連休は映画三昧
2016年5月6日 (金曜日)
世の中的には大型連休の状態が続いているようだが、カレンダー通りのわがパフは本日、出社日。
せめて日記だけは休みにしようかと思っていたのだが、習慣とは不思議なもので朝起きたらPCを立ち上げ、日記を書くための管理画面を開いてしまっていた(´・_・`)。
しょうがないので、連休中の肩の凝らない話題を少しだけ書いてみよう。
昨日までの連休。ちょこちょこと会社に顔を出しつつも、かなり自由にゆったりと過ごした。
家族サービス(本人たちはサービスだとは思っていないだろうがw)も半日だけ実施。
谷中、根津、千駄木(いわゆる谷根千)を散策した。
僕が18歳で東京に出てきたときに、最初に暮らしたのがこの谷根千。僕が住んでいたのは根津駅と千駄木駅のちょうと中間点にある日当たりゼロのおんぼろアパートだったのだが、そのころを懐かしく思い出しながらブラブラした。
でも、イチバンの目的はこれ。
根津から上野桜木に向かったところにある谷中ビアホール。
ちょうど一年前に古民家を改装してオープンしたのだが、ここのビールが最高に美味しい。
谷根千に行って見ようと思っているみなさん、谷中ビアホールは釘さんお勧めですので、ぜひいちどお立ちよりください(^^)/
休日中にまともに出かけたのはこの谷根千くらいで、僕がこの休み中いちばん時間を費やしたのは映画鑑賞。
でも劇場まで出かけたのは、レオナルド・ディカプリオ主演の『レヴェナント:蘇えりし者』のみで、あとはすべて勝どきのTSUTAYAからDVDを借りて、ずーっと自宅に籠って鑑賞していた。
まず観たのはロッキーシリーズ。
『ロッキー』、『ロッキー2』、『ロッキー3』、『ロッキー4/炎の友情』、『ロッキー・ザ・ファイナル』。そして、昨年公開されたスピンオフ企画である『クリード:チャンプを継ぐ男』まで。一挙に6作品をまとめて観てしまった(@_@)。
初作のロッキーを観たのは僕がまだ高校2年生のころ。でもいまだに、あのテーマ音楽を聴くと思わずランニングしたくなるから不思議だ。
しなかったけど(‘_’)。
次に観たのは『東京物語』。TSUTAYAにロッキーシリーズを返却しに行ったとき、たまたま目に入って借りてしまった。昨年、原節子が亡くなったというニュースを聞いて以来、いちど観てみたいと思っていた映画だ。
ご存じ小津安二郎の代表作である。映像はもちろんのこと、題字や小道具に至るまで小津監督自身が手がけているらしい。
モノクロ映画なのに、映像が心に染み入ってくるのも小津マジックなのだろうか。
昭和28年の映画。僕が生まれる7年も前。演じている役者さんたちは皆すでに鬼籍に入っているのだが、僕らの少年時代にはTVドラマを中心に活躍していた方々。僕らにとっては「男はつらいよ」での御前様で馴染みのある笠智衆。このときはまだ49歳なのに、70歳を超えた主役のおじいさん役を見事に演じ切っている。大岡越前に出ていた大坂志郎や水戸黄門の東野英治郎なんかも出ていた。
もう一本。
これはTSUTAYAから借りたのではなく娘から(笑)。以前WOWOWで放映されていた『ビリギャル』を娘に頼んで録画してもらっていたのだ。
ある意味、ロッキーよりも東京物語よりも感動してしまったかもしれない。あの有村架純の可愛さは反則だろう(笑)。
いやあ、映画って本当にいいものですねw
さて、本日は夕方からは5月度のキックオフミーティングもある。
超多忙なシーズン中のGWだったわけだが、みんなリフレッシュできたかな?
世の中は大型連休モードが続いていても仕事は待ったなし。すっきりとした心身で臨んでもらいたい。
では、いつもどおりのウォーキングで行ってきます!
