パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨日、TBS日曜劇場『官僚たちの夏』を骨太ドラマであると書いたばかりだが、今夜、それを上回る骨太ドラマ(この形容詞は少し違う気もするが)、NHKドラマスペシャル『白洲次郎』を観た。

いやあ、素晴らしい。主人公である白洲次郎という実在の人物も(ドラマの通り)きっと魅力的な人物だったのだろうが、このドラマの作り方に惚れ惚れした。脚本もいいし、音楽もいいし、配役もいいし、カメラワークも素敵だ。

NHKすごい。民放との格の違いを、まざまざと見せつけられた気がする。

今夜の放送は、今年の2月に放送された第一回の再放送だったのだが、僕は2月の放送を観そびれていた。

明日は第二回の再放送。そして明後日は最終回の放送だ。

昭和の骨太の男の生きざま。明日と明後日の放送がいまから楽しみだ。

官僚たちの夏が終わった日

2009年9月20日 (日曜日)

シルバーウィーク2日目。秋のお彼岸でもあり、もうすぐ父親の命日でもあるので、きょうは朝から墓参りに行くことにした。

きょうは雲ひとつない秋晴れで、墓参りをするにはとても良い陽気だった。

うちの父親の骨は、6年ほど前にそれまでの熊本の墓から東京の世田谷(小田急線の成城学園駅から歩いて15分くらいのところ)のお寺に移している。以来、春と秋のお彼岸には必ずお参りに行くことにしている。

父親が亡くなったのは18年前。享年62歳だった。考えてみればずいぶんと早く旅立ったものだ。

板前だった父親は、死ぬその日まで包丁を握って仕事をしていた。経済的には恵まれなかったものの、人望が厚く、仕事関係の方々や若い弟子たちから慕われていたと聞く。九州の男らしく、寡黙でありながらも温厚であった。酒のみではあったが、人の悪口や愚痴などを言っている姿を見たことがない。僕も父の年齢に近づくにつれて、そんなありし日の姿を思い浮かべながら、ちょっと誇らしげに思ったりする。

 

さて、夜はお楽しみのテレビっ子タイム。毎週楽しみに観ていたTBS日曜劇場『官僚たちの夏』が、ついに本日で最終回を迎えてしまった。

このドラマの主人公たちは、僕の父親と同じ時代を生き(ステージはぜんぜん違うけど)、戦後の日本を幸せな国にするために精一杯働いてきた人たちである。

最終回のきょうは、現在(いま)を生きる我々に対して問題提起をするような終わり方だった。

高橋克実演じる鮎川(通産省繊維局長)が、志半ばで無念の死を遂げたのが、なんとも悲しかった。

いや、鮎川だけじゃなく、風越(佐藤浩市)や、庭野(堺雅人)や、片山(高橋克典)や、牧(杉本哲太)が、国際社会の荒波のなか、政治家やアメリカに屈せざるをえなかった悔しい姿を最後に映しだして、ドラマは終了した。

テレビを観ている我々に向かって、「お前たちは、これからこの国をどげえする?」と言っているような気がした。

奇しくも現在、政権交替した民主党が新しい国のカタチを創ろうとしている。僕と同年代の大臣や官僚たちが、これからの日本のリーダーである。ついでに言うなら(国は違うけど)、アメリカのオバマ大統領も同年代だ。自分も、この国のために何かを残してから死んでいきたいと最近よく考える。

余談だけど、このドラマ、視聴率がずいぶん悪かったらしい。こういう骨太のドラマは、いまの日本人には受け入れられないのだろうか。悲しいことだ。

よし。明日は、城山三郎の原作本を読んでみることにしよう。

シルバーウィーク初日の日

2009年9月19日 (土曜日)

きょうからの5連休をシルバーウィークと呼ぶらしい。シルバーか……。僕は「シルバー」といえば、『シルバー仮面』を思い出す。小学校5年生くらいのときにTBSで日曜日の夜に放映されていた、マイナーなSFヒーロードラマだ。

ヒーローものなのにとっても地味な作りで視聴率も低かったようだが、なぜかとても印象に残っている。というか案外好きだった。シルバー仮面を演じていたのは柴俊夫だった。子供向けの番組なのに、脚本が大人びていたんだよね、確か。そうとっても暗くて重いのだ。普通のガキ向けの番組に飽きていた僕は、こういう感じのドラマが好きだったんだと思う。Silver01

