うたたね最高記録の日
2010年4月25日 (日曜日)
昨夜は今年初めてのMSPの会合。数度におよぶリスケの末、やっと開催することが出来た。MもSもPも、いろんな課題を抱え&乗り越えの連続なのだ。
さて、本日は土曜日。
朝から自宅の掃除や資料の整理を行ったのち三田の床屋へ。終わって一服して、家に帰ってクリーニング屋にいったりする。
そうこうするうちに夕食の時間。
僕が家族と夕食を共にするのは、毎週土曜日か日曜日のみ。嵐がどうしたとか、ジャニーズがどうしたとか、ドラマの新作がどうのとか、そういう他愛のない会話ばかりなのだが、それでも大切な時間である。
夕食を終えるやいなや、猛烈な睡魔が襲ってきた。
今週は平均睡眠時間は3~4時間程度だったし、いろんなことがあったので心身ともに疲れがたまっていたのかもしれない。
「ちょっと横になる」といって、フローリングの床にどかっと倒れこんだ。たぶん夜の8時前だったと思う。
ふっと目が覚めた。
なんと時計は午前1時過ぎ。
5時間以上も、フローリングの床に転がって寝ていたのだ。いちおう家族が毛布をかけてくれてはいたが。
いやあ、まいった。
今夜、見たかったテレビや読みたかった本もあったのに。
ともかく風呂に入り、いまこの日記を書いている。
さて、このまま起き続けるべきか、ちゃんと布団を敷いて寝なおすべきか。
うたたねだけじゃ、疲れはとれてないだろうなぁ。
明日は朝から会社で会議。そして月曜日の(また後日詳しく書くけど)新プロジェクトによるセミナーの準備などしなければならない。
今夜のところはやっぱり、明日以降の怒涛の毎日に備えて寝ることにしますかね。
ということで、本日は、うたたね最高記録の日なのでした。
再度しっかりと、おやすみなさい
企業のオモテとウラ
2010年4月24日 (土曜日)
「オモテウラ」がない人というのは、とても好感が持てる。開けっぴろげで腹蔵ない意見を交換できるし、信用・信頼できる。自分も、そういう人になりたいと常々思う。
ところが、企業というのはやっかいだ。オモテとウラが必ずある。特に、採用広報で学生に見せている顔は、化粧をしたオモテの顔なのである。まあ、企業によって厚化粧だったり薄化粧だったりする違いはあるが。
ちなみにパフは、化粧品を買うお金が無いので、すっぴんで勝負するしかない。そういう会社もあるにはあるが、稀だな(苦笑)。
昨日、つい先日までとある上場企業の社長を務めていた某氏(Sさん)とランチミーティングの機会をいただいた。
その企業が設立されるまでとS氏が社長になった経緯。会社が成長して上場するまでに至った過程。上場後の混乱。リーマンショック後の大リストラを断行せざるを得なかった経緯と苦悩。会社復活に向けてのオーナー(会長)との意見の衝突。今回、退任することになった(決してオモテには出せない)ウラ話の数々。
約1時間程度ではあったが、食いつくように話を聞かせてもらった。
どうしてSさんは、(実は僕とは本日が初対面であったにもかかわらず)こんなウラ話を聞かせてくださったのかと言うと、共通する信頼できる友人が何人もいたからなのだ。お互いの信頼関係に基づいて、「真の話=ウラ話」を聞かせてくださった。
企業には、「オモテ」には出せない「ウラ」の話がたくさんある。そして、「ウラ」の話は、マスメディアには出てこないが、ネットで出回ることがよくある。
しかし、ネットで出回る情報は、多くの場合とても不正確なものである(まあ新聞やテレビなどのマスメディア情報も正確じゃないことのほうが多いけど)。
情報を流す人の(悪意も含めた)主観が付け加わった情報になりがちだからだ。
本当のことは、やはり自分の目と耳と足で見つけに行くしかない。そして、それをどのように処理・判断するかも自分なのだ。
学生諸君にも、このことは十分に理解してもらったうえでの就職活動を行ってほしい。
でも、念のため断っておくが、「ウラ」のある企業が、悪い企業であるということではない。「ウラ」を、(公の場では)見せるわけにはいかない企業の事情がある。
そんななかで、いかに企業の真の姿を引き出していくのかは、やはり学生諸君一人ひとりの努力に委ねられているのだ。
怒髪、天を衝くのを堪えた日
2010年4月23日 (金曜日)
「堪忍袋の緒が切れる」という言葉は、もう死語なのかな。「怒髪天を衝く」という言葉もあるな。
まあ、なにしろ(瞬間的ではあるが)、そういう気持ちになることは僕も人間なので、ある。特に、社長という立場の人たちには、そういう瞬間って、結構な頻度で訪れるのではないかな。
で、僕の場合は、そういうとき、最近はぐっと堪えることにしている。めったなことでは、すぐに怒鳴ったりしない。
しかし、それが本当に良いことかなのかどうか、最近よく考える。
たまには理性を失うくらいに(それが演技であったとしても、そして本意ではなかったにしても)怒り狂った方が、ことの重大性が伝わるのではないかと思うこともある。
考えてみれば、昔は僕も、かなり直情径行な性格だった。感情に任せて、ずいぶんと部下をどやしつけていたこともある。
最近は年をとってきたせいか、一呼吸置くようになった。それが良いことかどうなのか、正直わからない。
ま、ケースバイケース。良いときもあれば悪いときもあるということなのだろうが……。
年をとったら怒るより、野村監督のようにボヤきつづけるほうが、ひょっとしたらいいのかもしれないな。
あんたはどげえ思う?
