突然ですが無観客ライブ配信やります!
2020年6月10日 (水曜日)
昨夜、サザンオールスターズがデビュー42周年記念ライブを無観客配信でやる、というニュースが入ってきました。
以下は、朝日新聞DIGITALに掲載されていた記事の引用です。
サザンオールスターズがデビュー42周年を迎える25日に、横浜市の横浜アリーナで無観客ライブ配信をする。所属するレコード会社ビクターが9日発表した。収益の一部を新型コロナ感染症の治療や研究にあたる医療機関に寄付する。
配信は午後8時から約2時間半の予定。「GYAO!」や「ABEMA」、「LINE LIVE」など八つのメディアが同時配信する。チケットは3600円で、各配信メディアで販売する。サザンとしては約1年ぶりのライブ。ふだんは最大1万7千人を収容する横浜アリーナでは、約30年前から年越しライブを開催しており、ファンは「聖地」と呼ぶ。
桑田佳祐さん(64)は「他の多くの業界と同様、音楽、そしてエンタメ業界も今大変な困難にぶつかっています。完全に終息するまで、今後まだ長い戦いになることも予想されています」とした上で「エンターテインメントの未来に少しでも希望の光を灯(とも)せるよう、またファンの皆様やスタッフと一緒に心の底から笑顔になれる日が来ることを願い、精一杯(せいいっぱい)楽しいライブをお届けしたいと思います」とコメントした。
引用元⇒ https://www.asahi.com/articles/ASN695WNFN69UCVL016.html
このニュースに触発されたわけではありませんが、僕も25日に無観客ライブを決行することにしました。しかも「聖地」で( ^)o(^ )
25日といっても、さすがに6月25日は無理なので、その3か月後の9月25日(金)に開催する予定です。
なぜ9月25日かって?
それはまた追ってお知らせすることにいたします( ^)o(^ )
桑田さんは、「エンターテインメントの未来に少しでも希望の光を灯せるよう、またファンの皆様やスタッフと一緒に心の底から笑顔になれる日が来ることを願い、精一杯楽しいライブをお届けしたいと思います」とコメントしています。
かっこいいじゃんねー。
僕も見習って、みんなが心の底から笑顔になれるようなライブにしたいと思いますし、今までお世話になった皆さんに感謝の気持ちを込めてのライブにしたいと思っています。
入場料をいただくかどうかは要検討ですね。無料にすべきでしょうか。せっかくならチャリティーライブもいいかもしれないですね。
詳細が決まったら、まっさきにこの「釘さん日記」でお知らせしたいと思います。
みなさん、どうぞお楽しみに!
さて、どうやら明日あたりから梅雨入りしそうです。徒歩通勤できるのも今日まででしょうか。
では朝食&エール後、行ってきます!
