花粉症デビューしたのか?
2018年3月20日 (火曜日)
先々週から苦しめられていた扁桃炎と副鼻腔炎。「○○炎」と書くと、いかにもたいへんな病気のようだけど、要はノドが痛くて鼻水が止まらない(あるいは奥の方に溜まってる)という症状が続いていただけだ。
「だけ」とは言っても1週間以上も禁酒させられて辛い日々を送っていたわけだが「これって原因は花粉アレルギーではないか?」との疑念も生まれていた。
というのも、先週の前半くらいから目がショボショボする症状も出てきたからだ。「それは花粉症ですよ、間違いない!」なんて決めつける人もいたりして。
そこで、先週クリニックに行ってアレルギー検査を受けてきた。血液検査なのだが、結果は翌週になるとのことだった。
で、昨日はその検査結果が出た日。
ドキドキしながら、クリニックに行ってみた。
以下が、その検査結果である。
見えますかね?111.7IU/ml って書いてありますね
すべての「アレルゲン」に対して0.10Ua/ml以下(最小値)ってことになってますね
医師からは「まったく問題ないですね。花粉症はもちろんのこと、アレルギーとはまったく無縁のようですよ」と言われた。
なーんだ。ちょっと拍子抜けしてしまった。
毎年この季節になると、鼻水が出たりクシャミが止まらなかったり目がショボショボしたりしていたのだけど、これらは花粉症とかではなく単に流行に惑わされていただけだった、ということのようですね💦
ということで、もはやマスクもクスリも必要ない。これからの宴席では大手を振って酒を飲むことにしましょう(^^♪
ノドの痛みも鼻水も、もうすっかり取れたことだし。みなさん、ご心配おかけいたしましたm(__)m
さて、今日から明日にかけては冬に逆戻り。冷たい雨が続くようだ。花粉も少ないことでしょう。もはや関係ないけどね(^^ゞ
では、SEKAINO OWARIの「RAIN」を聴きながらのウォーキングで行ってきます!
もうすぐ春ですね
2018年3月19日 (月曜日)
自宅そばの桜の蕾が、昨日からほころび始めた。
寒い日と温かな日が交互にやってくる3月だったが、いよいよ本格的な春の到来かな。
今週はお彼岸。暑さ寒さも彼岸まで。今週の水曜日がお彼岸だけど、確かに天気予報を見るとお彼岸の翌日(22日)から温かくなってくるようだ。桜も一気に咲き始めることだろう。
そういえばその彼岸の翌日、ドイツからのお客様を上野公園にお連れする予定なんだけど、桜がパーっと咲いてくれると嬉しいですね。
ところで話は変わるけど、先週末は日帰りの強行軍で神の国・出雲に行ってきた。
ちょっと寒かったけど雲ひとつない快晴。神々しさを帯びた写真を何点か載せて、週初めの日記はあっさりめに終わることにいたしましょう(^^♪
もうすぐやってくる新しい季節。さらなる縁との巡り合いを願いながら、行ってきます!
アルコール解禁しました(^^
2018年3月16日 (金曜日)
先週の水曜日からずーっとアルコールを断っていた。扁桃炎になってしまい抗生物質を飲み続けていたからだ。
8日ものあいだ酒を飲まなかったのは成人して以来、初めてではなかろうか。
風邪やインフルや胃腸炎などで寝込んだことはあるが、いつもせいぜい2~3日で回復していたので酒もすぐに飲んでいた。
今回も熱が出ていたわけでもなかったので飲もうと思えば飲めたのだけど、周囲の監視が思いのほか厳しく、飲むことが出来なかったのだ。
月曜日の宴席は、最初から最後まで葡萄ジュースで通した。火曜日の宴席は、最初から最後までほうじ茶で過ごした。水曜日の宴席は、ホッピーの外(焼酎抜き)だけで過ごした。
いやー、辛かった。
でも昨日の宴席でついに解禁(^^♪
昨日は、いま書いている本を担当してくださっている編集プロダクションの方々との会食。共同執筆者である伊達洋駆さんとの打ち合わせの流れで、飯田橋の行きつけの中華料理屋さんで懇親会を催したのだった。
この中華料理屋さんは、僕が行くといつも17年物の紹興酒を出してくれる。昨日ももちろん(僕が断酒していることなんて知らないから)出してくれた。これが超美味しいのだ。
据え膳食わぬは男の恥。
ちょっとたとえが違うかもしれないがw、ともかくも好意で出してくださった紹興酒を飲まないわけにはいかない。
ということで今朝は、「ついにアルコール解禁しました」というご報告の日記でございました。おかげでこれからは本の執筆も順調に進むことでしょう^^。
ところで僕は、今夜から明日にかけて短い旅に出る。生まれて初めての地への旅である。
日本の47都道府県のうち、未だ行ったことのなかった県が2つだけあって、そのうちの一つの県に行くことになったのだ。
詳しいことは日記には書けないけど、Facebookに写真くらいは載せようかな。
では、もろもろ準備してから行ってきます!
