陰の創業者、ムライさんのビデオメッセージ
2017年12月20日 (水曜日)
昨日からの流れで行くと、本日は記念式典の模様をレポートすべきところだと思うが、ちょっと延期することにした。
実は当日、式典の模様を最初から最後まで、2台のビデオカメラで収録していた。最後のところをちょっとだけ見せてもらったのだが、なかなかいい。
全編は今週末に納品されるとのことなので、レポート続編は、そのビデオを掲載しながらにしたいと思う。
で、本日ご覧いただこうと思うのは、夜の祝賀会の冒頭で流れた、陰の創業者ムライさんのビデオメッセージ。
パフはムライさんに唆されて(ムライさんに言わせれば酔った勢いで)生まれた会社なので、本来はムライさんには式典にも祝賀会にも参加してもらわなければならなかった。いや、参加する義務があった。
しかし、どうしても中東方面に行かねばならないシゴトが急にできてしまったため、このビデオメッセージとなったわけだ。
いやあ、何回見ても面白い。最初は「クギサキさん」って言ってるのに、途中から「クギサキ!」といつも通りの呼び捨てになってるし(笑)。
僕は、いやパフは、このムライさんの影響を強く受けながら生き延びてきたわけだが、その理由がこのビデオを見ることで明らかになると思う(ホントかな笑)。
あ、そうそう。先日のこの日記(「顔の見える」を掲げた理由)も、ぜひあわせて読んでいただけたらと思う。より理解が深まると思いますので。
来年は、このムライさんと一緒に(ムライさんが今の仕事を辞められればだけど)世界中を放浪したいものだ。
さて本日の午前中は月島や豊洲に行かねばならない。引っ越しプロジェクトの総仕上げである。
では、もろもろ準備してから行ってきます!
20周年記念イベント無事終了いたしました(その1)
2017年12月19日 (火曜日)
12月16日の土曜日。
午後1時から午後4時半までの「パフ設立20周年記念式典」。
そして、午後5時から午後7時45分までの「パフ設立20周年記念祝賀会」。
とどこおりなく無事終了いたしました。
お忙しい中ご来場くださった皆様方、お祝いのお花や祝電やメールやビデオメッセージをお送りくださった皆様方、参加は適わずとも心の中で祝ってくださった皆様方に、心より御礼申し上げます。
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前日の12月15日(金)。
社内は朝から翌日の準備で騒然としていた。
僕は準備メンバーには入っておらず(足手まといになるだけなので入れさせてもらえずw)、来場者に配布するプログラムにメッセージを書き込む仕事を仰せつかった。
ただ、これが相当な重労働。最初は軽く「本日はご来場ありがとうございます」くらいの共通のメッセージを書けばいいや、くらいに思っていたのだが、根がマジメな僕は(いや冗談じゃなくてホントにw)やっぱり、ひとりひとりとの思い出に繋がるメッセージを書きたくなってしまい。
結局200名近くの皆さんに(汚い字だけど)長めのメッセージを書かせていただいた。
昨日、愚か者名古屋本部長こと名大社の山田社長がご自身のブログに公開していたので、それをサンプルとしてご紹介しておこう。
18時からは全社員集めての「合唱」の練習のはずだったのだが、みんな準備に追われておりそれどころではない。
「早く終わらせろオーラ」に押されて、練習もそこそこに解散。僕は自宅でのピアノ練習のために早めに帰宅したのだが、社員たちは深夜まで準備を続けていたそうだ。
とくに「パフパフシスターズ」の三人(3年目のヨコヤマカホ、1年目のイシガミナツカ、0年目=内定者のアクネミサキ)は、スタジオを借りて練習していたそうだ。スタジオ代くらいは僕のポケットマネーで出してあげようかな(*´з`)。
そしてイベント当日。12月16日(土)
8時30分。
浜町駅改札で「山と鼓と葉」のメンバーと待ち合わせ。ここから式典会場となる日本橋公会堂までゆっくりと徒歩で向かう。ちょっと幸せ(#^^#)。
8時50分。
日本橋公会堂に到着。
楽器レンタル屋さんから借りた電子ピアノやギターアンプやベースアンプ等の搬入作業を行う。
会社の設立記念式典なのに、なぜ電子ピアノ?なぜギターアンプ?なぜ社長が自分で搬入作業をやるの?という疑問は、パフの場合に限ってはどうやら愚問のようだ(笑)。
10時。
搬入作業やセッティング作業がひと段落して全スタッフおよび紅白歌合戦出演者が集合しての朝礼。
よし、頑張るぞ!
