ウソつきは泥棒の始まりだぞ!
2018年6月5日 (火曜日)
官僚の隠ぺいやら改ざんやら、裏で糸引く政治家の居直りやら、日大アメフト問題やら。うんざりするようなニュースが連日続いて辟易していたら、今度はこんなニュースが報道されていた。
==
神戸市でおととし女子中学生が自殺し、同級生への聞き取りメモが「存在しない」と遺族に伝えられていたことについて、市教委の隠蔽だったと判断されました。
神戸市垂水区で中学3年の女子生徒(当時14)が自殺した問題では、第三者委員会の調査が終わっていた今年4月、同級生にいじめについて聞き取ったメモが残っていたことが明らかになっていました。それまで学校側は遺族に対し、メモは「存在しない」と報告していました。弁護士の調査によると、市教委の担当者が「情報開示の事務処理が面倒」と考え、当時の校長に対し「メモは存在しない」と答えるよう指示していたということです。自殺した女子生徒の母親は「裏切られたという気持ちを禁じ得ません」とコメントしています。2018年6月3日配信の「ABCニュース」より
==
思わず怒りが込み上げてきた。
「ウソつきは泥棒の始まりだぞ!」と、僕らは子供の頃しつこいほど学校の先生から教わったものである。なのに教師自らこんな大ウソをついていたとは。しかも14歳の若者の命が断たれるいう痛ましい事件に関連することなのに。ほんとうに嘆かわしい。こういうニュースこそ、もっとテレビで取り上げてほしいし、ウソをついた教師たちの実名や顔を晒してほしい。
大人たちの保身のためのウソは本当に見苦しい。企業の不祥事も、就職や採用活動がいかがわしいのも、すべては大人たちの保身が原因。ウソをつくことをなんとも思っていない大人たちのなんと多いことか。
いまいちど大きな声で言いたい。ウソつきは泥棒の始まりだぞ!
でも、そもそも「ぬすっと猛々しい」って言うから、ウソつきにウソをつくなと言っても効き目はないのかね(-_-;)。
大人たちのウソを白日のもとに晒すような、スカッとするニュースをたまには見たいものだ。
では、朝のニュースを見ながらの朝食後、行ってきます!
プチ・トライアスロンだった週末。
2018年6月4日 (月曜日)
トライアスロンというのは、自転車、マラソン、水泳の3種目を一緒にやっちゃうというドMの人が好むスポーツ。あ、ごめんなさい。それは偏見で、僕のようなひ弱な根性のないオジサンには絶対マネのできないスポーツだ。
ところが、この週末の土日、水泳こそしなかったものの、マラソンと自転車はそこまでやるかっていうくらいやった。
特に自転車。
土曜日は、まず自宅(日本橋のはずれ。川向うは墨田区)から東京ビッグサイトまで行き、その後、九段下、そして最後はまた自宅まで戻った。
翌日の土曜日は、パフランニング部の練習のため、自宅から皇居(竹橋の毎日新聞社1階のRUNPIT)まで自転車で行き、その後皇居をランニングで一周。そしてRUNPITでシャワーを浴びたのち、また自転車で東京ビッグサイトまで。そして夕方は東京ビッグサイトから途中、豊洲のららぽーとで夕食の買い物をして、自宅まで戻った。
なんと二日間の走行距離は、全50km超。フルマラソンの42.195kmをも上回る距離である。
両日とも、快晴のいい天気だったため、陽にもよく焼けた。おかげで僕の腕は真っ赤っかである。
こんな感じ☟
腕時計の跡がくっきりと映っている。
皇居ランは地味に5kmだけだったのだけど、なかなかのインパクトだった。天気が良くて暑かったせいか、たくさん汗をかいた。
いっしょに走ったイシガミはかなりのヘロヘロ状態だったんじゃないかな。☟は、中間点の桜田門外で撮った写真。マラソン部(5人いるらしいんだけど)で走ったのが二人だけだったので「桜田門外の変」と名付けた(@_@)。
あ、そうそう。なんで二日続けて東京ビッグサイトなのかというと、土曜日はキャリタス(ディスコ)さんのイベント、日曜日はマイナビさんのイベントを視察するためにそれぞれ出かけたのだけど、両日とも視察だけでは済まず、ここでも相当な体力を使ってしまった💦。
土曜日の九段下(職サークルセミナールーム)には、クリエイティブチャレンジ(クリチャレ)の学生が集まって企画のためのディスカッションをやっていたんだけど、そこでもまた働かされてしまった(-_-;)。
土日のビックサイトもクリチャレも、きっと後日スタッフブログで紹介してくれるだろうから詳しい説明は割愛しましょう。
ってーことで、今週は週明けからヘロヘロ。いつも以上に使い物にならない釘さんです。
そして、今朝はこれからパフランニング部の早朝ラン。使い物にならない社長をつくるためのダメ出しダメ押しかな(´・ω・`)。
では、そろそろランニングシャツに着替えて行ってきます!
