インターンシップ一期生ふたたびの日
2008年11月5日 (水曜日)
先日の日記で、インターンシップ一期生のUスギ(当時、中央大3年生)のことを書いたばかりだ。それから一週間も経っていないというのに、Uスギと同時期にインターンシップとして働いていたUハラ(当時、津田塾4年生)とNグチ(当時、東洋大4年生)が本日、それぞれ別々の時間にパフに来訪してくれた。
しかも、前もって示し合わせたわけでもなんでもない。
Uハラは、彼女が現在運営を手伝っているNPOの代表と一緒に来てくれた。大学卒業後、紆余曲折の連続だったというUハラだが、9年前と変わらず、若々しくチャレンジャブルな女性だった。
Uハラが来訪するほんの少し前、Nグチから8年半ぶりに電話連絡があった。
「おおぉ!Nグチ? いやー、ひっさしぶりだなぁ!」
先週会ったUスギや、きょうのUハラとは、数年に1回は会う機会があったのだが、Nグチとは、彼が社会人になった直後に会ったきり、きょうまで音信不通だったのだ。
なので、UハラにもNグチの話題を出した。
「実はついさっき、Nグチから電話があったんだよ。Uハラ、Nグチのこと覚えてる?」
Uハラは、もちろんNグチのことを覚えていた。7人いたインターン生のなかでも、もっとも勤勉で、架電件数も営業訪問件数も、ダントツでいちばん多かったのがNグチだったからだ。
UハラもずいぶんとNグチのことを懐かしがっていた。UハラとUスギとNグチと僕とで、同窓会をやろう!ということで盛り上がった。
そしてUハラが帰った後、ふたたびNグチから電話があった。夕方、外出の予定があり、その帰り道にパフに寄りたいという電話だった。
もちろんウェルカムである。
そして夕方18時半、ついにNグチは現れた。8年半ぶり、実に懐かしい。
パフの事務所を見学して、 「うわー、ちゃんと社員全員分の机と椅子があるんですね!」と感動していた。
不思議な感動の仕方のように聞こえるが、かつてのインターン生にとっては、ひとりひとりに机と椅子があるというのは驚きなのだ。昔は全員分の机と椅子がなかったので、立って仕事をするのが当たり前だったのだ。
先週来てくれたUスギも、きょう来てくれたUハラもNグチも、皆口をそろえて、 「いま自分が頑張れているのは、あのときパフでインターンシップを経験したからです。本当に感謝しています」と言ってくれる。涙が出るほどうれしい。
でも、感謝しなければならないのは、こっちのほうだ。
お金がなくて給料を払うことのできなかったパフなのに、机も椅子もなかったパフなのに、クーラーもぜんぜん効かなかったパフなのに、彼らは、朝から晩まで汗だくになりながら、一生懸命働いてくれた。
彼らの働きがあったからこそ、いまのパフがある。
その彼らと、この数日間で(不思議なことに)3人立て続けに再会できた。
これは、きっと何かの幸運の前兆に違いないぞ(喜)。
日経テストの成績を発表した日
2008年11月4日 (火曜日)
パフでは、毎月第一月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)の夕方18時半から、月次のキックオフミーティングを行っている(と、以前の日記にも書いたかもしれませんね)。
全社員出席の上で、前月末までの全社業績と、各グループの前月の振り返り&今月以降の計画を報告しあい、情報の共有をはかっている。また、前月いちばん活躍した人を称える、「月間MVP」の表彰も、このキックオフミーティングのトリとして行っている。
ということで、本日は11月度のキックオフミーティングの日。いつもどおりの報告が行われ、10月度のMVPの発表と表彰も終えた。
いつもならここでおしまい。ビールで乾杯!の運びとなるのだが、本日は、もうひとつ特別なセレモニーがあった。
それは、9月に全社員(内定社含む)が受けた、 『日経TEST』(日本経済知力テスト)の成績発表と、優秀者の表彰である。
『日経TEST』については、4月にその存在を知り、いちはやくパフの社員に受けさせることに決めていた。4月27日の日記にも、そのことを書いている。
社員は皆、ぶーぶーと嫌がってはいたものの、全員がきちんと受験してくれた。
パフのような小さな会社にとって、このようなテストの機会があるというのは、まことにありがたい。全国のビジネスマンのなかで、自分の経済知力は、相対的にどの程度のところに位置しているのかを知ることができる。また、自分の知識の劣っているのは、どこの分野なのかということも、明確になる。自己啓発の材料としては、うってつけなのである。
成績優秀者に贈呈される内容は次の通り。
最優秀者には、賞状と記念の盾と5千円の図書カード。2位には賞状と三千円の図書カード。3位には賞状と千円の図書カードが、それぞれ贈呈される。
が、やっぱり最大の賞品は、「名誉」だな。
で、結果発表。
なんと!!
