パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

素晴らしき神田営業所に乾杯❣

2019年4月16日 (火曜日)

「あの日々があったからこそ今がある」ということを、この年齢になるとつくづく実感することが多くなってくる。

僕にとってのいちばんの「あの日々」は、大学三年生の後半から大学四年生の後半にかけて過ごしたリクルート神田営業所。

そのことは「パフ創業物語」「釘さんの100の素晴らしき出会い」のなかでも書いている(書いたのはもう20年近く前だけど)。

それから先月出版された「『最高の人材』が入社する採用の絶対ルール」のあとがきの中でも書いている。

それだけ僕のキャリアにとって、いや、人生にとって、大切な日々だったのだ。

昨夜は、その「あの日々」を一緒に過ごした仲間たちが集まっての同窓会。いまは北海道に移住しているミクニさんが久々に上京してくるということで、集まろうということになった。

 

 

神田営業所の同窓会は数年に一度の頻度で開催されている。当時入社2年目だったナカムラBさん(今は不動産会社の社長)がハブになって、マメに幹事役を務めてくださるからだ。

一昨年のパフ設立20周年記念パーティーのときも、当時の営業所長ワカスギさんを始めとして、皆さんが集まってくださった。ワカスギさんの「クギサキはあのとき売れない営業マンだったからこそ今があるんです」という乾杯の名スピーチがとても嬉しかったり(笑)。

昨夜も、あの頃の話が次から次へと飛び出して、36~37年前のあの日々が鮮やかに蘇ってきた。よくもまあそんなディテールな部分まで覚えているよなあというほど。

「次回は、クギのフォークソング居酒屋でやろう!」ということも決まった。神保町は、あのころの神田営業所のテリトリー(毎日のように自転車で駆けずり回っていた場所)なのでちょうどいいかも。

ということで、神田営業所の素晴らしき仲間たちに乾杯❣ また次回の集まりを楽しみにしています(^^♪

では、そろそろ朝食&新展開のなつぞら後、行ってきます!

 

先週末、創業間もないころからお付き合いしていたお客様の「還暦祝い」を、その頃のパフの担当者たち(パフOGやパフ準社員?も含む)と一緒に、開催した。

 

還暦祝いの贈呈シーン。

iさん、あらためておめでとうございます!

 

ところで、そもそも「還暦」というのは単に60歳を祝うということではなく、「十干十二支が一巡してもとの暦に還(かえ)る」まで長生きしたことを祝うものだった。

そう、昔は「60歳まで生きれば長生き」とみなされていたのだ。

僕が子供のころ(企業や公務員の定年が55歳だったころ)60歳と言えば、ご隠居であり、正真正銘のおじいちゃんだった。

今は、60代で死んだら「まだ若いのにねぇ…」と残念がられる高齢化社会。時代もずいぶんと変わったものだ。

先のお客様は、いままで過ごした会社を退職して、このほど新しいことを始めるという。まさに、もとの暦に還って、第二の人生のスタートを切るわけだ。

僕も来年は還暦。僕の周囲にも、あと数年以内に還暦を迎える友人がたくさんいる。皆、環境も思いもそれぞれだと思うけど、それぞれが人生の第二ステージを迎えることになる。

僕の第二ステージは(読者の皆さんはもう聞き飽きて耳にタコかもしれませんが笑)、フォークソング居酒屋だ。

ご同輩、もう一度生まれたときに戻って、無垢な気持ちで人生を楽しみましょう。

そういえば今夜は、そんなご同輩たちとの同窓会がある。詳しくは明日の日記で…書けるかな?

では、還暦を過ぎたあたりから渋みを増してきた草刈正雄を観てから行ってきます!

 

きょうは下町からスペインへ

2019年4月12日 (金曜日)

今週は福岡に行ったり、仙台に行ったりと、移動の多い週だった。

昨日は久々に会社の会議室や自席で終日過ごしていたのだけど、どっちかというと、やっぱりウロチョロしていたほうが性に合う。ずっと椅子に座っていると腰が痛くなるので(苦笑)。

とはいえ、会社にいると若い社員たちのがんばる声が聞こえてきて嬉しくなる。

新入社員の二人(サトミンとハスミン)は早速テレアポを始めており、過去の資料請求企業などを中心に電話をかけている。電話の向こうの相手から突っ込まれたりして、必死に対応する姿が微笑ましかったりする。

入社2年目となったアクネとイシカワ(ぐりとぐら)は、先輩社員となったことで、張り切っている(焦っている?)ようだし、入社3年目となったイシガミ(カカ)は、早々とお局の片鱗を現してきたようだし(笑)。

いずれにしても、20代の若者たちが頑張っている社内は明るくていい。その姿にオールドエイジの社員たちも刺激を受けて初心に戻ることもあるだろうし、自分の仕事のやり方や在り方を見直す機会にもなるだろう。

と、安心したところで、僕は本日も朝から不在。

きょうは東京の下町に直行して夕方まで過ごす。下町だからといって的屋(テキヤ)をやりに行くわけではない。堅気の仕事だ(キッパリ)。

そして夜はスペインに行く。突然決まったわけではない。もう2か月以上前から計画していた。スペインには、15年くらい前まではしょっちゅう行っていたのだが、今夜は実に久しぶり。パエリアとワインを堪能することにしよう。

では、下町の前に北海道十勝地方のなつぞらを観てから行ってきます!

