パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨日の日記の続きである。

N社長たちと出かけたのは、横浜(桜木町)のさほど大きくない寿司屋さん。座敷のテーブルを囲んで6人が着席した。掘りごたつになっていたのだが、「掘り」が深くて、足がぶらぶらしてしまった。足が短いからか?

お刺身を食べてびっくり。すっごく旨いのだ。僕は築地にいるので、普段刺身を食べる機会が多いのだが、そんな僕でも感動するくらいの旨さだった。

カウンターを見ると、まだ早い時間なのにお客さんがぎっしり。やっぱり人気のある寿司屋さんなんだな。

この寿司屋で旨い刺身や寿司を食べながら、N社長とTさんとの昔の出会いや、当時の新卒採用奮闘物語などを聞かせてもらう。人が若いころに激しく頑張った思い出って、自分とは関係ない話だったとしても、とても引き込まれるものだ。

あっという間に時間が過ぎた。さあ、そろそろお開きだ。

N社長とKさんは、帰宅された。いや、ひょっとしたらKさんは会社に戻ったのかな?

TさんとWさんと、N社の女性採用担当Sさんと、僕の4人は、「軽く」もう一軒行こう、ということになった。TさんもWさんもSさんも、翌日は夏休みだという。「軽く」の言葉に、一抹の不安を覚えながらも、目的のBARに向かった。

このBARは、Tさんの昔からの行きつけの店。店に入ると、秀磨呂という名の犬が出迎えてくれた。この店は50代半ばのマスターと犬の秀磨呂の二人が経営しているのだ。

海の底をイメージした店内で細部にまでこだわっている。僕らは奥の間の個室でカラオケに興じることにした。音響設備がまた凄い。キーボードまで設置されている。ベースの音で座席が響く仕掛けになっている。また歌っている姿がテレビモニターに映し出される仕掛けにもなっている。ちょっとしたミュージシャンになった気分だ。

そして気がつけば。。。

「軽く」の言葉などどこにいったやら、である。Wさんなどは、「どうせ、明日休みなんだからさあ!」と言い出す始末。

それにしても、横浜、桜木町、あなどりがたしである。実に面白い一夜であった。

 

(下の写真は、テレビモニターに映し出されたSさんの熱唱の姿をカメラに収めようとしている僕。右にちらっと写っているのがTさん。歌は『天城越え』ですね)

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きょうは、とても不思議で珍しい組み合わせでの会合だった。

場所は横浜・桜木町。この地に、5年ほど前からの取引先N社がある。このN社のN社長(1)。就職情報誌業界大手の元常務Tさん(2)。人材紹介会社のコンサルタントWさん(3)。N社の女性採用担当者Sさん(4)。Sさんの先輩であるKさん(5)。そして僕(6)。全6名での会合だった。

全員がイニシャルなので、ちょっとわかりにくいのだが、相関図を描くと、実に面白い関係が浮かび上がってくる。

N社長と就職大手のTさんとは、26年ほど前からのお付き合いだ。入社間もなかったTさん(当時、新卒採用メディアの営業マン)が担当していたのがN社。当時N社長は、30歳の課長だった。当時のTさんは、N(当時)課長と一蓮托生で、N社の採用に汗を流していた。夜の付き合いも半端ないくらいに一蓮托生だったらしい。N課長はその後、スピードで役員となり社長となっていく。そしてTさんも、さまざまな部門を渡り歩きながら出世していき、若くして就職大手の常務にまで登りつめた。N社長とTさんとは仕事の関係がなくなってからも、しばしば一緒に飲みに出かけるほどの大の仲良しだという。

Wさんは、そんなTさんの旅行情報誌事業時代の部下。Tさんが事業部長でWさんが営業部長という間柄だ。豪胆なTさんのもと、Wさんは昼も夜も深夜も、相当に詰められていたらしい。

で、実は僕とWさんとは30数年来の腐れ縁的な付き合い。この日記では便宜上「さん」付けで呼んでいるが、間違っても「さん」などと敬称をつけることのない間柄である(笑)。

で、今夜の会合。

N社との取引関係をもう一段深めたい僕が、Wさんを通してTさんに、「N社長を紹介してほしい」とお願いしたことに端を発している。

僕はN社長に3年前、一度だけ(一時間だけ)取材でお会いしたことがあるのだが、大会社の社長でもあることから、それっきりになってしまっていた。その取材の際に、「クギサキさん、○社の常務をやってるTさんって知ってますか? 大昔からの仲良しで、つい先日も飲みに行ったばかりなんですよ」とN社長が嬉しそうに語っていたのが、ずっと頭の片隅に残っていた。