今夜はウニオの送別会
2018年6月1日 (金曜日)
昨夜から大阪に来ている。久々の大阪だ。明日は土曜日だし、せっかくなら神戸・三宮あたりまで足を延ばして、もう一泊して帰りたいところ。
しかし、今夜は仕事が終わり次第、東京にとんぼ返りする。
なぜならば、ウニオの送別会があるから。
「ウニオ」と聞いて誰のことだかすぐに分かる人は、相当なパフ通だろう(笑)。
パフへの入社は西暦2013年。丸5年間を正社員として過ごすも、今年の1月末で退職。2月アタマから昨日の5月末までは、個人事業主としてパフの仕事(主には顧客のイベント運営)を手伝っていた。
ウニオという仇名は、古くからの顧客であるK社のYamasakiさんが名付けたもの。
なぜウニオだったのか?
実はよく覚えていない(苦笑)。
でも、ウニオという名前は実にハマっていて、本名よりも彼らしさを表しているような気がする。
そんなウニオの送別会。さんざん迷惑をかけられた僕としては、やはり無視するわけにはいかない。
いや、「迷惑をかけられた」というレベルではなかった。危うく会社を潰されそうになったわけだから・・・。
「今となっては笑い話」とか言うけれど、こればかりはいまだに笑い話になっていない((+_+))。
※そのヒントがここに書かれているので、お知りになりたい方はどうぞ。⇒ https://www.puff.co.jp/saiyo/members/mizobuchi/
今日からはウニオに渡すパフの仕事もなくなる。奴は正真正銘、独立独歩。個人事業主として生きていかなければならない。
おいおいウニオ、おまえ本当に大丈夫なのか?
ええい、この期に及んで心配させるとは、本当に最後まで面倒くさい奴だ((+_+))。
ということで、今夜は思いっきりウニオを蹴飛ばして追い出してやろう。
でもまずは、大阪での仕事。
ちょっと朝風呂を浴びてから行ってきます!
奥歯が割れた。
2018年5月31日 (木曜日)
このところ、カラダのいろんなところにガタが来ている。目だったり(老眼ね)、アタマだったり(白髪と薄毛ねw)、お腹だったり(メタボねww)、肩だったり、腰だったり、鼻だったり、ノドだったり。トシのせいだろうけど、もうヤんなっちゃう。牧伸二みたい(苦笑)。
そして現在の課題は「歯」だ。
昨年の暮れから右上の奥歯の治療を進めている。そちらの経過は順調で、歯医者さんにあと数回通えば完了する予定なのだが、昨日、それとは違う歯(左下の奥歯)が何の前触れもなく突然割れた。
一昨日、就寝前に歯を磨いているとき奥歯の亀裂を発見した。
10年くらい前に被せたセラミックの歯だ。保険が効かないので10万円くらいしたと思った。ああ、もったいない・・・。
で、昨日の朝この亀裂はさらに広がっており水が歯に沁みるようになってきた。寝ているときに完全に割れてしまったようだ。
こりゃダメだと思って、朝、行きつけの歯医者さんに電話した。が、非情にも「本日は定休日となっております。明日またおかけ直しください・・・」という音声テロップが流れるのみ。
仕方ないので九段下の良さげな歯医者さんをネットで見つけて電話した。運よく九段下駅のすぐそばの歯医者さんが午前11時から診てくれることになった。
雑居ビルの2階に入居している歯医者さんなのだが、なかなか清潔なつくりで受付スタッフの応対も感じがいい。診てくれたのは女医さんなのだが、これまた感じのいい先生。レントゲン、CTスキャンできっちりと歯の状況を診たのちに応急措置をしてくれた。
麻酔をして、割れたセラミックの歯を完全に取り除き、なかに巣くっていた虫歯を削り、新たな仮歯を埋め込んだ。
「正式な歯をつくるところまでうちでやりますか?」と女医さんが聞いてきたので「はい、せっかくなのでお願いします」と答えた。いま通っている歯医者さんには悪いけど、これも何かの縁だ。
ということで、
「歯が急に割れたので九段下の歯医者さんに行って治療してもらいました。これからもしばらく、この歯医者さんに通います」
というだけの、何の起承転結もドラマもない、今朝の日記でした(^^ゞ
ところで本日の夜は大阪に移動する。久しぶりの大阪なので誰か誘って飲みに行きたいのだが、残念ながら到着は夜遅く、ホテルに寝に行くだけになりそうだ。
で、明日の夜にはまた東京にトンボ返り。某社員の送別会があって、最後の方だけでも顔を出してやろうと思っている。
では朝食後、一泊の出張準備をしてから行ってきます!
