破壊と創造の謀議を行った日
2009年8月20日 (木曜日)
きのうの日記に、 「そういえば来週も楽しみな共催セミナーがある。(実は明日、詳細な打ち合わせを行う予定なのだ)。」 と、思わせぶりなことを書いた。
で、本日は予定通り、その「楽しみな共催セミナー」の打ち合わせを行った。
いっしょに開催するのは、以前(7月8日)の日記でも紹介したことのある常見陽平さんだ。
実際に初めてお会いしたのは、7月28日で、この日のことも日記に残してある(書いていて思ったけど、日記ってこういうときに便利だな)。
運命の出会いというのはこんなものか。たまたま常見さんが僕のブログの読者で、僕のある日の日記をご自身のブログからリンクしてくれたことで、僕は初めて常見さんのことを知った。
常見さんのブログを読んで、「こりゃすごい。会わなきゃ!」と思った僕は、すぐにコンタクトを取った。そこからトントン拍子で、今回のコラボセミナーということになったわけだ。
このスピード感。実に気持ちいい。
今回のセミナーの骨子が決まったのが、なんと初顔合わせのたった二日後。この日のことも 僕は日記に書いていた。7月30日の日記で「変人による変人のためのセミナーが企画された日」というタイトルだった。
そして本日の詳細打ち合わせである。
落としどころはばっちり決まった。
でも、落としどころに行くまでの過程がどうなるかは、我々だって分からない。分からないから面白い。分からないからワクワク、ビクビク。でも、きっとここから新しい一歩が始まる。
変人の変人による「世のなかのため」の幸せなセミナー。
現在のおかしな就職と採用が破壊され、新しい理想的な就職と採用が創造される ことを期待しよう。
セミナートリプルヘッダーだった日
2009年8月19日 (水曜日)
パフが初めて企業向けセミナーを開催したのは、会社を設立して丸1年経った頃だったと記憶している。
その頃はせいぜい年に2~3回実施するのがいいところだったのだが、現在では、しょっちゅう開催している。学生向けのイベントで多忙になる冬の時期を除くと毎月のように。とくに人事担当者の皆さんが次年度の計画を立てる夏場は、毎週のように開催している。1か月で7回ほど開いたこともある。
本日も、その企業向けセミナーの開催日だった。
セミナーのタイトルは、「内定者育成のすごい仕掛けセミナー」。
すごい仕掛けってどんな仕掛けだよ!? と、思わず突っ込みをいれたくなるようなセミナーだ。
先月末から告知を始めていたのだが、案の定、申込者が殺到した。タイトルもそうだが、グループワークを交えた勉強会形式のセミナーにしたことが人気の原因だったのではないかと思う。
当初は、午後4時~6時の1回だけの開催予定だったのだが、数日で満席。このまま締め切るのはもったいないということで、追加で午後1時~3時の回の開催を決めた。
ところが追加した回も埋まりそうな勢い。無謀かとも思ったのだが、午前10時~12時にも開催することにした。
1日に3回も同じテーマのセミナーを開催するなんて、パフ史上初の出来事である。
セミナーの運営班もたいへんなのだが、いちばんたいへんなのは、セミナーの講師。休む間もなく丸1日、しゃべりっぱなしなのだ。これはキツイ。
実は今回のセミナーは、パートナー企業のマングローブ社との共催で、講師は同社の若きエース、新村さんが担当したのだった。
マングローブの今野社長からは、「ちょっと釘さん、ひとんちの社員だと思って、あんまりコキ使わないでくださいよ~」なんていう声が聞こえてきそうだったのだが、気にせず決行した。
・・・結果。
やりとげました、新村さん。いやあ、お疲れさまでした。朝10時~夕方6時まで。その後の懇親会まで含めると10時間連続の緊張タイム。よくぞやってくれました。
参加いただいた人事の皆さんの評価(満足度)も高く、大成功だったと思う。このあとのフォロー営業で、たくさんの引き合いが来るのが楽しみだ。
1社だけだと難しいことでも、パートナー企業と組むことで実現できることがあるのだ。
そういえば来週も楽しみな共催セミナーがある。
こちらもパフ1社では実現できなかったセミナーなのだが、その話はまた今度(実は明日、詳細な打ち合わせを行う予定なのだ)。
あらためて本日は、講師を務めてくれた新村さん に最大限の感謝である。ホントにお疲れさまでした!!
