電話で「ふんふん」と言ったら糞シールが貼られる!
2018年5月25日 (金曜日)
5年ほど前、社員たちの電話応対がおざなりになっていたのを見て「これはいかんな」と思った僕は、急きょ「釘さん電話研修」なるものを社員全員に対して実施した。
以下は全員が受講し終わった後に出したメールである。そのまんま貼り付けてみる。
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すべての社員・契約社員のみなさん
今月のアタマから実施してきた「釘さん電話研修」のすべての回が終了しました。
(中略)
以下は、とくに心掛けてほしいことです。※初回のほうでは伝えていない大事なことも含まれています。
1)電話にでるときは、「はい、パフでございます」の10文字のみ
この10文字を明るく元気に(きりっと)爽やかに。
※長い台詞ででるのは丁寧なようで実はNG。相手は1秒でも早く用件を伝えたいものです。
2)応答は「いつも、たいへんお世話になっております」
最大限の感謝の気持ちをこめて
※社員や同じプロジェクトを進めているパートナーさんからの電話だったら、「お疲れ様です! 清水です!」と、自分の名前をちゃんと名乗る。
3)会話中の相槌には注意!
不遜だったり失礼にうつる相槌が最近増えているようです。
NGワード:
「ふん、ふん」これはダメです。相手が学生でもダメです。
正しくは「はい。さようですか。さようでございますか」。「ふんふん」は、バカにされているように聞こえます。
クセになっている人が多いようなので、気がついたら「いまフンて言った!」と声を掛け合ってください。
※「糞シール」を用意しますので、「フン」と言ったひとの席の前に貼ってあげるようにしましょう。
「はいはい」繰り返すのもNGです。
「はい。」、「はい。」と、きっちりと区切るようにしてください。
「なるほど(ですね)」これもダメです。相手がお客様や目上の場合はとくに。
これは釘崎もクセになっています(マニュアルにまで書いてしまっていました)ので直します。
ということで、最後に。
そつのない電話応対ができるレベルで満足していてはダメです。マニュアル的、事務的な「作業」になってしまってはダメなのです。
電話がかかってきたら、その向こう側にいる人は、会社と自分を支えてくれている大恩人である、というくらいの気持ちで、一本一本の電話に感謝の気持ちを込めて、対応するようにしてください。
・できるビジネスマンは、みんな電話がうまい
・電話が明るく爽やかな会社は、業績もグングン伸びていく
・皆で、電話応対にさらに磨きをかけて、パフの業績をグングン伸ばしていこう(^o^)/
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われながら、なかなかやるじゃないか(笑)。
先日このメールをヨシカワがあらためて全社員に送りなおしていた。新人が入ってきたこともあり、いまいちど基本を伝えたかったのだろう。
で、このメールをみたMATSUZAKIさん(先日も日記に登場していましたね♪)が、こんなシールを用意してくれた。
そう!「糞シール」である(笑)。
あ、「なるほどですねシール」もあるぞ(*’ω’*)。
素晴らしい!
5年前の電話研修のとき「糞シールを用意しますので、フンと言ったひとの席の前に貼ってあげるようにしましょう」と書いてはみたものの、そのままウヤムヤになってしまっていたのだが、笑顔でムチャぶりに応えてくれるMATSUZAKIさん、よくぞ作ってくださいました。さすがです。あっぱれです(^_-)-☆
さあ、「糞シール」や「なるほどですねシール」を貼り付けられないように、みんな今日からしっかりとした電話応対を心がけましょう!
さて、僕のノドも声も全快。アルコールもついに解禁された。今夜は楽しいお酒を飲めるかな?
では、朝食後、「半分、青い。」を観てから行ってきます!
やってまった・・・。
2018年5月24日 (木曜日)
「やってまった」は、NHK朝の連ドラ「半分、青い。」でよく出てくる台詞。岐阜便なのかな?
