少年時代に、傘がないけど、青空ひとりきりで、夢の中へ行って、帰れない二人になった日
2019年4月19日 (金曜日)
分かる人にはわかると思うけど、井上陽水の名曲の数々で日記タイトルを作ってみました。考えるのに10分くらいかかってしまったけど(笑)。
昨夜は、井上陽水のデビュー50周年記念ライブ。数か月前にチケットを入手してこっそりと行ってきた。
陽水のライブには昨年初めて出かけたのだけど、そのときに生で聴くあの歌声とおしゃべりにすっかり魅せられてしまった。
※そのときの日記はこちら⇒ 東へ西へ (2018年7月4日の日記)
陽水が元気なうちに(僕も元気なうちにだけど)絶対もう一回行こうと思っていたのだが、そのチャンスが意外と早く訪れたのだった。
場所は渋谷区神南のNHKホール。3,800人収容の会場はもちろん超満員。
周囲は明らかに60歳を超えていると思われる方々が多かったのだけど、若い人の姿もチラホラ混じっていた。僕は全体の平均年齢よりは少し若い方ではないだろうか。
陽水は現在70歳(今年8月の誕生日で71歳)。今から50年前、福岡から上京しデビューする。陽水が21歳になったばかりの時だ。
そのときの名前は陽水ではなく「アンドレ・カンドレ」。そしてデビュー曲が「カンドレ・マンドレ」。冗談みたいな芸名とデビュー曲で、案の定まったく売れず、陽水は3年間は暗黒の日々を過ごす。
が、1972年に芸名を「井上陽水」にし(字は本名そのまま。本名のヨミは「いのうえあきみ」)、「人生が二度あれば」や「夢の中へ」で一挙にブレークする。
そして、陽水の地位を決定的なものにしたのは、1973年12月にリリースしたアルバム「氷の世界」だろう。スゴイとしか言いようのない曲ばかりが詰まった日本初のミリオンセラーアルバムだ。
陽水さん、これからも、ずーっと元気でライブをやり続けてほしい。昨日も、あの美声と脱力系のお喋りは健在だったし。
来年の「春よ来いライブ」でも、また陽水の曲をひとつくらいはやってみようかな…。「傘がない」をギター一本でやってみるのもいいかもね(^^;
そういえば先日のSONGS ☝ でも「傘がない」をやってましたね。
さて、今週も今日でおしまい。今夜は雨が降るかも、ということだけど、こないだ出張先のホテルに置き忘れて、傘がない……。
では、なつぞら後、行ってきます!
会計は大事ですね。
2019年4月18日 (木曜日)
昨日は、月に一度の顧問税理士さんとのミーティング。
パフの会計処理は、自分で言うのもなんだが、そんじょそこらの中小企業よりもずっと厳格に行われてきた。
創業以来、四半期ごとに財務諸表のすべてを株主の皆さんに公開。いわゆる「ディスクロージャー」を上場企業並みにやってきており、銀行もビックリするくらいの財務資料を作成している。
リーマンショックの時の経営危機を乗り越えることができた(銀行の支援を仰ぐことができた)のは、このへんのことも大きかったんじゃないかと思う。
それはともかく、今期もそろそろ本決算のタイミングが近づいてきており、どのように数字をまとめていくかという話を、昨日は税理士さんとしていた。
パフ本体の決算は黒字が確定しているのだけれども、関係団体の会計と相殺すると儲かっているとは言い難い。だけれども、単体では昨年並みの黒字になりそうなので、税金がドーンと重く圧し掛かってくることになる。
リーマンショック後は、大赤字の決算が数年間続いたので税金はほとんど払ってこなかった。赤字の貯金?がたっぷりあったおかげで昨年までの税金も少なくて済んだ。
しかし、その貯金も昨年の決算で使い果たしてしまい、今期からは経常利益の約35%のお金をお国に納めなければならない。田舎なら家が一軒建つくらいの金額になりそうだ。
うーむ。苛政は虎よりも猛し……(-_-;)
ところで本日の夜は、とあるイベントが渋谷区神南方面で開催される。税金のことなんか忘れて盛り上がろう。
では、なっちゃんを観てから行ってきます!
ネタがない日の日記をどうするか?
