パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

数年前から、「朝活」というのが社会人の間で流行っているらしい。

会社で通常の勤務を開始する前に、勉強会を開催したり、お稽古ごとに通ったり、ジムに通ったりと、自己研鑚に励む社会人が増えているのだという。

一流のビジネスマンや経営者というのは、だいたいが「朝型」らしいから、この傾向は日本経済の発展にとって好ましいことなのかな。

 

ところで、この「朝活」。社会人だけではない。学生も早朝から頑張っている。

昨日、朝7時半から、東京駅に隣接するビルにある某大学のセミナールームで、「うまれよ塾」を行なったのだ。

参加した学生は70名。セミナールームが超満員になった。この大学は関西にある大学で、学生たちは、日曜日の夕方にバスに乗り込んで一晩かけて東京までやってきたのだ。東京に着いたのは早朝4時過ぎで、江戸川区の東京健康ランドでひとっ風呂浴びて、セミナールームに集まってきたのだ。

すごい。恐るべし関西の学生たち。

みんな真剣な表情。僕の話を、一生懸命(でも、素敵な笑顔で)聞いてくれた。僕の講座のあと、学生たちは、東京都内の会社で働いているOB・OGたちのところにそれぞれ出かけていった。

がんばれ、学生たち!

 

朝が早いとやっぱりいいね。会社に戻ってもまだ10時前。

会社に到着すると、次から次へと、アレンジメントフラワーや観葉植物が運ばれてきているところだった。

事務所移転とマジックドラゴン設立を祝って、取引先の方々が贈ってくださったのだ。

茅場町引っ越し_贈り物の植物類 

上の写真(エントランス)に写っているのは一部で、この他にも応接室や執務室にも置かせてもらっている。

設立時を含めて4度目の事務所移転なのだが、過去最高の贈り物の数だ。嬉しい。有り難い。大感謝である。

 

夜は全社員集合しての9月度キックオフ会議。新しい会議室(兼セミナールーム)は、全員が余裕で座れる広さがあった。なかなかいいね!

このセミナールームを利用して、これからはさらに頻度高く、学生向けの少人数イベントを開催していきたい。

昨日の朝、関西の学生に実施したみたいな「朝活版うまれよ塾」でもやってみる?

さあ、心機一転。応援してくださる多くの支援者のご期待に添えるよう、パフ&マジドラ、グループ一体となって成果をあげていきたい。

ということで本日もウォーキング通勤。行って来ます!

 

この週末は引っ越し三昧だった。

金曜日の夕方、怒涛の勢いで残っていた荷物を段ボールに詰め込んだ。もう、思い出や感傷に浸っている暇はなかった。

そして夜。段ボールへの詰め込み作業が終わったあと。

築地最後の日を見届けようと、パートナー企業であるGX社の上田ブラザーズ(社長とお兄さん)とさべさんと出向中のタカタの4人がやってきた。

最後の晩餐(?)のためである。

晩餐の場所は、築地の事務所のすぐそばにある本格的中華料理屋。何が本格的かというと、従業員が(たぶん)全員中国人。味もボリウムも本格的。そして値段も、ここは中国かと思わせるくらいに安い。なんたってボリウム満点の料理に、ビールや紹興酒が飲み放題で、ひとり2,980円ぽっきりなのだ。

ほどなくして、すべての片づけを終えた他の社員たちも合流した。

そして全員で茅場町の新オフィスを見学したあと、銀座に繰り出した。

ふだん我々が行かないような高級なお店でカラオケ大会(僕はほとんど寝ていたが…)。全員で10数名いたと思う。上田お兄さんの粋な計らいだった。お兄さん、ありがとうございました!

 

翌、土曜日は業者さんが築地からトラックで大量の荷物を茅場町に運んでくれた。大型トラックで何往復もしたんじゃないかな。

11時過ぎに様子を見に行ったのだが、足の踏み場もないくらいのたいへんな騒ぎだった。

その後、所用を済ませて、再度夕方4時ころ事務所を覗く。

すると、あらびっくり。

机、椅子、会議室のテーブル、キャビネ、本棚、電話、パソコン(LAN配線含む)、その他什器類すべてが、図面通りに整然と並べられ、あとは我々が段ボールを開梱するだけの状態になっていた。さすがプロだ。

システム担当のマツモトさんが撮影してくれた写真を載せておくかな。

茅場町引っ越し_段ボール
茅場町引っ越し_会議室撮影する釘
茅場町引っ越し_応接

茅場町引っ越し_会議室

茅場町引っ越し_エントランス

そして翌、日曜日。

社員たちが三々五々集まってきて、自分の段ボールを開梱し、月曜日からすぐに仕事が出来るように、準備を始めた。

僕も世界陸上のマラソンを見終わってすぐに事務所に行き、自席周辺の整理を開始した。

僕の席は、サーバーや通信機器が詰め込まれた部屋の中にある。

いままでもそうだった。僕のPCのディスプレイは、サーバーメンテナンス用のPCと同じ。僕が使っていた机はサーバー設置用の机だった。おかげでA4の書類も置けないほどの狭さだった。

しかし、今回は違う!