「やっちゃった!」「しくじっちゃった!」「しでかしちゃった!」というニュアンス。うっかりミスのときに思わず出てくる言葉だ。
日ごろボッとしている僕は、「やってまった」と呟かなければならないような失敗をすることが多い。
昨日のお昼もやってまった。
昨日は、某お客様の会社説明会コーディネートで朝から説明会の会場に詰めていた。
午前の説明会が終わり、午後の説明会が始まるまでの少しの時間でササっと昼食をとることにした。
会場から徒歩5分くらいのところに商業ビルがあって、そこの地下に飲食店がいくつかある。そのうちの一つ、とんかつチェーン店(和幸です。好きなんですw)に入った。
席に座るや否や迷わず「和幸御飯ください」と店員さんにお願いした。値段は900円程度。ライス&しじみ汁&キャベツがお替り自由のリーズナブルなとんかつ定食だ。
注文したあと、上着のポケットに手を当てた。
「あ・・・。やってまった・・・」
店員さんにすぐに声をかけた。
「す、すみません。このお店はスマホの電子マネー使えますか?」
「いえ、現金かクレジットカードだけですが?」
「あ、あ、そうですか。すみません、財布を忘れちゃって。あの、さっきの和幸御飯はキャンセルでお願いします。申し訳ありません!」
といって、そそくさと逃げるようにお店を出て行った。
あぶなかった。危うく無銭飲食するところだった。「会社社長、無銭飲食の現行犯で逮捕される」なんて洒落にもならない(苦笑)。
結局、昨日のお昼は、その隣にあるサンマルクカフェに(スマホで支払えることを確認して)入って、アイスコーヒーとチョコクロだけで済ますことになった。
あーあ、とんかつ食べたかった……。
とまあ、こんなシクジリのときに「やってまった」という言葉はピッタリなのだ。
本日は、こんな「やってまった」がないことを祈る。
ドラマの鈴愛(永野芽郁)がやるぶんには可愛くて微笑ましいのだけど、60前のオジサンだと「バカじゃないの?」と軽蔑されるだけなので(苦笑)。
では、そんなことがあったってことは家族にはナイショにしたうえで朝食後、行ってきます!
魚と組織は天日に晒すと日持ちが良くなる
2018年5月23日 (水曜日)
これは、Jリーグチェアマン村井満さんの名言である。この言葉は、ムライさんがまだチェアマンに就任する前(RGF Hong Kong Limitedチェアマン時代)、職サークルの学生向け講座で話してもらったときに聞いたのだが、思わず膝をポンと叩いたことを覚えている。
「魚と組織は天日に晒すと日持ちが良くなる」
パフも、もちろんこれを実践している。天日に晒すことを良しとしない社員も居なかったわけではないが、そんな社員もいつからか晒せるように変わっていったり、どうしても変われない場合は自ら会社を去っていった。結果、今いる社員たちは皆、晒せる社員ばかりだ。
おかげで今では、不正や忖度や偽造やパワハラやセクハラや理不尽さなどとは程遠い組織になっている。
「この情報は都合が悪いから、ここだけにしておこう」という組織はたいていダメになる。
組織の大小は関係ない。民間企業だろうが、自治体だろうが、省庁だろうが、政党だろうが、内閣だろうが、大学だろうが、同じである。
とくに、その組織のトップが自分自身を天日に晒せるかどうかが重要だ。
昨今のモリカケ問題を始めとする様々な不正のニュースを見るにつけ、そう思う。
昨日、記者会見を行った日大のアメフト選手。自分がとってしまった間違った行動とその背後にあるものを(様々な苦悩や圧力に負けることなく)天日に晒してくれた。いまは辛いかもしれないけど、これからの長い人生、きっと清々しく生きていけるんじゃないかと思う。
一方で、日大アメフト部のトップや学校法人のトップは、自らをどこまで晒すことができるか。僕はその一点に注目したいと思う。
ということで、この「釘さん日記」も、できる限り自分の愚か者ぶりを晒しながら、これからも書いていくことにいたしましょう(^_-)-☆
さて、本日はこれから某社の会社説明会コーディネート。午前午後のダブルヘッダーだ。
この一週間、断酒したおかげでノドの菌も全滅した模様。本来の美声(?)を取り戻したので、説明会の運営も問題なくできそうだ。
では朝食後、行ってきます!
新規顧客への提案に同席した日
2018年5月22日 (火曜日)
新規顧客への同行営業を行う機会が最近はほとんどない。
嫌がっているわけでも拒否しているわけでもないのだけど、まあ要するに、現場社員からすると「およびでない」ということだろう(^^ゞ。
ちょっとだけ寂しい気もするが、むしろそれは誇らしいこと。社長がイチイチ営業現場に足を運ばなくても大丈夫な会社になったんだな、と思う(ことにしているw)。
そんななか、昨日は久々に新規顧客(未契約なので正確には新規見込み客)への提案現場に同席させてもらった。
同行の依頼を受けたのは、新卒一期生営業マン兼、営業グループ長兼、取締役のヨシカワから。
「で、オレは同行して何すればいいの?」
「何もしなくていいです」
「ん?」
「隣に座って、ニコニコしてもらってればそれでいいです」
「あ、そ」
というふうなやりとりがあって、昨日の午後2時。会社にいたらちょうど眠くなるくらいの時間に現地に出かけて行った。
先方は、若い女性担当者とその上司(僕と同年代の男性責任者)の2名。
景色のいい応接に通され、ちょっとだけ他愛もない会話(アイスブレーキング)をしたあと、すぐに商談に入る。
昨日は2回目の訪問で、正式な提案を行うタイミングなのだという。
ヨシカワは、おもむろに提案書を鞄から取り出して、お客様の前に並べて説明を開始した。