ひとの会社の名刺に文句をつけた日
2018年5月30日 (水曜日)
昨夜、18年前にパフの仕事を手伝ってくれていた元学生が遊びに(いや、仕事をしに)やってきた。若い部下を引き連れて。
名前をS木というのだけど、まあ面白い奴だ。
18年前、S木にパフのイベントスタッフを依頼したことがあるのだけど、こともあろうにS木は大幅に遅刻してやってきた。朝9時に集合しなければならないところ、奴が現れたのは昼過ぎ。
僕は当然、「おいS木、テメー何考えてんだ!のこのこやってきやがって。いま何時だと思ってるんだ!」という感じで怒鳴りつけた。
「すみません。朝まで飲んでまして、さっきまで寝てました」と悪ぶれる様子もなく答える憎らしいS木の笑顔は、18年間ずっと僕の脳裏に焼き付いている。
こいつは大阪本社の某企業に入社後、なんと人事マンになる。そして数年後、東京のRエージェントの営業マンとして転職する。途中、海外事業立ち上げのために上海に数年間いたこともある。
不思議なもので、この憎らしいS木は節目節目で僕のところにやってくる。そしてなぜか僕は、こいつにタダ酒を飲ませてしまう。人事マンのときも、Rエージェントの営業マンのときも、上海にいるときも(偶然、上海で遭遇してしまったのだ)。
で、このS木、このたびセールスディレクターとして某社に転職した。「幸せなら手を叩こう」の替え歌をテレビCMで乱発する成長著しい外資系求人広告会社だ。
昨夜はその転職の挨拶と自社メディアの売り込みのためにパフにやってきた。「パレスホテルでいちばん高価で美味しいのを買ってきました」とパフの従業員数分のお菓子を携えて。まあ、ホントに憎めない奴だ。
で、名刺交換したのだけど、こいつの名刺がやたらと分厚い。「なんでこんな分厚いんだ?名刺入れで邪魔になるだろ」と僕は文句を言う。
さらに、住所がすべて英文で書かれている。「Mita Minato-ku・・・?」「気取って英字なんかで書きやがって。日本の住所なんだから漢字の名刺にしろよ。こんなんじゃ名刺読み取り機が認識しないだろ!」とさらに文句を言う。
まあ、人んちの会社の名刺にたいして余計なお世話なんだけど、S木には何かと文句を言いたい僕だったのだ(笑)。
ということでS木、頑張れよ!パフの中途採用やバイト探しのときには御願いするかもしれないのでね。
↑は、S木とその部下のH君とで帰り道の焼き鳥屋でホッピーを飲んでいる写真です。
昨夜は珍しくワリカン。S木にたくさん払わせました(^^)v
さて、東京もなんだかそろそろ梅雨に入りそうな空模様。折り畳み傘をカバンに入れて行ってきます!
ミスター牛丼に会ってきました。
2018年5月29日 (火曜日)
僕は昔からの牛丼ファン。
僕が生まれて初めて牛丼を食べたのは15歳のとき。今でも忘れない。1976年3月だった。
東京のアパートで一人暮らしをしていた兄(本郷の大学に通う学生だった)のところに遊びに行ったときだった。そのときが初めての東京だった。
アパートは千代田線の根津駅から歩いて10分ほどのところ。その根津駅を出てすぐのところに吉野家があったのだ。
「牛丼を食わせてやる」という兄に従って店に入る。
「並ふたつ!」と兄が注文。
それから数秒後に、牛肉がたっぷり盛られた丼が目の前に出てきた。は、早い!
そして牛丼をひとくち頬張る。う、うまい!
勘定を払う(払ったのは兄だけどw)。一杯300円。や、安い!
