5年前の内定者がやってきた日
2008年11月19日 (水曜日)
きょうは午後から外出していたのだが、急に寒くなった。いったん治ったかにみえた風邪が、実はまだ抜けきっておらず、鼻水をずるずる、咳をごほごほさせながら、八重洲方面から築地のパフまで歩いて帰ってきた。
会社に戻ってほどなくすると、ひとりの来客。
5年前にパフから内定を出して、本来であれば2004年4月に入社していたはずのN島(旧姓)という女性だ。N島は結局、大学に居残ることになり、翌年、パフとはまったく違う金融関係の会社に入ったのだが、以降もパフの幻の同期たちとは、たまに会って飲んだりしていたようだ。
そのN島。実は今年の夏、籍を入れたという。そして来週の月曜日(勤労感謝の日の振り替え休日)に結婚式を挙げるという。
本日は、その報告を兼ねてパフに遊びに来てくれた。
せっかくなので、N島と同期内定者のナガサキと、先輩(結婚式経験者としてもちょっとだけ先輩)のムラカミとで、食事をしながら近況報告会をすることになった。
社員たちとは毎日のように顔を合わせているので、その変化や成長にはあまり気がつかないが、こうやって5年ぶりの元内定者と再会すると、やっぱり5年の歳月の大きさに気がつく。はねっ返りだった「ガクセイ」が、すっかり落ち着いた社会人であり主婦になっているのだから……。
最近特に、元社員、元内定者、元インターン生など、元のつく連中と再会することがやたらと多い。元であっても、気易く会いに来てくれる関係って、すてきだと思う。
そういえば本日、僕が夕方訪問した会社は、僕が「元」いた会社で、社会人としてのイロハを学んだ会社だったんだよな。
「元」っていうのは、人の人生にとって、けっこう重要な位置づけとなっていることが多いような気がする。だから、ふと「元」のところに戻りたくなるときがあるんだろう。うん、納得。
感動した絵馬を紹介する日
2008年11月18日 (火曜日)
先日の日曜日の話だ。
イトーとムラカミの披露宴が終わって、二次会が始まるまでのあいだ、時間つぶしも兼ねて、会場から程近いところにある神社(平河天満宮)にお参りに行った。
江戸城を築城したことで有名な室町時代の武将、太田道灌が、菅原道真が夢枕に現れたことをきっかけに建立した神社らしい。
学問の神様を祀った神社なので、娘の学力向上と従業員の経済知力向上(?)を願って、100円の賽銭を投じて深々と頭を下げた。
お参りのあと、境内をぶらぶらしていたら、絵馬がたくさん奉納された絵馬掛けを見つけた。天満宮だけあって、そのほとんどが「○○大学に合格しますように」や「○○試験に合格しますように」という願い事だった。
そんな入試や資格試験の合格祈願の絵馬がたくさんあるなかで、異彩を放っている絵馬がひとつあった。
その絵馬は、小さな子どもが一生懸命に書いたであろう、たどたどしい文字で埋められていた。
上の写真が、その絵馬だ。願い事のあとには、姉弟と思われるふたりの名前が書かれていた(名前の部分はマスクしてあります)。
パパのしごとがせいこうしますように
パパとはやくあえますように
不覚にも涙がこぼれてきた。
字の感じからして、まだ小学校に上がるかどうかの子供たちだろう。
きっと、この子たちのお父さんは、単身赴任で遠くに離れており、難しい仕事に従事しているのであろう。ずっと会えていないのなら、ひょっとすると海外にいるのかもしれない。
「あえますように」という願いよりも先に、「パパのしごとがせいこうしますように」と書いてあることに泣かされる。
僕も、娘がまだ幼稚園児だったときに起業したため、娘にはずいぶん寂しく辛い思いをさせたことを、いまでも切なく思っている。しかし、この絵馬を書いた子たちのように、長い時間「あえない」ということはなかった。
この絵馬を書いた子たちは、さぞかし寂しい思いをしているんだろう。でも、そんな寂しさを我慢しながら、「パパのしごとがせいこうしますように」と、一生懸命、大きな字で書いたのだろう。そして、この絵馬を書いているこの子たちの後ろには、きっと、この子たちのお母さんが、優しく見守っていたのであろう。
そんな情景が、さーっと浮かんできた。
うーん。感動である。この絵馬を題材にして、演劇の台本や唄の歌詞が書けそうな気がする。
テレビや映画を観るまでもなく、僕らのまわりには、こういうドラマがたくさんあるんだよな。
このたったひとつの絵馬のおかげで、なんだかとても優しい気持ちになれた気がする。
「はやくパパにあえるといいね♪」
一日の最高アクセス数を更新した日
2008年11月17日 (月曜日)
この「釘さん日記」のアクセス件数は、現在一日当たり150~200件くらいである。一般市民のブログのわりには、けっこう見られているほうかもしれない。
いままでの、一日のアクセス件数の最高記録は、今年の6月2日に記録した323件であった。
そして本日。5か月半ぶりに最高記録を更新した。23時59分現在のアクセス件数は、なんと、371件まで伸びた。すっごい。
やっぱり祝い事のネタだと、多くの方々がアクセスしてくれるものなんだな。学生向けに本日発行されたメルマガでも、この日記のことが紹介されていたのだが、それも大きかったようだ。
さて、次の記録更新はいつになるだろう……。
日常のできごとを、ただ羅列しているだけのこの日記。毎日がドラマっていうわけでもないので、ネタに困る日もある。一応は経営者という立場上、書きたくても書けないことだってある。
それでも週に一回くらいは、ヒットを飛ばせるようなネタを書いて、アクセス数の最高記録を更新していきたいものだ。
読者の皆さん、今後ともよろしくお願いします!!