ふむふむ、ほうほう。
と、頷いているのは僕である。
お客様からは様々な質問が飛び出してきた。
するとヨシカワは、自分のノートPCをさっとお客様の方に向けて、他社の事例を紹介し始めた。
お客様の関心はその具体的な他社事例に向いていく。身を乗り出してきた。
さらにヨシカワは、パフで制作したという会社説明会用のスライドや配布資料をお客様にお見せして詳しい説明を行った。
へー、これすごいね。
と、思わず口に出したのは僕である(笑)。
釘「これ、誰が作ったの?」
ヨ「タシロです」
釘「へー、すごいね。これは?」
ヨ(あきれながら)「イシガミですよ」
釘「へー、たいしたもんだね」
「ハハハ、なんだクギサキさん、知らなかったの?」と笑うのは先方担当者の上司である。
実はこの上司、僕の古くからの知り合いで、その方も商談に同席されるということを知ったヨシカワは、僕を連れて来たのだった。
商談はその後も順調に続き、月末までを期限に昨日の提案内容を検討していただくことになった。
僕がこのような提案の現場を見るのは本当に久しぶり。
自分で自分の会社の営業を褒めるのもヘンな話だが、まー、昔のパフの営業とは比べ物にならないくらい高度化している。かといって小難しくなっているわけではなく、むしろ簡潔で分かりやすく納得できる内容だ。
こうやって営業提案にたまに同席するのも悪くない。会社や社員の成長ぶりがよくわかる。
「社長元気で留守がいい。でもたまに、営業現場に行くのもいい」というのをこれからのスローガンにしようかな。昨日の提案、無事通るといいね(^_-)-☆
さて、声もほぼ普通に出るようになってきた。イヤな咳も鎮まってきた。菌が退治されたのかもしれない。本日再度、耳鼻咽喉科で診てもらうことにしよう。
では、全快を期待しつつ行ってきます!
いつかは、だけど、寂しいね。
2018年5月21日 (月曜日)
先週は訃報が相次いで流れてきた一週間だった。
朝丘雪路さんは年齢こそ離れているものの、中学生時代、11PMをいつも観ていたものとしてはとても身近な存在だ。「雨がやんだら」を色っぽく歌う姿も、ずっとアタマに残っている。
星由里子さんは加山雄三の映画(若大将シリーズ)での姿がもっとも有名なのだが、僕には花登筺(はなとこばこ)の三人目の奥さんという印象が強い。花登筺って知ってる人は少ないかもしれないけど、大阪商人を題材とした小説やドラマを多数残した小説家・脚本家だ。1983年に55歳の若さで亡くなっているのだが、僕は「どてらい男」というテレビドラマ(主演は西郷輝彦)にもなった小説が好きだった。こんな美人(星由里子さん)と結婚できるなんて、小説家っていいよなーと15歳のころの僕は羨ましがったものだ。
岸井成格さんの訃報にはショックを受けた。癌であることは知っていたし、サンデーモーニングに出演しなくなって久しかった(昨年12月3日が最後の出演だった)ので心配していたのだが、ついにその日が来てしまったかという残念な気持ちだった。
面識があるわけではないのだけど、好きなジャーナリストだった。岸井さんのNEWS23(膳場貴子と一緒にやっていた)は毎晩観ていた。岸井さんがキャスターを降板して以降はほとんど観なくなってしまったのだが、岸井さんを引きずり下ろした権力者たちが今になって恨めしく思う。
そして何よりショックだったのは、西城秀樹さんの訃報。「えっ…噓でしょ……」という感じだった。
僕らの中学生時代は、新御三家といって、野口五郎、郷ひろみ、そして西城秀樹の三人が、女子生徒の人気を分けあっていた。でも僕ら男子生徒にも西城秀樹の人気は高くて、「薔薇の鎖」「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」なんかは、よく真似て歌っていたものだ。
あ、そうそう。掃除の時間に、長いホウキをマイクスタンドに見立ててよく真似していたのを思い出した(笑)。
実は、亡くなる数日前も、僕は西城秀樹をテレビで観ていた。
あの「寺内貫太郎一家」が、BS12(トゥエルビ)で放映されていたのだ。そのことを途中から知った僕は、最終回まで全部録画を録っていた。時間がある時にチマチマ再生して観ている。
実際には、僕が中学1年~2年生のころにTBS系列で放映されていたドラマだ。西城秀樹ふんする周平が父親の貫太郎(小林亜星)と取っ組み合いの喧嘩をするシーンが有名なのだが、僕は、ドラマの最後に浅田美代子と屋根の上で歌うシーンが一番好きだった。
哀悼の意を込めて、Youtubeに上がっていたこの動画にリンクをはっておこう。
享年63歳。最期まで脳梗塞の後遺症と闘っていたという。僕と5歳しか違わないのか……。
そういえばこのドラマに出演していた左とん平さんも今年亡くなったばかりだ。同じ時代に広島カープで大活躍していた衣笠祥雄さんも先日亡くなったばかり。それから、やはり同時期に大活躍していた(「太陽にほえろ」や「愚か者」の作曲者でもある)井上堯之さんの訃報もつい最近のことだった。
生あるものに、死はいつかは訪れるのだけど、でも、やっぱり寂しい。僕らが多感だった時代に、大きな影響を与えてくださった方々の死であればなおさらである。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
さて、僕の体調も徐々に戻りつつある。声も出るようになってきた。まだまだくたばるわけにはいかない。なんたって70歳まではライブをやるって宣言してますからね(^_-)-☆。
では今週最初の、行ってきます!