10時半。
全体通してのリハが始まるも時間の勝負。なにしろ12時半にはお客様を場内に入れなければならないので、許された時間は2時間のみ。大丈夫なのか?
12時半。
開場。続々とお客様が入場し、定刻を8分ほど過ぎた13時8分に開演。
当日ご来場できなかった日記読者の皆さんのためにオープニングムービーをアップロードしました。かなかなの作品なので、どうぞご覧ください!
あれ?
写真やら動画やらの編集をしていたら時間が無くなってしまったΣ( ̄□ ̄|||)
この続きはまた明日(なんだ、結局今週も20周年ネタが続くのか?)
では朝食後、行ってきます!
本日パフはお休みをいただいております。
2017年12月18日 (月曜日)
ホームページでは
誠に勝手ながら、12月18日(月)の1日間、「社員研修のため臨時休業」とさせていただきます。
って書いてあるけど、んなわけないですよね(笑)。
昨夜は浅草花やしきでBBQ、そしてスーパー銭湯、その後、高輪台に場所を移し、一軒家をまるまる借り切っての飲み会。まあ、研修と言えなくもありませんが(笑)。
みんなそろそろ起きたころだろうか?
そんなわけで、本日は社長もお休みです。
(とはいえ、超お急ぎの御用向きにはメール対応させていただきます)
では、明朝までおやすみなさい!
いよいよ明日は20周年記念イベントです!
2017年12月15日 (金曜日)
今週の日記は20周年ネタが多かったけど、それも今日まで。
・・・いや、もとい。明日の報告をしなきゃいけないから来週の月曜日までですね💦。
明日はいよいよ、午後1時から「パフ設立20周年記念式典」。そして午後5時からは「パフ設立記念祝賀会」だ。
実行委員長のヨシカワに言わせれば「20年に一回しか来ない日」だとのことだけど、あと20年後にやってくるのは「40周年」なので、20周年は泣いても笑っても今回だけ。
先ほど、20周年委員のヒラハラから「オープニングムービーをチェックしてくれ」というメールが(なんと早朝4時前に!)送られてきたのだけど、それを眺めていたら泣き出しそうになった(笑)。
どんなムービーなのかは明日のお楽しみ(^^♪
20年は長いようで短いようで、でもやっぱり長かったのかな。いろんなことがあった。
10年前の10周年のときも「よくここまできたなー」と思っていたが、そこからさらに10年が経ってしまったわけだ。
さすがに、次の30周年のときに僕が社長として居座っていることは100%ないが、パフという会社だけは、30年どころか50年でも100年でも続いていってほしいよね。
昨日のイシガミのブログに書いてあったように、「パフというドラゴンは不老不死」だもんね。
さて、きょうは明日の準備(僕の準備と言うのは唄の準備が8割だけどw)で大忙しだ。
きょうはビジネスバッグの代わりに、ギターを背負って行ってきます!