最優秀賞は、おおかたの予想を裏切って、○○が受賞した。
2位は同点で2名、△△と××が受賞。
3位が空席となったので、急きょ次席4位の□□にも千円の図書カードを贈呈することにした。
「○○とか××とか、もったいつけやがって。ちゃんと名前を教えろ!」と思われた人もいるかもしれないが、ここであっさり発表しちゃうと面白くないので、読者の皆さんの想像にお任せしようと思う。
#ヒントとしては、 「下克上の嵐が吹き荒れた」ということだろうか……(苦笑)。
特にパフのお取引企業の方には、自社を担当する営業マン(顔見世請負人)が入賞者であることを、祈っておいていただこうと思う(笑)。
真面目な話、今回のテストの結果を自分自身で見て、落ち込んだ者、恥ずかしい思いをした者、悔しい思いをした者、それぞれいると思う。ぜひ発奮して、次回のテストでは、捲土重来を期してほしいな。
目指せ800点!!
プチ同窓会だった日
2008年11月3日 (月曜日)
以前の日記(9月2日の日記)で、僕の日記に、大学のころの仲間から書き込みがあったことを書いた。
その後、その仲間(ハヅキさんといいます)と、あらためてメールでやりとりをした。現在は、福岡のハローワークで、若者の雇用問題に取り組んでいるという。官と民の違いはあれども、近い領域で仕事をしていることに驚いた。
「じゃあ、東京に来ることがあったら声をかけてよ。同窓会でもやろうよ」と伝えていた。
で、二ヶ月後の本日。その機会が訪れた。
ハヅキさんと、もうひとり、現在は千葉に住んでいるレイコさん。そして僕との3人だけのプチ同窓会である。
ハヅキさんもレイコさんも、大学時代の仲間ではあるのだが、サークルは違う組織だったので、さほどいつも一緒にいたわけではない。せいぜいキャンパスですれ違った時に、「よぉ!」と声を掛け合うくらいの間柄だ。
卒業後会うのは、なんときょうが初めて。したがって、約25年ぶりの再会である。
「顔がわからなかったらどうしよう」と思ったが、ぜんぜん問題なかった。人間って、案外変わらないものなんだな。
食事しながら、昔のこと、いまの仕事のこと、家族のこと、あれこれと語り合った。
そう、そういえばハヅキさんの子供は、大学4年生と大学2年生だという。子供たちが、かつての自分たちの年齢を越えてしまうなんて、不思議なものだ。
最近、こうやって昔の仲間と会う機会が増えたのだが、なかなか楽しいものである。昔の仲間と会って昔話をすると、自分がすっかり忘れていたことを相手が覚えていたりして、新鮮な驚きを得ることができる。
それにしても、再会のきっかけを作ってくれた「釘さん日記」に感謝である。
9年前のインターンシップが来社した日
2008年11月2日 (日曜日)
2日(日曜日)の日記を書こうと思ったが、2日は朝起きて夜寝ただけなので(笑)、金曜日の夜の出来事を書く。
パフで丸9年前、インターンシップをしていた(当時の大学3年生)Uスギ。現在は、某大手証券会社の営業マンである。
9年前ということは、いまのパフのどの社員よりも古株ということになる。新卒一期生のヨシカワたちがパフで働き始めるちょうど一年前の夏に働いていた。
当時のインターンシップの報酬は交通費のみ。「社会経験=勉強」という大義名分のもと、朝から晩まで、ただ働きをさせていた。
しかも、当時の事務所には、机と椅子とパソコンが人数分なく、立って仕事をしていた。クーラーも効かなかった。インターン生たちは、とんでもない環境で働いていた。
そのとんでもない環境で一番長く働いていたUスギが、久々にパフを訪ねてくれた。
現在Uスギは、起業を考えているという。そのプランについて僕に相談しにきたのだ。