deerさんの送別会だった日
2009年8月18日 (火曜日)
パフの古参協賛企業D社にdeerさんという人事部の課長さんがいる。deerさんが採用担当者となったのは、なんとまだ世の中が20世紀のころ。西暦2000年の秋だった。
そのときのdeerさんは、32歳の若き人事マンだったのだが、世界ナンバーワンのシェアを有するD社の採用を、全面的に任される担当者となったのだ。
このときパフは設立3年目。正社員はまだ誰もおらず、僕と、翌年の4月入社予定の内定者だけで会社の(管理業務以外の)ほとんどの運営を行っていた。
そんな未熟なパフだったのだが、すでにD社は、ビッグクライアントだった。採用ホームページの制作から、応募者管理のためのデータベースの構築、採用業務のアウトソーシングに至るまで、採用活動の最初から終わりまでのほぼ全域のお手伝いをさせていただいていた。
deerさんが採用担当者になるまでは、僕がD社の担当営業マンとして、すべての仕事を取り仕切っていた。
が、deerさんが採用担当者になったタイミングで、パフ側もあらためて僕以外の担当者を置くことにした。
で、D社の営業担当者として抜擢(?)されたのが、2001年4月入社予定の当時の内定者、ヨシカワだったのだ。
以来、ヨシカワは丸9年間、D社の営業担当者として、deerさんと二人三脚で走り出したのだった。
途中、怒られたり、叱られたり、怒鳴られたり、叱責されたりしながらも(全部、怒られてばっかりやん)、ヨシカワは見捨てられることなく、deerさんと一緒に走り続けた。ヨシカワにさんざん駄目出ししながらも、deerさんは最後までヨシカワを信じてくださったのだった。パフが考案した新チャレンジ企画をいつも最初に取り入れてくださったのも、deerさんだった。
採用について、就職について、若者について、パフの若い社員たちといつも熱く語りあってくださっていた名物採用担当者なのだ。
そのdeerさんが、なんとこの8月末で大阪に転勤することになった。もともとは関西出身のdeerさんなので、いつかこの日が来るとは思っていたのだが、ついにその日が来てしまった。
担当のヨシカワはもちろんのこと、パフの皆にとっても、もちろん僕にとってもショックなことだった。とっても寂しい。
でも、ここは笑って、deerさんを大阪に送り出してあげよう!
ということで、本日はdeerさんの送別会を、パフのセミナールームで、ほとんどの社員が参加のうえで行うことになった。
deerさんの9年間の思い出を、パフの社員の様々な出し物(クイズや芸や踊りや歌)を交えながら手繰り寄せていった。
とても懐かしく、感慨深かった。特に、最後のヨシカワの9年間の思い出を綴ったスピーチには泣かされた。
9年……。
あっという間のような気もするが、考えてみれば、とても長い年月だ。
当時の小学校6年生のガキんちょは、もう大学3年生。就職活動をする年齢になっている。当時32歳だった若きdeerさんは、もう41歳のオジサンになっちゃった。
そんな長い年月を一緒に過ごしてくださったdeerさん。いままで本当にありがとうございました。
大阪に行ってからも、ぜひパフのことをずっと見守ってやってください。
そして、パフが再度大阪事業所を立ち上げたときには、ぜひ缶コーヒーを飲みに来てくださいね。
左から2番目の、裏ピースのポーズをとっているのがdeerさんです♪
やはりスピードが大事だと思った日
2009年8月17日 (月曜日)
世界陸上男子短距離走100メートルで、世界記録が出た。ボルトの記録である。なんと9秒58。すげー!である。
今から21年前。ベンジョンソンという短距離ランナーがいた。彼は1988年のソウルオリンピックで世界記録を樹立し金メダルの栄冠を手にした。そのときの記録は9秒79。
僕はベンジョンソンを、東京で開催されたスーパー陸上(ソウルオリンピックの年、国立競技場で開催された)の場で(その走る姿を)間近に見たことがある。まさにロボットみたいな完ぺきな走りだった。
でも結局、ベンジョンソンは薬物を使用していたことが後に発覚し、記録とメダルは剥奪されてしまった。