熊本の社長同窓会だった日
2010年4月22日 (木曜日)
夕方、汐留でのアポが終了したのち、飯田橋に向かった。汐留から飯田橋まで地下鉄大江戸線で一本。ぐるっと大回りではあるが、乗り換えせずに行けるので便利なのだ。
飯田橋は、とある会合に参加するため。とある会合とは、3年前から2年前にかけて熊本に参集していた僕を含む社長たちの同窓会なのである。
会合の開始時間は18時半から。汐留を出発したのは17時半。余裕で到着するはずだったのだが、うっかり電車を乗り過ごしてしまい15分もの遅刻。疲れていたのか眠りに落ちてしまったのだ。新宿まで行っちゃった。大反省。
ところで、この同窓会は約1年ぶり。
熊本のK社の元社長M氏。教育研修会社社長のH氏。組織コンサル会社社長のI氏。そして新卒採用コンサル会社社長の僕。この4人で、熊本のK社の経営改革を行っていた3年前が懐かしい。
会合での話の中心は、若者の将来をどう創っていくべきか。いやあ、楽しかったな。いろんなワクワクする提案が出てきた。
かつて熊本で同じ釜の飯を食べた(というか共通の目的で仕事をした)仲間たち。いまでは、ぜんぜんバラバラの立場とミッションをもっている4名であるが、こうやってたまに集まって飲めるのが嬉しい。こういう関係は大切にしたいものだ。
0と5の付く日は玉子の日
2010年4月21日 (水曜日)
帰り道、久々に博多ラーメンの「ふくちゃん」で晩御飯を食べた。
昔は週に1回は帰り道に食べていたのだが、このところ店に入ることすら少なくなった。
なぜか。
閉店時間が夜の11時半になってしまったからだ。
帰り道、店の前を通ると、すでに店じまいとなっていることが多いのだ(昔は午前3時くらいまでやっていたのに経営方針が変わったのかな)。
が、きょうはまだ開いていた。時計を見ると夜の10時半。閉店まであと一時間もある。
吉野家で牛丼を食べようと思っていたのだが、急きょ計画変更。ふくちゃんに入った。
するとラッキーなことに、「本日は玉子が無料食べ放題」という張り紙が。
0と5が付く日、つまり5日、10日、15日、20日、25日、30日は、ゆで玉子を無制限に食べられるということだ。
僕がオーダーしたのは、とんこつベースの味噌ラーメン。
しばらくするとラーメンが出てきた。
が、器のなかを覗きこんだ瞬間ショックを受ける。
すでにゆで玉子が入っているじゃないか!