このポスター画像を見ると、やっぱり、そこはかとない暗さが漂ってますね。

 

・・・と、そんなことはどうでもいいのだけれど、そのシルバーウィークの初日。僕は朝から会社に行っていた。

会社ではタシロがひとりでコソコソと仕事をしているだけで、あとは誰もいなかった。

ガランとした休日のオフィスはいいものだ。

Youtubeで井上陽水を聴きながら、ゆったりと考え事に時間を使うことにした。

連休明けに控えている株主総会の準備も着々と進みつつある。

 

そして夕方。

会社を出て、株主さん兼歯医者さんのところに伺い、歯の定期検診を行った。

ここ数年、歯の治療でずいぶん時間とお金を使った僕だったが、最近はかなり健康な状態に近づいてきたようだ。

よかったよかった。

さて、明日もこの調子で考え事(インプットも含めて)を行いたいと思う。3日間インプット。2日間をアウトプットで過ごそうと思っている。

シルバー仮面みたいに、最後は渋くまとめてみたい(といっても誰にもわからないだろな、苦笑)。

今週は月曜日からお客様やパートナーさんや株主さんとの会食が目白押しだった。

いくつかピックアップしておこう。

月曜日は御徒町にて、古くからの(もう18年くらいの付き合いになるかなあ)お客様であり株主である某社の人事責任者2名と会食。これだけ付き合いが長いと、もうお客様や株主様っていう感じではなく、旧友という感覚である。でも、いっしょに食事をするのは2年ぶり。まじめな打ち合わせは15分くらいで、その後は楽しく歓談。

店は、いわゆるフォークソング居酒屋。吉田拓郎のどでかいポスターが貼られていた。バーボンが美味かったな。

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水曜日は、わざわざ沼津からお越しくださった大株主様とランチミーティング。東銀座の豚肉料理のお店で2時間ほど、さまざまなお話をした。5年ほどまえに月島でもんじゃ焼をいっしょに食べたことがあるのだが、そのとき以来だった。当時まだ高校生だった息子さんが、来春には就職だという。月日の流れの速さを感じた。

 

木曜日は、2年ほど前から大きな取引をいただいている某社の社長に、西麻布のレストランにお招きいただいた。いわゆる高級レストラン。財界人や政治家や芸能人たちもよく利用する店らしい(ホントに隣のテーブルでは某大物女優と某人気俳優が仲良く食事していたのにはびっくりした、笑)。実に美味しい料理とワインを楽しませていただいた。I社長、ありがとうございました!!

 

そして本日。取引先の幹部と、その取引先の元社員と、パートナー会社の社長と、僕の4人で神田の歴史ある居酒屋で会食した。創業は明治三十八年(西暦だと1906年かな?)ということだから、100年以上の歴史を有していることになる。レトロ好きな僕にとってはたまらないひとときだった。

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この店で日本酒をちびちびやりながら、きんぴらゴボウや、サバの塩焼きなどを美味しくいただいた。

高級料理もいいけど、こういう庶民的な味もまたいい。貧乏人の僕には、こっちのほうが似合っているかもしれないな。

この店を出た後、某社の幹部が「どうしても行きたいところがある」といって向かったお店。

なんと、「トマトラーメン」の店であった。

Ca3c00980001 トマトラーメン??

その外見にはびっくりしたが(チーズも入ってる!)、食べてみるとなかなか美味い。

でもまあ、ラーメンというより、スープパスタっていう感じかな(笑)。

 

 

 前後するが、きょうの昼間は、パートナー会社のクリエイティブディレクターとランチミーティング。創業時からのパートナーで、新規事業に関するブレストを2時間ほど行った。

くだらないことから、とても実現が出来ないような夢のようなことまで、いろいろなアイディアが出てきた。

「昔はこうやって、いろんなアイディアを一緒に出し合っていたよねぇー。我々は、もっとこういう時間を持たなきゃ駄目だよね!」という話に落ち着いたのが、本日のブレストの最大の成果だったのかもしれない。

 

食事をしながらの打ち合わせっていうのは、相手との距離も近くなり、頭も心も柔らかくなるのでとても効果がある。

ただ僕の場合の問題は、(トシのせいか)アルコールが入り、夜遅くなると、意識が遥か彼方に飛んでしまうことだ。なんとか克服しなきゃだな。

誕生もあれば別れもあった日

2009年9月17日 (木曜日)