一方で、Wさんからは、かつての上司であるTさんの豪放磊落ぶりを、よく聞かされていた。

そこで、Wさん→Tさん→N社長の順で紹介をお願いしていった結果が、本日の大会合となったわけである。

Tさんも、ちょうどN社長に会いに行こうと思っていた矢先だったということもあり、まさにグッドタイミングでもあった。

で、面白かったのはここから先。大会合とその後の二次会での話なのであるが、長くなりすぎるので、また明日の夜にでも続きを書こうと思う。

ということで、本日はいったんここまで!

「クギサキさん、日記ってふだん、いつどこで書いているんですか?」と聞かれることがある。

「どこで?」という質問には、「会社以外のところで」となる。会社の自分のデスクでは、なかなか書けない。いや、書く気になれない。いやいや、書いている自分がなんだか悲しくなる(苦笑)。

だって「日記」なんだもんね。

「いつ?」という質問には、したがって、帰宅後ということになる。

やっぱり日記だから、できる限り、「その日が終わるうちに書く」ということを目標にしているが、現実にはなかなかそうもいかない。

日記を愛読してくださっている方々ならご存知のとおり、僕の夜は、社外の方々とのお付き合いで過ごすことが多い。お付き合いがない日は、社内の打ち合わせや会議がずいぶんと遅くまで実施されたりする。すると帰宅はだいたい午前様だ。

したがって、「その日が終わるうちに書く」といっても、執筆は早くても暦が翌日に切り替わった午前零時過ぎ。

帰宅後、睡魔に襲われながらも、気力を振り絞って、自宅のノートパソコンを開く。そこでなんとか書き切れればいいのだが、パソコンに頭を突っ伏して寝てしまうこともある。

ふと目が覚めて、あ、いかんいかんと思って書きあげることもある。

帰宅後、睡魔に勝てず(あるいは酔いが回っており)、「もう今夜はダメだ。朝起きてから書こう」というときもある。そいうときの朝は、かなり慌ただしい。

実は、きょうの日記がそうなのだ。実際にはこの日記の日付の翌朝に、あわてて書いている。

お気楽そうに書いているこの日記なのだが、実はその裏には、涙ぐましい努力が隠されているのである(苦笑)。

そういえば、今朝、へんな夢を見たなあ。僕は外国(たぶんどこかの途上国)にいるのだが、犬や猫や鳥たちと一緒に過ごしているのだ。しかも、犬語、猫語、鳥語を喋っているのだ。この国には自然破壊の危機が迫っており、僕は犬や猫や鳥たちと一緒に、自然を破壊しようとする人間たちと戦うというもの。

日記を朝までためると、想像力が豊かになるのであろうか(笑)。・・・あ、馬鹿なことを書いていたら、時間がなくなっちゃった。

ということで、きょうは「釘さん日記」の秘密を一部公開した日でした。

ジムに行くのは、毎週日曜日の日課となっている。僕が通っているジムには、ランニングマシーンと自転車(正式な名前はなんていうんだろ?)に、液晶テレビが据え付けられており、走りながらテレビを見ることができるようになっている。

いつもは走る時にはあまりテレビを見ない僕なのだが、きょうばかりはイヤホンを持っていき、最初から最後まで走りながら(実際には歩きながら)、テレビに釘付けだった。

観ていたのは男子バレーと柔道(女子52Kgと男子66Kg)。いやはや夢中になった。トレーニングするためではなく、オリンピックを観るために、きょうは2時間以上もジムで走り(歩き)続けた。

自宅に戻り女子の3位決定戦と男子の決勝戦を観る。中村美里、初のオリンピックで銅メダルは立派だ。でも彼女は、「金メダル以外は興味がない」、「悔しい」と言う。そう語る中村選手の顔はすでにプロの表情だった。とても19歳とは思えない。ちょっと痺(しび)れた。昨日の日記で「次のヒーロー(ヒロイン)の登場が待たれる」と書いたが、その素質が垣間見られた気がした。

そして、内柴正人。やった、やりました、待望の金メダル。二回戦からの登場だったのだが、最初から、「ああ、これは金メダルが取れそうだな」という予感があった。昨日のYAWARAちゃんには勝利のオーラが感じられなかったのだが、内柴からは最初からビンビンに伝わってきた。やっぱり勝ち負けを左右するのは、最後は「気」なのではないかと思った。

