渋谷、表参道、原宿の日
2008年4月12日 (土曜日)
本日は土曜日だが、午後から同業他社との大事な打ち合わせ。渋谷にあるA社と、かなり真面目な(いつでも僕は真面目なつもりだが、苦笑)、打ち合わせを行った。
その後、とある要人と会食の約束をしていたため、待ち合わせ場所である原宿へ。
待ち合わせの時間まで、まだかなり時間があったため、渋谷から宮益坂を登り、青山通りから表参道を回って、原宿まで歩いていった。
20代後半から30代前半まで、僕は渋谷・宮益坂に本社オフィス&青山に開発オフィスのある会社で働いていたので、この辺の地理には詳しい…つもりだったが、あれから20年近くもの月日が経っているわけで、その頃とはぜんぜん景色が変わっていた。
まず表参道を歩く人の数の多さにびっくりした。土曜の午後ということもあるのだろうが、驚くほどの人の多さだ。しかも、外国人が極めて多い。
そうか、そういえば、このちょっと先に表参道ヒルズができたんだった。2年程前に完成したという話は聞いていたが、まだ一度も行ったことがなかった。どうりでブランド店がたくさん立ち並び、外国人の方々もワンサカいるはずだ。
原宿駅に近づくと、さらに人ごみが激しくなる。しかも平均年齢が、かなり低下してきた。さらに、 「うっ」とビックリするようなコスチュームを身にまとった連中とすれ違うこともしばしば。
こいつら、何を考えてるんだ?と、一瞬思ったのだが、アイデンティティの確立に目覚めた若者達の、健全なる姿かもしれないと思い直し、心を静めた(笑)。
先週の土曜日は、港区三田、麻布、六本木、赤坂をぶらぶら歩いたが、今週は渋谷区青山、表参道、原宿界隈。その土地土地で、東京にもいろんな顔や風情があるものだと、感じる。
いずれも同じ東京とはいえ、僕が住む、月島の下町とはまったくの別世界である。
ちなみに、その後、要人と無事落ち合うこともでき、表参道の、まい泉本店で、黒豚のとんかつを食した。なかなかのお味でグーであったことを日記の最後に書き添えておこう^^。
大阪の桜と銀座のケネディハウスの日
2008年4月11日 (金曜日)
きょうは朝6時過ぎの新幹線で、大阪に向かった。
大阪での仕事は、JR大阪駅から環状線に乗って2駅のところにある桜ノ宮というところ。
夕方4時過ぎに仕事が終わり、近くにある桜ノ宮公園を散歩しながら駅まで向かった。桜ノ宮公園というくらいだから、桜の花がたくさん植えられている。
東京の桜は、もうほとんど散ってしまっているが、ここ桜ノ宮公園の桜は、まだまだ見頃だった。
川面には、水上バスがゆったりとした姿で大阪城のほうに向かって走っている。とても、のどかな風景だ。
ほんの15分くらいの時間だが、心にゆとりを与えてくれる、良い景色に巡り合えた。
きょうはこのまま直帰し、久々に自宅で夕食をとろうと思っていたのだが、ある一本のメールが入ってきたため、急きょ予定を変更し、銀座のとある店に向かうことにした。
ある一本のメールの送り主は、パフでインターンシップをしている内定者のツチダからだった。
彼は、すでに営業マンとしての仕事をやりはじめているのだが、テレアポ(電話で営業訪問の約束を取り付けること)で、何十件も断られ続けていた。
ところが、きょうの午後、初めてのアポイントをもらったという。しかも訪問日は即日。つまり、きょうの夕方の訪問のアポが取れたのだ。
相当に嬉しかったのであろう。興奮した様子で 「クギサキさん、アポとれました!今度メシおごってください!」というメールが舞い込んできたのだった。
僕も25年前、初めての営業で、初めてのアポが取れたときには、たまらなく嬉しかった。その日の夜は、仲間と一緒に飲みに行ったりした。あのときの感動は今でも忘れられない。
ということで、ツチダと喜びを共有すべく祝杯をあげるために、急きょ予定を変更して、銀座に向かったというわけだ。
ツチダを連れて行ったのは、“ケネディハウス”というライブハウス。単なるライブハウスではない。60年代後半から80年代前半くらいまでの音楽を、プロのバンドメンバーが生演奏で聞かせてくれる。ビートルズ、イーグルス、ビリージョエル、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクルなどの海外の大御所たちの音楽。たくろうを始めとする70年代フォークミュージック。チューリップ、オフコースなどのニューミュージック。なつかしのグループサウンズなどなど、とても幅広い音楽を聞かせてくれる店なのだ。
20歳ちょっとのツチダがまだ生まれていないころの音楽ばかりだが、僕や彼のお父さん(バンドをやっていたらしい)の世代には、たまらない空間だ。パフの文化とも無縁ではないので、一回この世界を見せておこうと思って、祝杯の場所として選んだわけだ。
東京に着き、ツチダと待ち合わせして店に入ったのは、すでに夜の8時を回っていた。ちょうど二回目のステージが始まったときで、いきなり1970年代にタイムスリップさせられた。
約3時間。懐かしい音楽に包まれて感動した。
結局は、ツチダの初アポの祝杯をダシにして、自分がいちばん楽しめるところに連れ込んでしまっただけ…という批判の声も聞こえてきそうだが、ツチダはもちろん、感動した、と言ってくれた(笑)。
なにしろツチダ、初アポ、おめでとう! 次は、初受注だ!!!
