引き籠りの週末
2018年7月9日 (月曜日)
この週末、パフの社員たちは方々(といっても2か所)で仕事をしていた。ひとつは、今年の100×10チャレンジの告知のために出展した東京ビッグサイトでのインターン合説。もうひとつは渋谷で開催された100×10チャレンジの体験版みたいなイベント。
僕はなんの役割もなかったのだけど、この二か所にフラッと見学しに行くつもりでいた。
が、例の咳が鎮まらずに断念。ずっと自宅の部屋に引き籠っていた。
金曜日に呼吸器科に行って効き目のある(はずの)薬をもらって飲んでいるのだが、しばらくすると相変わらず咳き込んでしまう。
金曜日の夜、パフのオーオカの演劇(下北沢でやっていた)を義理でw観に行ったのだが、途中で咳の発作が起きてしまい、かといってゴホゴホやるわけにもいかず、口を塞いで必死に咳を飲み込んでいたのだが、「ウッ、ウッ」という嗚咽のような声が出てしまい、僕の前の席のお兄さんは何度も怪訝そうな顔で後ろを振り向いていた。お兄さん、ごめんなさい。観劇を邪魔するつもりはなかったんだけど…(+_+)。
そんなわけで、土日をじっと自室で引き籠って明けた今朝、やっぱり咳で目覚めてしまった😿。
うー、早く治したい。今週末までには治さなければならない理由がある。そのことはまたいずれ(^^♪
では、本日はもう引き籠っているわけにもいかないので、処方された薬をしっかり飲んで、行ってきます!
寝不足である。
2018年7月6日 (金曜日)
サッカーワールドカップのせいではない。
昨日も書いたけど、咳がひどい。
特に寝入りばな。ちょっとヤバいんじゃないかくらい発作のような咳が続いて寝つくことができない。夜中も咳が出て眠りが浅く、朝も咳で目が覚めるといったありさま。
もう1週間以上続いている。耳鼻咽喉科で処方してもらった咳止めもほとんど効かない。
咳って相当に体力を奪うものだ。こりゃ早く治さないと持たないな。
いつも行ってる耳鼻咽喉科ではなく、ちょっと呼吸器科にでも行ってみるかな。とにかく咳を止めなきゃね。
今朝は泣き言でごめんなさい。では日記もそこそこに、病院に行ってきます!
なぜか名古屋で経営塾
2018年7月5日 (木曜日)
昨日は朝から大きめの病院での検査。胸のレントゲンを初めてとして採血、医師の問診、そしてメインイベント(?)は、鼻腔から食道、胃、十二指腸、小腸にいたるまでの内視鏡検査を行った。
実は先週のアタマから喉に違和感があり、咳が止まらない症状が続いていた。2月末から症状は少しずつ違うものの、鼻や喉回りの炎症に悩まされている。
先日、行きつけ(になってしまった)の茅場町の耳鼻咽喉科の先生に診てもらったところ、「うーん。これは胃カメラ飲んでちゃんと調べてもらったほうがいいね」ということになり、昨日の病院への紹介状を書いてもらったのだった。
で、昨日の検査の結果。
「逆流性食道炎」との診断だった。逆流した胃液が食道や気管支を刺激して、喘息を引き起こしているらしい。
珍しい病気でもないらしいが、油断して放っておくと食道がんを引き起こす恐れもあるというから、ここはちゃんと治さねばならない。
飲みすぎ、食べ過ぎ、特に21時以降の飲食は絶対ダメとのことなので、しばらくは品行方正に過ごすことにしましょう。
検査を終えて次に向かったのはなぜか名古屋。
この4月から某大手証券会社の名古屋支店に異動となった、御年40歳の元パフインターン生がいる。西暦1999年のインターン生なのでパフにまだ誰も社員がいなかったころ。報酬ゼロで理不尽などぶ板営業をやっていたU杉という奴だ。
U杉はこの証券会社でTOPの成績を収めていた営業部門の管理職。順調に出世街道を歩んでいると思っていたのだが、一か月ほど前「ついに会社に辞表を出しました。この7月末で退職します。そして起業しようと思います。クギサキさん、相談に乗ってください!」という連絡が入った。
U杉の野郎、なに考えてんだ?