 

お前は堂々としてろ。

2019年4月11日 (木曜日)

3月末でNHK朝の連ドラ「まんぷく」が終わってロスに陥るかと思いきや、4月1日から始まった「なつぞら」が面白くて、すっかりハマってしまっている。

なかでも、主人公なつの子供時代を演じている子役の演技と、東京の戦災孤児だったなつを引き取って育ててくれている十勝の牧場家族の長、草刈正雄演じるおじいさんの演技と台詞に魅了されているのだ。

まだ放送が始まって9回なのだが、すでに朝っぱらから2度泣いてしまった。

1度めは先週4月4日の放送、2度めは昨日の放送(仙台のホテルでみました)だ。

とくに先週の放送は、新社会人たちに送るメッセージのようにも感じた。備忘としてこの日記にも残しておこう。

 

なつは草刈の牧場で、夜明けとともに働いている。その一生懸命な働きを認められて、草刈はなつを帯広の町に連れてきて、開拓者仲間が経営している菓子屋で、なつが絞った牛乳を使ってアイスクリームを作ってもらった。下のやりとりは、そのアイスを草刈となつがベンチに座って食べながらのシーンだ。

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草刈:ちゃんと働けば、必ずいつか報われる日が来る。報われなければ、働き方が悪いか、働かせる者が悪いんだ。そんなとこはとっとと、逃げ出しゃいいんだ。

(なつは草刈にもらったアイスを食べるのを止めて草刈を見上げる)

草刈:だが一番悪いのは、人がなんとかしてくれると思って生きることじゃ。人は人をあてにする者を助けたりはせん。逆に、自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるもんじゃ。

(なつは涙を流す)

草刈:お前はこの数日、本当によく働いた。そのアイスクリームは、お前の力で得たものだ。お前なら大丈夫だ。だからもう、無理に笑うことはない。謝ることもない。お前は堂々としてろ。

(草刈は、なつを強いまなざしで見つめる)

草刈:堂々と、ここで、生きろ。いいな!

(なつの頬には涙がたくさん流れている) 

草刈:はよ食べれ!

==

どうだろうか。背景が分からないと感動もしないだろうが、次の台詞にはビンビン来た。

「人は人をあてにする者を助けたりはせん。逆に、自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるもんじゃ。」

「お前は堂々としてろ」

ここに、人が働く本質がある。脚本を書いた大森寿美男、なかなかやるじゃないか。

草刈は、家族の前ではいつもムスッとしている偏屈爺さん、いわゆるクソジジイだ。なつが連れてこられた時も、いちばん冷たく辛く、なつに接していた。

なつは、周りの人にいつもペコペコしており、何かあるとすぐに謝る、自分が悪くないのにすぐに謝る、そうしないと戦争孤児の自分は生き延びていくことができないと思い込んでいた(あるいはその振る舞いが沁み込んでいた)のだ。

それが、草刈のこの言葉で、ずいぶんと救われたのではないだろうか。

てなわけで、今朝もなつぞらを観て、堂々としながら行ってきます!

仙台で自分の本を買った日

2019年4月10日 (水曜日)

昨日は日記で予告した通り、夕方の新幹線で仙台に向かった。

仙台駅に着いたのが18時過ぎ。かっちゃんとの待ち合わせまで少し時間があったので、駅そばの書店に入った。

目指すはビジネス書の売り場。

 

 

あるかな、あるかな……。

 

 

はい、ありました!

 

 

しかも面陳列。ちょうど目の高さのところに、目立つように並べられていた。

 

そして、まさかの購入(‘_’)。

 

 

久々に会うかっちゃんにプレゼントしようと思ったのだけど、目立つように陳列してくれていた本屋さん(丸善さんです)への感謝の意味合いもあった。

この本、おかげさまで多くの方々に読んでいただけているようだ。そろそろ重版がかかるといいな。誤植もこっそり修正できるし(#^^#)。

 

ところで、昨夜のかっちゃんとの会食。直に会って話をするのは実に一年ぶりだったのだが、互いに60歳を目前にして語り合う経営論が実に楽しかったし嬉しかった。

自分の後継者を育成し、バトンを渡し、永く世の中に役立つ存在として会社を繁栄・存続させていくためには……なんてことを国分町の寿司屋のカウンターで熱く語り合ったのでした。

かっちゃん、昨夜は遅い時間までありがとうございました。次回は東京で、秘密の後継者会議をぜひ(^^♪

 

写真が黒いのはブラック企業だからではありません(笑)

 

さて、本日はゆっくりめの出発。なつぞらを見てからホテルの朝食に行ってきます!

