パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

北の国からが大好き!

2018年2月21日 (水曜日)

ケトルという雑誌をご存じだろうか?

wikipediaでは、次のように紹介されている。

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本屋大賞」などの立ち上げに携わってきた博報堂のクリエイティブディレクターの嶋浩一郎氏が編集長を務める。本誌のコンセプトは「最高に無駄が詰まった雑誌を目指して」である。特集内容は、アート、食べ物、動物、文学、街など多岐にわたり、これまでで最も「無駄が詰まっ」ていたのは2012年6月の『調味料が大好き!』特集である。

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ふむふむ。「無駄が詰まった雑誌」か。まるで僕のような雑誌だな(笑)。

このケトルの最新号の特集が「北の国からが大好き!」というものだった。

 

 

先日、僕の36年来の親友にそのことを聞き、早速買ってみた。

「北の国から」は、1981年の10月から1982年の3月末までフジテレビ系で放映されていた連続ドラマ。いまから36年前。当時僕は大学2年生だった。

当時から大好きだった。連ドラが終わった後も、スペシャルドラマが数年に一回の頻度で制作されていった。

純や蛍の成長とともに訪れる青春の蹉跌を追いかけつつ、親の老いと苦悩、人間同士の愛と憎悪、家族愛、隣人愛、都会と過疎地に生きる人々の人間模様を、北海道の大自然を背景にして見事に描き切ったドラマである。

詳しく語り始めると、一週間くらいかかりそうなのでやめておくけど。なんたって、1981年から始まったドラマが終わったのが2002年。ドラマスタート時、五郎46歳、純9歳、蛍8歳だったのが、最終話(2002遺言)では、五郎67歳、純31歳、蛍30歳になっていたのだから。20年以上におよぶこの父子の人生を語るだけでも、一升瓶が5~6本空いてしまいそうだ(笑)。

てなわけで、北の国からが大好き。

実は、今年の7月上旬、仕事で北海道に行くのだが、そのついでに一週間ほど休みを取って、北の国からの舞台となった富良野や麓郷や落石や羅臼を一人で巡ってみようかと思っていた。まさにタイムリーな今回のケトルの特集だった。

あ、そうそう。いまからちょうど6年前に、こんな(☟)記事を書いていたので「北の国から」と「ALWAYS三丁目の夕日」のファンのみなさんは、ぜひ読んでみてください(^^♪。

純と淳之介の関係が、五郎と純の関係に見えた日

 

さてと。膝の痛みもだいぶ和らいできた。きょうは鍼治療に行って、体調回復を万全なものにしたいと思っている。

では、リハビリモードのゆっくりウォーキングで行ってきます!

昨日の夕方の飛行機で熊本から帰ってきた。足腰の激烈な痛みのため熊本観光は諦めて午前中はホテルで大人しく過ごすことにした。

で、昨日の日記の終わりのところに書いた「きよさんからもらった焼酎」。やっぱり、ラーメン屋さんに置き忘れていたのだった。

僕はラーメン屋さんの名前も場所も忘れてしまっていたのだが、山田さんはちゃんと覚えており、お店の情報(食べログの掲載情報)を僕にメッセンジャーで知らせてくれた。そのお店に速攻で電話したら、「あー、焼酎のボトルでしょ。くまモンの化粧箱に入っとう白岳でしょうが。安心して。ちゃんととっといますよ」とお店のおばちゃんが温かな熊本弁で教えてくれた。

あー、よかった。

すぐにでも取りに行きたかったが、僕は足腰の痛みで歩けない。どうしようかと逡巡していたら山田さんから「取りに行ってあげましょうか」との連絡が。前夜の愚か者ぶりを、さんざん釘さん日記で暴露した僕に対するこの優しさ。なかなかやるじゃないか。感謝である。

で、手元に戻ってきたボトルがこれ。

 

くまモンはホントに可愛いね。

 

5時間55分32秒のタイムを書き込んでみました(^^♪

 

なんだか飲むのがもったいないな。特別な日にだけ飲むことにしよう。きよさん、あらためてありがとうございました!

 

さて、足(とくに膝と腿)と腰の痛みはまだ取れないが、いつまでも引きずるわけにはいかない。明日は鍼を打ってもらおうと思っている。

なんとか週末のヨコヤマの結婚式までは復活させなければ。恒例のギター弾き語りをスピーチに代えてやることになっているのだ。ヨコヤマの大事な舞台なので、僕も完全なコンディションで臨まなければね(#^^#)

では、通常の半分以下のスピードでしか歩けないので、ちょっと早めに行ってきます!

