南こうせつ先輩に感謝
2010年4月18日 (日曜日)
南こうせつ氏は、僕の高校(大分舞鶴高校)の先輩であり、大学(明治学院大学)の先輩でもある。といっても、同じ時期に通っていたわけではない。こうせつ氏のほうが僕より11歳も年上なのだ。
南こうせつ氏のことは、僕が小学生の時分から知っていた。「酔いどれかぐや姫」という奇妙な唄を歌っていたのを覚えている。地元のラジオ局でたまに紹介されていた。ヘンなフォークグループだなぁ…という印象しかなかった。
それが一変したのが、僕が中学一年生のとき。「神田川」が大ヒットしたのだ。
その2年後、僕は南こうせつ氏の母校である大分舞鶴高校に入学する。そして、南こうせつ氏が放課後、仲間たちと歌っていた音楽室で、僕もフォークギターの練習をするようになる。
僕が高校2年生のとき、南こうせつ氏が大分放送の深夜のラジオ番組に生出演していた。僕は下宿の部屋を飛び出し、急いで放送局まで自転車を漕いだ。放送局の玄関前での生放送だった。そしてなんと僕は、こうせつ氏に話しかけてもらった。「おお、キミは舞鶴の後輩かー」「は、はい!」と、たったそれだけのやりとりだったが、ずいぶんと舞い上がったものだ。
僕が南こうせつ氏と同じ大学に進んだのは、まったくの偶然。大学に入学して初めて、こうせつ氏がこの大学の出身だと(正確には中退だけど)いうことを知った。そもそも大分舞鶴高校から明治学院大学に進む生徒は、当時ほとんどいなかった。大分の人間には、明治大学と明治学院大学は一緒の大学だと思われていたくらいだ。こうせつ氏は東京に出ることが第一目的で、「たまたま合格した大学が明治学院大学だった」と語っている。なんだか僕と似ている。
と、なんでまた突然に、こんな思い出話を書いたのかと言うと、今週の日経新聞夕刊の「人間発見」という連載は、南こうせつ氏の話だったのだ。『若き日々を呼び覚ます』というタイトルで、子供時代、高校時代、大学時代、プロになってからの裏話などを、5日間にわたって南こうせつ氏自身が語っていたのだ。連載されていることは知っていたのだが、きょう5日分を、やっとまとめ読みした。
こうせつ氏は、1980年代なかばからずっと、平和チャリティーコンサートに力を入れている。そのことについても連載で触れていた。こうせつ氏は、曲が売れて有名になったあと、「なぜ自分は有名になったのか。何かの使命があって有名人にさせてもらったのではないか」と自問自答することがよくあったらしい。たまたまミュージシャン仲間(山本コウタロー氏)から誘われて協力した「広島ピースコンサート」に出演して、その答えが見つかったのだという。「核兵器の廃絶、平和を訴えるために自分は有名になったのだ」と。
数年前、こうせつ氏は、北朝鮮拉致被害者の家族を励ますために日本に訪れていたPPMのポール・ストーキーさんと一緒にチャリティーコンサートを開いたこともある。僕はとても縁を感じて(PPMは我がパフにとって切っても切れない関係)、コンサートを観に行ったのだった。
そんな南こうせつ氏が今回の連載の締めくくりで語っていたことに感動した。
「人々が悲しく、つらいとき、そばに寄り添うようなメロディーを今後も大切にしたいですね」
南こうせつ氏、今年で61歳である。僕の尊敬する先輩のひとりだ。僕も、こうせつ先輩に倣って、使命感をもった仕事を続けていきたいと思った。
よし。11月13日の新潟ライブ(釘さん生誕50周年ライブ)では、南こうせつ先輩の曲は絶対に外せないな。歌うぞ。
就職情報会社に必要なこと
2010年4月17日 (土曜日)
昨夜は、採用プロドットコムの寺澤社長と就職ジャーナリストの常見陽平さんと僕の3人で集まって激論を交わした。とても楽しかった。鰹のたたきも美味しかった。
常見さんは(本日のブログでも書いているが)「若者はきっと変身できる」と熱く語っていた。僕もそう思う。そして、就職情報会社もきっと変身できると思う。いや、変わらなきゃいけない。
そして企業も、現在の採用姿勢を変えなければいけない。ぜんぜん透明でも正直でもない採用を行っているのに、オープン&フェアなんて言ってはいけない。本当の採用基準をきちんと学生に知らせるべきなのである。ターゲット校を定めている現実を伝え、ターゲット校ではない大学の学生には早い段階で諦めてもらうべきなのである。それが現実であり、オープン&フェアなんじゃないかな。
一方で、大学も変わらなきゃいけない。大学生のレベルが下がったといわれる現実にどう向き合うか。最近やっと文科省も、大学生を早期から職業人として育成しなきゃヤバイと気づき、施策を打ち始めてきた。でもやっぱり中から変わらなきゃ駄目だ。いちばんは教授・先生・職員たち。学生の身近にいる先生や職員がいちばんの魅力あるキャリアモデルにならなきゃ。社会を、経済を、産業を、なにより働くリアルを、もっと勉強しなきゃ。この国の99%を占める中小企業の凄さを、もっと学生に伝えなきゃ。