 

昨夜、福岡から帰ってきた。空路が混雑していたり積乱雲の発生があったりとかで、羽田には定刻よりも30分ほど遅れての到着だった。

いつもは羽田から京急に乗って帰宅するのだが、昨夜は人身事故の影響でダイヤが大幅に乱れており、ホームには溢れんばかりの人。飛行機で疲れているところにギューギュー詰めの電車は勘弁してほしいと思い、引き返してモノレールで浜松町まで行くことにした。

浜松町(大門)から都営浅草線で帰るつもりだったのだが、なんと今度は浅草線に乗り入れている京成線が落雷の影響とかでダイヤが大幅に乱れていた。

仕方ないので山手線で東京駅まで行って、歩いて帰ろうと思った(現在の僕んちは東京駅から東に30分ほど歩いたところなのであります)。

・・・が、改札を出てみたら外は土砂降り。結局また東京駅に戻って、JR総武本線で馬喰町まで行き、そこから都営新宿線に乗り換え、僕の自宅最寄りの浜町駅まで行くことにした。

なんと福岡から自宅まで、待ち時間も含めると5時間ほどの時間を費やしてしまった。

出張は嫌いじゃないけれど、こんなふうに移動時間が費やされていくのは虚しい。寝台列車で12時間くらいかけて移動していた昔の時代の方が(時間を有意義に使えるという意味で)まだ良かった。

そういえば、41年前の大学受験のとき、九州から東京までブルートレインで移動していたことを懐かしく思い出す。夜中に九州を出発して、朝目覚めると東京に着いてたっけかな・・・と、思い出迷子(笑)。

 

毎年この時期は、現場の応援で僕も出張する(させられる?)ことが多い。

実は今日も午後から仙台に行く。

現場の仕事は明日なのだけれど、夕方の新幹線で向かうことにした。この機会に、仙台の創業期からの大切なお客様(名前をかっちゃんっていいます)と酒を飲みながら積もる話をしようって約束したのだ。

 

かっちゃんが応援してくれた仙台マラソンのとき(6年前?)の写真です(*^_^*)

 

出張のいちばんの楽しみは、その土地土地の酒と料理を楽しむことと、そこに住む友に会うことにあるわけですからね(^^;

なんのまとまりも主張もない日記だけど、そんなわけで社長元気で留守がいい。出張準備&朝食&なつぞら後、行ってきます!

太宰府に行ってきました。

2019年4月8日 (月曜日)

昨日からまた福岡に来ている。ホテルに着いたのは16時ころ。いつもなら地元の悪友に誘われて飲みに行くのだが今回はちがった。一人で行きたいところがあったのだ。

それは、ここ。

 

 

 

よく分からないですよね💦

ここは、令和ゆかりの地である太宰府政庁跡である。

この政庁跡のすぐそばに「万葉集」梅花の歌の序文の舞台とされる大友旅人の邸宅があったのだそうだ。

いままで大宰府と言えば、大宰府天満宮にしか来たことがなかったのだが、この政庁跡は(だだっ広いだけで何があるっていうわけでもないのだけど)万葉の時代を感じることができる場所。自分の体が1200年以上もの昔の奈良の時代に運ばれていくような感覚を得た。

 

せっかくここまで来たのなら、ということで、ここから20分ほど歩いたところにある太宰府天満宮にも足を伸ばした。

 

 

途中の道も昔の時代を彷彿とさせるような雰囲気に満ちている。

天満宮に着いた時はすでに18時を回っており観光客もまばら。のんびりとお参りすることができた。

 

おみくじも引いた。

 

「吉」だったんだけど、これがなかなかいいのだ。

 

 

書き写しておこう。

 

「今までの努力が実り、やっと活躍の場が訪れる運気です。しかしこれからといった状態ですので慎重に事を進めるべきでしょう。周囲ではいろいろ新しい話も起こりますが、十分な検討を怠らぬように。自分を売り込む絶好のチャンスでもあります」

 

どうやら神様は、僕がフォークソング居酒屋を開業することをお見通しのようだ(笑)。

 

さて、ではそろそろ朝食後、福岡市内での仕事に行ってきます!