パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

神が降りて来ない日

2008年11月9日 (日曜日)

昨年のいまごろ、僕はパフの社歌を作ろうとしていた。12月上旬の会社創立10周年記念で披露するための曲である。

歌というのは、「さあ作ろう!」と机の前に向かっても作れるものではない。何かの拍子に突如として浮かぶものである。そう、まるで神が降りてくるかの如く……。

結局昨年は、ぎりぎりのタイミングに神が降りてきた。うんうん唸りはじめて半月ほど経った後だったと記憶している。神様は意地悪で、なかなか降りてきてくれないものなのだ。

実は最近も、とある場所(コンサートではありません)で披露するために、約1年ぶりにオリジナル曲を作ろうと思っている。

きょうあたり神が降りてくるんじゃないかと思って、朝からギターを抱えていたのであるが、なかなかいい詩が浮かんでこない。アタマとココロに刺激を与えようとして、陽水や、たくろうや、さだまさしを聴いてみたのだが、やっぱりだめだった。

シンガーソングライターへの道のりは、まだまだ険しい。

タイムリミットまであと一週間。今回はオリジナル曲はやめて、コピー曲にするかなあ……。

12月11日に開催する『世界で、たったひとりのあなたのためのコンサート』(俗称、釘さん歌手デビューコンサート)まで、いよいよあと1ヵ月となった。

きょぅから、その練習が始まった。場所は、ピアニスト菊池南里の自宅のある千葉県流山市。ギターを背中に背負って、つくばエクスプレスに乗り込んで出かけて行った。

“流山おおたかの森”で下車。菊地南里が車で出迎えてくれた。流山は、自然がたっぷりのいい街だ。

菊地南里の自宅にはいったら、あら、びっくり。20畳くらいあるリビングルームの半分くらいを、ピアノやキーボードが占めていた。すごい。さすがミュージシャンだ。

菊地は、そのコックピットのようなキーボード群の中心に入り込み、候補曲を思いのままにアレンジしながら奏ではじめた。

僕も久々に菊地のピアノにあわせてギターを弾きながら歌ってみた。不思議なことに、日頃はとても出ないような高音が発声できる。歌がうまくなったような錯覚を覚えた。

本日のゴールは、候補曲とキーの高さを決めるところまで。夕方6時には、なかなかいい感じで、すべてまとまった。

とはいえ、残された練習日数は、なんとあと2日しかない。しかも、サックスやバイオリン奏者とあわせる時間もとても限られている。

菊地からは、「毎日、発声練習をするように」という命令が下された。それから、ちゃんと歌詞も覚えなくてはいけない。もちろん、ギターも練習しなきゃ。

文化祭のステージを直前に控えた、高校時代のあの日の思い出がよみがえってきた一日だった。

| ちょいと事情があって、きょうはしばらくPCを使えない。

| にもかかわらず、まだ日記を書いていなかった。

| 「釘さん、またダウンか? いや、また手抜きか?」と心配されるのもシャクなので、

| タイトルだけアップしておこう。

| それと謎の写真も1点だけアップロードしておこう。

| 詳しくは、また24時間以内に!!

 

ということで、PCのある場所に戻ってきたので、金曜日の日記をあらためて。

『外食産業採用担当者の集い』という任意団体がある。その名の通り、外食産業で人事・採用の仕事に従事する担当者の方々の集まりである。

いまから9年前に、数社の採用担当者の情報交換会(飲み会?)として発足したのが始まりだと聞いているが、僕はその存在を、その発足当初から知っていた。

というのも、当時親しくしていた某外食大手の採用担当者の方(名前をHさんという)が、発起人のひとりだったからだ。

Hさんが、 「クギサキさん、やっぱりこれからは会社の枠を越えて、業界の底上げをみんなで図っていかなきゃいけないと思うんだよね」と、楽しそうに話してくれた。僕がパフを立ち上げて2年目のころだった。

発足時には8社だけの集まりだったのが、9年後のいまは、なんと81社が参加しているという。9年間続いているというだけでも凄いことなのに、この参加企業の数は、まさに驚きである。主だった外食産業の会社はほとんどが入会しているのである。

 

で、このたび、この会の代表幹事を発足当初からずっと務めておられるK島さんから、次回会合で講演をやってほしいとお願いされた。

人前で話をするのが実はあまり好きではない僕は、正直、「えぇぇー」と思っていたのだが、営業担当のヨシカワが、 「ちょっとークギサキさん、お願いしますよ!これだけの会社がいっぺんに集まるんですよ。こんな絶好のチャンス、滅多にないんですからね!!」と、迫ってくるものだから、引き受けざるをえなかった(苦笑)。