いまや大手証券会社のトップ営業マンになっているUスギなので、少しはまともな事業計画を考えているかと思いきや、まだまだ甘ちゃんだったので、歯に衣着せずに問題点を指摘してあげた。
もっとも僕の起業の時も、事業計画なんて、あってないようなものだったので、「そもそも事業計画云々よりも、独立する覚悟があるかどうかのほうが大事なんだ」ということを、なかばお説教してあげた。
Uスギも30歳で、会社では立派な中堅社員なのだが、相談する相手がよくなかった。僕から見たら、Uスギはいつまでたっても、大学3年生なのだ。
相談後は、(夕方、病院で飲酒の許可が出たので)久しぶりに飲みに行った。
Uスギは、飲む飲む。昔は華奢な体型だったのだが、いまや横綱級の体格なのだ。たぶん、学生の頃の2倍くらいあるんじゃないだろうか。
12時くらいまで飲んで、 「そろそろ帰ろうか」と言ったら、 「もう一軒行きたい」という。さすがに僕も病み上がりでもあるので、いきなり不摂生もできない。
「おまえ、明日は何もないの?」と聞くと、 「明日は朝6時半から接待ゴルフ。しかも千葉なので朝4時起きです」という。
「じゃ、おまえ、もう帰れよ」というと、 「クギサキさんが付き合ってくれないんだったら、新宿で後輩が飲んでるんで、そこに合流してから帰ります」という。
すごい……。さすが最優秀営業マンである。体重も倍増するわけだ。
これだけの体力と気力と豪胆さがあれば、ひょっとしたら起業しても、なんとかやっていけるかもしれないなぁと思い直した。
それにしても、9年経っても、こうしてわざわざ相談しに来てくれるなんて、やっぱり嬉しいものだ。
さんざんベランメエで、好き放題説教したにもかかわらず、 「クギサキさんも昔と比べたら丸くなりましたねぇ…」と言われるような始末(苦笑)。
こういう関係はずっと大事にしたいものだ。
今年初のパフLiveだった日
2008年11月1日 (土曜日)
いわゆるゴウセツ=合同企業説明会というのは、いまや学生にとっても企業にとっても、就職&採用活動において定番のイベントである。
しかし僕は、このゴウセツというものが、どうも好きになれずに、パフを作ってから6年間は、ずっとやらずにきた。
出展企業の数と来場学生の数を競うような大規模なゴウセツは、結局、(就職ナビと同じで)顔が見えず、寒々しさと寂しさを感じてしまうからだ。
でも4年前に、「じゃあ、パフらしいゴウセツをやってみようか?」ということで、“アンチゴウセツ”のゴウセツを企画することにした。
それが『パフLive』なのである。
出展企業数はMAX10社。来場学生数はMAX200人。有名企業であっても無名企業であってもブースの大きさは同じ。学生は立ち見禁止。出入り不自由。受け身禁止。対話重視。
『顔の見える就職と採用』というパフの永遠のテーマを、このパフLiveでは実現させようとしている。
本日は、そのパフLiveの今年の第一回目の開催日。午前11時から、青山一丁目で行われた。
企業9社に対して、199名の学生が集まった。ちょうどいいバランスの会となった。
僕はきょうは何もしないはずだったのだが、急きょ「就職相談コーナー」を受け持つことになり、別室で学生の個別の相談会を行っていた。
不況の影が忍び寄っているせいか、多くの学生諸君は、例年になく顔が引き締まっているように感じる。真剣に自分の将来と向き合っているように思う。不況もまんざら悪いことばかりではない。
このパフLive、来年の2月まで全5回開催されるのだが、毎回大きな満足を提供できるものにしていきたい。
晴れて無罪放免となった日
2008年10月31日 (金曜日)
#このところ「尿管結石」の話題ばかりで恐縮です。でも、それも今日で終わりですよ♪