 

あー、しんどかった。しかし、心は晴れやかである。

自分の生まれ故郷である熊本で(おそらく)人生最後となるフルマラソンを完走できたのだから。

昨年の(ホントはこれを人生最後のフルマラソンにしたはずだった)東京マラソンのタイムをわずか5分だけだが上回ることもできたし。

上出来である。悔いはない。

無理やり誘ってくれた名大社の山田社長に感謝である(珍しく殊勝ではないかw)。

写真をたくさん撮ったので、以下アップしながら振り返ってみよう。

 

 

大会前日の朝の飛行機で飛んだ。

 

 

熊本空港に着いてまず最初に食べたのがこれ。

チャンポンに見えるけどちがう。熊本名物の太平燕(タイピーエン)という食べ物だ。麺は春雨なので胃に優しい。野菜もたっぷりで健康的。マラソンを翌日に控えた体にはうってつけだ。

 

 

空港からバスに乗って約1時間。大会受付のある辛島公園にやってきた。

 

 

ボランティアの高校生たちがテキパキと誘導してくれた。

町ぐるみのマラソン大会っていう感じでいい雰囲気(^^♪

 

 

 

夜は、僕よりちょっと遅れて熊本入りした山田さんと合流して晩飯を食べに行った。商店街は飲み屋だらけだったのだが、やっと見つけた食事中心のお店。六白黒豚のしゃぶしゃぶはなかなか美味しかった。禁酒を誓ったはずなのに、意志の弱い我々はビールも飲んでしまった(^^ゞ。

 

 

お堀の前でピース!

そして、大会当日。朝8時過ぎにスタートブロックに出かけた。このときはまだ余裕の表情だ。

ところで、僕の帽子は昨年の夏ニムラくんから巻き上げた名大社キャップ。山田さんも被ってくるかと思ったら、ぜんぜん違う帽子だった。社長のくせに(笑)。

 

帽子は違うのに、なぜかシューズはお揃い(@_@;)。へんなところで仲がいい(笑)。

 

 

午前9時02分。ついにスタートである。スタート地点には石川さゆりがいたんだけど、残念ながらシャッターチャンスを逃してしまった。

走ってる最中は、さすがに余裕がなく写真は一枚も撮れていないのだけど、下の画像が、5kmごとの記録である。

見ると25kmまでは快調だったことが分かる。トイレに行ったのでちょっと凹んでいるところもありますが(^^ゞ

 

 

しかし、25kmを過ぎたあたりからガクンと来た。膝と太腿が痛み始めたのだ。以降、40km地点くらいまでは痛みとの戦い。途中なんども歩いてしまった。

40km地点に差し掛かる直前、6時間のペースメーカーランナーが僕を追い抜く。「せめて6時間を切りましょう!ゴールまであと少し。さあ頑張って!」と声をかけながら。

そういえば昨年の東京マラソンは6時間ジャストのタイムだった。よし、最後のフルマラソン。しかも生まれ故郷でのフルマラソンだ。昨年のタイムを1分でも更新して締めくくろう!

膝も足裏(豆もできていた)も腿も腰もガタガタだったのだが、最後の力を振り絞って走り始めた。ペースメーカーランナーを41km地点くらいで追い抜いた。

そして遂にゴール!

ネットで5時間55分32秒。最初にも書いた通り、昨年の記録を5分上回ることができた。やっぱりマラソンは気力ですね(^^♪

 

下の写真が完走証だ。

 

で、ゴール直後に首にかけてもらった完走メダル。

 

このメダルをかけてくれた高校生とのツーショットも(^^♪

 

でも、まだ僕たちの熊本城マラソン終わらない。というか、ここからがお楽しみの始まりだったのだ(今日の日記は長いな…)。

 

熊本には湯布院中学3年1組の同級生の女の子。そう、女の子。僕にとっては永遠に15歳の、女の子ふたりが住んでいる。

「きよさん」と「ひーちゃん」だ。

 

 

中学の卒業アルバムから抜き出してみた。奇しくもふたりが並んで写っている。

左がきよさんで右がひーちゃん。

僕がきよさんのことを好きだったことは、当時の湯布院中学全体に知れ渡っていた。当の本人は冗談だと思っていたらしいけど(-_-;)。

今回の熊本城マラソン。山田さんに誘われたのは事実だけど、出場を最終的に決めたのは、このふたりと会うことが出来るかも、というのがイチバンの理由だったのだ(#^^#)。

 

で、マラソン完走後、いったん宿に帰って風呂に入り、二人が待つ熊本の市街地に山田さんと一緒に繰り出した。なんとアーケードの入口で、きよさんが待ってくれていた。

 

一軒目のお店では熊本名物の馬刺しや辛子レンコンを食べながら球磨焼酎を飲む。42.195kmを走り終わったからだにアルコールがずんずんと浸み込んでいった。

 