 

ということで、本日はその会合の日。会は、17時からスタートした。場所は渋谷のお洒落なホールである。約70名の採用担当者の方々が集まっておられた。

いやあ、さすがに緊張する。

司会の方からの紹介を受けて登場。まずは僕の自己紹介と、パフの会社概要の説明から始めた。

パフの社名の由来の説明の時である。どうしようかなあ……と思ったのだが、やっぱりやることにした。♪Puff the magic dragon と皆さんの前で歌を披露したのである。おまけに拍手まで強要して(笑)。

これで緊張も解け、制限時間いっぱい、話を進めることができた。ゲンキンなもので、最初は講演を嫌がっていたくせに、いざやり始めると「あれも喋りたい、これも喋りたい」となってしまうのだから不思議なものだ。

僕の講演のあとは、4社の企業から、2009年新卒採用の総括発表が行われた。皆さんライバル同士のはずなのに、そんなの気にもせず、成功事例も失敗事例も、すべてオープンに話をされていた。たいしたものである。

僕の講演のキーワードは、 『競争から共生へ』だったのだが、そんなこというまでもなく、皆さんすでに『共生』を行ってらっしゃったわけだ。

まじめな発表のあとは、ざっくばらんな情報交換会。皆さんネクタイをはずして、立食パーティー形式で、ワイワイガヤガヤと楽しい会話があちらこちらで行われた。

僕もざっと20人以上の方々と、お話したのではないだろうか。用意していた名刺がほとんどなくなってしまった。

 

外食産業は、学生の人気がなぜか低い業界である。なので採用担当者の方々は、毎年とても苦労しながら採用を進めておられる。でも、だからこそ、いろんな工夫や知恵が生まれてくる。苦労しているからこそ(僕が言うのは生意気かもしれないが)人間的な魅力も増してくる。

この「集い」も、お互いの苦労を共感できる会社同士だからこそ、こんなに楽しく有意義な会として続いているのであろう。 

それにしても、代表幹事のK島さんの仕切り力・まとめ力・推進力は凄い。脱帽である。

ということで、以下の写真は、そのK島さんと、パフのヨシカワのツーショットの写真なのでありました。

(なぜ花束が真ん中にあるのかっていうと…、まあ、気になる方は本人に聞いてみてください、笑)

Photo

胃に穴があくかと思った日

2008年11月6日 (木曜日)

いきなり脱線&報告&宣伝です。

12月11日(木)に開催する僕の歌手デビューコンサート(?)のホームページが完成しました。

これからお申込みされる方は、こちらからお願いします ⇒  http://www.puff.co.jp/concert2008/

 

さて、本題。

きょうは朝から直行で、溜池山王にある健保の検診施設に向かった。

実は、9月下旬に受けた人間ドックで、胃に異常が見つかってしまい、「内視鏡検査を受けに来てください」という通知をもらっていたのだった。

なんだかここ最近、病院やら精密検査がマイブームになってしまっている。こんなブーム、早いところ廃れてほしいのだが、なかなかそうは問屋が卸してくれないようだ。

47年11か月の人生で、内視鏡(胃カメラ)を飲むのは初めてのこと。胃にできているであろう物質よりも、胃カメラそのものに、ビビっていた。 

検査では、担当の看護師さんが一人専属についてくださり、検査の内容や手順について、とっても丁寧に説明してくれた。推定年齢34歳(ほんとかよ?)。笑顔がきれいで、優しさのなかにも逞しさを感じさせる女性の方で、なんだかいくぶん気持ちが楽になった。

事前準備として、胃の泡をとるための薬をごくっと飲む。そのあと、胃の動きを抑えるための注射を打つ。筋肉注射なので、結構痛かった。

そしていよいよ、内視鏡を携えた医師との対面だ。

まずは、のどに麻酔薬(スプレーになっている)を、シュッシュッと吹きかける。のどぬーるスプレーみたいなやつだ。次第にのどがしびれてくるのが分かった。

ベッドに横になり、口にマウスピースみたいなものを嵌められる。そして顔のわきには、小さな洗面器が置かれる。

「気持ち悪くなったら、ぜんぶこの容器に吐き出してくださいねー」と明るく言われたのだが、そんなに気持ち悪くなるものなのか…と、凹んでしまった。

「じゃあ、入りますよー」という医師の声と同時に、胃カメラが、僕の食道めがけて突入してきた。

「はい、ゴクっとしてくださーい」「はい、がんばってー」「もういっかい、ごくっ」「ごくっ」「ごくっ」

なんだか赤ちゃんに戻ったようだったが、何度かの「ごくっ」の末、どうにか胃カメラは、食道を超え、胃に侵入していった。

「ごくっ」の最中、何度も「おえっ」となりそうだったが、例の看護師さんが、僕のカラダをしっかりと支えてくださっていたおかげで、何とか乗り切ることができた。

胃カメラが胃のあらゆるところを、這っているのがよく分かった。ぎゅーっと押されるような感覚だ。なんとも云えぬ気持ちの悪さと痛みが腹部を襲う。でもこの間も、看護師さんが僕のカラダをさすってくれたことで、ずいぶんと気持ちが和らいだ。