連休の谷間
2016年5月2日 (月曜日)
世の中の多くの企業は、先週末の金曜日から昨日の日曜日までが3連休。そして明日の火曜日から木曜日までが3連休。
で、本日はその3連休に挟まれた連休の谷間。
本日、勇気をもって休めば7連休ということになる。さらに今週末の金曜日も休めば10連休ということになる。年末年始休暇よりも長い休暇をとることができるわけだ。
ふーん……。
僕はとくに連休中どこにもでかける予定はなく、かといって自分で抱えている仕事もなく、たまに休日出社の社員たち(ご苦労様です!)のミーティングに参加するくらいで、日々半径5km以内をウロウロしている。
会社をつくってからというもの、GWのような大型連休に対する思いが複雑になってきた。
休みは奨励したいのだけど、休んでいる場合ではないという社員もいるだろうし。対外的な営業日が少なくなる分、売上も少なくなるしね……。
せめてこの日記は10連休でもとってみましょうかね。誰にも迷惑をかけないだろうし、もちろん売上にも何の影響も与えないし(笑)。
さて、本日わがパフは通常通りの営業日。みんなちゃんと出社してるかな?
いや、休めるものなら休んでほしいのだけど……。休めるものならね(;^ω^)。
では連休の谷間だけど、普通通りのウォーキングで行ってきます!
年甲斐もなく。
2016年4月28日 (木曜日)
さて、今朝の日記では何を書こうか。
「年甲斐もなく…」というフレーズがふと浮かんだ。
今週もよく飲んだ。年甲斐もなく(笑)。
元来僕は、社交的な男ではない。いや、ほんとに。
でも仕事柄、それでは済まされない。
老若男女、あらゆる人々との交流を大事にしている。
「老・男」よりも「若・女」に偏っているのではないかという気がしないでもないが、たぶんそれは気のせい。
あらゆる世代との交流を日々大事にしている。
昨夜は、若い男女との交流。
先日の日記でも書いた「広報プロジェクトキックオフ」の第二弾だったのだ。
彼ら彼女らの親と僕とは同年代(というか僕のほうが年上かな)。まさに、娘や息子たちと飲んでいるようなものだ。
オヤジと飲むのは彼らにとってどうなんだろう…と思って聞いてみたのだが、「いやあ、ぜんぜんっ面白いっす!」と言われて、安心した。
昨夜は、広報プロジェクトの連中プラス、自分で自分に内定を出そうかどうしようかの最終判断を間近に控えた22歳女子も途中から加わって飲んでいた。
その女子の話をもう少しじっくりと聞いてみようと思い、彼女の宿泊地(京都の学生で、一泊で東京に出てきていた)である門前仲町に場所を移してまた飲んだ。
一昨日のスタッフブログにデビューしたオオオカも付き合わせて(あ、コーポレートサイトの社員紹介ページにも、オオオカがデビューしていますので見てやってくださいw)。
22歳女子+44歳オヤジ+55歳オヤジ。
22歳女子にとっては説教臭く思われてしまったかもしれないが、オヤジたちにとっては、とても勉強になるひと時だった。
年甲斐もなく、ちょっと飲み過ぎてしまったが(-_-;)。
さて、今夜は40代(まだ前半だったかな?)のオヤジとの情報交換が予定されている。
メディアへの露出が盛んなオヤジで、最近いろんな人種が周りに近寄ってきているらしい。
どんな話が飛び出すか。面白い情報交換会となりそうだ。
では本日も、年甲斐もなく元気なウォーキングで行ってきます!