と、ちょっと心配になった僕は、このU杉の相談に乗るためにわざわざ名古屋までやってきた、というわけだ。
話を聞くと、U杉は会社の仲間数名と事業プランを立てていた。その事業プランは、僕らがやっている人材採用ビジネスにも密接に関わっている内容。であれば、ということで、おなじみ名古屋の名物・名大社山田社長も巻き込んでの起業相談と発展していった。
飲みすぎ、食べ過ぎ、21時過ぎの飲食には気を付けながら(笑)の、栄界隈での経営塾。あれやこれやアドバイスや忠告を行った。詳しい話は書けないけど、U杉にはちゃんとした事業を起こしてほしいものだ。
さて、今日はこれから、その名大社山田社長のところに真面目な打ち合わせをしに行く。まあ普通は打ち合わせというのは真面目なものなので、「真面目な」とか強調しなくてもいいのだけど、誤解する人が僕らの周辺にはたくさんいるので、あえて言います。真面目な打ち合わせです(笑)。
では、ホテルでささっと朝食後、行ってきます!
東へ西へ
2018年7月4日 (水曜日)
僕は自分でオヤジライブをやっているくせに、ほかの人のライブを(好きなミュージシャンのライブであっても)自分からすすんで観ることはあまりなかった。親しい友人から誘われれば行くくらいだ。
でも、それってもったいない。自分の残りの人生もそう長くはないだろうし、ましてや僕が中高生時代に好きだったミュージシャンは皆、僕よりも10歳前後年上。いつ鬼籍に入るかわからない。生で彼らの演奏や歌を聴く機会もそう多くは残ってないだろう。
ということで、これからはできるだけ時間を作って、昔好きだった(いまでも好きな)ミュージシャンのライブに行くことにした。
第一弾はこの人。
そう、井上陽水である。
僕は昔(10年くらい前)の「釘さん日記」でも陽水を熱く語っていたことがあった。ちょっと引用してみよう。
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井上陽水は、いま60歳(8月30日で61歳)。僕より12歳年上。僕と同じ、ねずみ年でもある。
デビューしたのが40年前ということは、陽水が20歳。僕がまだ8歳。小学校3年生のときなのだが、残念ながらこのときの陽水のことを僕は知らない。それは当然といえば当然。陽水はこのときまだ陽水ではなかったのだ。
1969年。“アンドレ・カンドレ”の芸名で陽水はデビューした。デビュー曲は、『カンドレ・マンドレ』。なんじゃそりゃあ?・・・という芸名とデビュー曲である。
当然のごとくまったく売れず、陽水は3年間、沈黙する。
1972年。陽水は、芸名を“井上陽水”(いのうえようすい)と本名と同じ字に改める(本名の読みは、“いのうえあきみ”である)。
僕らが陽水を陽水として認識するのは、ここからだ。僕が小学校6年生のときだ。そこからの活躍は、もうここには書ききれないくらいだ。僕たちに大きすぎるくらいの影響を与え続けた。
「拓郎と陽水、お前はどっちが好きだ?どっちが上だと思う?」なんてことを、よく友達と言いあっていた。
どっちも凄いシンガーだが、僕の好みは、断然、井上陽水だった。
あるときは過激で、あるときは美しいメロディー。あるときは繊細かつ情緒あふれ、あるときは支離滅裂かつ難解(でも深い意味がありそう)な詩。甲高くも深みと透明感あふれる歌声。掴みどころのない天才シンガーソングライターだった。
1972年12月、アルバム『氷の世界』がリリースされた。いま聴いても、ちっとも陳腐じゃない、すごい曲が詰まったレコードだった。一曲たりとも感動しない歌はない。
嗚呼、井上陽水の日(2009年8月24日)
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あらためて読んだけど、ずいぶん好きだったんだな(‘_’)。
そんなわけで、昨日は夕方から会社を抜け出して(!)、陽水のライブに行ったのだった。陽水の歌を生で聴くのは生まれて初めてだった。
よかった。音楽はもちろん、陽水のそこはかとないユーモアあふれる喋りとそのキャラが実に楽しかった。
影響を受けやすい僕は、来年の自分のライブでは陽水の曲を歌いたいと思った。
何にしよっかなー。
昨日のセットリストで特にいいなあと思ったのは、「東へ西へ」「帰れない二人」「氷の世界」「夢の中へ」。やっぱり僕が中学生~高校生のころの楽曲ばかりですね(笑)。
このうちどれかを演ると思いますので、来年2月の釘さんライブに参加しよっかなあと思っている皆さん、どうぞお楽しみに!