15分ほど経った。

「はい、これで終了ですよー」と医師が終わりを告げ、胃カメラが、するするっと体外に出ていった。外に出るときは、案外あっけないものだった。

いやあ、しんどかった。

その後すぐ、いっしょに出来たてホヤホヤの写真を見ながら説明を受けた。

「胃のなかって、こんなになってるんだあ」と感心した。

全般的にキレイなのだが、途中いくつか小さな傷(穴)があった。でも、この傷は昔のものなので、いまは心配する必要はないそうだ。

そして問題のポリープ。

まだ、とても小さいし、良性のものだということで、これも問題なし。

結局、「お咎めなし」ということで、今回の検査はすべて終了したのだった。

いやあ、それにしても、胃カメラって気持ち悪いものだ。12時間以上経ったいまも、胃の中に違和感が残っている。

今後、人間ドックで引っかからないように、胃腸の健康づくりに取り組もうと思った一日である。

先日の日記で、インターンシップ一期生のUスギ(当時、中央大3年生)のことを書いたばかりだ。それから一週間も経っていないというのに、Uスギと同時期にインターンシップとして働いていたUハラ(当時、津田塾4年生)とNグチ(当時、東洋大4年生)が本日、それぞれ別々の時間にパフに来訪してくれた。

しかも、前もって示し合わせたわけでもなんでもない。

Uハラは、彼女が現在運営を手伝っているNPOの代表と一緒に来てくれた。大学卒業後、紆余曲折の連続だったというUハラだが、9年前と変わらず、若々しくチャレンジャブルな女性だった。

Uハラが来訪するほんの少し前、Nグチから8年半ぶりに電話連絡があった。

「おおぉ!Nグチ? いやー、ひっさしぶりだなぁ!」

先週会ったUスギや、きょうのUハラとは、数年に1回は会う機会があったのだが、Nグチとは、彼が社会人になった直後に会ったきり、きょうまで音信不通だったのだ。

なので、UハラにもNグチの話題を出した。

「実はついさっき、Nグチから電話があったんだよ。Uハラ、Nグチのこと覚えてる?」

Uハラは、もちろんNグチのことを覚えていた。7人いたインターン生のなかでも、もっとも勤勉で、架電件数も営業訪問件数も、ダントツでいちばん多かったのがNグチだったからだ。

UハラもずいぶんとNグチのことを懐かしがっていた。UハラUスギNグチとで、同窓会をやろう!ということで盛り上がった。

そしてUハラが帰った後、ふたたびNグチから電話があった。夕方、外出の予定があり、その帰り道にパフに寄りたいという電話だった。

もちろんウェルカムである。

そして夕方18時半、ついにNグチは現れた。8年半ぶり、実に懐かしい。

パフの事務所を見学して、 「うわー、ちゃんと社員全員分の机と椅子があるんですね!」と感動していた。

不思議な感動の仕方のように聞こえるが、かつてのインターン生にとっては、ひとりひとりに机と椅子があるというのは驚きなのだ。昔は全員分の机と椅子がなかったので、立って仕事をするのが当たり前だったのだ。

先週来てくれたUスギも、きょう来てくれたUハラもNグチも、皆口をそろえて、 「いま自分が頑張れているのは、あのときパフでインターンシップを経験したからです。本当に感謝しています」と言ってくれる。涙が出るほどうれしい。

でも、感謝しなければならないのは、こっちのほうだ。

お金がなくて給料を払うことのできなかったパフなのに、机も椅子もなかったパフなのに、クーラーもぜんぜん効かなかったパフなのに、彼らは、朝から晩まで汗だくになりながら、一生懸命働いてくれた。

彼らの働きがあったからこそ、いまのパフがある。

その彼らと、この数日間で(不思議なことに)3人立て続けに再会できた。

これは、きっと何かの幸運の前兆に違いないぞ(喜)。

日経テストの成績を発表した日

2008年11月4日 (火曜日)