そんなことを3人で激論していた。
あ、そうそう。パフにタカタという入社5年目の営業マンがいる。営業成績はいまいちなんだけど、一昨日とてもいい提案をしてきた。提案のタイトルは「就職情報会社に必要なこと」。昨夜はそのことも話題に出た。提案書の中身はさすがにオープンにできないのだが、あとがきだけを下にコピペしておこう。なかなかの名文だ。これからの就職情報会社を変えてくれるのは「売れない営業マン」なのかもしれない。僕も昔(リクルートにいたころ)は、売れない営業マンだったしね。
さて、本日は朝から歯医者だったんだけど、この後は家に篭る。先週、娘とのチャンネル争いに敗れて観られなかった龍馬伝もさっき観た。他にも録りためていたテレビ番組や、買い溜めていた本が山ほどある。時間が足りない。インプットが追い付かないなあ。
では、以下、タカタの提案書の「あとがき」をご覧ください。
1968年。
江副氏が就職ジャーナルを創刊した。
リクルートの営業マンが、鬼気迫る思いで全国からかき集めた就職情報は、圧倒的弱者であった若者にとって非常に貴重なものであった。
また、企業としても(特に中小企業にとっては)、今まで会えなかった人を採用できるという革命的な価値があった。
リクルートがいなければ、新卒文化はこれほどまでに日本に根付かなかったと思う。
リクルートは、闇に包まれた就職情報を学生に開放した革命運動家であった。
それから、42年。
就職業界は、江副氏のモデルを引き継いだだけであり、本質的には何も変わっていない。
それどころか、長い年月を経て、革命家は独裁者となった。
ナポレオン、カストロ、レーニン、金日成 、毛沢東。いずれも長期にわたる権力が革命家を独裁者に変えた。
Rは、独裁者である。
学生のための情報の公開という思想を忘れ、情報の独裁者になった。
企業はRがいなければ採用ができなくなったし、それだけならまだしも、自分のライバルを市場から締め出そうとしている。
まさしく、独裁者である。
就職業界は変っていないが、世の中は変ってきている。
テレビは見られなくなり、音楽が買われなくなり、新聞・雑誌も読まれなくなった。いつでも低コストで、文字、写真、音声、映像を簡単に伝えられるようになった。
世の中に情報の独裁者は、必要がなくなってきている。
独裁者が操作する情報をありがたく受け取る必要はなく、情報はみんなで発信し、みんなで共有するものになった。
もう一度、歴史の話に戻るなら、独裁者は、常に民衆の力によって駆逐される運命にある。
今度の革命は、一人の天才が起こすものではない。一人ひとりが自分の範囲で起こすものだ。
もう一度、就職情報を学生の手に。
就職情報会社に操作された情報ではなく、働く人の生の情報を学生のもとに届ける。
今学生に必要なのは、誰か知らない人が届ける情報ではなく、顔の見える信頼する人が届ける血の通った情報だ。
必要なのは、一方通行の情報ではなく、双方向な情報だ。
もう一度、人々がイキイキと働くことを語れる世の中にしよう。
キャリアカウンセリング開始
2010年4月16日 (金曜日)
職サークル協賛企業を対象とした新卒紹介事業が、ひっそりとスタートしている。
企業からは求人を募集し、一方で学生とは面談(キャリアカウンセリング)を行う。
今年はスタートの年なので、僕が学生との面談を担当することにしている。
昨日もひとりの学生との面談を行った。きょうも数名との面談が予定されている。
この時期の学生は厳しい現実と直面しているため、僕らが発する一言一言に敏感に反応する。
学生にしてみれば初の就職活動。初の社会との対峙。悩むのも分かる。自信がなくなるのも分かる。
でも、どんなにカウンセリングを丁寧に実施したとしても、やっぱり最後は本人の問題。
等身大の自分を理解してもらわないといけない。働くということ、仕事というもの、会社というものを、もう少しリアルに感じてもらわなければいけない。食わず嫌いをなくしてもらわないといけない。安定は求めるものではなく自分で作りだすものだということを理解してもらわねばならない。
キャリアカウンセリングに訪れる学生は答えを求めてくるが、答えは自分の中にしかないことを最後には理解してもらわねばならない。
キャリアカウンセリングとは、つくづく根気が必要な仕事なのである。
ところで今夜は、就職、採用のオーソリティたちとの会談が予定されている。僕自身もたくさんのインプットとアウトプットをしなきゃな。
では、行って来ます!