なんと自分専用の机が出来たのだ。いやー、嬉しいな。自分の机があるというのがこんなに嬉しいものだとは思わなかった(笑)。

茅場町引っ越し_社長室

1名だけの来客時の応接や、社員との面談・打ち合わせなどは自席でできるだけのスペースも確保できた。みなさん、どうぞいらっしゃいませ。

 

さて、本日から正式な出社。30分かけて徒歩通勤する。

が、実は初日の今日は、朝、会社にはいかない。会社を通り過ぎて東京駅に隣接したビルに、これからすぐに行かねばならない。

このビルには、神戸の某大学のサテライトオフィスがあるのだが、約70名の学生が夜行バスで早朝やってくる(もう着いたころかな)。そこで僕は早朝の講座を行なうことになっているのだ。なんと、朝7時半から……。早い!

では、ぼちぼち準備をして行って来ます!

 

築地最後の日

2011年9月2日 (金曜日)

宇宙人が築地に攻めてきて、市場や本願寺が粉々に破壊されてしまう…という意味のタイトルではない。

パフ・ザ・マジックドラゴンが、築地に棲息する最後の日、という意味だ。

いよいよ移転まであと1日。築地での仕事は、泣いても笑っても本日でおしまいなのだ。

昨日は、昼ご飯抜きで、ずっと周囲の片づけを行なっていた。

いちばん時間がかかったのが、年賀状や手紙の整理。

なにせ10数年分の手紙とハガキである。2千通以上ある。

要る・要らないの判断を瞬時に行なわないと、1日がすぐに終わってしまう。

そこで、DMや宣伝もどきのハガキや手紙は、無条件にすべて捨てた。年賀状も、(とても辛かったけど)一部を除いて、ほとんど捨ててしまった。

「一部を除いて」と書いたけど、ぜったい捨てなかったのは、手書きのハガキと手紙。

手書きの手紙に出くわすと、ついつい仕分けの手を止めて、じっくり読んでしまった。「そういえば、こんなのもらってんだな~」と、懐かしい思い出が込み上げてくる。

なかでも懐かしかったのが、大昔のイベントや就職相談や「うまれよ塾」で出会った学生からのお礼の手紙。

いまでは手紙でお礼を出してくれる学生はほとんどいなくなったが、10年くらい前までは、メールでのお礼よりも、手紙でのお礼のほうが多かったような気がする。

面接に通過したあと、内定が出たあと、会社選択を決心したあと。それぞれのタイミングでのお礼の手紙があった。1文字1文字に感謝の気持ちがこもっていて、いま読んでもとても嬉しい。

これら手書きの手紙は、おそらく(僕が生きている限りは)半永久的に大切に保存されるはずだ。

そりゃ捨てられないよねー。これがアナログのいいところなんだろうなあ……。

 

日本人は、年に一度、年賀状を書く風習がある。

とてもいいことだと思うのだが、実は僕は、ここ数年あまり書いていない。ついに今年は、いっさい書くのをやめてしまった。

というのも、この数年間は書くことが義務になってしまっていたからだ。感謝の気持ちを十分に込めて出せていなかったのだ。社交辞令のためだけに書いている年賀状もたくさんあった。社交辞令で義務感だけの年賀状だったら、書かない方がマシだろう…なんて思っていた。

とはいえ、罪悪感を感じていたのも事実。

来年の年賀状はどうしようかなあ……。手書きでもらった手紙やハガキの束をみていて、思案を巡らせたのであった。

 

さて、本日は昔の手紙を読みながら思い出に浸っている時間は、もう残されていない。

18時までにすべての荷物を段ボールに詰めなければならないのだ。

心を鬼にして(いや、感情を無にして)、「要らない」ほうの段ボールに、ポンポンポンと放り投げなければならない。

と、いいつつ、やっぱり「思いで迷子」になってしまいそうな予感もしている……。

ともあれ築地最終日。一歩一歩踏みしめながら、行って来ます!