人が企業文化を作るのか、企業文化が人を作るのか。
2016年4月27日 (水曜日)
おっと。うっかり真面目なタイトルを書いてしまった(笑)。
いや、笑い事じゃないですね。失礼しました。
先ほどまで、このたび起きた三菱自動車の燃費不正の問題をテレビで見ていて、ふと考えたことだった。
人はみんな弱いもの。
プレッシャーに耐えられず、あるいは怒られたり、罰を受けたり、評価が下がることを恐れて、ついてはいけないウソをついてしまう生き物だと思う。
自己保身のための、ある意味、自然な行動かもしれない。
しかし、そういった「ウソ」がまかり通ってしまったら、世の中が無茶苦茶になってしまう。秩序も何もあったものじゃない。
ましてや社会の公器たる企業がつく「ウソ」の罪は大きく、社会から厳しく指弾されてしかるべきだろう。
そんな企業の「ウソ」を未然に防ぐものが、企業文化なのだろう。
そして企業文化を育むために企業理念や社訓といったものを会社は制定する。
創業者が制定したものが脈々と受け継がれる場合もあるだろうし、不祥事などをきっかけとして、新たに制定されることもある。
三菱自動車にも、立派な企業理念がある。ホームページに記載されているそれは、「2005年1月制定」と書いてある。前回の不祥事(2000年、2004年と立て続けに起きたリコール隠し)を受けて、二度とこのような事件を起こすまい、という会社の意思だったのだろう。
しかし、残念ながらそうはならなかった。
この理念以上に長きにわたって巣くった企業文化(というか企業体質)によって、社員の思考や行動が支配されていたのだろうか。
そもそも、その企業文化や体質といったものは誰がどのように作り出したものなのだろうか。
リクルートには、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という有名な社訓があった。
創業者である江副浩正氏が生み出した言葉で、かつてはすべての社員が自分の机の上にこの言葉のプレートを飾っていた。
しかし、創業者自身が起こしてしまった「リクルート事件」が原因で、この社訓は姿を消した。
公の場からは姿を消したものの、この言葉は以降もずっと、社員たち(OBOG含め)の間で語り継がれていった。むしろ時を重ねるごとに拡散・浸透しているようにも思う。
この社訓が、消そうとしても消えない、強固なリクルートの企業文化を作っているといっても過言ではない。
翻って、パフの社訓は「うまれよ」。
・うそをつくな
・まけるな
・れいぎただしく
・よのためひとのため(よわいものいじめをするな)
さて。この言葉は果たして、パフの良き文化を作りだしているのだろうか……。
うん、深い。
朝の短い時間で書けるものじゃないですね。しくじりました((+_+))。
またあらためて続編を書きたいと思う。
では、今朝は早朝会議なので、朝ドラは我慢して、ささっと朝食をとってから行ってきます。ウソはつきません!
札幌は桜の花が咲いたばかり
2016年4月26日 (火曜日)
昨日の午後3時半の飛行機に乗って、札幌にやってきた。
新千歳空港からJRで約50分。
ホテルに着いた時にはもう日が暮れようとしていた。
札幌といえば、やっぱりラーメン
・・・ではなく、昨夜お邪魔したのはススキノにある大衆的なお寿司屋さん。
某証券会社の札幌支店で勤務している大昔のインターン生と一献傾ける約束をしていたのだ。
その男の名前はウエスギ。年齢は38歳。僕が書いた大昔のコラムにも登場したことのある面白い奴だ。
10年前に書いたコラムから以下、引用してみる。
1999年。ノストラダムスが「人類の滅亡」を予言していた年。創業2年目 のパフには、誰も社員がいなかった。というよりも、誰も雇う余裕がなかった。 「人類の滅亡」ほど深刻ではないはずなのだが、「パフの滅亡」は現実味があ るぶん、僕にとっては深刻な問題だった。
座して死を待つよりも、やれるだけのことをやってみようと、大胆な悪あがき を行うことにした。
大胆な悪あがきとは?
- それは、営業マンの大量採用だった。
ちょっと待て。雇う余裕などないはずだったのでは?