2019年4月17日 (水曜日)
脱力系のこの日記。平日はほぼ毎日書いている。好きで書いているわけではなく、さりとてガチガチの義務感で書いているわけでもない。
まあ、しいて言うならば、朝食前のルーティーンワーク。おじいちゃんおばあちゃんのラジオ体操のようなものだ。
「パフの社長は日々こんなことやってます、こんなこと考えてます」
「昨日は会社の中でこんなことがありました」
「会社の外ではこんなことがありました」
「社員たちは今こんなことやってます」
・・・といったことを、僕やパフを取り巻く方々に向けて(ときとして社員たちに向けても)発信している。日ごろお会いしない方々へは「僕はわりと元気にやってます。心配しないでね」という僕の生存確認みたいな意味合いもある。
仕事に関することよりも、仕事以外のこと。真面目なことよりも、オチャラけたことのほうが圧倒的に多い。
でも、毎日書いているとネタがない日がある。大きな出来事があってもヒミツにしておかないといけないこともある。
自分だけのことなら、いくらでも晒せるんだけど、相手のあることだとオブラートに包んだり、コトと場合によっては墓場まで持って行かなきゃならないようなこともある。
そんな日の日記はツライ。
月曜日は「食べ物ブログ」、火曜日は「映画評論ブログ」、水曜日は「音楽ブログ」、木曜日は「書評ブログ」、金曜日は「ランニングブログ」みたいに、曜日によって書くネタを決めておくのもいいかもしれない。
それはそれでツライのかな? 名古屋の某社長のブログからはツラさみたいなものはあまり感じないけど(笑)。
・・・ということで、本日はネタがない日のつぶやき日記でした💦
さて、本日は朝から会計士兼税理士さんとの月次ミーティング。決算も近いので、あれどうする、これどうする、といったことを相談しながら決めなければならない。
では、朝食&なつぞら後、行ってきます!
素晴らしき神田営業所に乾杯❣
2019年4月16日 (火曜日)
「あの日々があったからこそ今がある」ということを、この年齢になるとつくづく実感することが多くなってくる。
僕にとってのいちばんの「あの日々」は、大学三年生の後半から大学四年生の後半にかけて過ごしたリクルート神田営業所。
そのことは「パフ創業物語」や「釘さんの100の素晴らしき出会い」のなかでも書いている(書いたのはもう20年近く前だけど)。
それから先月出版された「『最高の人材』が入社する採用の絶対ルール」のあとがきの中でも書いている。
それだけ僕のキャリアにとって、いや、人生にとって、大切な日々だったのだ。
昨夜は、その「あの日々」を一緒に過ごした仲間たちが集まっての同窓会。いまは北海道に移住しているミクニさんが久々に上京してくるということで、集まろうということになった。
神田営業所の同窓会は数年に一度の頻度で開催されている。当時入社2年目だったナカムラBさん(今は不動産会社の社長)がハブになって、マメに幹事役を務めてくださるからだ。
一昨年のパフ設立20周年記念パーティーのときも、当時の営業所長ワカスギさんを始めとして、皆さんが集まってくださった。ワカスギさんの「クギサキはあのとき売れない営業マンだったからこそ今があるんです」という乾杯の名スピーチがとても嬉しかったり(笑)。
昨夜も、あの頃の話が次から次へと飛び出して、36~37年前のあの日々が鮮やかに蘇ってきた。よくもまあそんなディテールな部分まで覚えているよなあというほど。
「次回は、クギのフォークソング居酒屋でやろう!」ということも決まった。神保町は、あのころの神田営業所のテリトリー(毎日のように自転車で駆けずり回っていた場所)なのでちょうどいいかも。
ということで、神田営業所の素晴らしき仲間たちに乾杯❣ また次回の集まりを楽しみにしています(^^♪
では、そろそろ朝食&新展開のなつぞら後、行ってきます!
もう一度、生まれたときに戻る。
2019年4月15日 (月曜日)
先週末、創業間もないころからお付き合いしていたお客様の「還暦祝い」を、その頃のパフの担当者たち(パフOGやパフ準社員?も含む)と一緒に、開催した。
還暦祝いの贈呈シーン。
iさん、あらためておめでとうございます!
ところで、そもそも「還暦」というのは単に60歳を祝うということではなく、「十干十二支が一巡してもとの暦に還(かえ)る」まで長生きしたことを祝うものだった。
そう、昔は「60歳まで生きれば長生き」とみなされていたのだ。
僕が子供のころ(企業や公務員の定年が55歳だったころ)60歳と言えば、ご隠居であり、正真正銘のおじいちゃんだった。
今は、60代で死んだら「まだ若いのにねぇ…」と残念がられる高齢化社会。時代もずいぶんと変わったものだ。
先のお客様は、いままで過ごした会社を退職して、このほど新しいことを始めるという。まさに、もとの暦に還って、第二の人生のスタートを切るわけだ。
僕も来年は還暦。僕の周囲にも、あと数年以内に還暦を迎える友人がたくさんいる。皆、環境も思いもそれぞれだと思うけど、それぞれが人生の第二ステージを迎えることになる。
僕の第二ステージは(読者の皆さんはもう聞き飽きて耳にタコかもしれませんが笑)、フォークソング居酒屋だ。
ご同輩、もう一度生まれたときに戻って、無垢な気持ちで人生を楽しみましょう。
そういえば今夜は、そんなご同輩たちとの同窓会がある。詳しくは明日の日記で…書けるかな?