ところできょうは東京湾大花火の日。柔道の試合の合間合間でベランダに出て、ビルや高層マンションの谷間から見える花火の切れ端だけ拝んだ。「あのでかいマンションさえなければ全部が見えるのに…」と、急速な都市開発が少し憎くなった。

で、またテレビに戻るが、オリンピックのあと、チャンネルをNHKのBS2にしたところ、なんと岡林信康が歌っているではないか!びっくりした。岡林信康といえば、日本のフォークソングの神様と言われた人。「山谷ブルース」と「チューリップのアップリケ」を、ほぼフルコーラス歌っていた。40年前のフォークソングである。ちょっと感動してしまった。

とまあ、いろいろ何の脈絡もなく書いてしまった本日の日記。つまりは、かなりお気楽に過ごした日曜日だったというわけだ。

『YAWARAちゃん』というのは、ご存じ、柔道の谷亮子選手のこと。日本国民のヒーロー…、あ、女性だからヒロインだ。

僕らの世代にとっては、谷亮子よりも、田村亮子のほうがしっくりくる。また、現在の姿よりも、中学生、高校生、大学生のころのYAWARAちゃんの姿がいまでも鮮烈に記憶に残っている。「こんなに強い選手がいるのか」というくらい強い女子柔道家だった。

#ちなみにYAWARAちゃんという愛称は、浦沢直樹の漫画『YAWARA!』の主人公、猪熊柔にちなんでつけられている。

 

きょうは、このYAWARAちゃんの5回目のオリンピックの日。一回戦から、ずっとテレビで観戦していた。

「ママでも金」と自分自身にプレッシャーをかけて臨んだ今回の北京オリンピック。しかし、テレビを通して見えるYAWARAちゃんの顔色はなんとなくさえない。一回戦、二回戦、三回戦と順当に勝ってはいたのだが、なんだかいつもの彼女の顔ではない。なんというんだろう。全身から漲るオーラが感じられなかった。昔はテレビ越しであっても、ビンビンに伝わってきていたのだが。

 

不安は的中してしまった。準決勝の残り30数秒のところでくらったまさかの指導。YAWARAちゃん本人だけでなく、この試合を見ている誰もが「え?」という判定ではなかったか。

結局、この指導のポイントだけの差で、YAWARAちゃんの金メダルは消えてしまった。

残念無念。負けたのが対戦相手にではなく、審判だったというのが悔やまれる。釈然としない。

だが、さすがYAWARAちゃん。三位決定戦では、鮮やかな払い腰を決め、一本勝ちした。堂々たる銅メダルだ。この勝ち方をみても、実力差は他の選手をまだまだ圧倒しているのは歴然であろう。

 

おそらく今回のオリンピックを最後に現役を引退するのではないかと思われるが、20年近く日本の柔道界を盛り上げてくれたYAWARAちゃんに、最大限の敬意をもって、「おつかれさまでした」と言いたい。

さて、そうはいっても、ひとつの時代が終わってしまったという喪失感は消えない。次なるヒーロー、ヒロインが生まれるのはいつになるのであろうか。我々を夢中にさせてくれるヒーロー(ヒロイン)の登場を切望する。

きょうは年に4回(3か月に1回)の社員面談が始まった日。前期の評価結果や昇給のフィードバックを兼ねて、ひとり1時間の話し合いをもつ。

パフは小さい会社なので、すべての社員たちのことを理解しているつもりになっているし、コミュニケーションもとっているつもり・・・になりがちなのであるが、それは大きな間違い。