<追伸:やっぱり行こうかな・・・という皆さんへ>
式典会場は広くて、あと100人くらいは入れます。どうぞ、突然いらしゃってください。紅白歌合戦がんばりますので(^^♪
詳細&参加表明はこちらから ⇒ https://www.puff.co.jp/20th/
採用は会社の未来をつくる仕事
2017年12月14日 (木曜日)
パフ自身の採用活動が始まっている。
採用人数は2~3名の少人数採用なのだけれど、かなりのおカネと労力をかけている。
パフには採用担当者はおろか人事を担当する社員などいない。やりたい社員が自ら手を挙げてプロジェクト結成し、自分のふだんの仕事と兼務しながら採用のシゴトを行っている。
しかし、手を挙げたプロジェクトメンバーだけが採用のシゴトをするわけではない。プロジェクトメンバーは他の社員たちも巻き込んで(自社・他社とわず)様々な「顔の見える」イベントに参加したり、「顔の見える」Webをつくったりしている。
たいへんなことだと思う。スゴイなと思う。
しかし、採用は会社の未来をつくる仕事。たいへんなことだけど、とてもやりがいに満ちたことだろう。
自分たちの将来の仲間を、自分たちの手と足と頭と目をフル稼働させながら探しに行けるんだもんね。
いまから17年前(もうすぐ18年かな)「まだ新卒なんて採れるような会社じゃないだろう?」という一部からの批判を跳ねのけて、新卒採用に踏み切ったことが現在のパフに繋がっている。あのとき無理して新卒採用を行っていなかったら、間違いなく「未来のパフ=現在のパフ」はなかった。
これからの20年をつくってくれる仲間たちを、ぜひ総力を挙げて探してきてほしい。おカネは惜しみません・・・なんてね(笑)。
では、ちょっとだけピアノの練習をしてから行ってきます!
「顔の見える」を掲げた理由
2017年12月13日 (水曜日)
昨日の日記で
「そのドラマの一部は、『パフの自転車操業物語』にも書いてあるので、自分でもあとで読み返してみたいと思う」
と書いた。
先ほど実際に、その10話までを読み返してみた(全96話もあるので自分でも全部読み切れないのですw)。
そう、そうだった。
パフが「顔の見える就職と採用」という事業コンセプトを掲げ、パフ自身も「顔の見える会社」になろうと決意したのは、このメールがきっかけだった。
パフ創業から3か月ほど経ったある日、ムライさん(物語ではM氏としていますがw)から僕に送られてきた長いメールだ。
会社の資金も底をつき、今後の売上のメドも立たず、途方に暮れていたときだった。
ここから先は、『パフの自転車操業物語』から引用してみる。
===
ボクは悩んでいた。運転資金が2ヵ月後には底をついてしまう、ということよりも、今後の事業運営の軸が自分の中で、ぶれ始めていたのだ。
「俺は、いったい何をやりたくて会社を作ったんだろう……」
そんな時、ボクがパフを設立する際、大きなキッカケと勇気を与えてくれたM氏から一通のメールが届いた。
> 釘崎へ
>
> (中略)
>
> お前は事業の志をどこに置くのか?
> 儲かろうが儲かるまいが、体を張ってお前は何を追求したいのか?
> 事あるごとに、出会うどんな人にも(従業員にも愛人にも)熱く語る、
> パフを通じて実現したい夢……それは何なのか?
>
> 企業の採用成功? 学生の就職成功? 一攫千金? 日本のビルゲイツ?
> 打倒リクルート? 学歴社会の打破? 夢ある人生支援?
> 日本産業の再構築? 敗者復活人生の支援? 国家を超えた人材の交流?
