勝利していた。ダイワさんは、2年ものあいだ、悔しさをじっと胸に抱いたまま我慢し続けていた。もっとも悔しかったのは曽根専務であろう。
なので今回、ダイワチームのメンバー(とりわけ曽根専務)は、並々ならぬ闘志を燃やして大会に臨んできていた。
かたやパフチームは、新人たち(内定者たちも参加していた)を中心に、ぽわーっとした顔つきでの参加。「真剣勝負」という意識をほとんど持っていなかった。僕にも二年連続で勝利しているという慢心があった。
そんな状況でのボウリング大会。
結果はあらためて書くまでもない(書きたくないんです…)のだが、書かないと曽根専務にまた何を言われるかわからないので書く(泣笑)。
パフの大惨敗
いやあ、悔しいなあ。
ボウリング大会後の懇親会では、得意満面の曽根専務のスピーチを、延々と聞かされてしまうし
しかし、ここは臥薪嘗胆。次回こそは捲土重来である。
まずは、今回のいちばんの敗因とも言える、若い野郎どもの特訓から始めなければならない。
コン、ツチダ、タカタ、タシロ、おまえら最低でもアベレージ50点UPだからな。シゴクから覚悟しとけよ!!
三菱の歴史に触れた日
2009年2月19日 (木曜日)
本日、とある用事で、三菱史料館を訪れた。三菱の創業者といえば、岩崎弥太郎。この旧岩崎家茅町本邸に隣接する地に、この史料館はある。地下鉄千代田線の湯島駅から徒歩10分程度のところ。表通りからずいぶんと奥まったところで、ちょっと分かりずらい場所にあるのだが、三菱の風格を漂わせる、「おおっ!」という建物である。
と、知ってる風なことを書いたが、僕も実は本日、初めてこの地にこんな建物があることを知った。
中に入ると、三菱の歴史を知る上での貴重な史料がたくさん展示されていた。
パフの取引先にも、三菱を冠した企業が何社もあるが、岩崎弥太郎という、たったひとりの人物がいなければ、ありえないことだった。
日本のあらゆる産業の礎を創りだした岩崎家。もともと弥太郎は、土佐藩の身分の低い家の出身者だが、その才覚が周囲から認められ、いくつものチャンスを与えられ、みごとそのチャンスを持ち前の商才、気力、胆力でものにしていく。
近代日本の歴史と、明治の傑物の凄さを、由緒ある史料館で垣間見た、午後のひとときだった。