社員一人ひとりと、きちんとしたテーマをもった公式な空間のなかで向き合うと、新しい発見や気付きを得ることが多い。社員の成長にもあらためて気づかされて、嬉しくなる。

きょうは4名の面談。要した時間は4時間。その合間に、インターンのテレアポ特訓や打ち合わせ。9時から17時までのあいだで席にいる時間がほとんどなかった。

また本日は、17時半から四谷三丁目で重要な会食兼打ち合わせがあっため、面談後すぐに外出した。席での滞在時間はまさに1分程度。

四谷三丁目の会食を19時半におえ、また築地にUターン。しかし場所は会社ではなく、となりまちの新富町にある「もつ鍋屋」。内定者のお疲れ様会に顔を出すためだ。

もつ鍋を食べながら、ああだこうだの説教話。そして、その後は内定者たちを「のろ」にデビューさせた。

のろのママに、内定者を紹介し、ママからあらためて彼らに内定を出してもらった。ママの「内定!」の一言をもって、内定者研修は正式に完了した(笑)。

のろでは終盤、オリンピックの開会式を見ながら寝てしまった。いやあ、今週は猛暑続きで、ホントにハードな一週間だった。

今週は内定者研修ウィーク。採用委員会(イトーとイワサキ)が、その研修のプログラムを考え実行しているのであるが、奴ら(採用委員会)はズルイ。

自分たちが社内で教育するのではなく、パフのお客様や、大学関係者や、パートナー企業(しかも経営陣ばかり)に対してアポを申し込ませ、社外に放り出してしまっていたのだ

もちろん訪問先には事前に根まわししたうえでのことだろうが、それでもズルイ。

だって自分たちからではなく、お客様やパートナー企業の経営者から、「パフとは?」を学ばせようとしているのである。

ったく、しょうがない奴らだ。

僕と仲のいいパートナー経営者たち(名は伏せますね)は、内定者が来訪するやいなや、わざと叱りつけたらしい。あえて、かなり厳しい「パフ批判」をしたらしい

さすがである。これで凹むのなら凹むで良し。不安になるならなるで良し。悔しく思うなら思うで良し。

そこから何かに気づき考えてほしいという、愛あるメッセージだったのだと思う(ってことにしておきますよ、Iさん、Sさん)。

この、お客様(パートナー企業)への訪問企画。実は、僕が昔からやっている内定者教育のプログラムである。

「他人のフンドシをとことん使う」「立ってるものは親でも使う」という、うっかりすると、お客様に対しての礼を失するかもしれないような手法なのだが、もはやパフの伝統(悪しき風習? )となってしまった。

が、得るものは相当に大きかったようだ。内定者たちの報告書を読んで、ひしひしとそれを感じる。

内定者のOは、次のような報告書を残している。

 

│また、今回、社会人のイメージががらりと変わりました。
│私は以前まで社会人だからえらいのか?大企業だからえらいのか?
│などと、どこかで社会人=なんとなく嫌…と、感じていたのですが
│4日間を通して「動いて、もがいて、壁にぶつかってもまだ走ってる=社会人」
│という印象に変わりました。かってに嫌なイメージをつくっていたのは自分で
│今回身をもって体験したことで
│中小、大企業関係なく やはり走り続けている先輩方の姿はかっこいいな
│と思うようになりました。

 

Oはパフから内定が出たあと、とたんに接点が少なくなり、僕が珍しく、「大丈夫かなあ…」と心配していた内定者だった。

でも、上の報告書をみて、すごく安心した。

#ご多忙ななか、自社の利益にはまったく結びつかないパフの内定者のために時間を割いてくださった皆さん、おかげで内定者たちは、この数日間で、一歩社会人に近づいたようです。本当にありがとうございました!!

 

さて、そんななか、僕自身もきょうは採用委員に命じられ、重労働を課されてしまった。

なんとこの炎天下、築地、新富町、佃、月島の各地を、ウォーキングさせられたのだ。青いシャツがグッショリ変色するくらいに汗をかきまくった。

ウォーキングの目的は何だったかというと、「パフの創業時から現在までの事務所を訪ね歩き、パフの歴史を学ぶ」ということにあった。

まあ、これも以前から僕が思いつきでよくやっていたことなのだが、まさかこの酷暑の日にやるとは思ってもみなかった。

が、これもやってみて大正解。道中、大汗をかきながらも、内定者たちと素のコミュニケーションができたのだ。

そして、ちょっとした出来事が…。

創業3年目から6年目まで借りていた佃のビルでのこと。1F(昔は美容室だったところ)に、お洒落なプールバー(昼間は喫茶)が新しく出来ていた。

熱中症の寸前まできていた僕らは涼をとるために、この店に入ることにした。

「このお店、最近できたんですか? 実は僕たち昔、このビルの4Fと5Fを借りて仕事してたんですよ」

と、アイスコーヒーを運んでくれたお店のご主人(らしきご婦人)に聞いたら、

「えー、ホントですか!? 実は5Fはいま住宅に改装して、私が住んでるんですよ」と、ビックリする答えが返ってきた。

そうかあ。俺たちがその昔、汗と涙を流したあの事務所に、この店のご主人が住んでるのか。そのご主人に淹れてもらったコーヒーをいま俺は飲んでいるのかあ……。

時の流れの速さを感じた瞬間だった。

さて、明日の夜は、内定者たちとモツ鍋を囲むことになっている。2日連続で、大汗をかきながら、パフの歴史を語ることにするかな。