では、還暦を過ぎたあたりから渋みを増してきた草刈正雄を観てから行ってきます!
きょうは下町からスペインへ
2019年4月12日 (金曜日)
今週は福岡に行ったり、仙台に行ったりと、移動の多い週だった。
昨日は久々に会社の会議室や自席で終日過ごしていたのだけど、どっちかというと、やっぱりウロチョロしていたほうが性に合う。ずっと椅子に座っていると腰が痛くなるので(苦笑)。
とはいえ、会社にいると若い社員たちのがんばる声が聞こえてきて嬉しくなる。
新入社員の二人(サトミンとハスミン)は早速テレアポを始めており、過去の資料請求企業などを中心に電話をかけている。電話の向こうの相手から突っ込まれたりして、必死に対応する姿が微笑ましかったりする。
入社2年目となったアクネとイシカワ(ぐりとぐら)は、先輩社員となったことで、張り切っている(焦っている?)ようだし、入社3年目となったイシガミ(カカ)は、早々とお局の片鱗を現してきたようだし(笑)。
いずれにしても、20代の若者たちが頑張っている社内は明るくていい。その姿にオールドエイジの社員たちも刺激を受けて初心に戻ることもあるだろうし、自分の仕事のやり方や在り方を見直す機会にもなるだろう。
と、安心したところで、僕は本日も朝から不在。
きょうは東京の下町に直行して夕方まで過ごす。下町だからといって的屋(テキヤ)をやりに行くわけではない。堅気の仕事だ(キッパリ)。
そして夜はスペインに行く。突然決まったわけではない。もう2か月以上前から計画していた。スペインには、15年くらい前まではしょっちゅう行っていたのだが、今夜は実に久しぶり。パエリアとワインを堪能することにしよう。
では、下町の前に北海道十勝地方のなつぞらを観てから行ってきます!
お前は堂々としてろ。
2019年4月11日 (木曜日)
3月末でNHK朝の連ドラ「まんぷく」が終わってロスに陥るかと思いきや、4月1日から始まった「なつぞら」が面白くて、すっかりハマってしまっている。
なかでも、主人公なつの子供時代を演じている子役の演技と、東京の戦災孤児だったなつを引き取って育ててくれている十勝の牧場家族の長、草刈正雄演じるおじいさんの演技と台詞に魅了されているのだ。
まだ放送が始まって9回なのだが、すでに朝っぱらから2度泣いてしまった。
1度めは先週4月4日の放送、2度めは昨日の放送(仙台のホテルでみました)だ。
とくに先週の放送は、新社会人たちに送るメッセージのようにも感じた。備忘としてこの日記にも残しておこう。
なつは草刈の牧場で、夜明けとともに働いている。その一生懸命な働きを認められて、草刈はなつを帯広の町に連れてきて、開拓者仲間が経営している菓子屋で、なつが絞った牛乳を使ってアイスクリームを作ってもらった。下のやりとりは、そのアイスを草刈となつがベンチに座って食べながらのシーンだ。
==
草刈:ちゃんと働けば、必ずいつか報われる日が来る。報われなければ、働き方が悪いか、働かせる者が悪いんだ。そんなとこはとっとと、逃げ出しゃいいんだ。
(なつは草刈にもらったアイスを食べるのを止めて草刈を見上げる)
草刈:だが一番悪いのは、人がなんとかしてくれると思って生きることじゃ。人は人をあてにする者を助けたりはせん。逆に、自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるもんじゃ。
(なつは涙を流す)
草刈:お前はこの数日、本当によく働いた。そのアイスクリームは、お前の力で得たものだ。お前なら大丈夫だ。だからもう、無理に笑うことはない。謝ることもない。お前は堂々としてろ。
(草刈は、なつを強いまなざしで見つめる)
草刈:堂々と、ここで、生きろ。いいな!
(なつの頬には涙がたくさん流れている)
草刈:はよ食べれ!
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どうだろうか。背景が分からないと感動もしないだろうが、次の台詞にはビンビン来た。
「人は人をあてにする者を助けたりはせん。逆に、自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるもんじゃ。」
「お前は堂々としてろ」
ここに、人が働く本質がある。脚本を書いた大森寿美男、なかなかやるじゃないか。
草刈は、家族の前ではいつもムスッとしている偏屈爺さん、いわゆるクソジジイだ。なつが連れてこられた時も、いちばん冷たく辛く、なつに接していた。
なつは、周りの人にいつもペコペコしており、何かあるとすぐに謝る、自分が悪くないのにすぐに謝る、そうしないと戦争孤児の自分は生き延びていくことができないと思い込んでいた(あるいはその振る舞いが沁み込んでいた)のだ。
それが、草刈のこの言葉で、ずいぶんと救われたのではないだろうか。
てなわけで、今朝もなつぞらを観て、堂々としながら行ってきます!