パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

この週末(土曜日と日曜日)は、100×10チャレンジ冬クールに向けてのガイダンス。1日2回の計4回の開催。両日とも、お昼前に九段下のセミナールームに出向いて、ずっと缶詰だった。

ガイダンスの合間にはセミナールームの床掃除。ひとり孤独に耐えながら、やり切った(´・_・`)。

 

 

僕とても、週末の1日くらいは本を読んだり映画を観たりして、のんびり過ごしたいという気持ちはあるのだが、どうやら年末までは厳しそうだ(うち半分以上はライブの練習なんだけどw)。

まあ、いろいろとやることがあるっていうことは幸せなこと。ありがたく思うことにする。

ということで、せめて日記くらいは手抜きを許していただこう(笑)。

ホントは、きょうは「下町ロケット」のことを書こうと思っていたんだけど、また今度。いつか、ゆっくりできる週末が来たら書くことにしようかな。

では、朝食&あさ後、行ってきます!

日経新聞の未来面のことをご存じだろうか?

毎月1回、企業の経営者が登場して問題提起をする。それを読んだ読者(若者を想定している)は、自由に自分の意見やアイディアを(日経新聞電子版を通して)投稿することができる。そして投稿された意見やアイディアのなかで優れたものについては紙面で紹介される。日経新聞主催のシンポジウムでも表彰もされる、という企画だ。

日経新聞のなかでは以下のように説明されている。

(以下、11月2日の未来面から引用)

日本経済新聞社は、読者や企業の皆さんと一緒に日本の課題について考え、議論する「未来面」をスタートさせました。今回のシリーズのテーマは「革新力」です。日本経済新聞の紙面と電子版を通じて経営者と読者が双方向で対話し、アイデアの実現可能性を探ります。企業のモノ作りは、サービスは、金融は世の中をよくできるのか。革新的なアイデアをお寄せください。

(引用以上)

実は2年前から職サークルとコラボしており、今年の100×10チャレンジ夏クールからはついに、紙面に掲載され表彰された学生を生み出した。いやあ、よかった。スゴイ!

で、昨夜は、この未来面を担当している日本経済新聞社の社員(もともとは経済記者の方)に「プロフェッショナル出前講座」にご登壇いただいた。

 

昨日のテーマは、「イノベーションを続々と生み出すためには?」というものだった。

 

 

これは、11月2日の未来面で、三菱ケミカルホールディングスの越智仁社長から出された「人類に貢献するイノベーションを続々と生みだすためにはどんなことが必要か、考えを聞かせてください」というお題に則したもの。

難しいテーマだなあ…と思ったのだが、なんのなんの、参加した学生は渡された原稿用紙にびっしりと自分の意見やアイディアを書いてくれていた。

また彼らの中から表彰されるような作品が登場すると嬉しいな。

 

ところで、パフとしてもイノベーションをそろそろ生み出さないといかんですね。政治や文科省や経済団体や胡散臭い大人たちの思惑に左右されない世の中のための画期的な就職と採用のシステム。生み出せたら、文化勲章でも頂戴したいものです。そしたらみんな、びっくりポンやわ(^o^)。

さて、では朝食&あさ後、いつものウォーキングで行ってきます!

 

鳴かぬなら・・・

2015年11月5日 (木曜日)

戦国武将の信長、秀吉、家康の気性や人材戦略を表す句として有名なのがこれ。

 

鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス(織田信長) 
鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス(豊臣秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス(徳川家康)

 

自分はどのタイプの経営者だろうと考えるのだが、相手のステージ・能力・伸びしろによっても違うよなあ、と思う。

まず、新入社員であれば、「鳴くまで待とう」となる。入社後いきなり仕事ができるようになる奴なんて滅多にいない。1年間は待ってあげないと可哀そうだろう。

1年待っても鳴くことが出来なければ、(たぶん相手の性格や能力をある程度把握しているだろうから)次は、「鳴かせてみせよう」となる。焦りも出てくる。「こいつ、なんとかしなきゃ!」ということで、教育・指導方法をあれこれ考えながら徹底する。

そして、教育・指導の甲斐もなく、2年以上たっても鳴くことが出来なければ、そして、将来的にも鳴けるようになると思えなければ、残念ながら「殺してしまえ」に移行せざるを得ない。

これは信長のように気性が荒いから、ということではない。殺したくて殺すわけではない。鳴くまで待てるような経済的余裕があれば、鳴かせてみせるだけの指導力があれば殺さなくて済むのに…と、悔やみながら殺すのだろう。

おっと。なんだか朝っぱらから物騒な話になってきたぞ(苦笑)。

そういえば「殺してしまえ」以外に、こんなのもあるらしい。

 

鳴かぬなら 放してやろう ホトトギス (明智光秀)
鳴かぬなら 逃がしてしまえ ホトトギス (前田利家)

 

ふむ。こっちのほうがいいな。

鳴かないのではなく、ここで鳴けなかっただけ。別の場所、別の上司であれば鳴けるようになるのかもしれない。

でも本心は、これ。

 

努力して なんとか鳴いてよホトトギス(釘さん)

 

・・・とまあ、そんなことをいつも考えているのが、経営者というものなのかもしれない。

さて、ところで「あさ」は、どのタイプの経営者にこれからなっていくんだろうか。「びっくりポン」な策をホトトギスにも施すのかもしれないな。

では、あさで心を洗ったうえで、足早ウォーキングで行ってきます!