ところで僕は本日、午後から名古屋に行く。来週は北海道だし。まさに「東へ西へ」である。
夜はお酒なのだが、その前に、今朝は胃カメラを飲まなきゃいけない(詳しい話はまた後日)。
では、まずは病院に行ってきます!
本日は23期キックオフミーティング
2018年7月3日 (火曜日)
昨日は23期第一日目。今期からパフには新たな戦力が数名加入するのだが、昨日はそのうちの一人、Aokiさんが正式に合流した。
Aokiさんのことは別の機会にちゃんとご紹介したいので、ここでは書かない。
とはいえ、少しだけ(^^♪。
年齢は僕と同じ。同学年。
なんだクソオヤジか?
いやいや、そんなことはありません、ナイスオヤジです(笑)。
最初に会ったのは、30年以上前。お互いがまだ20代のころ。共通の友人の結婚式で司会をしていたのがAokiさんだった。
あ、そういえばこの日記にもちょっと前にAokiさんのことを写真付きで載せたことがあった。
ちょっと探してみよう。
あった、あった、これだ。 ⇒ 歴史は夜つくられる(2018年3月6日)
そうか、3月6日の日記だったか。ちょうど4か月前だったんだな。やっぱり歴史は夜つくられる、というのは正しかった(笑)。
で、本日はこのAokiさんも参加したうえでの第23期キックオフミーティング。午前11時からのスタートだ。
ほぼ正確な前期(22期)の売上と利益が集計できたので、その業績報告を皮切りに、各グループの振り返りの報告が行われる。
その後は皆でランチ。仕出し弁当を食べながらの懇親会だ(昼なのでアルコールはナシですがw)。
そして、午後は各グループやプロジェクトチームから、今期どのような戦略、計画、体制で戦っていくかを発表してもらう。
合計4時間のキックオフミーティング。好業績で終えた22期の勢いを、そのまま23期のスタートに乗せていきたいものだ。
ところで今朝は、日の出前の午前4時から起きている。
ワールドカップを観るためではない。咳が出てきて目が覚めてしまったのだ。
就寝が午前1時だったのでテレビ観戦はあきらめて朝のニュースで結果だけを見ればいいやと思っていたのだが、せっかく目が覚めたんだったらと思って、テレビのスイッチを入れてみた。
ちょうど後半戦が始まったところ。きっと負けているんだろうと思ったら、なんと0対0の同点の状態。
へー、日本は善戦してるんだなと思いながらベッドに横になりながらボーっと眺めていたら、なんと原口の先制ゴール。ベッドから跳ね起きてしまった。
そしてその数分後、乾の2点目のゴール!
わ、日本は勝ってしまうんじゃないか?と、サッカーは素人でファンでも何でもない僕までもドキドキ・ワクワクしてしまった。
最後は残念な結果になってしまったものの眠気を吹き飛ばす見事な試合だった。咳で目覚めてしまったときは憂鬱だったのだが、いまは咳に感謝である。
パフの23期も(負けちゃダメだけど)ドキドキ・ワクワクできるような戦いが繰り広げられるといいね(^_-)-☆
では朝食後、今朝は(大掃除を手伝うために)少し早めに行ってきます!
先週で第22期が終わり、本日から第23期がスタート!
2018年7月2日 (月曜日)
金曜日の日記で
>いよいよ本日はパフ第22期最終日。有終の美を飾ることになるのだろうか。その結果は、来週月曜日の日記で晒すことにいたしましょう
と書いたので、予告通り晒すことにする。
土曜の朝、全社員に宛てて以下のような22期を簡単に振り返ったメールを書いたのでこの日記でも公開することにしよう(一部、修正やマスクありですがw)。
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みなさん
22期は本当にお疲れさまでした。
7月~12月
いまだかつてない高い業績目標が設定され、それでも営業活動に邁進した日々でした。
そんな営業活動多忙のなか、20周年記念式典を皆の総力でやりきり、古くからのお客様、パートナー、株主様、最近仲間になってくださった取引先、それからメインバンクの担当者や支社長にまでもパフらしさを伝えることのできた上半期でした。
そして1月以降
お客様の2019採用とパフ自身の採用も本格的にスタート。
全社的にフル稼働の毎日でしたが、大きなトラブルや混乱もなく山場を乗り越えることができました。パフ自身の採用も結果的に計画通りジャスト2名が自分で自分に内定を出してくれました。
業績面では、10年ぶりに過去最高の売上・粗利・営業利益・経常利益・純利益を更新。有終の美を飾ることができました。
これであの忌まわしいリーマンショックの影を完全に追い払うことができました。
(中略)
ということで、22期の業績速報は、添付にてご確認ください。なお、賞与支給前の営業利益は約〇〇,000千円になる見込みです。
賞与原資は約〇〇,000千円(昨年の倍額)を割り当てることになります。支給日は7月25日です。
また、株主総会での決議を経て、ということになりますが、今期(税引き後)純利益の〇〇%を20周年記念配当にする予定です。配当総額は〇〇,000千円弱になるのではないかと思います。
持ち株会の皆さんにはちょっとしたお小遣いですが、お楽しみに。
では、23期も、22期をさらに上回る業績が出せるように、がんばりましょう!