安いラーメンにしておけば良かった。なんだか損をした気持ちになってしまった。人間って悲しいものだな(苦笑)。
でも、せっかくなので、玉子をひとつ追加して味噌ラーメンに入れた。
ちょっと前(といっても10年以上前)なら、3個も4個も追加していたかもしれない。が、さすがにもう無理だな。
ともあれ、0と5の付く日は玉子の日。僕の頭の中に、完全にインプットされた。
あとは11時ころまでになんとか入店できるように頑張る。そして玉子がはいっていない安いラーメンをオーダーしよう。
ああ、なんて、どうでもいいことを書いてしまったのだろう……。
でも、これぞ「釘さん日記」の面目躍如なのである。
月曜日は論語を朗誦する日
2010年4月20日 (火曜日)
昨年の11月、閑谷学校(岡山県)に行った時に仕入れた論語の教科書。僕はこれを毎週月曜日の朝の全体朝礼のときに二句ずつ読み上げるようにしている。
「あいうえお論語」とよばれるこの教科書は、五十音順に代表的な論語が収録されている。昨年の11月末から開始したので、そろそろ終盤となった。
昨日の論語はこれ。
【み】道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ
【む】無為(むい)にして治(おさ)むる者は、其れ舜(しゅん)か
読んでいていつも思うのだが、2,000年以上も昔のことなのに、現代を生きる人間にもぴったりとあてはまる。リーダー(君子)として、部下(弟子)として、書生(学生)として、若者として、そして人間として大切なこと(=本質)は、何千年経とうが不変であり普遍なのだ。
ところで昨日の夜は、
朋有り、遠方より来たる。また楽しからずや
を地で行くようなことがあった。二人の友が夜8時にパフまで訪れてくれた。二人は僕にとっては昔からの友なのだが、ふたり同士は昨日が初顔合わせ。その後3人で楽しい歓談の時間を過ごした。嬉しい。楽しい。感謝なのである。
勝麟太郎が登場した日
2010年4月19日 (月曜日)
朝食後、横浜方面に出かけた。
行き先は、JR関内(かんない)駅から徒歩5分程度のところにある横浜文化体育館。
全日本女子柔道選手権大会の観戦に出かけたのだった。
この大会の試合は、体重別ではない。無差別級のみで行われる。40Kgだろうが120Kgだろうが、皆同じ土俵(って畳だけど)のうえで勝負する。
柔道のだいご味とは本来、『柔よく剛を制する』ところにあった。つまり小さなものが大きなものを投げ飛ばしてこそ本来の柔道なのである。
しかし、国際競技になってしまった柔道は、階級別があたりまえになってしまった。
が、本日の大会は無差別級。
とはいえ、さすがに小さな選手は出ていなかったのだが、それでも70Kgの選手が120Kgの選手を相手に、正々堂々と戦う姿は、観ていて気持ちよかったな。
本日見事に優勝を飾ったのは、塚田真希選手(綜合警備保障)。僕が応援していた選手ではなかったのだが、いやあ、立派だった。敵ながらあっぱれだ。この大会での優勝は9年連続だとのこと。すごいことだ。試合後の優勝インタビューでは、ボロボロに泣いていた。戦いに勝った後の涙って、なんだかとても感動するね。
試合終了後、横浜を後にして東京・築地のパフへ。夕方から会議が予定されていたのだ。
日曜日なのに会議。しかも夕方から夜にかけて。
むむむ。どうしよう。
いや、「どうしよう」というのは、会議のことではない。龍馬伝のことだ。本日は待ちに待った、勝鱗太郎(勝海舟)の登場なのだ。
会議が終わったのは夜の8時。すでに龍馬伝は始まっている。
でも大丈夫。
龍馬伝はBS2で、夜10時からも放送されているのだ。
ということで、帰宅後、夜10時からの龍馬伝を観たのだった。
うん。見ごたえあり。
きょうの龍馬伝がいままでのなかでもっともエキサイティングだったかもしれない。テンポがいい。熱さが伝わってくる。
勝鱗太郎を演じている武田鉄矢がさすがだ。武田鉄矢といえば坂本金八先生…ではなくて、坂本龍馬きちがいで有名。なんたって、彼が38年前に結成したフォークバンドを「海援隊」と名付けるくらいなんだから。
武田鉄矢は、龍馬の師匠である勝鱗太郎の役を、晴れの大河ドラマで演ずることになった。彼は、このことをとても意気に感じているという。その気迫が十分に感じられるものだった。
そして一時は相当に心配した福山龍馬も、やっと坂本龍馬として安心して観られるようになってきた。武市半平太のハゲタカぶりも十分な見応えだし。福田靖氏の脚本も冴えわたってきたな。来週からの展開が本当に楽しみなのである。
さて、明日からまた怒涛の一週間が始まる。昼も夜もパンパンパンダだ(このギャグ気にいっているのでしばらく使う)。肝臓に気をつけながら、がんばろっと。
<追:2010/04/20 Wrote>
武田鉄矢の矢の字が「也」になっていました。教えてくれたAOKIさんに感謝!! そして武田鉄矢氏とファンのみなさんにごめんなさい!九州出身の大先輩なのにね。失礼しました。
#気がついてた人はどのくらいいたかなあ……。