- 完全無給。インターン生の採用だった。
創業一年目にも、インターン生に働いてもらっていたことはあったが、い ずれも(安いながらも)報酬を支払っていた。
しかし、今回はまったくの無給である。成果(売上)があがったときに、報奨 金を払う約束はあったが、それ以外は本当にまったくの無給。実に虫のいい条 件ではあるが、なぜか多数の応募があった。
何人かは、あまりの条件の劣悪さに辞退していったが、それでも十分すぎるく らいの学生が残った。その数、なんと7名。大学4年生が6名、大学3年生が 1名。女性1名、男性6名。
7月中旬から9月中旬にかけての夏休みの2ヶ月間が勤務期間だったのだが、 まことに暑苦しいメンバーたちだった。
当時、パフの事務所には机が6つしかなかった。うち1つは、経理事務を行う ための机だったので、全員が出社すると、2名は座れない。立ったまま仕事を しなければならなかった。
かてて加えて、パフの事務所は空調が効かなかった。オンボロクーラーがある にはあるが、この暑苦しいメンバーが全員揃うと、クーラーの風は熱風のよう だった。皆、団扇を片手に仕事をしていた。
インターンシップの学生は、社会人としてのマナーも躾も、何の教育も受けて いない連中である。日々、問題ばかりを起こしていた。毎日毎日、僕は怒りま くっていた。怒鳴り声をあげない日は、一日としてなかったのではないだろう か。
本気で怒る反面、よく焼肉を食べに連れて行った。給料を払っていない後ろめ たさもあり、「今夜は食べ放題だ。食え食え!」と、気前よさを装ったりして いたのだが、内心ハラハラしながら、上カルビの皿が積み重ねられていくのを 眺めていた。
若い連中なので、飲みだすと際限がない。急性アルコール中毒で病院に担ぎ込 まれた奴もいた。幸いにも事なきを得たが、このときばかりは、本当に「パフ 滅亡」を覚悟した。
いまでもたまに、このときのインターンの連中から連絡をもらうことが ある。すでに社会人7年生。皆、会社の中堅クラスである。
某大手証券会社に入ったU杉という男がいる(急性アルコール中毒で病院に担 ぎ込まれた奴だ)。U杉は、100名以上いる同期の中でもトップの成績だと いう。その成績が認められ、昨年課長になった。最近、彼と一緒に飲む機会が あったのだが、そのとき嬉しいことを言ってくれた。
「いまの僕があるのは、あのとき、パフでインターンシップをやっていたからです。あのとき徹底的に、営業の基本的な考え方や、社会人として大切なこと を教え込まれました。毎日大変だったけど、とても楽しかったです。焼肉も美 味しかったし。救急車にも乗れたし(苦笑)」
U杉たちインターン生のおかげで「売上が大きく伸びた」ということは残 念ながらなかったのだが、少なくとも、滅亡しかけていたパフに、大きな活力 を与えてくれたのは間違いない。
そして僕が翌年から「やっぱり新卒者を正社員として採用しよう!」と決意し たのは、この年のインターン生と過ごした夏の経験が、苦しくも楽しかっ たからだ。
ということで68番目の出会い。1999年の、7名のインターン生たち。 たった2ヶ月だけだったが、ともに暑く熱い夏を過ごした仲間達だ。
(2006年11月に執筆した「釘さんの素晴らしき100の出会い」第101話より)
このコラムに出てくるU杉というのが昨夜一献傾けたウエスギのことだ。
久々にこのコラムを読んだのだが、あのころの情景がありありと思い出される。
1999年。17年前。まだ20世紀。
このときの僕は、今のウエスギと同じ38歳だった。若かったなあ……。
昨夜はこのウエスギが可愛がっている部下二人を連れてきた。
なかなかの好青年営業マンと美人営業ウーマンだ。
この部下たちに「ジチョウっ!ジチョウっ!」と呼ばれているウエスギを見ていると、なんだか可笑しかったり嬉しかったり。
気が付けば深夜1時。いいお酒を飲んだな。
ウエスギ、昨夜はありがとう。また一年後くらいに会おう!
あ、そうそう。札幌は桜が咲いたばかり。仕事前に円山公園にでも寄ってみようかな。
では、ホテルでの朝食後、行ってきます!