===
さすがに数字の詳細までを晒すことはできないが、10年ぶりに過去最高の売上と利益を更新したことは自慢を兼ねて公にしようと思う。
そう、パフの過去最高の売上は遥か10年前のことだったのだ。翌期、「さあ、来年はさらに上行くぞ!」と、高い目標を掲げてスタートしたのだが、皮肉にも業績は急転落。以降3年間、坂を転がり落ちるかのような業績低迷が続いた。
好転し始めたのは2012年から。とはいえ急回復とまではいかず、ゆっくり、ゆったりとしたペースだった。
そして今年やっと10年前の業績を上回ることができた。やったー、バンザイ!……というより、やっとここまできたか、やれやれ、という気持ちのほうが強い。
この業績を作りあげてくれたのは紛れもなくパフの社員たち。そしてパフのことを信頼し、助けてくださった数多くのお客様、お取引先、パートナーの皆さんのおかげ。この場を借りて、厚く御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました!!
さて、本日から23期。来年も「2年連続の過去最高更新です!」という報告ができるように、今期もいい仕事をたくさんできたらと思う。
ということで、その初日。暑さに負けず(途中までは)ウォーキングで行ってきます!
『ゼロ』って言われた日
2018年6月29日 (金曜日)
昨夜は某レコード会社の専務M上さんと、神楽坂付近の餃子屋さんでの会食だった。
M上さんと初めて出会ったのは1999年の3月頃。もうかれこれ20年近いお付き合いになる。
当時M上さんは、某大手出版社の採用担当者。でも、M上さんが採用の仕事をやっていたのは5~6年くらいで、その後は別の部署に異動していた。
それでも、年に一度くらいはお会いして飲んでいる。昨年12月のパフ20周年記念での『紅白歌合戦』では審査員長を務めてもらったりもしている。このお付き合いはきっと、どちらかがくたばるまで続くんだろうと思われる(笑)。
そんなM上さんから、「パフの移転祝いも兼ねて神楽坂あたりで一杯やりましょう。ヨシカワ大役員や弊社担当予定のカカさんも誘ってくださいよ」という連絡を数週間前にいただいたのだった。
あ、そうだった。
M上さんが専務をやってる某レコード会社の採用のことをずっと前に相談されていたんだった。僕はそんなことすっかり忘れており、ほったらかしにしていた。そうか、それで呼び出されたのか💦
だからかどうかは知らないが、昨夜カカから飛び出したのが『クギサキさんはゼロです!』という発言。
細かなやりとりは忘れたが、パフの業績への貢献度か社員の能力かの話題で、「パフの最前線で活躍している社員(ホサカとかかな)が100とすれば、釘さんのレベルはいくつ?」っていうことをM上さんがカカに振った際の発言だったように思う。
「クギサキさんゼロです!」
「おい、ゼロはないだろ!せめて0.5くらいにしといてくれよ。明日の日記ネタにしてやるからな!」と言って、自分のスマホのメモ帳に『俺ゼロ』と書き込んだのは覚えている。
まあ、そんなバカな話題で過ごした餃子屋さんでのひととき。楽しかったですね(^^♪
ということで、M上専務の某レコード会社の採用は、レベル30くらいのカカさんが担当することで決まりですな。ゼロの僕は夜の部専門のカバン持ちでもやりましょうかね(笑)。
さて、いよいよ本日はパフ第22期最終日。有終の美を飾ることになるのだろうか。その結果は、来週月曜日の日記で晒すことにいたしましょう。
では、今朝は歯医者に寄ってから行ってきます!