新・パフの創業物語<番外編> 「男おいどん」
2020年6月9日 (火曜日)
昨日の「創業物語」は、僕が高校に入学して下宿生活を始めたころのお話でしたが、「釘さんの素晴らしき100の出会い」というコラム(2004年~2007年のメルマガに連載)にもこの時のことを書いています。
こちらも昨日の話とセットで記録に残しておこうと思います。
「男おいどん」 2005/02/14
前回、高校生時代の下宿生活の話を書いた。この頃の僕は、下宿生活では仲間に恵まれ充実していたものの、学校に行っている日中の時間は、不完全燃焼そのものだった。
僕が通っていた大分舞鶴高校は、大分県内では3本の指(?)に入る進学校だった。他の2つのライバル校と、東大を筆頭とする有名大学への入学者数を競いあっていた。
僕も高校に入学した頃は、「有名大学進学」という学校側が期待する進路に何の疑問も感じず、勉学に励もうと思っていた。が、その志は、わずか半年ももたなかった。
高校の先生たちが一方的に煽りまくる進学レースに嫌気がさしていったのだ。「有名大学入学」を目標に勉強に燃えている連中を見ていて、なんだか虚しさを感じるようになっていたのだ。
「ふん。大学進学のための勉強なんてくだらない。偏差値だけで人間の価値を決め付けようとする学校なんて最低最悪だ!」などと強がったりもしていた。
でも実のところは、思うような成績をあげられない自分自身を正当化しようとしていただけだった。単に受験戦争を否定し、勉強から逃げていただけだった。だからこそ不完全燃焼で、学校に通うたびに、虚しさを感じていたのだ。
悩み苦しんでいた17歳のころ
そんな高校時代、はまった漫画がある。講談社の週刊少年マガジンに連載されていた「男おいどん」という漫画だ。後に宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999で有名になる松本零士氏の初期の作品である。
主人公は大山昇太(おおやまのぼった)という夜間高校に通う青年。鹿児島県出身で、中学を卒業後、大きな夢や志を持って上京するも、実際にはお金も実力も運も縁もなく、バイト先の工場もクビになり、夜間高校も中退するハメに。やることなすこと失敗だらけで、四畳半の下宿で悶々とした日々を過ごしている。
押入れを開けると、洗濯していないパンツ(いわゆる猿股というやつ)が山ほど詰め込まれており、そこにはサルマタケという奇怪なキノコが生息している。昇太は、お金が底をつくと、そのサルマタケを鍋でグツグツ煮て食べるという地を這うような生活を送る。
人から騙され、馬鹿にされ、軽蔑され続ける昇太。でも昇太には「こんなダメダメな俺かもしれないが、いつかは将来の日本を背負う大きな男になるんだ」という、大きな夢と志があった。
どんなに人から馬鹿にされようとも、「いまに見ちょれ!おいどんだって、おいどんだって、おいどんだって……」と歯を食いしばって頑張り続ける昇太。
当時ダメダメだった僕は、四畳半の下宿でひとり頑張っている昇太と自分とを重ね合わせて眺めていたのであろう。
失敗を続け、極貧生活を送っている昇太に、「負けるなー!ガンバレー!」と声援を送っていた。漫画を読みながら、ひとり泣いたこともある。傍から見れば相当に変な危ない奴である。
僕の下宿の本棚には「男おいどん」の単行本がズラリと並んでおり、落ち込んだときなどは、昇太にずいぶんと助けられたものだ。
・・・・・
12番目の素晴らしき出会い。劣等感に苛まれていた僕を、四畳半の下宿の本棚から励ましてくれた「男おいどん」の主人公、大山昇太のお話でした。
きょう再掲した「100の出会い」は、丸3年ものあいだ書いた自分史で、創業物語を補完するものになっています。これからも時おり、番外編として採録していこうと思います。
さて、事務所は現在レイ変工事のまっただなか。今日の工事立ち合いはヨシカワ副社長がやってくれるそうなので、僕は自宅待機です。
では、朝食&エール後、行ってきません!
新・パフの創業物語<第7話> 「酒と泪と男と女とフォークソングの下宿時代」(1)
2020年6月8日 (月曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第7話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1976年4月。
湯布院の山奥から抜け出して、都会生活(といっても大分市内だけど)に胸をふくらませ僕が入学したのは大分県立大分舞鶴高校。当時は、大分舞鶴、大分上野丘、大分雄城台の三高校がライバル関係にあり、東大を頂点とした旧帝大や国公立大、有名私大に何人送り込めるかを競い合っていました。
上昇志向のほとんどなかった僕は、そんな学校の事情とは一切関係なしに、とにかく都会でひとり暮らしできるのが嬉しくて嬉しくて、舞い上がっていました。
高校入学時の集合写真(前2列目の右端が僕ですね)
が!