ふるさとネットワークの日
2008年4月10日 (木曜日)
きょうは午後からずっと、地方同業者の皆さんとの会議。
昨年の秋から続けてきた会議だが、やっとカタチになってきた。もうすぐ、世の中に発表できそうだ。
気心の知れた同業の社長同士とはいえ、場所も規模も歴史も違う複数の会社が集まって、ひとつの事業を共同で行うというのは、なかなかハードルの高い仕事だ。
しかし、だからこそ、面白い。
同じ志を持った、さまざまな会社の方々と、新しいことに取り組めるっていうのは、とても楽しいことだ。
秋に予定しているキックオフイベントも、今から楽しみである。
乞うご期待!!
日記ネタがふんだんにあった日
2008年4月9日 (水曜日)
きょうは、たくさんの出会いと話題と再会があった。いやあ、もったいない。きょうだけで3日分くらいの日記ネタがあるんだけど、長くなりすぎて紹介できない。
ということで、きょうは書くのをやめよう。
・・・と、思ったのだが、非難の嵐が吹きすさぶことが容易に想像できるので、主なものだけご紹介する(苦笑)。
約7年ぶりに、かつての協賛企業の人事担当者(現、某社の人事部長)Kさんにお会いした。最初にKさんにお会いしたのは、いまから17年ほど前。僕が前職時代、バリバリの人事システムの企画営業マンだったころ だ。そのときKさんは、某一流外資系ホテルの人事マネジャー。このホテルのシステム導入担当者だった。
そして僕が起業するのと同じくらいのタイミングで、Kさんも某外資系化粧品会社に転職。ここでもパフの協賛企業となっていただき、結構な受注額の仕事をいただいていた。現在ではパフの主力事業のひとつに育っている、採用業務の設計やアウトソーシングを請け負わせていただいていた。
当時の僕は、自分で業務設計し、自分でパソコン操作をし、自分でハガキのデザインをし、自分で台車をゴロゴロ押して、郵便局に大量の郵便物を持ち込んだりしていた。今の社員には信じられない光景だろうな(笑)。でも当時は、Kさんがこういった仕事を発注してくださったおかげで、パフはなんとか食いつなぐことが出来たのだ。感謝である。
そんなKさんは、7年前異動(転勤)となり、以来、音信が途絶えていたのだが、つい先日、突然連絡をいただいた。
Kさんは、大手町の立派なビルにある会社に転職しており、本日は、このビルの地下でランチミーティングを行ったのだった。いやあ、懐かしかった。
そして帰社後、来客2連荘。B社より取材。G社より提携の打診。両社とも、とっても中身の濃い内容なので、やっぱり書けないな。
さらにその後、恒例、うまれよ塾。こちらも、いつもながらの情熱系就職講座だった。我ながら良いことやってるよなあ、と、自画自賛をしてしまう。
時間さえあれば(眠くさえなければ)、もっと詳しく書きたいことがあるんだけど、最近どうも寝不足気味なので、やっぱりきょうは、ここまで!!