きょうは、パフの各種サービス提供の要(かなめ)である新卒二期生ホサカの誕生日だった。

彼女が内定者として働き始めた時(西暦2001年の7月。21世紀元年だったんだな)、彼女はまだ21歳。あの頃はやんちゃな学生で、僕も毎日のように怒鳴っていたのだけれど、いまでは、たくさんのメンバーと大量の仕事を見事に捌いてくれる名マネジャー。気がつけばもう大台かあ……。

まあ何歳になっても誕生日というのはメデタイものだ。ホサカさん、おめでとうございました。

 

一方で夕方ころ。ちょっとショックな訃報が入ってきた。

パフの名前の由来である、フォークソング“Puff”を歌っていた、アメリカの三人組のフォークシンガー“ピーター・ポール&マリー”(略称PPM)のマリーが亡くなった。享年72歳。白血病だったそうだ。

奇しくも2日前、このPPMのことを客先で熱く語ったばかりだった。そのお客様は若いころバンドを組んでPPMのカバーを歌っていたとのこと。PPMの来日コンサートも見に行ったことがあるとのことだった。マリーの歌声は、ホントに素晴らしかった。ピーターとポールの3人で織りなすハーモニーに、全世界の若者が魅せられた。

謹んでマリーさんのご冥福をお祈りします。

 

そして夜。今度は嬉しい誕生のニュースが飛び込んできた。パフの「幻の新卒三期生」であるナガシマ(旧姓)に赤ちゃんが誕生したというニュースである。

ナガシマはパフに入社する寸前、パフとは別の道を歩むことを決めた。しかし彼女はその後も、節目節目で僕にまめに連絡をくれる。僕のコンサートのときなどは、いつも大きなお花を贈ってくれる義理がたい奴なのだ。

ナガシマ、ホントにおめでとう。これからはママとしても頑張れよ~。

 

ひとつの生命(いのち)には始まりもあれば最期もある。始まりは嬉しいが最期は悲しい。でも、人類全体でみればバトンリレーのようなもの。我々は決して終わることのないバトンを永遠に繋いでいきたいものだ。

風邪がなかなか抜けてくれず(咳と鼻水が止まらないんだよねぇ)、夕方、再度病院に行った。

待合室ではテレビでニュース番組をやっていた。

そういえば、きょうは鳩山内閣発足の日。きっとそのニュースを中心にやるんだろうと思っていたら、テレビに映っているのは、酒井法子の旦那さん。保釈されたというニュースだった。

「あ、そっ」という感じで、特になんの関心も興味もないニュースだ。早く鳩山内閣の顔ぶれが知りたい。そう思ってテレビを見ているのだが、延々と酒井法子関連のニュースが続いている。

おいおい、いい加減にしてくれよ! と、イライラしてくる。

挙句の果てに、テレビは保釈された酒井法子の旦那のクルマをヘリコプターで追いかけている。

な、なんなんだ、このニュース番組は!!

まったく呆れてしまう。

日本の行く末に何の影響も及ぼすことのない元アイドルの旦那のニュースを、こともあろうに(日本の行く末に大きな影響を与える)新内閣発足の日に、こんなに長時間垂れ流すとは。

最近の日本のテレビ局(特に民放)は、どうかしてるんじゃないか?

ニュース番組だけじゃない。若手芸人たちを安いギャラで使った、低俗な番組が目立つ。

いい加減にしてほしい。

若者に大きな影響を与えるテレビメディアがこんなんじゃ、先が思いやられる。

お手軽、お気軽な番組づくりは、視聴率を上昇させるためなのかもしれないが、それが国民の文化・教養レベルを低下させることにつながっていると思わないのだろうか。

良識ある(はずの)テレビ局の経営者たちには、いまいちどテレビのあり方を真剣に考えてほしい。

昨日の日記での予告どおり、本日は、「サムライ魂をもった人事マン」から頂戴したメールを転載させていただく。

その前に、一点だけ訂正が。

昨日の日記では、「人事部長」と書いていたが、正式な肩書は「人事部次長」であった。

でも、「人事部長」でもあながち間違いではなかった。なぜならこの方は、会社のなかで最も上位の人事責任者であるからだ。つまり「実質的な人事部長」なのである。

ということで、「実質的な人事部長」である本日の主人公のお名前を明らかにしよう。

その名は「伊藤健一さん」である。

会社は、とある分野に特化した情報サービス事業を営む東証一部上場企業である。30期連続で増収増益を達成している(現在も継続中)の超優良企業だ。

BtoBのビジネスなので、学生にはほとんど知られていないが、企業経営者で知らないという人は誰もいない(もし知らなかったら、そりゃ潜りの経営者だな)。

伊藤さんは、そんな実力派企業の人事責任者なのである。

伊藤さんとパフ(僕)との出会いは8年ほど前だった。以来ずっと『職サークル協賛企業』になってくださっている。

では、この伊藤さんの熱きメールを原文通り、以下転載する。

#読者の皆様にも、ぜひ感想をお寄せいただければと思います。この日記のコメント投稿フォームからでも結構ですし、僕あての私信メールでも結構です。伊藤さんにお伝えしたいと思います。