下宿生活スタート初日から、その嬉しさが大きな不安へと変わっていったので す。
・ごはんがまずい・・・
・下宿のオバサンがちょっと・・・
・下宿の娘(当時高2)がちょっと・・・
・隣の部屋の下宿生(大分大学1年生)が困った奴で、麻雀や飲み会に毎晩誘ってくる
とまぁ、様々な不安要素があったわけでして、それぞれの不安要素はそれぞれの現実的な問題を引き起こしてしまったわけでして・・・。
学校の勉強などするはずもなく成績急降下。下から数えた方が早い成績で、最初の頃は目をかけてくれていた先生も、1年生の夏頃には「問題児」として扱われてしまいまいました。
この怠惰な下宿生活に転機が訪れたのが、秋の文化祭。
僕の高校の文化祭の最終日は、市内の大分文化会館(2,000名ほどが収容できる大ホー ル)を借り切って、コンサートを丸1日開催するという豪華なもの。「かぐや姫」の南こうせつや伊勢正三を輩出した高校としても有名で、フォークソングが好きな生徒が多かったんですね。
僕はたまたまこの文化祭のコンサートの舞台裏担当に任命され、楽器の搬入搬出や、幕の上げ下ろし、マイクテスト、出演者の誘導などなどを行っていました。
このコンサートでは、プロなみの腕前を持ったスゴイ先輩たちが、かぐや姫、陽水、拓郎、ビートルズ、チューリップ、アリス、その他当時流行っていたニ ューミュージックのコピーを演奏したり、オリジナル曲を披露したりしていました。
この模様を舞台の袖から見ていた僕は、すっかりそのパワーに魅せられてしまい、「よーし、俺も来年はこの舞台に立ってやる!」と、問題児生徒にもひとつの目標がメラメラと燃え上がっていったのです。
翌日、書籍・参考書なども古本屋に売り払い、なけなしの小遣いと併せて1万円ほどの資金で中古のフォークギターを質屋から調達しました。
そして、下宿の環境も変えなければなりません。
クラスの友人に頼み込み、 急遽その友人宅2階の一部屋を借りて新たな生活をスタートさせたのでありま した。。
(つづく)
この物語を再掲させるにあたって昔の写真を漁っていたんですが、高1、高2、高3になるにしたがって顔つきがどんどん変化していました。成長期だったんですね。
さて、会社はいまレイアウト変更工事まっだだなか。朝食&エール後、ちょっと様子を見に行ってきます!
パフの最終選考
2020年6月5日 (金曜日)
一昨日のパフ第24期最後のキックオフでは(パフ自身の)採用プロジェクトチームからの発表が長い時間を占めていました。
プロジェクトメンバーのハム(イシカワ)が、パフの最終選考について説明していたのですが、僕が昨年のいまごろ書いた日記を引用していました。
「お、俺に断りもなしに引用するとは、なかなかやるじゃないか。でもいい説明だな」と感心したので、ここでも再掲することにしましょう。
自分で自分に内定を出す。(2019年7月19日の日記)より
パフの新卒採用では、10年ほど前から内定を出さないことにしています。
出すのは選考結果のみ。合格か不合格かだけです(たまに保留や条件付き合格もありますが)。
じゃ、内定出しはどうしてるのか?
はい、こうしています。
最終選考者は応募者自身であり、自分が自分に最終的な合格=内定を出すようにしてもらっています。
自分自身に内定を出せるか否か。自分を、この会社の仲間として認めてあげられるかどうか。とことん考えて結論を出してもらいます。
「それって単なる内定承諾じゃん」と思われるかもしれませんが、ぜんぜん違います。
「あなたがどうしても来て欲しいっていうんなら、しょうがない、分かりました。そのオファーをお受けしましょう」。これが内定承諾です。主体が自分ではなく相手(内定を出した会社)にあります。内定者はそれに応えるかどうか。つまり客体になってしまいます。
一方で「自分で自分に内定を出す」という行動は自分自身が主体なのです。それだけ自分に、強い意志と覚悟と責任がなければできません。
パフの採用担当者にも、ここらへんの意味合いをキチンと理解してもらったうえで、社長面接をうっかり最終面接って言わないようにしてほしいですし、パフ側の最終段階の選考(社長面接とか)を最終選考だなんて言わないようにしてもらわないといけません。あくまで最終選考は、自分が自分に内定を出せるかどうかなので。
(再掲は以上)
実は一昨日のキックオフでは、まだ選考途中の学生が何人かいるなかで、先頭を切って最終選考に臨んだ学生がいたのでした。
👆この中に紛れています( ^)o(^ )
ということで、これから最終選考を迎える皆さん、参考にしてくださいね。
さて、本日は自分の身辺整理(?)をするための出社です。過去23年間の思い出やしがらみを捨てることにします。
若者たちが活躍する新しい文化や環境を作るために必要なことです。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」ってところですかね(^^ゞ
では朝食&エール後、埃をかぶっても平気な服装で行ってきます!