春の嵐だった日
2008年4月8日 (火曜日)
いやはや、本日の風雨にはマイッタ。徒歩通勤の僕なのだが、さすがに本日は、勝鬨橋(隅田川にかかる、勝どきと築地を繋ぐ大きく長い橋。目の前はもう東京湾で、穏やかな日でも、海からの風が強い)を歩いて渡るのに躊躇した。
結局、途中でバスに乗って出社したのだが、それでも全身ずぶ濡れ状態で会社に到着した。
こんな日に限って、外出の用事がある。
朝の会議後、9時過ぎに会社を出る。外はさらに風雨が強まっていた。お客様のところに着いたときには、ズボンがヨレヨレで情けない姿だった。
最近よく、スーツ姿でシャワーを浴びているCMを見かけるが、あのようなスーツ(シャワークリーンスーツっていうらしい)を着ていれば、こんな日でも平気なのだろうか??
ま、なんにしても、傘を差してもずぶ濡れになってしまうような雨は、こりごりですな。
「熱き想い」の社長が来訪した日
2008年4月7日 (月曜日)
先日行なわれた同業の社長Sさんの結婚披露宴で、同じテーブルに座っていた同業(主に教育・研修・採用コンサル関係)のA社の社長、Iさんが、パフを訪ねてくださった。
3年前に起業したばかりのIさんは、まだ30代の好青年。
しかも、業績はすでに軌道に乗っており、自社の新卒採用も積極的に行っているという。取引先も、おおっとビックリするような大企業もいる。
理念がいい。
「人と組織に熱き想いを」
さらに、コンセプトがいい。
「人とモノゴトと自分に正面から向き合い、一生懸命を続けることで分かる事がある」
昭和世代の僕には、このような言葉が、ビンビンに響く。
I社長が、
「クギサキさん、ブログ拝見させていただきました。毎日書くってすごいことですよね」
と、感心してくださった。かなり昔の日記まで読んでくださっていた。僕が忘れていたようなエピソードまで言われたのでビックリした。
すかさず僕は、
「 (毎日書けるのは)カッコいいことを書こうと思わないからですよ。いっつも社員からダメだしされてますが、気にせず、気取らず、 『本棚を組み立てた』とか、 『映画をみた』とか、日常のことを肩の力を抜きながら書いてます。じゃないと続かないですからね(苦笑)」
と答えた。が、「すごい」と言われて、まんざら悪い気はしなかった(笑)。
それにしてもこの業界は狭い。ちょっと話しただけなのに、共通の知り合いが、わんさか出てきた。
「この業界にいると悪いことはできませんよねえ」と、笑いながら話した。
Iさん、これをご縁に、ぜひまたコラボの話をいたしましょうね♪
本棚を組み立てた日
2008年4月6日 (日曜日)
僕の月島の自宅の部屋は、ものの見事に狭い部屋だ。四畳半もない洋室に、机と本棚とタンスと布団とがぎっしり詰め込まれている。
本棚には、僕の本以外にも、娘の小学生時代からの(捨てると怒られてしまう)ポケモンを始めとする漫画本もギッシリ詰め込まれている。さらに、DVDやCDも、ここ数年で溜まりにたまってきた。もはや、この狭い部屋のキャパシティの限界を迎えつつある。
そこで、本日一念発起。豊洲のホームセンターに出かけ、組み立て式の本棚を買うことにした。いまある本棚の上には空間がまだ余っているので、ここに積み重ねようと企んだ。
あったあった。幅1.5メートル、高さ1メートル程度の、比較的大きな組み立て式の本棚。これなら書籍、雑誌、DVD、CD、小物の数々まで収納できそうだ。しかも、値段は大特価で4,500円ぽっきり。こりゃ買わない手はない。即決で買って、タクシーに積み込んで帰った。
それからが、さあたいへん。
店で見たときは、立派な本棚だったのだが、目の前にあるのは、無味乾燥な材木とベニヤ板とネジの山。説明書とドライバーとトンカチとボンドを片手に、悪戦苦闘が始まった。
取り掛かってから3時間。やあぁぁぁぁっと完成した。思ったより時間がかかってしまった。途中、順番を間違えたり、取り付けの方向を間違えたりで、相当に困難を極めたが、それでも、どうにかこうにか、満足できる仕上がりとなった。
しかし、そこからも、たいへんだった。
部屋を片付け、いまある本棚の上に新しい本棚を載せ、地震対策のために釘を打ち付け、本を引越しさせ、掃除機をかけ、雑巾がけの総仕上げ。すべてが落ち着いたのは、すでに夜の9時過ぎ。おかげで大河ドラマの篤姫を見損ねてしまった(苦笑)。
でも、いまこうやって完成した本棚と、(前に比べれば)すっきりした我が部屋を眺めていると、なんともいえぬ充実感がある。
たまには、こういう肉体労働もいいものですね。