10ヶ月後にライブをやります!
2016年4月25日 (月曜日)
昨年の12月に55歳記念ライブをやったばかりなので、次回ライブのことをあんまり早く話題にするのもどうかなと思っていた。
しかし、決めた以上は黙っておられなくなった。
ということで宣言します。
釘さんライブ、またやります!!
あと10ヶ月後に……。
詳細はまだ何も決めてないけど、来年の立春のころにやることだけは決めました。
「春よ来い、早く来い」
と、口ずさみながら。
卒業や進学・進級・入社を間近に控えた若者たちの次なる進路を祝しながら。
そして、ライブの収益金は全額、熊本と大分の災害支援金として寄付するつもりだ。
だから、入場料はちょっと高めにいただこうかと思っている。
遠慮せずに入場料を頂戴できるよう、唄の練習ももっとしなきゃ。
ボイストレーニングをやり始めて2か月ほど。
下手糞だった我流の歌も、少しだけ上手くなったような気がする。
来年の2月には、見違えるような歌声を届けたいと思う(#^.^#)。
でも、みんな来てくれるかな……。ちょっと、いや、かなり不安なのだ(´・_・`)。
日程が決まったら、また釘さん日記でお知らせしますので、皆さま何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m。
さて、本日は午後から札幌に行く。
札幌での仕事は明日なのだが、17年前にパフの初代インターン生として働いていた元学生(現在は、某証券会社の札幌支店で勤務している男)と会食する約束をしているのだ。
そうだ。こいつにも来年のライブに来てもらろう。来られなかったとしても、寄付だけはタンマリとしてもらおう(^.^)。
では、出張の準備をささっとして、行ってきます!
広報プロジェクトチームが結成された日
2016年4月22日 (金曜日)
来シーズンの100×10チャレンジは8月初旬のスタートを予定している。
予定はしているのだが、諸般の事情で詳細がまだ決まっていない。
とはいえ、今の段階から学生に告知して参加者を集めなければならない。ガイダンスは6月初旬から7月下旬にかけて10数回開催して、最低でも300名の学生に参加してもらおうと思っている。
主な対象は、首都圏の大学に通う大学三年生、二年生、一年生。夏休み期間なので、首都圏以外の学生も(週に一度通うことができれば)大歓迎だ。
で、この学生を集めるための広報プロジェクトを昨日発足させた。
プロジェクトチームのリーダーは、つい先日、自分で自分に内定を出したばかりの日大芸術学部4年のサツキアヤ。そしてメンバーは、学習院大学3年のウチヤマ、東洋大学3年のクロキ、明治大学3年のミドリカワ、学習院大学3年のシジョウ。
この5名に、これからの3か月間バリバリと活躍してもらいながら、300名の学生を集めてもらう。
ご存じのとおり、100×10チャレンジはたいへんハードルの高いプログラムだ。生半可な覚悟では続かない。そんなプログラムに参加しようと思う学生を集めなきゃいけないわけだから、そりゃあタイヘンだ。
で、昨日はそんなタイヘンなプロジェクトのキックオフミーティングを夜の18時半から実施した。19時半からは近所の居酒屋で懇親会も催した。
(※写真を撮り忘れたので、また来週にでも…。)
さあ、広報プロジェクトチームの諸君。ぶっ飛んだアイディアと抜群の行動力で、ガンガンと広報&動員を図ってほしい。
期待してるよ!
ところで下の写真は、僕の自宅の書斎とそこから見える外の風景。
実は会社の席よりも快適。椅子も抜群によくて仕事もはかどる。毎朝の日記は、いつもこの机の上でちゃちゃっと書いている。
PCはもちろん、テレビもスピーカーも机の上に置いている。写真には写っていないが右側にはCD&チューナーアンプも置いている。
広報プロジェクトとは関係ないが、なんだかちょっと自慢したくなった。
ではでは、お気に入りの書斎で朝ドラ(てるてる&とと)を観てから行ってきます!