幻の2017年新入社員が小説家になった?
2020年6月4日 (木曜日)
昔からの日記読者の皆さんなら記憶されているのではないでしょうか?
2017年4月の入社直前に、パフから別の場所に旅立っていった元内定者サツキアヤのことを。
この日の日記に書いていましたね。
⇒ 皐月彩の壮行会(2017年3月31日の日記)
本当はイシガミ(カカ)と同期となるはずだったサツキですが、もともとは脚本家志望でした。
でも、「脚本家になるまえに、ビジネス現場でしっかりとした経験を積みたい」ということで、パフをファーストキャリアの場として選んだ・・・はずだったんですが……。その先はぜひ上の日記をご覧ください💦
で、そのサツキ、念願かなって今では何本ものドラマ制作に関わり脚本も書いています。「ウルトラマン」や「世にも奇妙な物語」とか。
昨夜、自宅に戻ったら、そのサツキからこんなもの👇が送られてきていました。
こ、これは?( ゚Д゚)
僕が生まれてこのかた読んだことのない、いわゆるライトノベルっていうやつではないですか。アニメのスピンオフらしいです。
検索したらアマゾンでも販売されていました。⇒ 小説 SSSS.GRIDMAN ANOTHER LOAD
サツキアヤ、まさか小説家にまでなってしまうとは、おそるべし。
彼女は内定者時代かなりの頻度でパフに出社して、新規開拓の営業もやっていました。短期間で何件もの受注を獲得するツワモノだったんですよね。
なんにしても、かつてパフで働いていた若者たちが、こうやっていろんな世界で頑張っているのは嬉しいものですね。
ところでこのライトノベル、とても分厚いんです。文字は小さいのに437ページもあります。時間があるときにボチボチ読んでみましょうか。還暦のおじさんがライトノベルを読んでたりしたら気持ち悪がられるでしょうが(苦笑)。
サツキアヤには将来、パフを題材としたドラマを作ってもらう約束になっているんですが、覚えてますかね。こうなったらぜひ近いうちに実現してもらいましょう。
さて、本日は朝から法律事務所に行って打ち合わせです。そう、先日新聞に出ちゃったあの件で(^^ゞ。
では、朝食&エール後、六法全書を抱えて(ウソデス)、行ってきます!
