「好きです」と言われた日
2008年10月10日 (金曜日)
神戸芸術工科大学での「キャリアデザイン」の授業。きょうで僕の受け持ち部分は終了となる。
僕自身は、キャリアデザイン論について学んだことも研究したこともない。学生に対しては、ただただ26年間の職業経験を通して、僕が思っていることを伝えることに専念した。
きょうの授業では、まず最初に、前回の授業のあともらった、たくさんの質問への回答を行った。
「クギサキさんには悩みはあるんですか?」とか、
「会社をつくっていちばん辛かったことはなんですか?」とか、
「クギサキさんは、なぜ、何のために働いているんですか?」とか、
「クギサキさんの年収はいくらですか?」とか(笑)、
いろんな質問にひとつひとつ答えていった。
きょうの授業は、「働くよろこび」と「自分にふさわしい仕事や会社の見つけ方」といったもの。
内容は割愛するが、結構、みな真剣に聞いてくれたんじゃないかな。
そして最後にはお決まりの「う・ま・れ・よ」。なんと、自然と拍手が沸き起こった。感動である。
で、きょうの日記の本題はここから。
授業終了後、学生が感想を書いた紙を提出してくれるのだが、ひとりの女子学生が、次のようなコメントを残してくれていた。
「クギサキさん、とても好きです。私も過去うじうじしていたので、これからは考え方を変えようと思います。すごーくためになる言葉が多かったです。本当にありがとうございました」
いやー、嬉しいなあ。
こんなダイレクトな表現で、「とても好きです」なんて言われたのは、僕の48年の人生の中で、数えるほどしかない(いや、数えるほどもない)。
こりゃ、やっぱりやめられませんなあ(照笑)。
神戸サウナ&スパで極楽の日
2008年10月9日 (木曜日)
あすの神戸芸術工科大学での授業に備え、今夜は神戸泊だ。
定宿の対面に、『神戸サウナ&スパ』という、とても大きなサウナ施設がある。
『神戸サウナ』は、ずいぶんと歴史のある有名なサウナなのだが、13年前の阪神淡路大震災によって、全壊してしまった。
しかし、万事塞翁が馬。
震災後、この建物の跡地から、天然温泉が噴き出してきたらしい。そして、現在の大きくて立派な施設『神戸サウナ&スパ』として蘇ったとのことだ。
定宿の部屋にはユニットバスがついてはいるのだが、僕は今夜はあえて、このサウナ&スパで汗を流すことにした。
いや~、極楽、極楽。
サウナでたっぷり汗をかいて、その後、ぬるめの温泉にゆったりと浸かる。ここ最近、肩凝りや首の痛み&頭痛に悩まされていたのだが、それがずいぶんと楽になった。
風呂からあがったあとは、上の階にあるリラックススペース&レストランで晩御飯。これまた、くつろげる。ビールを飲みながら、そして雑誌を読みながら、広いスペースのソファとテーブルでゆったりと過ごす。まさに極楽気分だ。
約2時間を過ごして、会計が(食事&ビール2本も入れて)約三〇〇〇円也。リーズナブルだ。病みつきになりそうだ。
たまにはゆったりと、こういう至福のひとときを過ごすのもいい。
今夜は、ゆっくり眠れそうだ。
・・・といっても、1限目の授業なので、早起きしなきゃいけないんですけどね(苦笑)。
深夜、会社に居残っている日
2008年10月8日 (水曜日)
ただいま、深夜26時(つまり翌日の午前2時)。普段なら、日記を書き終え、とっくに寝ている時間だ。
ところが今夜は、まだ会社にいる。珍しく会社で日記を書いている。
実は。。。
#理由を書こうと思ったが、安全対策上、書かないほうが良さそうなのでやめた(笑)。
まあ、本日中にやらねばならぬことが山積していたからだ。
そうそう、やらねばならぬことで、やり終えたことをひとつだけご紹介。
来たる12月11日(木)の夜に行なう、僕の『デビューコンサート』。本日、ピアノ奏者の菊池南里氏と打ち合わせを行い、候補曲を絞り込んだ。
たくさんの方々からリクエスト曲をいただいているのだが、残念ながらすべてを網羅することはできなかった。
でも、セカンドコンサートもサードコンサートもあるので(おいおい、調子に乗ってそんなにしょっちゅうやるんかい!)、楽しみは、また次まで、とっておいていただけたらと思う(笑)。
ということで、候補曲をちょっとだけ、ご紹介しちゃおう。
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【30年前の思い出の文化祭】
1)青春の影(チューリップ)
【青春の影に次ぐチューリップの名曲】
2)サボテンの花(チューリップ)
【大分舞鶴高校の先輩に敬意を表して】
3)神田川(南こうせつとかぐや姫)
4)22才の別れ(風)
【なんたってビートルズ】
5)レットイットビー(ビートルズ)
6)ヘイ ジュード ( 〃 )
【社名の由来を】
7)Puff(PPM)
【なつかしの70年代J-POP】
8)いとしのエリー(サザンオールスターズ)
9)卒業写真(荒井由実)※インストゥルメンタル
10)あの日に帰りたい(荒井由美) ※インストゥルメンタル
11)いい日旅立ち(谷村新司、山口百恵)
12)愛を止めないで(オフコース)
【70年代フォークといえばこの人たち】
13)外は白い雪の夜(吉田拓郎)
14)いつのまにか少女は(井上陽水)
【クラシック&賛美歌コーナー】
15)アメイジング・グレイス ※インストゥルメンタル?