史上まれにみる結婚式と披露宴が挙行された日
2008年11月16日 (日曜日)
パフの社会人メルマガや僕のこの日記で、最近盛んに宣伝してきたビッグイベント。パフの新卒二期生のイトーとムラカミの結婚式と披露宴が、本日執り行われた。
自分の会社の社員同士(しかも二人とも、創業まもない、社員がほとんどいなかった頃に入社してきた社員)の結婚式というのは、社長にとっては、とても奇妙で複雑な気持ちがするものである。
以前も何かで書いたが、自分の子供同士(姉と弟かな)が結婚するような感覚なのである。
できの悪い子供ほど可愛いというが、このふたりには(内定者時代から入社3年目くらいまでは特に)手を焼かされたぶん、ホントに感慨深い。
3回も「会社を辞める」と言い出し、その理由の浅はかさから、その都度「お前は馬鹿か?殴るぞ!」と言われていたイトー。
その大らかさから、幾度となく僕をハラハラさせ、寿命を合計20年くらいは縮めてくれたムラカミ。
細かいことを語りだすと切りがないくらい、さまざまなエピソードがある二人だ。
その二人の結婚式と披露宴(と、その後の二次会)。たくさんの結婚式に出た経験のある僕でも、未だかつてない、とてもユニークな内容だった。
これも紹介しだすと切りがないのだが、3点だけ。
ひとつめ。
厳かな(はずの)結婚式なのだが、なぜか新郎が登場した瞬間、場内から大爆笑が沸き起こった。
こういう式は初めて見た。本人たちに原因があるわけではなく、招待客が自発的に笑ったのであるが、まあ、それだけ皆さんに愛されている証拠なのであろう。かくいう僕も、笑いをこらえるのが大変だった(っつーか、やっぱりイトーのタキシード姿が可笑しすぎた)。
ふたつめ。
披露宴が始まってすぐ、主賓が(って僕なんですが)挨拶に代えて、ギターを抱えて歌を唄った。
やっぱり、そんな(主賓がギターを弾いて歌うなんて)披露宴、聞いたことない(苦笑)。これは、この日記でもいままで書いてきた通りである。新郎新婦から「主賓挨拶は3分以内で!!」と厳命されていたので、命令通り挨拶はほんの一瞬。その分、歌を2分30秒間、歌いきった。実はけっこう緊張しており、本来のメロディとは違った歌になってしまったのだが、オリジナル曲なので、そんなことは誰にもわかるはずがない(笑)。あとでまわりのお客さんに感想を聞いてみたが、「なかなか良かった」とのこと。まずまず満足である。12月11日のコンサートでも歌ってみるかな。
みっつめ。
ご両家のお父さんとお母さんがとても仲がいい。おまけに面白い。
二次会の席で、ご両家のお父さんお母さん(計4名ですね)のテーブルに僕も混じらせていただいて、ゆっくり話をさせていただいた。ご夫婦同士はもちろんのこと、ご両家のお父さんお母さん同士が仲がいいのは、とても微笑ましいし和む。息子と娘にとっても嬉しいことなのではないかな。いやぁ、やっぱりご両親は偉大です。最大限の敬意を表したいと思う。特に遠く広島から来られたムラカミのお母さん。ムラカミにそっくり。いやムラカミ以上にひょうきんで、仕草がムラカミそっくりなのには爆笑してしまった(お母さん、ゴメンナサイ)。フォークソング好きのお父さんとは、12月11日の僕のコンサートを録音したものをお送りする約束もしたしね。
とにもかくにも、メデタイ一日だった。イトー、ムラカミともに、たくさんの方々にお祝いされて幸せ者である。とはいえ、相当に気疲れしたのも事実であろう。ま、あす一日だけは、ゆっくりと休みたまえ(笑)。
最後に。この二人にメールやお手紙や電報にてご祝辞をくださった多くの皆様、本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
ふたりに贈る曲が完成した日
2008年11月15日 (土曜日)
先日の日記で、作詞の神様が北風に乗ってやってきたという話を書いた。実は、その神様というのは、パフの新卒一期生のササキアサヒのことである。
アサヒのことも一か月ほど前の日記で書いたばかりだが、現在彼は、岩手県の実家に戻っている。