徒歩通勤の往復120分でやっていること。
2020年6月3日 (水曜日)
先日の日記にも書きましたが、僕はこのところ通勤電車は一切使わず、歩くことにしています。
片道60分。往復で120分。まあ、結構な時間です。
景色を眺めながらぼーっと歩くのもいいのですが、1日24時間のうちの120分はかなりの時間。有意義に使わねばと思っています。
で、最近やっているのは「音楽、聴きながら歩き」。
そんなのふつうじゃん、と思われるかもしれませんが、ちゃんとした目的があります。
i-PhoneのSiriに「僕の好きそうな音楽をたくさん聴かせて!」と、家を出発するときにお願いします。
そうするとsiriは、「おー、懐かしいなあ」「わー、なかなかいい唄じゃないか」という曲を次から次ヘと選んで再生してくれます。apple musicの契約をしているせいか、自分がダウンロードしてない曲もたくさん再生されます。
毎日、違う曲が流れるのがいいですね。歌手は知っているものの今まで聴いたことのなかったような曲がセレクトされるのも嬉しいものです。
そして「うん、これは次回のライブで歌いたい!」というものがあれば、すぐにメモをします。
これもiPhoneに対して喋るだけ。音声メモですね。
「還暦ライブセットリスト」というフォルダを作成して、そのなかに書き込んでいます。すでに16曲が蓄積されました。
「フォークソング居酒屋アイディア」というフォルダもあるんですが、ここには、お店の名前とか運営形態とか、歩きながら思いついたことを書き込むようにしています。
そんなことをやりながら歩くと、あっという間に会社に到着します。なかなか充実した時間なのです。
一方で心配なのは、アイディアやセットリストは溜まっていくものの、還暦ライブはほんとうに年内に開催できるのか、フォークソング居酒屋はいつ開業できるのか、ということです。
ライブも居酒屋も自粛要請されている昨今。これはなかなか難しい問題です。
でも、いざというときのために準備だけはしておかないとですね。セットリストは100曲くらい蓄積されそうな勢いです(^^)v
さて、本日は6月度のキックオフミーティング。第24期最後の全社員が集まる会議です。多くの社員はオンライン参加ですが。
それが終わったら、久々に銀行との対面打ち合わせ。来期予想される「激変」に備えるための打ち合わせです。
とうことで、本日も徒歩通勤です。
では、まずは朝食&エール後、行ってきます!
あと1か月となりました。
2020年6月2日 (火曜日)
気がつけば6月です。パフの第24期もあと1か月(正確には今日をいれて29日)でおしまいです。
来月からは第25期。切りのいい数字ですね。
パフでは来期を迎える前に、大掛かりなレイアウト変更を行います。2月6日の日記(オフィスレイアウトを変更します。)でもそのことを書いていますね。
👇こんなふうに書いていました。
とはいえ、僕は自分でレイアウトを決めることができません。
今回のレイアウト変更は「レイ変プロジェクト」を立ち上げ、そのメンバーたちに全権委任することにしたからです。任せたからには、社長とはいえ、無用な口出しは禁物です。わがままなんてもってのほかです。
予算の上限も決めました。移転するわけではないので、これだけあれば十分だろうという金額です。仮眠室を作ったりマッサージチェアを買ったりするのでしょうか……。
そう、僕は関わっていないのです。レイ変プロジェクトにすべて任せてきました。
任せていたら、十分だろうと思っていた予算すらも大幅に上回ってしまいました。口出ししようかとも思ったのですが、節税対策にもなるので「このレイアウトで生産性が向上して業績アップに繋がるんならいいんじゃない?」と許可しました。一年後にはその結果が出ますね。吉と出るか凶と出るか💦
レイアウトだけではなく、組織体制も大幅に変更となります。組織体制といっても25人の会社。全社が、大企業でいえば一つの部みたいなものです。どんな体制になっても一枚岩の結束を保っていけることでしょう。
他にも大幅に変更となるビッグニュースがあるのですが、それはまた1か月後に正式発表しましょう。ずいぶん前からいろんなところで漏らしているので、いまさら驚くようなニュースでもありませんが。
世界経済もビジネスも人々の生活も大きく変わらざるを得ないタイミング。ちょうど良かったのかもしれません。
なにしろあと1か月。激変に耐えられるよう、僕にできることは今のうちにやっておこうと思っています。
とりあえず今日は、レイアウト変更工事で(大きな音が出てしまって)迷惑をかけてしまうかもしれない階下のテナントさんに菓子折りを持って頭を下げる仕事。なんたって、お詫びするのは得意なので(苦笑)。
では、朝食&エール後、菓子折りをぶら下げて行ってきます!