16)荒野の果てに ※インストゥルメンタル
【こりゃあいい!】
17)ウィアー・オール・アローン(ボブ・スキャッグス)
18)明日に架ける橋(サイモン&ガーファンクル)
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以上、まだ「候補」の段階です。練習の結果、断念する曲もたくさんあると思われます。
でも、この候補曲を見て、コンサートに行ってみたくなった方は、こちらからお申込みどうぞ。
⇒ 過去の日記の記事中のURLからどうぞ(そのうちホームページ作ります)。
残席わずかですぞ(ホントか?笑)
企業向けセミナーで『Puff』を唄った日
2008年10月7日 (火曜日)
本日は夕方の16時半より、企業の人事採用担当者様向けセミナーだった。
タイトルは、~有名・人気企業に負けないシリーズ第一弾~『学生に響くオープンセミナーと会社説明会』である。
まったく同じタイトルのセミナーが9月25日にも開催されている。実は、前回のセミナーへのお申込みが殺到し、すぐに定員締め切りとなってしまった。そこで急きょ、追加開催することにした。それが、本日のセミナーなのである。
本日のセミナーも30名以上のご参加で、セミナールームは8割以上の埋まり具合。企業の皆さんの関心の高さがわかる。もう目の前に、「オープンセミナー」や「説明会」が近づいているので、少しでもヒントを得ようという目的で参加しておられるのだと思う。
このセミナーの企画・運営は、マーケティンググループのイトーとナガサキが担当している。
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#そういえば、この10月1日より、社内のグループ構成が変わったのでご説明。3つのグループ+社長室(全社お助け部門)という組織になり、思いっきり簡素化されました。
1)営業グループ……まさに営業。直接お客様と向き合い、お仕事を頂戴します。
2)マーケティンググループ……営業推進、販売推進、商品開発、顧客開発、学生開発などなど。
3)サービスマネジメントグループ……顧客向け全サービスのマネジメントと運営スタッフのマネジメントなどなど。
それまでは、なんと(最盛期には)10以上のグループ・プロジェクト・委員会で構成されていたので、随分とすっきりしたのです。
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すべてのプログラムを、イトーとナガサキの2名でやり切っているので、ボクは登場しないつもりだった。
が、直前になって、ナガサキから 「やっぱりクギサキさんが挨拶すると、参加した企業さんの契約率が違うんですよ。だから挨拶してください!」という、おだてとも脅しともつかない依頼があったので、ご挨拶させてもらうことにした。ただし、 「挨拶のときに歌ってもいいんだよね?」という条件付で(笑)。
イトーとナガサキは、 「まあ、毎度のことなので、どうぞどうぞ」という顔をしていたのだが、きょうは狙っていたことがあった。 「オレの挨拶は、最初より、いちばん最後のほうがいいや。イトーが最初の司会のときに、いちばん最後に社長が挨拶とともに唄を歌うって、予告しといて」とお願いまでして……。
セミナー終了の時間を迎えた。
イトーが「それでは最後に、弊社代表よりご挨拶させていただきます」とボクを呼んだ。
お決まりのご挨拶のあと、 「では歌わせていただきます」で、パフの社名の由来である、PPMのPuff the magic dragon♪ が始まった。
普段なら2小節程度でやめるのだが、きょうは終わらない。なんと一番の歌詞をすべて歌いきって、最後のリフレーン(繰り返し)までやってしまった。しかも、途中から拍手をなかば強要して(^0^)。
いやあ、楽しかった。社員たちは「うわ、クギサキさん、やっちゃったよ!」と、後ろで真っ赤な顔をしていたが、企業の皆さんは、(最初こそあっけに取られていたが)拍手しながらニコニコしてくださった。
この奇襲作戦が功を奏したからかどうかはわからないが、その後の情報交換会では、いつもより多くの情報が飛び交っていたようだ。
やっぱり、企業向けの真面目なセミナーであっても、硬軟織り交ぜて、楽しむところでは楽しまなくっちゃね。・・・って、楽しんでいるのは僕だけか?(笑)。
さて、次回は、フルコーラスに挑戦だ!!