国際就職活動家!
2010年4月15日 (木曜日)
今夜は柔道の日。先週も書いたが、僕に柔道の手ほどきをしてくれている25歳の先生がいる。
この先生、名前をU君という。実はU君は、就職活動生でもある。
小学校のときから大学4年生まで、ずっと柔道一直線の生活を送っていた。卒業後、柔道以外の経験も積んでおきたいということで、就職はせずに、一念発起してカナダに留学していた。そしてつい最近、帰国してきた。
帰国後すぐに(現役時代も通っていたという)丸の内柔道倶楽部で柔道の稽古を再開した。
そして同時に、就職活動も始めた。
が、日本の多くの企業(特に大手企業)は、彼のようなキャリアをなかなか受け入れようとしない。まず新卒として扱ってもらえない。かといって中途採用の枠組からも外れてしまう。
そんな折に、僕と丸の内柔道倶楽部で知り合った。僕は新人。U君は大ベテランである。
僕は柔道を教えてもらっているお返しに、U君のキャリア相談に乗っている。
そして本日、汗だくの稽古が終わった後、U君はパフに寄ってくれた。
そこでもらった名刺が凄い!
名刺の肩書きのところに、こう書いてあったのだ。
『国際就職活動家』
ナイス! 素晴らしい!!
こういう優れたセンスを持ち、柔道の腕前も超一流、礼儀正しく根性もあり、外国人とのコミュニケーションもバッチリできる。
こんな若者が就職に苦労しなくても済むような日本にしたいものだ。じゃないとホントに世界から取り残されてしまうぞ。
がんばれ国際就職活動家!!
旨いぞ!宇都宮の餃子
2010年4月14日 (水曜日)
今日は、朝から宇都宮に入った。朝8時の新幹線に乗ると、もう9時まえには宇都宮に到着である。近いものだ。
先日(土曜日)の日記にも書いたように、本日は「不撓不屈」の主人公が創業した会社(T社)の新人研修だった。宇都宮のホテルに、大卒新入社員136名が一堂に会していた。
136名に対する新入社員研修。圧倒されそうな数だ。
僕が講師となったわけだが、僕の本業は研修の講師ではない。これだけの人数の研修を、うまく切り盛りできるのだろうかという一抹の不安はあった。
が、しかし、この仕事はぜひ実施したかった。
なぜならT社は、9年前より我々パフの理念に心底共感してくださっている古参の協賛企業だったからだ。人事の方々は、毎年、最大の情熱と愛情をもって新卒採用を実施している。
さらに、土曜日の日記にも書いたように、この会社の主人公をモデルにした映画(不撓不屈)を拝見し、あらためてこの会社と創業者の凄さに、僕は感銘を受けていた。
研修の内容にはあえて触れないけど、いやー、よかった。自分でも感動した。新人136名のおかげである。
研修の最後はふたつのことで締めくくった。
ひとつはもちろん、『うまれよ』だ。この『うまれよ』は、もうすっかりパフの専売特許だ。『うまれよ』がなければパフじゃないくらいの象徴的な存在なのである。
そしてもうひとつ。僕が感動した『不撓不屈』の映画のワンシーン。約6分間の映像を映し出した。主人公(T社の創業者)と長男(T社の現在の会長)との心温まるシーンである。「仕事とは?」「正義とは?」「家族とは?」を、凝縮して表現したシーンだと思う。不覚にも観ていてまた泣きそうになった(この映画は、もちろんプロパガンダが目的で製作されたものではない。むしろ創業者(故人)の奥様は最初、この映画の製作に反対していたらしい)。
なにしろ、この映画のおかげで、研修の最後を無事飾ることが出来た。
さて。研修会場を後にした僕ら(僕とヨシカワとオオハシの3名)は、一路、宇都宮駅の中にある餃子屋さんを目指した。
僕らのほかに引率が一名。T社の人事責任者Iさんだ。今回の研修は、実はIさんの肝いりで、僕たちが実施することになったのだった。
Iさんのお勧めの餃子屋で、楽しい反省会。美味しいビールも飲んだ。美味しい日本酒も飲んだ。そしてなにより、やっぱり宇都宮の餃子は旨い!!