3年ぶりのクリエイティブチャレンジ
2018年3月15日 (木曜日)
いまから3年前、クリエイティブチャレンジという2か月間のインターンシップを開催したことがある。
釘さん日記を検索してみたところ、次の記事が出てきた。
⇒ クリエイティブチャレンジが始まった!(2015年5月11日)
⇒ クリエイティブチャレンジ終了!(2015年7月6日)
上の日記から引用してみる。
===(以下引用)
5月9日からスタートしたシゴトノヲト(36ページの職サークルプロデュースの冊子)制作プロジェクト「クリエイティブチャレンジ」が先週土曜日の入稿パーティーをもって、ついに終了した。
何のつながりも面識もなかった24名の学生が集まって、皆で力を合わせて進めたこのプロジェクト。大変なことはいろいろとあったとは思うが、終わってみればすべてが結果オーライ。実に楽しいプロジェクトであった。
5月9日から始まったと書いたが、実は企画準備フェーズを入れると1月から始まっている。パフのインターン生だった大学(当時)3年生の3人に考えてもらっていたのだが、なかなか前に進まず。「低学年生(大学1,2年生)がワクワクしながらチャレンジできるインターンはなんだろう?」ということを考え続けた結果が、「学生だけで本をつくる」という企画だったのだ。
企画骨子がほぼ固まったのが2月末。その後、告知活動を展開し、3月から4月にかけてガイダンスや選考会を10回以上行ったのだが、学生が思うように集まらず、ずいぶんと冷や汗をかいたものだ。
そう考えてみると、約半年間の辛苦のプロジェクトだったわけだ。
===(引用以上)
なるほどね。ずいぶんと苦労していたわけだ。
思い出したけど、この小冊子を作るために、僕は入稿前の3日間くらいは西荻窪にある制作会社さんの事務所に通い詰めており、最終日はほぼ貫徹したんだった。
もういちど当時の日記を探してみた。
あったあった(‘_’)
⇒ ただいま最終コーナーを回ったところ……。(2015年6月30日)
この日の日記からも引用してみよう。
===(以下引用)
場所は西荻窪。ただいま午前1時を回ったところである( ̄▽ ̄)。
ホントは22時過ぎには仕事を終えて、駅前の焼き鳥屋で一杯ひっかけて終電で月島まで帰る、というキャリアプラン(?)を思い描いていたのだが……。
キャリアなんていくら計画しても、しょせん思った通りにはならないんだぜ、ということを実証してしまった(笑)。
いま僕の2メートル先の机では、マッキントッシュに向かって必死にフィニッシュの作業を行なってくれている尊敬すべきアートディレクターがいる。
窓からは涼しくて心地よい風が、机の上の校正紙をひらひらと揺らしている。
うん、あと一息。
こういう感覚、久しぶりですね。もうすぐ55歳になろうかっていうのに、意外と頑張れるもんです。
それは頑張っている人が目の前にいるからですね。たまにはアルコールの入らない午前様もいいもんです。
これなら朝帰りでも、カミ様は怒らないでしょう、きっと(笑)。
では、朝になったら行ってきます!
===(引用以上)
当時は僕がこのインターンシップの取りまとめをやっていたのだった。いまから思えば若かった(笑)。
で、今年も5月初旬から7月初旬までの2か月間、このクリエイティブチャレンジを実施する。ただし、僕は3年前ほどには前面に出ないつもり。後ろから見守ろうかと思っている。
昨日は、このインターンシップに応募している学生5名の(選考試験としての)取材を受けたりもしていた。全員が大学2年生だったんだけど、さー、誰が合格するのかな。
まだまだ応募は受け付けているということなので、学生の日記読者の皆さん(あまりいないかもしれないけどw)ぜひ以下のページから門を叩いてください(^^)/
⇒ https://www.puff.co.jp/lp/creative/
ちなみに3年前のクリエイティブチャレンジで出来上がった冊子の表紙はこれ。☟
参加したインターン生全員の写真が表紙に載っている。彼らの多くは現在すでに社会人(もうすぐ社会人2年目かな)。きっといい思い出になっていることだろうね(^^♪。
さて、本日は僕自身のクリエイティブチャレンジの日だ(書籍の執筆ねw)。夜は編集プロダクションの方々との会食だし。
では頭を創造的な状態にしながら行ってきます!