突然の激痛に襲われ、救命救急センターに担ぎ込まれたのがちょうど一週間前。以来、禁酒、禁美食、禁大食いを、どうにかこうにか守りながら(ちょっと守れなかった日もあるが)過ごしてきた。
が、僕を苦しめたはずの「石」が、なかなか排出されずにいる。
「週末までに出ないようならレントゲンで詳しく診てみましょう」と、医者からは言われていた。
きょうは外出の予定も早急にやらねばならぬ仕事もなかったので、午前中に、歌舞伎座の隣のレトロな泌尿器科の病院に行ってきた。
「あ、クギサキさん。どう出た? え、出ない? あ、そう。じゃあ、レントゲンで細かく調べてみますか」
「は、はい。お願いします」
「じゃあレントゲン検査をやってくれる知り合いの病院を紹介するんで、ちょっと待っててね」
「え?別の病院に行くんですか?」
「うん。造影剤の点滴打ちながらのレントゲンだからね、うちじゃできないのよ。2時間くらいかかるんだけど大丈夫?」
ということで、別の大きめの病院で検査を受けることになったのだ。
血管から造影剤をぶち込まれる。2週連続の点滴だ。体中を造影剤が駆け巡っていることを想像すると、なんだか気持悪くなった。
2時間後、検査は無事終了。
何枚もの大きなレントゲン写真をお土産にもらい(?)、検査してくれた病院をあとにし、レトロ泌尿器科(勝手に命名)に舞い戻った。
「あれ、なくなってるね。腎臓も尿管もとてもキレイだよ。知らないあいだに出ちゃったのかもしれないね」
「そんなことってあるんですか?」
「ふつうは出るとき痛いんで、分かるんだけどね。まあ、石が小さかったりすると、まれに気づかないこともありますよ。でもまあ、良かったじゃない。手術なんてことになったら大変だからね」
なんだか拍子抜けしたが、石がないと聞いて、どっと肩の荷が降りた。
「っていうことは先生、もう薬も飲まなくて大丈夫ですね?」
「痛みが出ない限りは大丈夫でしょう」
「っていうことは先生、お酒はもう飲んで大丈夫ですよね?」
「ほどほどにしといてよ。お酒が原因かもしれないんだから」
「やった♪」
「再発しやすい病気なんだから、不摂生はダメだよ。お酒も食事もほどほどにね。水は日頃からよく飲んだほうがいいね。運動もちゃんとしてね」
「はい♪」
「痛み止めの座薬は大事にとっておいてね」
「はい♪」
ということで、きょうは、一週間の「石騒動」にピリオドを打つことができた、めでたい日なのであった。やった。
#心配していただいた多くの皆様、メールやコメント書き込みやお電話などでの激励、どうもありがとうございました。おかげさまで、無事、無罪放免されました。忘年会シーズンも近づきました。どうぞ遠慮なくお誘いくださいませ^^。
蒲田に行った日
2008年10月30日 (木曜日)
きょうは久々(といっても半年ぶりくらいかな)に蒲田に足を運んだ。
蒲田には、僕の大昔の会社の先輩であり、パフの監査役を務めているキムラさんが経営する会社がある。そこで打ち合わせを行うためだ。
蒲田って、不思議な雰囲気を醸し出した町だと、いつも思う。
なんというか、『人間くさい』のだ。
『お洒落』とか『上品』とかいう言葉がもっとも相応しくない町である。
駅を降りると、パチンコ屋さんや、居酒屋や、ちょっといかがわしいお店などが立ち並んでいる。
道行く人々も、他のターミナル駅周辺の人たちとは明らかに違う。表現は難しいが、 「にんげん」を感じる人々だ。
駅は改装され、周辺のビルも新しくなっているのだが、なんだか垢抜けない。レトロな雰囲気が染みついている。
けなしたり、馬鹿にしたりしているわけではない。
僕は、そんな蒲田の雰囲気になんだか惹かれてしまう。
東京の最南端の町、蒲田。ずっとこの不思議な雰囲気を保ち続けていってほしいと思う。