薬物を使っていたにしても、あの完ぺきな走りと肉体は現実のもので、ホントに凄かった。9秒79というのは、もうこれ以上はない、というほどのスピードだった。
今回のボルトの記録は、あのとき僕が間近に見たベンジョンソンの走りを0.2秒以上も上回っている。テレビで見ててもその凄さはわかるのだが、きっと間近で見たら、ぶっ飛ぶくらいにすごかったことであろう。
スピードというのはとても大切である。人を感動させる。気持ちよくさせる。
これって、実は仕事でもまったく同じ。
書類作成などのデスクワークもそうであるが、人と対面する仕事は特にそうである。営業の仕事なんて、まさに「スピード命」である。営業のときのスピードは、単に「速い」というだけでなく、「早い」と「テンポが小気味よい」という意味も加わる。
「速い」というのは、文字通りスピードのこと。(健康であるにもかかわらず)ちんたら歩く奴に仕事のできる奴はいない。ご飯を食べるのが遅い奴に仕事のできる奴はいない。僕は仕事の出来る奴の三要素として、「速メシ、速グ○、速アルキ」ということをよく言う。こういう基本的な日常習慣のスピードの速い奴は、仕事の処理速度も速いのだ。自分って仕事が遅いなあ…と思ってる人は、まずは速く歩いて、速くご飯を食べる(でもよく噛んでね)ことを意識的にやってみたらいい。きっと徐々に、仕事のスピードも上がるはずだ。
「早い」は、期日よりまえに、いつも約束を果たすこと。お客様とは「来週の金曜日までにはなんとか仕上げます」という約束をするのだが、その約束より前の木曜日とか水曜日に仕上げてしまうのだ。するとお客様は「お、早いねえ」と評価してくれ信頼も増す。要するに、決してできない約束をしないのだ。そして、約束よりも必ず前倒しで結果を出す。たとえば相手が「あれどうなった?」と聞いてくる前に報告をする。常に相手の望んでいることの先回りをする。これが「早い」なのだ。
「テンポが小気味良い」は、「速い」や「早い」の要素に加えて、 「見ていて気持ちがいい」ことを指す。これは一律にテンポが速ければ良いというわけではなく、相手によって適度な速さが異なる。人には人それぞれの、もっとも心地よいと感じるテンポ(ペース)がある。相対する際に、それを大きく上回ったり下回ったりすると、その人は不快感を示す。ゆったりペースの人には、それなりにゆったりした(でもその人よりは少しだけ速いテンポの)対応が必要なのだ。
・・・なんだか、脈絡なく書いちゃったけど、要は、スピードは大事ですっていうこと。
特にビジネスの世界では、 「速い」と、「早い」と、「小気味良いテンポ」を心がけると良い、という話でした。
<備忘>
なお本日の日記は、ウニャウニャしている男子社員諸君のために書いてみました。
盟友の熱のこもったレポートを紹介する日
2009年8月16日 (日曜日)
約1か月前の7月15日。僕は夕方5時半ころに外出した。
会社のお出かけボードに書いた行き先は、「マングローブ 今野社長」。
同じ日、同じくらいの時間。当の今野社長も、やはり外出していた。
行き先は、「パフ 釘崎社長」。
なんじゃらほい?
お互いがお互いの事務所に行ってどうするの?
それじゃ、すれ違いで会えないんじゃないの?
でも、今野社長とは、約束の時間にちゃんと会えている。
そう。
書いた行き先は、あくまで「今野社長」(今野さんからみれば、「釘崎社長」)。別に事務所に行くとは書いていない。
二人の行き先は、お互いの事務所ではなかったのだ。とある場所で待ち合わせをしていたのだ。
でも、その行き先を具体的にお出かけボードに書くのを、(まじめに仕事をしている社員の手前)自粛したのだった。
今野さんに「きょうのこと、ブログに書きます?」と聞いた。
「いやあ、すぐには書かないですが、別のコーナーにいつかは書かなきゃいけないんですよ。ある人と約束してるし・・・」
「そうですかあ。じゃあ僕も、ほとぼりがさめたころに書きますかね」と、僕も答えた。
ということで、本日、暴露しよう。
二人が行った場所は、九段にある【日本武道館】だったのだ。
目的は?