 

パフを創業して10カ月ほど経った1998年の秋から、僕はパフにメンバー登録してくれている学生に対してメルマガを発行していた。

執筆者はもちろん(誰もいなかったので)僕。毎週月曜日の朝に配信していたので、日曜の深夜は、いつも会社に行ってメルマガを書いていた(昔のメルマガ発行システムは、リモート処理ができなかったのだ)。

自分で言うのもなんだが、学生たちの心を掴んでいたという自負がある。

創業間もなかった若いころ(といっても30代後半~40代前半だけど)は、まだ兄貴気分で、学生に対しても率直で素直な物言いができた。

しかし、40代半ばになってきて、だんだんと学生向けの文章を書くのにムリが生じてくるようになった。学生たちとは、20歳以上の年齢差になったわけで、ちょっと兄貴気分というわけにもいかなくなったのだ。

そんなわけで、7~8年ほど前より、メルマガの執筆を若手社員に譲ることにした。

ところがこのたび、大学3年生向けのメルマガの執筆を、入社3年目のツチダから命じられてしまった。若造なのだが、いちおう僕の上司なので、命令に逆らうわけにもいかない。 「はい、分かりました」と素直に従った。

というわけで現在、週に一度、メルマガの冒頭文+αのコラムのようなものを書いている。

どうせ書くなら、背伸びせずに(若づくりせずに)、等身大の自分で書こうと思った。

僕は、いまの学生の親世代。オヤジなのだ。しかもこう見えて、本性は相当な頑固者なのだ。

で、あれば、 「頑固オヤジからの説教」というコンセプトで。

・ちょっと荒っぽい言葉づかいで。

・本当は子供のことが大好きなんだけど、照れくさくてそんなことはとても言えない。

・やたら正義感は強いのだけれど、不器用だから周囲には煙たがられている。

そんな切ないオヤジのメルマガを書いてみようと思った。

昨日がそのメルマガの発行日だったのだが、早いもので、もう連載5回目となった。

日記読者の皆さんは読んだことがないと思うので、昨日の配信号をちょっと転載してみようと思う。

感想などもらえたら嬉しいな。批評ではなく、『ヨイショ』がいいな(笑)。

では以下、(メルマガ全体ではなく、僕が執筆している部分だけ)転載します。

 

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 すべてを自分事として考えろ。無関心な生き方は、かっこわるいぞ。

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  おい、みんな元気か? 頑固オヤジの釘さんだ。

  今週からこのメルマガが届き始めた奴。俺が誰だか分からんだろうから、まずはこれを読んでくれ。

  ⇒ http://puff.weblogs.jp/message04/2011/07/vol3.html

  ところで、日本の総理大臣が昨日(8月30日)から交代したな。

  お前は今度の総理大臣に何を期待する?

  俺は先日(民主党の代表選挙前)、とあるテレビ番組を見ていて、ガッカリしたぞ。

  ワイドショーみたいなニュース番組(民放の、中途半端にチャラけた、そのくせ、したり顔で政治経済を批評している番組)をたまたま見ていたんだが、そのとき街頭インタビューを行っていたんだな。

  「誰に新しい総理大臣になってほしいですか?」という質問。

  聞かれた街の人は、代表選に出馬していた5人の顔写真の下に、お花のシールを貼っていくんだな。

  誰が一番多かったかということは、もう総理も決まったことなので書かんけど、俺がいちばん憤慨したのは、『誰がなっても同じ』という欄に、多くの街の人たち(二番目に多かったかな)がシールを貼っていたことなんだ。

  街といっても、商店街を中心とした場所でのインタビューだったので、主婦たちが回答者の中心を占めていたのではないかと思う。

  俺が頭に来たのは2点ある。

  ☆☆☆

  ひとつめは、『誰がなっても同じ』なんて訳知り顔で言うな!ということ。

  アンタたち(インタビューへの回答者たち)は候補者5名のことを知ってて、そんなことを言っているのか?

  知りもせんくせに、『誰がなっても同じ』なんていうことを抜かすんじゃない!と、俺は言いたい。

  もしアンタが小さな子供の母親だったとしたら、その罪はさらに大きいぞ。

  子供がお母さんから受ける影響は大きい。お母さんが、そんな厭世的なことを言った途端に、子供たちは将来に対する夢や希望をなくすんだ。この国を自分たちが将来しっかりと立て直していくんだ!という当事者意識を失ってしまうんだ。分かってるのか?