彼はなかなかの詩人で、SNSの自分の日記のなかで、よく詩を書いている。それを見た僕が、明日結婚する後輩のふたりのために詩を書いてくれないかと頼んだのである。
さすがアサヒ。それから数時間もしないうちに、詩を書きあげて送ってきてくれた。
そしてきょう、僕がその詩に曲をつけた。
詩がしっかりしていると曲って案外浮かんでくるものだ。我ながら結構いい曲ができたように思う。
せっかくなので、アサヒ作の詩を以下、転載しておこう。
ということで僕は、明日に備えてそろそろ寝ることにしよう。あとは、歌ってる時に鼻水が垂れてこないことを祈るばかりだ(苦笑)。
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『ふたり』 作詞 佐々木旭
一人だとくじけてしまいそうだから ふたりで歩いて来たのでしょう
一人だと泣いてしまいそうだから ふたりで笑いとばしたのでしょう
何度も何度もつまづいて それでもその手を離さずに
ふたりの持つ糸紡ぎ合い 絆を深めてきたのだから
一人だと沈んでしまいそうだから ふたりで泳いで来たのでしょう
一人では足りないものを足し合って ふたりで幸せになるのでしょう
これから歩いて行く道も 繋いだその手を離さずに
ふたりで歩幅合わせながら 幸せ見つけて行くのでしょう
一週間を「うまれよ塾」で締めくくった日
2008年11月14日 (金曜日)
今週は、風邪っぴきの一週間だった。先週末にのどを痛め、月曜日から鼻水が出始めて、以降、微熱とカラダのだるさと鼻水と咳に苦しめられてきた。
今年の風邪は、なかなかやっかいだ。
外出もできる限り控えるようにし、不摂生はせず(昨夜の飲み会も、自分としては超控え目だったし)、いつもより十分な睡眠をとってきたはずなのだが、なかなか抜けてくれなかった。
そんな一週間の最後の締めくくりが、今夜の「うまれよ塾」だった。
きょうの参加者は12名。個性あふれる参加者諸君だった。
僕は鼻が詰まった状態で、のどもガラガラだったのだが、話をすればするほど、学生諸君が一生懸命になってくれるのがよく分かったので、ついついこちらも、体調のことなど関係なしに、力いっぱいの話をさせてもらった。
塾の時間は丸3時間。
午後6時から開始し、終了となったのは夜9時過ぎ。最後に皆から感想を聞いたり個別の話をしたりしていたものだから、完全に撤収となったのは、午後9時半を過ぎていた。
終わった時には、(相変わらず鼻は詰まっていたものの)とても心地よい達成感があった。
やっぱり学生と生(LIVE)の接点を持ち続けるのは大事なことだ。こういう感覚を持ち続けることで、僕自身、決して間違うことのない経営の道を選択することができる。
うまれよ塾は、僕にとって、かけがえのないライフワークのようなものかもしれない。
さて、問題は風邪である。
週末(日曜日)にビッグイベントを控えている。
なんとか明日中には、完全に復活した状態になっていたいものだ。
恒例の三九(さんきゅう)会だった日
2008年11月13日 (木曜日)
九州出身の3人の社長の情報交換(飲み)会である三九会。福岡の社長ヤナさんが東京に出張でやってくるのに合わせて、鹿児島出身のシモさんと、熊本(生まれ)&大分(育ち)の僕とが落ち合って、3人で飲むのを恒例としている。
ところが今宵は、この3人に、飛び入りで2人の(見目麗しき)女性陣が加わっての会となった(といっても、やましいことは何もないですぞ)。
今夕、パフにて人事担当者向けのセミナーが行われたのだが、そこで事例発表をしてくださったS社の若き女性採用担当者であるKさんとHさんを、お誘いしたのである。
いつもの三九会とはずいぶん違った雰囲気の会となった。平均年齢もずいぶんと若返った。
ジャニーズの話題が出た時に、僕ら三九会のメンバーは、すぐにフォーリーブスが浮かんだのだが、若い女性陣は、V6とかTOKIOとか嵐とかが浮かぶとのこと。こりゃずいぶんと世代ギャップがあるわい。
いずれにしろ、とても楽しい会だった。
さて次回は、どんな方々をゲストに招こうか。また来月の会が楽しみである。