内定式と第二Qキックオフの日
2008年10月6日 (月曜日)
きょうは朝9時より、来春入社する3人(オオノ、コン、ツチダ)の内定式だった。
パフの新卒第一期生が内定者だった時代は、いまから丸8年前。
この8年間の歴史の中で、『内定式』を正式に行なったのは、なんと今回が初めてだった。8年前などは、内定者たちは10月1日、ごくふつーに労働していた。
以降の年も、徹夜で原稿を書いていたり、イベントのスタッフをやっていたり、営業の提案書を作っていたりで、内定者も社員も関係ない。皆、仕事が終わらずヘトヘトの状態で、「内定式」どころではなかったのだ。
あの時代と比べれば、なんてまともな会社になったことだろう(苦笑)。
内定式では、和紙で作った『内定証書』なるキッチリとした書類を、一人ひとり違えたメッセージを書いて手渡した。
この内定証書に書いたメッセージ。文字数にすれば、ひとりたかだか300~400文字程度なのだが、相当に考えた。書きたいことは山ほどあったのだが、それを1枚の紙に、3人のボリウムを揃えて書くことに、結構苦労した。3回は書き直した。
その甲斐あって、我ながら結構いけてるメッセージになったのではないかと思う。3人それぞれの選考のときの印象や思い出や、今後期待することなどを、短い言葉だけど込めることができた。
内定式後は、全社会議。第2Qのキックオフミーティングだ。内定者もすべての会議に加わった。
世の中の景気も、楽観を許さない状況になっている。いわんやパフにおいてをや、である。
この厳しい環境と状況を乗り越えるべく、戦略や計画や目標が、各グループから発表された(あっさり書きましたが、ミーティングは4時間以上に及んでいます)。
最後は、一人ひとりからの決意表明。
とても前向きなパワーに溢れたもので(気合とか精神論とかだけではなく、もっと清々しく、知性と品格のあるものだった)、きっとこの連中なら、すごい結果を残してくれるのではないかという期待が、僕のなかで一気に膨らんだ。
内定者にとっては、恐らく初めて目にするであろう先輩たちの真剣な会議。会社の(大袈裟に言えば生き死にをかけた)リアルな現場である。内定式の日に体験するにふさわしい、最高の機会になったと思う。
ミーティングの全プログラム終了後は、第一Qの各種表彰と、内定祝賀会である。
いつもはオーダーしない、寿司の盛り合わせや、(ちょっとだけ)贅沢なオードブルを囲んでのひと時。
先輩社員たちから内定者への、厳しくも優しい突っ込みインタビューを行ないながら、ゲラゲラと笑って過ごした。
仕事には、幾多の試練や高いハードルが常に付き物である。カンタンで楽な仕事など、滅多にない。
でも、だからこそ、それを一緒に乗り越えようとする仲間とのチームワークが生まれ、互いを高め合う意識が生まれ、褒め合う風土が培われ、目標をなんとか皆で突破したいという意欲が生まれる。
その先には、何ものにもかえ難い喜びや達成感や幸福が待っているということを、先輩たちは知っている。だからこそ皆、真剣になれるのである。
・・・てなことの何分の一かでも、きょうの内定式&キックオフミーティングの中で、内定者諸君が感じ取ってもらえると嬉しいな。
(以下内定者の3人+釘さん。左からツチダ、オオノ、コンです。読者の皆さん、今後よろしくお願いします!)