  ☆☆☆

  ふたつめは、テレビ局。

  本当に最近のテレビ(特に民放)は、どうしようもない。主義主張をもった偏向報道ならばまだ許せる(いや、それも本当はダメなのだが)。アイドルや芸の浅い芸能人たちのオチャラケ番組に徹するのならばそれでもよい。

  しかし、我が国の総理大臣候補を問うアンケートで『誰がなっても同じ』などという選択肢をわざわざ作り、それを無知な街の人々に回答させ、いかにも大多数の人たちは『日本の総理大臣は誰がなっても同じだと思っているようです』なんていうことを公共の電波を使って流す。

  なんだそれは?

  アンタたち(番組を制作している人間たち)は何を考えているんだ、と言いたい。

  ☆☆☆

  少なくともお前らは、そんな無責任な社会人になってはいかん。無関心な親になっては、もっといかん。

  我が国の総理大臣に対してのことだけではない。

  お前らの周辺で起きていることすべてに対してだ。

  無関心はいかん。すべてを他人事ではなく「自分事」として捉えよ。

  そして他人のせいにするな。自分だけ安全なところにいて、訳知り顔で他人を批判し非難するだけの評論家にはなるな。

  もちろん言論は自由だが、その言論の及ぼす影響範囲や責任というものを考えろ。

  もし、お前がマスコミに入りたいと思うんだったら、上のようなふざけた番組しか作れない現状を変えてくれ。チャラチャラしたうわべのカッコよさや見栄えのよさだけでマスコミには行かないでくれ。

  すべてを「自分事」として捉え、自ら責任を持った発言と行動をし、結果を残した社会人こそが、本当にカッコイイ社会人だと俺は思うぞ。

  じゃ、また来週な!

 

早いものだ。8月4日から始まったリレー講座 「ニッポンの若者に会わせたい一流の社会人」も、昨日で四回目。週に1回のペースで行なっている。

昨日の講師は、三菱商事人事部長の藤田潔さん。講演タイトルは「総合商社における仕事とは?」。

いやあ、さすが三菱商事。口コミだけで多くの学生が参加してくれた。いちばん多かったのは大学3年生なのだが、2年生も、1年生も結構な人数(全体の2~3割くらいかな?)来てくれたのが嬉しかった。終始、すごい熱気だった。

Relay4th 

三菱商事の藤田さんと僕とは、丸7年間のお付き合い。当時、藤田さんは、ヒューマンリンクという三菱商事の100%子会社の社長を務めていた。28年前の入社以来、本社の人事畑が長かったのだが、その後、現場のプロジェクトに参加、そして、欧州英国現地法人の総務人事を務めたあと、事業会社であるヒューマンリンクの社長として抜擢されたのだった。

藤田さんは即断即決の親分肌。ヒューマンリンク社は、それまで新卒者の定期採用を行なっていなかったのだが、僕らが提案した際に、「よし、やろう!」と、すぐその場で同社の新卒採用スタートを宣言し、周りにいた人事担当者の皆さんを慌てさせたこともある。もっとも藤田さんは、本社の人事部時代、新卒採用のリーダーを務めていたこともあり、学生と接することが大好きだったのだ。以来、藤田さんの社長在任中、僕らはずっと同社の新卒採用業務のパートナーを引き受けていた。

そんな藤田さんが三菱商事の人事部長として本社に戻ったのが2年前。その後も年に数回は情報交換したり飲みに行ったりしていた。

そんな付き合いもあり、今回のリレー講座の講師も快く引き受けてくれたのだった。

昨日はタイトル通り、総合商社の仕事の概観を説明してくださったのだが、それ以上に、キャリアに関する深い話を多くしてくださっていた。学生諸君がこれから様々な会社を見、様々な先輩たちと会い、自分に相応しい職業を考え選択する上での、貴重なアドバイスだった。

講演が終了したのちの、職サークル協賛企業人事担当者も加わってのワールドカフェ(6人1島のグループが10島できていた)や交流会も、多いに盛り上がった。1年生も2年生も、積極的に社会人を掴まえて話しかけていたのが嬉しかった。

藤田さん、昨日は本当にありがとうございました(その後、地下一階のお店で、パフのスタッフ向けに行なってもらった番外編の講義も楽しかったですね^^)。これからもまた、無理なお願いを急にするかもしれませんが、よろしくお願いします!

 

さあ。これで全8回のリレー講座の半分が終了したことになるのだが、次回以降も、各界で活躍している講師たちが続々登場する。来週は、あの常見陽平さんの登場だ。常見さんは、今回のリレー講座講師8人中、最年少ではあるのだが、放出されるエネルギー量は最大級かもしれない。楽しみだな。

さて、本日こそはピッチをあげて引っ越しの準備をしなければ。

では、そろそろ行って来ます!