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私は人事部に異動になったのが平成5年の4月でして、早いものでもう16年が経過し、現在17年目となりました。
新卒採用活動を、今年も含めて17回もやってきたことになります。
(いつまでたっても、何回やってもレベルが上がらず、自分の力量のなさを毎年痛感するのですが、また翌年同じことをやっているという情けない状況です。実は、正直、もう採用活動にはうんざりしているのですが・・・。)
単に長いことやってるだけ、と言えなくもないですが、それでもそれなりには採用活動に対する想い(こだわり)も持てるようになりました。

そんな者からすると、最近(と言うかここ6~7年ぐらい感じていることですが)、世の中の採用担当者は弱くなりましたね。(自分のことを棚に上げていることはお許し下さい)

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強烈に感じるのが、長い期間学生と付き合うことに耐えられないのではないかということ。実に多くの企業が、選考合格後すぐに承諾書を出させて、採用目標人数を確保して活動を終わらせようとしています。
いかに短い期間で終わらせるか、ということに必死になっているような気がします。
学生のことを考えたら、一方的かつ最小限の情報提供だけであとは勝手に選考合格と言っておいて、2週間以内に承諾書出せ、というのはあり得ないですよね。
常識的に考えて、例えば自分が車か何か高額なものを買う場合でも、もう少しいろいろと比較検討するんじゃないでしょうか。そこが分からない担当者が多い。
当社では、最終合格者にその後も自由に就職活動をしてもらう(実質的には9月中旬まで返事を求めません)ようにしています。当社に入社を決めた学生の話を聞くと、「他社からも内定をもらい、もう少し考えたかったのに、すぐに返事しろと言われたので仕方なくその会社は辞退した」と言う学生がけっこう多いです。
ハッキリ言って、待つのは辛いです。ギリギリまで入社予定者数が読めない状況でいるのは精神的に追いつめられます。ですが、こういうやり方に変えてから(もう十数年以上前ですが)歩留まり率は高まりました。
もう少し学生の立場に立って、じっくり待ってあげれば良いのになあと思うのですが、待ってられないのでしょうね。
そうやって、ムリに承諾書を出させた結果、入社後3年で3割辞めていくわけですね。

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最初に世の中の採用担当者を疑ったのは、会社説明会や面接のアウトソーシングが始まったときです。
自分の会社の説明を他人にしてもらう、自分達の同志となれるかどうかという人物の見極めを他人にやってもらう。
どうしても信じられません。その結果、社内にはそういうノウハウを持った人間がいなくなっちゃったんでしょうね。
私ごとですが、人事部に異動して初めての会社説明会の時、とても緊張して、学生に「緊張している人?」と手を挙げさせ、同時に自分も手を挙げていました。説明会場の後ろには上司が座って聞いていて、終わってから、あれはダメ、これもダメ、とダメ出しされたのを今でも覚えています。
自分なりに会社の良いところ、悪いところ、何をどう学生に伝えるか、話し方、身振り手振りまで考えてやってきたつもりです。いろいろと鍛えられました。
採用担当者にとってのそういった場を無くしてしまう、ということも実にもったいないです。