説明会コーディネート
2018年3月14日 (水曜日)
「説明会コーディネート」というのは、パフのこの時期の大事な仕事である。まだ社員が誰もいなかったころから、いくつかの顧客企業の会社説明会の運営支援を行ってきた。
事務所が新富町にあった時代(1997年末~2000年5月)からなので、もう20年近くになる。
説明会のコンセプト&プログラム設計、学生への告知(昔は招待ハガキなんかも作っていた)、会場選定、当日の運営(ファシリテーターや受付などの事務方)、学生から収集したアンケート集計、次選考へのつなぎ等々。現在、数多くのお客様で実施していることの原型は、このころすでに出来上がっていた。
この時代(超就職氷河期と呼ばれていた)の企業の説明会はツマラナイものが本当に多かった。先輩社員が登場することもなければ社長を引っ張り出せる会社なんて珍しかったのだけど、パフが設計・運営する説明会は、(当時にしてみれば)説明会の既成概念を打ち破るものばかりであり、学生からも企業からも評価が高かったと自負している。
僕が自ら顧客企業の説明会コーディネートをやっていたピークは2005年くらいだったろうか。その頃は全国各都市で説明会を実施する顧客企業も多かったので、僕も売れない演歌歌手の地方巡業のごとく、採用シーズンになると毎日のように地方を転々としていた。
今は昔。さすがに今は、もうそういう役割は免除させてもらっている・・・と言いたいのだけど、人手不足のパフさん。今でもとある顧客企業の説明会に関しては、僕が駆り出されている💦
昨日は、その顧客企業の今シーズン第一回目の説明会。午前&午後のダブルヘッダーで計120名の学生が参加する説明会だった。
午前午後ともに先輩社員を3名ずつお招きして一緒にプログラムを進めた。改善点はあるものの、なんとか無事乗り切ったという感じかな。学生の反応も上々だったようだ。
昨日のいちばんの敵はのどの痛みと鼻詰まりだったかな。「らりるれろ」もうまく発音できなかったしね(苦笑)。
今年、僕がこの顧客企業の説明会運営を担当するのは5月末くらいまで。週いちペースくらいで地方巡業もある。あと2ヵ月ちょっと、穴を空けたりしないように体調コントロールに努めなければ。老骨に鞭打って頑張ります!
さて、のどの痛みもそろそろ治まってきた。でも鼻水は勢いを増してきた感じ。ひょっとしたら花粉症なのかな?
今日はマスクをして、行ってきます!
元社員アタラシの壮行会
2018年3月13日 (火曜日)
昨年の夏、パフの社員として一緒に働いていた若者がいる。
日記読者の皆さん、覚えてらっしゃるだろうか?
ちょっと検索してみた。
あー出てきた。これである。⇒ 交換留職生がやってきた。(2017年7月5日の日記)
そう、交換留職制度でパフにやってきたアタラシくんである。
彼は昨年の夏(7月初旬から8月初旬までの一か月間)パフの他の営業マンたちに混じって「どぶ板営業」を必死に行っていた。僕も一回だけ同行営業したことがあるが、その不器用なほどに実直な営業姿勢に感動したものだ。
そのアタラシくんが、このたび東京本社から、とある地方支社に、とあるミッションを帯びて単身赴任(彼はなんと新婚さんなのだ)することになった。
たった一か月とはいえ同じ釜の飯を食べた仲間。昨夜、茅場町のイタリアンレストランに有志が集まり壮行会を開催した。
以下、その模様です。
匿名にしようと思っていたので目を隠しています(笑)。胸の「必勝パンツ」はいったいなんだ?
ある意味同期(大学も学部も同じ)だったイシガミによる自撮り写真。イシガミ顔でけー(笑)
自撮り真打の僕による写真。手前のオッサン誰だろ?こんなやさぐれた社員いたっけ(笑)。
会社を離れて半年以上も経つのに、こうやって皆から(ちょっと人数は少なかったけど💦)新たな門出を祝ってもらえるって幸せな奴だ。これもアタラシの人徳ってやつだね、きっと。
ということでアタラシくん、向こうでも頑張ってね。6月には桃、そして10月にはブドウが送られてくるのを楽しみに待ってます!
さて、僕の扁桃炎はいま新たな展開を迎えている(そのせいで昨日も葡萄ジュースで通した)のだけど、本日は代役のいない仕事なので休むわけにはいかない。
頑張って行ってきます!