「禁酒・禁喋り」を言い渡された日
2018年5月18日 (金曜日)
昨日は朝の会議を終えた後、茅場町の耳鼻咽喉科に行ってきた。3月初旬、軽度の副鼻腔炎になっていたときに通っていたクリニックである。
予約制なので、到着すると時間通りすぐに診察室に呼ばれた。昨日の九段下のクリニックで30分以上待たされたのとは大違いである。
すぐさま鼻に棒状のカメラを突っ込まれて診察が始まった。
「うーん、これは酷いですね」
「え、そんなに?」(と、僕は言ってるつもりだけど掠れてしまって殆どコトバにならず…)
「これ、前回のノドの写真。これ、今回のノドの写真。前回とは比べ物にならないくらい腫れてるでしょ?」
「・・・は、はあ」
「これじゃ声は出ないですね。というか声出しちゃいけないですね」
「・・・・・・うぅ」
「時間あります?ちょっと点滴打っていきましょう。抗生物質と炎症を抑える薬を用意しますんで」
「・・・う、うぅ」
「あ、それとね、数日間は、できる限り声を出さないようにしてください。特に電話はダメですよ。電話は普段よりも大きな声を出しがちなので」
「言わずもがなですが酒は絶対に飲まないように」
「・・・・・・う、う、う、うぅ」
「これ以上腫れが酷くなったら大きな病院に行って手術してもらうかもしれませんよ」
「・・・・・・(@_@)」
「また来週、来てください。抗生物質は6日分出しておきますので」
「それまでムリに声を出さないこと。お酒も絶対に飲まないこと。この二つだけは守ってくださいね」
「・・・・・・(´;ω;`)ウッ…」
歌手として声が出ないのは致命的である。ここは医者の言うことをちゃんと聞いて根治せねば。
ということで、これから一週間ほど禁酒の日が続く。大きな声も出せないので、会食では静かなお店でヒソヒソ話になるだろうか。いや、そもそも会食には行かないほうがいいか(-_-;)。
実は昨夜、中途採用候補者との面談だったのだが、静かなホテルのラウンジで抹茶を飲みながらやることにした。
採用候補者には僕のすぐ隣に座ってもらって、耳元でのヒソヒソ話で面談を進めていったのだった。傍から見たら、怪しいカップルに見えたのではないだろうか(笑)。
と、冗談を言っている場合でもなく、今日以降の会食等の予定をリスケしなければならない。
僕との予定を組んでくださっている皆さん、個別にご連絡をお入れしますね。ご迷惑をおかけすることになり申し訳ありませんm(__)m
では、朝食後(ご飯はちゃんと食べられます)行ってきます!
声が出ません。
2018年5月17日 (木曜日)
タイトルの通りである。
昨日の朝からノドがおかしく、およそ自分の声とは思えないヘンテコリンな声になってしまっていた。
鼻水も咳も酷くなってきており(まぎれもなく風邪の症状ですね)近所のクリニックに行って診てもらった。
30分以上待たせておいて診察時間はわずか3分くらい。冷たい感じの女性医師が「2日~3日クスリを飲んで治らなかったら耳鼻科に行ってください」だって((+_+))。
「なんじゃそりゃ?」と思いながらも処方されたクスリを昨夜は飲んで寝た。
で、いま。
なんだなんだ、昨日より酷くなっているじゃないか(@_@)。声がまったく出なくなってしまっている(´;ω;`)ウッ…。
やっぱり昨夜の紹興酒と超辛麻婆豆腐がよくなかったか?
アルコール消毒だなんてふざけたことを言ってる場合ではなくなってきた。
よし、今夜は禁酒だ。明日には治っていることを願う。
それにしても今年はしょっちゅう風邪をひいているような気がする。これはいかん。体力が低下しているのかもしれない。
いままで徒歩通勤だったのが、事務所の移転によって電車通勤になってしまったのもよくなかったのかもしれない。やっぱり人間は歩かなきゃだな。
今回の風邪が治ったら、朝ランやらスイミングやら、ちゃんと運動することにいたしましょう。
では、朝食後クスリを飲んで行ってきます!