小須田部長になった日

2011年8月30日 (火曜日)

事務所移転まであと5日となり、いよいよ身の回りの整理を始めた。段ボールを2箱ひろげて、「いるもの」、「いらないもの」とに分類する。

まるで小須田部長になったような気分だ。

僕が「これは捨てられないよな~」と思いながら、いるほうの段ボールに入れようとすると、心の中に原田泰造が現れて、「それはいらないでしょう~」とニタッと笑いながら囁いてくる。そして僕は、泣く泣く、いらないほうの段ボールに放り込む。

そんなことを昨日の夕方以降、ずっと繰り返していた。

でも、途中すごいお宝がザックザックと登場した。

いちばん感動したのが、創業時(1998年~1999年)にインターンシップの学生を募集したときの応募書類と、初めての新卒社員を募集したとき(2000年)の応募書類。全部で50人分くらいの履歴書や作文やメールがファイリングされていた。

10~13年もの昔の応募者たちなのだが、不思議なことによく覚えている。採用された学生はもちろんなのだが、不採用となった学生たちが懐かしく思いだされる。1998年に応募してくれた(当時の)学生は、もう35歳くらいになっているはずだ。いまごろ、どこで何をやってるんだろうな~と、感慨にふけっていた。

その応募書類の数々は、さすがに「いらないもの」の段ボールには入れられず、そっと「いるもの」のほうに入れた。さすがの原田泰造も、許してくれたようだ。

まだ全体の一割くらいしか手をつけていないのだが、昨日片づけに要した時間が約3時間。うち、思い出に浸った時間が(推定)1時間半。果たしてこのペースで全部片づけ終わるのだろうか。きっと終盤は原田泰造が、小須田部長の手からすべての資料を取り上げて、「いらない」ほうのダンボールに捨ててしまうんだろうな……。でも、小須田部長のように、負けずに、力の限り、がんばろう(笑)。

 

ところで、本日は午後5時半から、 「ニッポンの若者に会わせたい一流の社会人」の第四回目だ。

本日の講師は、三菱商事人事部長の藤田さん。

藤田さんとは、かれこれ7年間のお付き合いになる。藤田さんが三菱商事の人事関連サービス子会社の社長を務めていた時代に、いっしょにその子会社の新卒採用に取り組んだのだった。

藤田さんは、「ザ・商社マン」のカッコイイ雰囲気と、人懐っこい人間臭さの両面を兼ね備えた、魅力的な人物である。学生にどんな話をしてくださるか、とても楽しみなのである。

 

さて、本日は日本の総理大臣が入れ替わる日でもある。40代の総理大臣が誕生するかも…と期待していたが、それは今回は実現しなかった。しかし、40代ではなかったものの、僕とほぼ同年(3学年先輩かな)の新総理。旧弊を打破し、新しい活力をニッポンにもたらしてくれることを期待したい。

では、僕はしばらくは小須田部長モードで、行って来ます!

月曜日。いよいよ築地で仕事をする最後の週の始まりだ。来週の月曜日からは日本橋茅場町が勤務地となる。

思えばこの28年間。いろんな場所で仕事をしてきた。

ここで、これまでの勤務地を振り返ってみようか。

 

1983年 1月~ 神田多町

1983年 4月~ 神田鍛冶町

1984年 3月~ 水道橋と時々埼玉県上福岡

1985年 4月~ 九段下と時々埼玉県上福岡

1989年 5月~ 丸の内と時々渋谷

1990年 6月~ 渋谷

1992年 9月~ 五反田

1997年12月~ 新富町(ここからパフ)

2000年 5月~ 月島(正確には佃)

2004年 6月~ 築地

2011年 9月~ 日本橋茅場町

 

うーん。こうやって書き出してみると、それぞれの場所で、それぞれの思い出があるなあ。

一時、(出向などの関係で)勤務地を掛け持ちしていたこともあるが、この28年間で10カ所のオフィスで仕事をしていたことになる。パフを創ってからは3か所。今度の茅場町で4カ所めになるのか。

でも、いままでの人生の中で、現在の築地が最長。なんと7年間もいたのだ。

そうか、そんな長い期間いたのか。なんだか感慨深く思う。

築地で過ごす最後の5日間。大切にしよう。

ということで、本日のメインの仕事は書類整理とダンボール詰めだ。

では、ラストファイブデイズ。そろそろ行って来ます!