 

学生三昧だった文化の日

2015年11月4日 (水曜日)

昨日は文化の日。祝日である。明治天皇の誕生日であり日本国憲法の公布の日でもあった。

そんな文化の日、僕は昼も夜も多くの学生たちといっしょに過ごしていた。

まずはお昼。

午後1時半からウルトラインターンシップ100×10チャレンジ冬クールのガイダンスを開催した。

そうなのだ。秋クールが始まったばかりなのに、もう冬の仕込が始まったのだ。

 

 

集まってくれた学生は23名。みな真剣に僕の説明を聴いてくれた。応募書類に該当する「決意表明書」(ガイダンス終了後に20分程度で書いてもらっている)にも、皆のピュアで熱い想いが表現されて嬉しくなった。

さらに嬉しくなった…というより、びっくりしたのが、この23名の学生のなかに二人も大分県出身者がいたことだ。

ガイダンスの冒頭の自己紹介で僕が大分出身だということを話したからなのだが、ガイダンス終了後、まずは一人目の学生が僕に話しかけてきた。

 

「あのー、私も大分出身なんです。高校卒業して東京に出てきたんです」

「おー、そうか!そりゃ嬉しいな。高校はどこやったん?」(と、つい大分弁)

「大分雄城台です」

「おー、雄城台かあ。僕は舞鶴だったんよ」

「えー、やっぱり舞鶴ですかあ。なんだか舞鶴っぽいなあと思ってガイダンス聴いてたんです~」

なにが舞鶴っぽいのかイマイチ分からなかったのだが(笑)、そんな会話がなされたのだった。

そしてその後、また別の一人の学生が僕のところに来た。

「あのー、実は私、大分舞鶴高校出身なんです」

「なにー!舞鶴!?」

「さっき舞鶴高校って聞こえてきて、もうビックリしちゃいました」

「うん、さっきの学生さんは雄城台高校なんだって」

「ですね、それにもびっくりして。最近、雄城台の追撃が激しいんです。雄城台だけには負けたくないですね!(笑)」

 

最近では、大分の高校から東京の大学に来る学生って少なくなったのだけれど、たかだか23名の中に二人の大分出身者。しかも一人は僕と同じ高校で、もう一人がライバル校だったというのがスゴイ。

感動的な第一回ガイダンスだったのだ。

これから12月にかけて10回以上のガイダンスが予定されているのだが、またスゴイ出会いがあると嬉しい。大分県人会ができたりすると嬉しいね(^o^)。

 

そして夜は、秋クール火曜日クラスのホームルーム。

本来であればホームルーム終了後は、「くだんトークナイト」という社会人を交えての座談会を開催するはずだったのだが、昨日は祝日ということもあり社会人の参加者がゼロだった。

というわけで、急きょ火曜日クラスの学生同士の親睦をはかるための懇親会が飯田橋の居酒屋で開催された。

僕も、高田コーチといっしょに社会人代表として仲間に加えてもらった。

この懇親会。全23名の学生が参加したのだがサイコーに楽しかった。

これだけ多くの学生たちとの飲み会はいつぶりだろう。

パフを創業してしばらくは、イベント後に飲み会を開くことが多かったのだが、この10年くらいは(若い社員たちは参加しても)僕は遠慮することが多かった。

でも、やっぱり学生たちとフランクに(真面目な話も馬鹿な話も含めて)語り合うのは楽しいものだ。自分も学生の頃に戻った気持ちになる。

いったんお開きになった後も「もう少し残って話をしたいです!」という学生たちと終電間際まで話し込んだりして(^o^)。

 

ということで昨日の文化の日。若者の文化に存分に触れることのできた、貴重な一日だった。2~3歳くらいは若返ったかな(笑)。

 

さて、本日は社長モードに戻る日。11月度のキックオフなのだ。日中はしかめっ面をしながら数字をまとめなきゃね。

ではでは、本日も足早ウォーキングで行ってきます!

 

11月だ!

2015年11月2日 (月曜日)

早いものだ。一年12か月のうち10か月が過ぎてしまった。

この調子でいくと、さらにあっという間に年末を迎え2016年に突入する。

季節はすっかり秋。

あの猛暑の日々がすでに懐かしく思える。

 

11月というのは、僕の誕生月ということもあり感慨深い月でもある。

 

 

中学、高校生時代の文化祭。大学生時代の学園祭。甘酸っぱかったり、ほろ苦かったりする思い出が詰まっているのもこの11月である。

年齢が切り替わる節目の月だからだろうか、意識や取り巻く環境が変化する月でもある。

会社設立からまもなく丸18年になるのだが、18年前(1997年)の11月は、会社設立に向けて東奔西走していた月。自分にとっては、大きな節目となった11月だった。

そして、翌1998年の11月は、人生でいちばん辛い11月だった。

以降、1999年の11月、2000年の11月、2001年の11月。それぞれ、大きな変化が生まれた創業期の11月だった。

さて、会社設立18年目となる今年の11月。どんな変化が訪れるのだろうか。

まずは初日の本日。その変化の第一歩が始まる。

きょうから入社する大型新人もいるしね。

では、これから起きるであろう大きな変化を楽しみにしつつ、行ってきます!