「北の国から」で読む日本社会
2018年3月12日 (月曜日)
三週間ほど前に、「北の国からが大好き!」という記事を書いた。ケトルという雑誌を紹介したものだった。
これを読んでいたら、自分の内側から「北の国から」の熱が10数年ぶりに高ぶってくるのがわかった。
そして、この雑誌を買って一週間ほどしたのち、Amazonから、この本がリコメンドされてきた。
思わず条件反射かのようにクリックして買ってしまった。
憎いな、Amazonめ(*´з`)。悔しいのでAmazonへのリンクは張らない💦
出版元の日本経済新聞出版社から以下、引用してみる。
===
五郎さんが生きた、あの時代。
集団就職、東京への人口移動、農業の衰退、バブル崩壊、交通事情の変化、恋愛の変遷、受験戦争、ゴミ問題――名作ドラマが映した社会の激動を描きとる。「北の国から」ファン必読の1冊! !
フジテレビで1981年から2002年にわたって放映され、国民的な人気ドラマとなった「北の国から」。単なるヒューマンドラマにとどまらず、戦後間もないころから現代までの日本の社会のあり様とその変化を描いた秀作でもある。
ドラマがリアルタイムで描いた1980年代から2002年まではもちろんのこと、戦後の富良野で黒板五郎が成長し、東京で家族を持つまでの時代をも物語の背景として取り込み、ドラマは1 人の男の生涯を描いたものとなっている。
本書では、そうした黒板五郎を中心としたドラマの登場人物たちの人間模様を取り上げ、その背景にある社会の変化に注目し、改めて戦後日本のあり様を見直す。ドラマ内の名場面を多数引用しながら、日本社会の変遷を振り返る意欲作。
===
著者は藤波匠さんという日本総合研究所の上席主任研究員をやっている方。
僕はこの本を読むまで知らなかったのだが、地域経済再生のための政策提言をやってらっしゃる方のようだ。
「1992年 東京農工大学農学研究科環境保護学専攻修士課程修了」とあるので、僕より10歳近く若いのではないかと思う。たぶん純と同年代なのではないかな。
で、この本がスゴイのだ。
著者は、きっと何回も何回もドラマを観たのだろう。そのうえでドラマの時代背景やその時代にあった(現代にも繋がっている)日本の諸問題を分かりやすく解説してくれている。そういう背景や問題があったからこその、五郎や純や蛍や、その他数多くの魅力的な登場人物たち(令子、雪子、北村清吉、草太、中畑和夫、笠松杵次、みどり、正吉、あ、それから涼子先生などなど)の台詞だったのかと腹落ちする。その論点が鋭く深いのだ。
さらに嬉しかったのは、「ひよっこ」や「ALWAYS三丁目の夕日」に登場するエピソードとも重ね合わせながら論を進めていたこと。
これを読んだら、もういちど連ドラの一作から見直さざるをえない。というか見たくて見たくてしょうがなくなった。
調べてみたら、以下のシリーズ(DVDマガジン)が講談社から刊行されていることを知った。
おお、おお、おお・・・・・・(*’ω’*)
速攻で大人買いしたのは言うまでもない。第1巻から最新の28巻まで。
これらが届いたのが一昨日の土曜日。
折しも扁桃炎で自宅に籠っていた僕は、貪るように連ドラの第1回から見てしまった。
とはいえ、連ドラだけで全24話。スペシャルで8作もある大作。なんたって21年分である。この週末だけで全部を見直すことは不可能である。
北の国からに行くであろう今年の夏までには、じっくりと全部を見終えたいと思っている。
昨日の大発見としては、僕が一昨年のライブのアンコールで歌った中島みゆきの「ホームにて」が、連ドラ第3回のとても大事なシーンで使われていたことだろうか。
「お前ら・・・。いいか・・・。敗けて逃げるんだぞ」という清吉(大滝秀治)の言葉がこの歌とともに胸に響いてくる。
僕は清秀だけど(笑)。
そうだ。これから日記ネタがない日は「北の国から」の名シーンを紹介することにしよう。
ということで、最高のネタを見つけた週末でした(^^♪
ともあれファンの皆さん、今回ご紹介した書籍はおススメですよ。ぜひ読んでみてください。
おっと、そろそろ出かけなきゃ。本日は久々の「うまれよ塾」を某お客様の内定者に向けてやる予定。急いで北の国から帰ってこなきゃ。のどは大丈夫かな?
では、行ってきます!