パフでは、毎月第一月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)の夕方18時半から、月次のキックオフミーティングを行っている(と、以前の日記にも書いたかもしれませんね)。

全社員出席の上で、前月末までの全社業績と、各グループの前月の振り返り&今月以降の計画を報告しあい、情報の共有をはかっている。また、前月いちばん活躍した人を称える、「月間MVP」の表彰も、このキックオフミーティングのトリとして行っている。

 

ということで、本日は11月度のキックオフミーティングの日。いつもどおりの報告が行われ、10月度のMVPの発表と表彰も終えた。

いつもならここでおしまい。ビールで乾杯!の運びとなるのだが、本日は、もうひとつ特別なセレモニーがあった。

それは、9月に全社員(内定社含む)が受けた、 『日経TEST』(日本経済知力テスト)の成績発表と、優秀者の表彰である。

『日経TEST』については、4月にその存在を知り、いちはやくパフの社員に受けさせることに決めていた。4月27日の日記にも、そのことを書いている。

社員は皆、ぶーぶーと嫌がってはいたものの、全員がきちんと受験してくれた。

パフのような小さな会社にとって、このようなテストの機会があるというのは、まことにありがたい。全国のビジネスマンのなかで、自分の経済知力は、相対的にどの程度のところに位置しているのかを知ることができる。また、自分の知識の劣っているのは、どこの分野なのかということも、明確になる。自己啓発の材料としては、うってつけなのである。

 

成績優秀者に贈呈される内容は次の通り。

最優秀者には、賞状と記念の盾と5千円の図書カード。2位には賞状と三千円の図書カード。3位には賞状と千円の図書カードが、それぞれ贈呈される。

が、やっぱり最大の賞品は、「名誉」だな。

 

で、結果発表。

 

なんと!!

最優秀賞は、おおかたの予想を裏切って、○○が受賞した。

2位は同点で2名、△△と××が受賞。

3位が空席となったので、急きょ次席4位の□□にも千円の図書カードを贈呈することにした。

 

「○○とか××とか、もったいつけやがって。ちゃんと名前を教えろ!」と思われた人もいるかもしれないが、ここであっさり発表しちゃうと面白くないので、読者の皆さんの想像にお任せしようと思う。

#ヒントとしては、 「下克上の嵐が吹き荒れた」ということだろうか……(苦笑)。

特にパフのお取引企業の方には、自社を担当する営業マン(顔見世請負人)が入賞者であることを、祈っておいていただこうと思う(笑)。

 

真面目な話、今回のテストの結果を自分自身で見て、落ち込んだ者、恥ずかしい思いをした者、悔しい思いをした者、それぞれいると思う。ぜひ発奮して、次回のテストでは、捲土重来を期してほしいな。

 

目指せ800点!!

 

プチ同窓会だった日

2008年11月3日 (月曜日)

以前の日記(9月2日の日記)で、僕の日記に、大学のころの仲間から書き込みがあったことを書いた。

その後、その仲間(ハヅキさんといいます)と、あらためてメールでやりとりをした。現在は、福岡のハローワークで、若者の雇用問題に取り組んでいるという。官と民の違いはあれども、近い領域で仕事をしていることに驚いた。

「じゃあ、東京に来ることがあったら声をかけてよ。同窓会でもやろうよ」と伝えていた。

で、二ヶ月後の本日。その機会が訪れた。

ハヅキさんと、もうひとり、現在は千葉に住んでいるレイコさん。そして僕との3人だけのプチ同窓会である。

ハヅキさんもレイコさんも、大学時代の仲間ではあるのだが、サークルは違う組織だったので、さほどいつも一緒にいたわけではない。せいぜいキャンパスですれ違った時に、「よぉ!」と声を掛け合うくらいの間柄だ。

卒業後会うのは、なんときょうが初めて。したがって、約25年ぶりの再会である。

「顔がわからなかったらどうしよう」と思ったが、ぜんぜん問題なかった。人間って、案外変わらないものなんだな。

食事しながら、昔のこと、いまの仕事のこと、家族のこと、あれこれと語り合った。

そう、そういえばハヅキさんの子供は、大学4年生と大学2年生だという。子供たちが、かつての自分たちの年齢を越えてしまうなんて、不思議なものだ。

最近、こうやって昔の仲間と会う機会が増えたのだが、なかなか楽しいものである。昔の仲間と会って昔話をすると、自分がすっかり忘れていたことを相手が覚えていたりして、新鮮な驚きを得ることができる。

それにしても、再会のきっかけを作ってくれた「釘さん日記」に感謝である。