・・・ここから先は、今野社長がつい先日、ご自身のホームページにアップしたばかりのレポートでご覧いただくことにしよう。
とっても長いレポートだけど臨場感あふれる内容となっている。
70年代の音楽をこよなく愛している方々にはたまらないレポートだ。
御同輩には、ぜひご覧いただきたい。
では以下、お時間があるときにゆっくりどうぞ!!
犬を飼いたくなった日
2009年8月15日 (土曜日)
先週から公開が始まった映画、『HACHI 約束の犬』を観た。
優しくなれる映画だった。
リチャード・ギアの「HAーCHIー♪」と言いながら、HACHIとじゃれているシーンが良かったなあ。
ストーリーには山も谷もなく、ただ淡々と、HACHIとHACHIを取り巻く人々の日常を描いているだけだ。
HACHIは毎朝、リチャード・ギアの出勤のとき駅まで送っていく。帰宅の時(決まって夕方5時の電車)には、必ず駅まで迎えに行く。
そして飼い主であるリチャード・ギアが急逝したあとも、HACHIは毎日毎日、雨の日も晴れの日も雪の日も、帰ってくるはずのない主人を駅で待つ。
そして10年後、HACHIは主人を待ちながら、静かに息を引き取る。
ただそれだけの映画なのだが、観ているものの胸を打つ。
けな気なHACHIが愛おしい。
リチャード・ギアが亡くなる日の朝、リチャード・ギアに「行かないで」と訴えかけるHACHIの演技が秀逸だった。
僕が3歳のころまで住んでいた母親の実家(旅館)にも、秋田犬の雑種と思われる犬がいたのだが、その犬(富士という名前だった)を思い出した。とても賢い犬で、泣き虫の僕を慰めながら遊んでくれた犬だ。
いまのマンション暮らしだと無理なのだが、将来、仕事を無事引退できたとしたら、庭のある一軒家に引っ越して、ぜひ犬を飼いたい。というより、犬と仲良く暮らしてみたい。
そう思わせてくれる映画だった。
(松竹の)関根部長!いい映画でしたよ♪
200名の株主の皆さんに手紙を書いて送った日
2009年8月14日 (金曜日)
パフにはたくさんの(約200名の)株主さんがいらっしゃる。創業時の、明日はどうなるかわからぬ状態の時に(というよりも、正しくは、明日にも潰れそうな状態の時に)株主となってくださった方々だ。この方々がいなければ、パフは間違いなく潰れていた。あれから10年以上の歳月が流れてしまったが、僕がずっと大きな恩義を感じている方々である。
ただ僕は、その恩に報いることが、まだできていない。その(恩に報いる)日が来るまでは……。いや、その日を現実のものとするためにも僕は、(石にかじりついてでも)パフを大きな価値の存在にしなければならない。世界でたったひとつの存在にしなければならない。
僕にそう思わせてくれるのが、このありがたく、温かい200名の株主の方々なのだ。
きょうは、そんな株主の方々にお手紙を書いた。
昨日までは明らかにすることができなかったんだけど、やっと本日、口にしても(手紙に書いても)構わなくなった。
それでも公の文書だと、杓子定規な言い方しかできない。なんとも窮屈な世界だ。このブログも全世界の誰もが見ることができるものなので、下手なことは書けない。さすがの(隠しごとの下手な)僕でも、遠まわしにしか書けない。
なので、真意を株主の皆さんに、直接、手紙という手段で伝えることにしたのだ。
ホントはひとりひとり手書きにしたかったんだけど、時間的制約からやむを得ず、ワープロで書いたものを印刷することにした。でも、その代わり(といってはなんだが)、僕の氏名だけは自筆で書いた。下手な字だけど、思いを込めて書いた。
株主の皆さんには、明日か明後日あたりに届くであろうパフの封筒を、ぜひ開封していただきたい。そして、もし書いてある内容に納得していただけるようであれば、これからもできる限り長くパフのことを応援していただきたい。
分からない人には「なんのこっちゃ?」の日記になってしまって申し訳ないのだけれど。また、おちゃらけた日記が好きな愛読者の皆さんにも申し訳ないのだけれど(苦笑)。たまにはまじめな「釘さん日記」もいいですよね?