さて。明日は久々の会社である。
大仕事がひとつ終わったので、気持ちもカラダも少し軽くなった気がする。
とはいえ、やっぱり予定は結構詰まってるな。
あ、そして夜は柔道だ。あすは背負い投げの打ち込みに励むことにしよう!!
旨いぞ!金沢の回転寿司
2010年4月13日 (火曜日)
きょう(時間的には昨日というべきか)金沢まで日帰りで行って来た。
帰り道。昼ご飯を食べていなかったので、お腹がペコペコだった。
空港行きのバスの出発時刻まで15分ほどあった。場所は近江町市場というところの商店街。
回転寿司の看板が目に入った。
迷わず入店。回転寿司なのに寿司は回転しておらず。すべてオーダーメードだった。
三皿を即座に注文。
まぐろ、アジ、ヒラメ
うん。美味い! さすが北陸。回転寿司でこの味はさすがだ。
明日は(というかあと数時間後は)、栃木県の宇都宮である。
帰りはやっぱり餃子かな。
このところ味気ない日帰り出張ばかりなので、せめてもの抵抗で美味い物をたべなきゃな。
さりげなくライブ開催を告知する日
2010年4月11日 (日曜日)
日曜日。きょうは朝から会社に行って資料の読み込み。
で、その合間に観たものがある。
2月27日に松山で行われたコンベックス社10周年記念ライブの映像だ。金曜日のFネットの会議のときに遠藤社長が持ってきてくれた。
これがまた本格的な編集でびっくりした。僕のゲストステージもなかなかいい感じ。唄とギターとハモニカは笑ってしまうくらいにヘナチョコなのだが、映像がなかなか良くて、まるでプロのステージみたいだった。
以前の日記でも書いたが、僕も11月には生誕50周年ライブを新潟で強行開催する予定だ。遠藤さんに倣ってDVDも作ってみようかな。
#ライブは11月13日(土)に決まったので、日記読者のみなさんにもぜひお越しいただきたいと思ってます。
夜はお楽しみの龍馬伝のはずだったのだが、今夜は娘とのチャンネル争いに負けてしまった(というより戦う前に譲ってしまった)。自分の部屋の小さな(16インチしかない)テレビで観たのだが、眠くなってしまった。画面が小さすぎてモチベーションがガタ落ちだったのだ。こりゃ土曜日の再放送を観るしかないな。
あ、そうだ。今週の日経ビジネスを読んだのだけれど、今週は「新卒採用」の特集だった。知り合いのコメントが多数掲載されており嬉しかった。
なかでも「破壊と創造の採用会議」の同志である常見陽平さんが巻頭インタビュー(写真付き)でフル1ページ掲載されていたのには感動した。常見さん最近すっごい頑張ってるな。あの行動量、執筆の量と質、スピード、情報感度の高さ。心地よい刺激を受ける。
さて、明日から2日間、また東京を離れる。明日は金沢、明後日は宇都宮だ。
本当は金沢には一泊したいんだけどなあ。明後日の宇都宮は朝が早いので間に合わなくなってしまうのだ。
さ、明日も朝早いので、そろそろ寝ることにするかな。おやすみなさい。