>
> 何でもいいんだけど、このへんが見える企業=顔が見える企業、にパフは
> なってもらいたいもんです。
>
> (中略)
>
> 他の同業他社との競争優位は、資金力でも商品力でもブランド力でも人材 でもない。
> 釘崎の努力と、その背中をつき動かす志、軸、コンセプトの斬新さだけが 競争優位のような気がします。
>
> その軸がしっかりしていれば、商品設計でぶれることはないし、思想に合 わない人間を切ることもできます。
>
> 志があればベトナム(パフ)だって、アメリカ(リクルート)に勝てるわけです。
>
> (中略)
>
> 忙しいのはわかるけど、事業の関係者だけと会うのではなく、音楽やら 映画やら女やらと、釘崎がどこまで付き合いの範囲を広げられるかも重要 でしょう。
>
> (中略)
>
> 苦しいからといって、二流の会社や人物と付き合うのはやめよう。
>
> (中略)
>
> パフは失うものが何もないはずです。
> どこまで個人の味方になれるかは大きなポイントでしょう。
> 他人のフンドシや智慧をどこまで使うか。
> またパフの資源をどう提供するか。
> 流れは、利権・独占・大資本から、自由・共生・提携なんだと思います。
>
> (中略)
>
> まー、いろいろあるけど、酒でも飲みながらまた今度。
涙が流れてくるほど嬉しかった。
===
創業のキッカケをつくったのもムライさんなら、事業コンセプトのヒントをくれたのもムライさん。ついでに言うなら、パフの社訓になっている「うまれよ」を教えてくれたのもムライさんだった。「陰の創業者」と呼ばれる所以である。
話は変わるけど、昨日の朝礼ではマツザキさん(パートタイムで働いてくださっている主婦社員)の心憎い仕掛けに感動した。
会社の壁に貼られている下のカレンダー。
12月11日と12日のところに何やら細工されているのが分かるだろうか。
11日のところにズームしてみる。
「PUFF10代最後の今日、皆さん何を思って過ごしますか? 成人まであと1日。Do your best ^^ 」と書いてある。
そして、隣の12日(つまり昨日の設立記念日)のところには「祝」と書かれた箱が括り付けられている。
なかには、なんとクラッカーが仕込まれていたのだ。
昨日の朝礼で、このクラッカーを「パーン」と鳴らして「20周年おめでとうございます!」とやれるようにしてくれていたのだという。
なかなかやるじゃないか。これも「顔の見える」文化がなせる業かもしれませんね。
マツザキさん、ありがとうね(#^^#)
さて、今夜は16日に向けての個人レッスン(?)がある。がんばっぺ(*^^)v
では、冬本番の寒さの朝だけど、元気なウォーキングで行ってきます!
やっとハタチになりました。
2017年12月12日 (火曜日)
設立20周年イベントは今週末の16日(土曜日)だが、本当の設立記念日は本日である。
きょうと同じように20年前の12月12日も、とても寒い日だった。
会社をつくると決めたのが1997年の10月10日。そこから設立までの2か月間、様々なドラマがあった。
たとえば資本金集め。
当時、株式会社を設立するための最低資本金は1,000万円(そのように会社法で規定されていた)。これを設立前日までに、銀行の(会社設立用に特別に開設された)別段口座に払い込まなければならなかった。
しかし、サラリーマン時代に一切の貯金をしていなかった僕の手元にあるのは娘(当時6歳)名義の貯金100万円だけ。残り900万円を調達しなければ、会社をつくることはできない。
僕は、会社をつくると決めた日の翌日から出資してくれる人を探すために奔走することになる。
「おまえがやるっていうんならしょうがない」と言って株主になってくださった方々が約30名。そして、11月中旬には自分の(娘の?)お金も含めて、1,130万円の資本金が集まったのだった。
紙切れ2枚の事業計画書によくぞ出資をしてくださったものだと(たいへん失礼な話だが今考えると)不思議に思う。
そんなこんなで生まれたこの会社。生まれてからも様々なドラマがあった。今なら笑って話せることも、今でも自分の中だけで留めている辛いことも、たくさんあった。もちろん楽しいこと、ハッピーなことも辛いこと以上にたくさんあった。
そのドラマの一部は、「パフの自転車操業物語」にも書いてある(書いたのはもう15年くらい前かな?)ので、自分でもあとで読み返してみたいと思う。
たかが20年、されど20年。感慨深くないわけがない。
今夜はひとりしんみりと、この20年を振り返りながら酒でも飲むかな。
では、20歳の初日も、ふだん通りのウォーキングで行ってきます!