母校発祥の地を見つけた日
2008年10月5日 (日曜日)
きょうは日曜日だけど、会社じゃないとやれないことがチョロチョロとあったので、築地の事務所に出社した。
いつもは勝鬨橋をわたって、築地市場を左に見ながら会社に向かうのだが、きょうは佃大橋を渡っていくことにした。
月島や佃島は、まさに「島」なので海に浮かんでいる。ひょっこりひょうたん島みたいなものだ(わかんないかな、笑)。
昔の住人は、舟を使って、築地や銀座や八丁堀に渡っていた。『佃の渡し』、『月島の渡し』、『勝鬨の渡し』と呼ばれているものだ。
昔といっても、そんなに昔でもない。佃の渡しは、昭和39年まで運航されていたというから、月島界隈に昔から住んでいた僕と同年齢くらいのおじさんやおばさんたちは、みんな使っていたのだろう。
その『佃の渡し』に代わって、住民を陸に運んでくれているのが、僕がきょう渡った『佃大橋』なのだ。
勝どき・月島・佃島と陸を結ぶ橋は、他にも毎日僕が通勤で渡っている『勝鬨橋』と最近(といっても15年まえに)出来た『中央大橋』がある。
僕は、この三つの橋の中では、佃大橋がいちばん気に入っている。橋そのものではなく、橋から見える風景や、橋を横切る空気が好きなのだ。特に晴れた日の朝は、なんだかこう、澄んだ気持ちになれるのだ。
と、前置きが長くなったが本題。
佃大橋を渡って、聖路加病院(住所は明石町)に向かう途中の道端に、ひっそりとした碑がある。
我が母校、『明治学院発祥の地』の碑である。
この碑は、ずっと前にも見た記憶はあった。でも、「考えてみたら、自宅と会社との、ちょうど中間点にあるんだよなあ」と思って、きょう初めて、じっくりと眺めた。
明治学院は、現在は港区白金にあるのだが、もともとは、佃の渡しを降りてすぐのところにあったのだ。Wikipediaを見てみると、こう書いてある。
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明治学院の起源は1863年にジェームス・カーティス・ヘボンが横浜に開いた「ヘボン塾」である。ヘボン塾は1880年に築地へと移転し、 「築地大学校」と改称されてカレッジ・コースが設置された。
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これはきょう初めて知った。そうかあ、我が母校は、「築地大学校」だったのかあ。
こうして考えると、明治学院出身の僕が、この築地界隈(創業時は新富、次の移転先は佃、そして今はまさに築地)で会社を営んでいるというのも、なんだか深い縁を感じる。
我がパフも、 「築地大会社」とでも改称してみるかな。
そして100年後、 「パフ発祥の地」 なんていう碑が建立されたら申し分ないな♪
本をたくさん買い込んだ日
2008年10月4日 (土曜日)
夕方、所用で東京駅の八重洲口界隈をうろちょろしていた。
八重洲もずいぶんと変わったものだ。北と南に大きなビルが竣工(南には、かのリクルートの本社機能を含むほとんどの部署が移ってきた)。地下構内もリニューアルされ、すっかりきれいになっている。いまなお、東京駅八重洲中央口の工事が進んでおり、あと1年もすれば、すっかり東京駅は生まれ変わる。
九州の片田舎から東京に出てきて30年。東京駅がここまで劇的な変化を遂げようとしているのを見ると、多少の感慨深さがある。きれいになって便利になるというのはいいことだが、昔の風景がどんどんなくなってしまうというのは寂しいものである。
八重洲での用事を終えて、月島の自宅まで歩いて帰ろうと思った。普通に歩くと、東京駅から小一時間程度で我が家に着く。膝の状態もすっかりよくなったので、歩くところから健康づくりをやり直そうと思ったのだ。
が、すぐに寄り道をしてしまった。
八重洲南口にある、八重洲ブックセンターの前を通りかかったとき、ショウウインドウに興味のある作家の作品が陳列されていた。
思わずふらふらと入ってしまった。
久々の立ち読み。
ネットで便利に目的の本を買える時代だが、目的以外の本との偶然の出会いが少なくなった時代であるともいえる。土曜日ということもあるのだろうが、店内は客の数が少なく、さみしかった。
結局僕は、まったく買う予定のなかった本を5冊も買い込んでしまった(読めるのだろうか…、苦笑)。
外に出るとすでに真っ暗。ずいぶん長い時間、本屋にいたようだ。
夜道の長距離歩行は結構つらいものだ。カバンの中は本で重くなっちゃったし(笑)。
銀座まではなんとか歩いたのだが、三越前からバスに乗ってしまったのだった(根性なし!)。
さて。明日の日曜日は、読書の秋の一日とするかな。