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インターネットを使った採用活動の普及も、採用担当者を弱くした要因だと思っています。
ネットが普及する以前の採用活動・就職活動は、とても手間がかかりました。就職情報誌に会社情報を掲載してもらって、資料請求はがきを受け付け、資料を送り、会社説明会の開催案内はすべてDM(紙)で、説明会の参加申込は電話で受け付け、説明会後の面接の合否連絡及び面接呼び込みもすべて電話で、といったやり方でした。
学生の集まりが悪いので急遽説明会を追加したときに、説明会の案内文を作って2000枚ぐらいコピーして、三つ折りにして封入して、なんていう作業を深夜まで会社に残って一人でやっていたこともありました。
ところがネットでの採用活動はホントに便利です。DMを打つのにしても、文面をつくって、送信対象を検索して送信指定すれば、指定した時間にDMが送信できちゃいますし、会社説明会を追加した際なんかも、すぐに学生に案内できちゃいますからね。申込やキャンセルもクリック一つですし。
決してネットが悪いとは思いませんが、簡単になった分、学生も企業側もとてもお気軽になってしまってあまり深く考えなくてもできるようになったのではないかと思います。
何が何でもこの文面で説明会参加者を集めなかったら、追加した分の説明会はまるっきりムダになる、というような必死さが弱くなったように思います。ネットであれば、反応が弱ければもう一回すぐ送り直せますから。

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人事3年目頃だったでしょうか、ある学生が採用内定の辞退の連絡をしてきました。電話じゃなんだから、一度会社に事情を説明に来なさい、と呼び出しました。ところが、呼び出した日時には学生がやって来ず、その日の夜に電話したら、単に行きたくなかったという理由。それじゃケジメつかないよ、と再度呼び出し日時を決めたら、またその日も来ず。その夜に再度電話したら母親が出て、「息子が電話に出たくない、と言っている」とのこと。事情を話したら父親が出て「就職活動なんてそんなもんじゃないんですか。企業だって約束して何も連絡しないことだってあるでしょ」とのこと。私は絶句して、ようやく「じゃあもう結構です」といって電話を切り、その後、悔しくて涙が止まらず、20分ぐらい机に突っ伏して泣いていたことがあります。(あ、これ前に酔っぱらって話しましたかね?)

何が言いたいかというと、こんな経験、今の採用担当者はしないのかなあ、ということです。うちの人事部内でもあったことなんですが、携帯に電話をかけて「何回電話しても電話に出ません」と。「家に電話したのか?」と聞いたら「してません!」、でしたから。
家に電話して親と話したって良いじゃないですか、それをメールだけで済ませてしまう担当者がいっぱいいるような気がしてなりません。

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全く話は変わるのですが、今朝電車の中で『ハーバードビジネスレビュー』誌(今号は「論語」の特集でした)を読んでいると、「近年、日本のリーダーのレベルがこれほどまでおかしくなってしまったのは、中国古典の素養がなくなったからではないか」という記述がありました。そこを読んでふと気づいたのは、結局「大人」なんじゃないか、ということでした。
昨日も吉川(釘崎注:パフの社員)さんに「最近は颯爽とした学生(とくに男)」がいない、と話したのですが、電車の中を見ると、ゲームやっているオヤジ、漫画読んでるオヤジ、また、ポケットに手を突っ込んで鞄も何も持たずにホームを歩くスーツ姿のオヤジ、などなど(もちろんオバチャンもいるのですが)。
「颯爽とした大人」もいないことに気づきました。これじゃ「今の学生は」なんて言ってらんないですよね。

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長々とくだらないことを書いてしまいましたが、要するに、こういった想いを他社の採用担当者(とくに採用担当になりたての方)なんかにぶつけさせてもらえないでしょうか。
あるいは、担当者同士の想いをぶつけ合う場を作っていただけないでしょうか。(「破壊と創造の会議」がそうなのかもしれませんが、案内だけ拝見するとどうも一方的なような気がしまして)一つの企業の中で「サムライ魂」が引き継がれないのであれば、他の企業の「サムライ魂」を共有していけるような、そんな機会があったらいいのにな、と思いました。(私のは「サムライ魂」ではない、と言われれば黙ってます。ぜひ他の方の「サムライ魂」を共有させて下さい)

どうしても、学生に対する「手取り足取り」的なことには抵抗感があるのですが、大人に対して「もうちょっと考えろ!」というのは、言いたくて仕方がなくなってきました。

とりとめもなく、思ったことを書かせていただきました。今朝、返信しようと思ってから、このメール打つのに5時間ぐらいかかりました。今日は、ほとんど仕事してません(笑)。その割に、ほんとにまとまっていない文章です。お許し下さい。

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転載は以上です。

この熱い文章を読んで何かを感じた方は、ぜひご一報いただけると嬉しいです。

最後に伊藤さん。熱い思いのメール、本当にありがとうございました。また、私のブログへの転載許可(しかも実名で!!)。伊藤さんの立場を考えると、なかなか出来ることではないと思います。それだけでも伊藤さんは立派な「サムライ」だと思いますよ。