まさに、「うまい、やすい、はやい」に魅了された最初の瞬間だった。
このときの吉野家は、それまでの50店舗から100店舗にするなど拡大に向かっていた時期だった。
そして、のちに「ミスター牛丼」と呼ばれるようになる安部修仁会長が、吉野家のアルバイトから正社員に転じたばかりのころ(入社3~4年目かな?)だった。
安部修仁会長は1949年福岡生まれ。1967年に高校卒業後プロミュージシャンを目指して上京。吉野家でアルバイトをしながら音楽活動をやっていた。
しかし、ミュージシャンとしては鳴かず飛ばず。1972年、当時の吉野家社長だった松田瑞穂氏に誘われて正社員になったのだった。
吉野家は1980年、急拡大戦略が仇となって倒産してしまう。30歳になったばかりの安部修仁会長の大躍進はそこから始まる。
10年後には会社を見事復活させ、20年後には東証一部に上場するまでになった。その後も米国BSEの苦難を乗り越えて現在に至っている。
前置きが長くなってしまった。
昨日はこの安部修仁会長にお会いできる機会に恵まれた。会ったといっても講演をお聞きしただけで名刺交換することもできなかったのだけど。
でも、「ミスター牛丼」の話を至近距離で聴けたことは、長年の牛丼ファンの僕にとっては感動もの。チューリップのライブで生まれて初めて「青春の影」を聴いたときと同様の感覚だ(^^♪
あれ?
肝心の講演の内容をいろいろと書こうと思ってたんだけど、時間が無くなってしまった(^^ゞ
ま、いいか。講演はいろんな書籍に書いてあることと同じだったので割愛しよう。一昨年の「私の履歴書」でも連載されてたしね。
安部修仁会長は2014年8月に、すべての権限を若手経営チームに禅譲して今は口出しを一切しない(取締役も退任した)名ばかりの会長職に退いている。
そんな安部修仁会長の仕事観(スライドから抜粋した)を書き留めておこう。
「無駄な経験はない」
「ピンチは必ず克服する」
「挑戦こそが人を育てる」
「自分で作り、自分で面白くする」
「55歳からが勝負。そのために20代、30代、40代なりの生き方がある」
よし、今日の昼飯は牛丼だ(^^♪
では準備をして行ってきます!
パフランニング部の練習が始まった。
2018年5月28日 (月曜日)
今はまだ日曜日の夜。当日の朝にしか書かないこの日記なんだけど、今回は前日の夜のうちに書くことにした(朝5時に自動投稿されるようにした)。
というのも明日の朝はパフランニング部の練習があって、6時半には中央区立総合スポーツセンターの前に集合しなければならない。
朝6時半といえば、いつもなら僕が日記を書き始める時刻。
なので夜のうちに日記を書いておこうと思ったのだ。
そもそもパフランニング部とは何か?
ハッキリとした経緯は忘れてしまったのだけど、たしか僕の2月のライブを手伝ってくれたイシガミが、その打ち上げのときに「ワタシも皇居や隅田川を走りたい!」と言っていたのがキッカケだったような気がする。
それから2か月ほど経った4月下旬。たしか4月29日の昭和の日だった。新入社員のイシカワを巻き込んで、皇居ランを決行することになった。
そのときの写真がこれ☟
この日、「よし、パフマラソン部の結成だ!9月にナゴヤドームで開催されるリレーマラソンに出場しよう。そして、名大社チームをコテンパンにやっつけようぜ!」なんていうことを(ラン後に三人でビールを飲みながら)威勢よく話した。
このとき今後の練習日程を決めていたのだけど、僕は5月になるとすぐに長期の出張が入ったり、菌でノドをやられたり(!)して、ずっと走れずにいた。
で、先週末の土曜日。ほぼ一か月ぶりにランニング部の練習に参加することになったのだ。
部員にはイシガミとイシカワのほかに、なんとヨシカワも新たに加わっていた。
名大社チーム主将の山田さんが「勝負してもいいけど、ヨシカワさんが出場するのが条件だよ、イヒヒ」と言い出したのがキッカケだった。
我々の強さにビビってのことだと思うのだけど、ヨシカワにしてみれば「おい山ちゃん、アタシをバカにするんじゃないよ!」ということで、彼女はジムにも通い始め、ランニング部にも加入することになったのだ。
土曜日の練習では、ヨシカワさんに合わせて、全員7分/kmの超ゆっくりペースで皇居の周りを走った。
イシカワ、イシガミ、ヨシカワ(カタカナで書くとなんか似てるなこいつらw)の3人は一周のみ。僕はなんだか物足りなくて二週を走った。
さてさて、どう考えても強そうに見えないパフランニング部。実力のほどはいかに?
それは、これからの練習次第かな。まずはみんな(イシカワ以外は)減量しなきゃね(*’ω’*)。
では、明日の早朝ランのために今夜は早めにおやすみなさい!