山田さんは僕らが中学3年生のころ、まだ小学校3年生の鼻タレ小僧だったはず。そのわりにお姉さま方といい感じじゃないか(笑)。

 

そして、二軒目は当然のごとくカラオケへ。

もうすっかり僕らは15歳のあの頃に戻ってしまった。山田さんだけは相変わらずの愚か者だったけど(笑)。

 

 

まあ、僕も負けないくらいの愚か者かな。まあ、名誉本部長なので仕方ないね(自爆)。

 

 

 

ひとつ大失敗したことに、いま気が付いた。山田さんのブログにアップされていたこの球磨焼酎。

 

 

これ、実は昨夜きよさんが僕らにプレゼントしてくれた、熊本城マラソン記念限定製造焼酎なのだが、なんと昨夜のカラオケ屋か三軒目に行ったラーメン屋に忘れてきてしまったようだ。ホテルの部屋を隈なく探したのだが見つからない。

あちゃー😵。ホテルをチェックアウトしたら取りに行かなきゃ。ちゃんと保管してくれてるといいんだけど💦

 

・・・てなわけで、最後はちょっと締まらなかったけど、以上、熊本城マラソン完走(後)報告でした!

では、これからホテルでゆっくりめの朝食の後、焼酎探索に出かけてきます!

昨年の9月アタマだったと思う。

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山「熊本城マラソンに出ませんか?特別枠で出場できますよ?」

釘「ハーフ?フル?」

山「フルです」

釘「いや、フルは東京マラソンを最後に引退したのでもういいです。どうぞお一人で頑張ってください」

山「地震災害の復興支援になるんですよ。熊本は生まれ故郷でしょ?故郷を裏切るの?何の関係もない僕が出るっていうのに」

釘「うっ…”(-“”-)”…」

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という会話があった。

「山」というのが何者なのかは、とりあえず伏せておこう(笑)。

まあ、経緯はともかく、どうせ出場するならば全力を尽くさねばなるまい。

昨年の2月に東京マラソンを完走して以降ほとんど走っていなかったのだが、熊本城マラソンに出場することを決めた9月は100kmを走った。10月も70kmくらい走っている。

しかし、11月は30km、12月はまさかのゼロkmと、完全に失速してしまった。首、肩、腰の痛みに襲われたり、自宅の引っ越しがあったりで(+o+)。

1月も正月の20kmのみ。2月は先日の3連休にやっと30km弱を走っただけだ。これは、大雪だったりライブの練習があったりで((+_+))。

まあ、要するに練習不足は否めないということだ。

首、肩、腰の痛みもひところに比べればずいぶん回復しているとはいえ、まだ不安を抱えている。

・・・と、悲観的なことをたくさん書いてみたが、実はとても前向き。

なんたって生まれ故郷を走れるわけだし。多少なりとも復興支援に役立つわけだし。そして何より熊本には、僕が行くのを待ってくれているマドンナもいることだし(#^^#)。

ってーことで、明日の朝の飛行機で熊本まで行ってきます!

大会本番は日曜日だけど、東京に戻ってくるのは月曜日の夜。せっかくなので熊本の街を散策してくるつもりだ。翌日歩ければの話だけど(笑)。

ランの結果は、月曜日の朝の日記でご報告することにいたしましょう。日記読者の皆さん、応援してねー(^_-)-☆

頑張ります!

 

 

義理チョコは減ったのか?

2018年2月15日 (木曜日)

「日本は、義理チョコをやめよう」という広告の効き目はどうだったんだろうか。

パフは圧倒的に女性が多い会社で、毎年(たぶん)誰が誰にプレゼントするかを決める当番制みたいな感じでチョコの授受がなされているようだ。

で、僕は今年こういうのをもらった。

 

ほほう、豆菓子か。落花生✖ホタテ燻製って書いてある。チョコではないわけですね。広告の効き目だろうか。

で、このようなメッセージカードが添えられていた。

 

お、1月に入社したばかりのダイモンさんではないか( ^)o(^ )。

いちばん社歴の長い僕にはいちばん社歴の浅い新人から贈ることにしたんだな。

なかなかやるじゃないか。

ふむふむ。

あれ?いま気が付いたけど「チョコを贈ります」と書いてある。もらったのは豆だけど……。

たぶん購買担当とカード執筆担当が分かれていてうまく同期が取れなかったのだろう。

と、細かいことはどうでもいいんだけど、嬉しいメッセージをありがとうございました。

 

で、昨日、僕のところに日にち指定でこれが宅急便で届いた。

 

 

送り主は毎年バレンタインデーに、きっちりとチョコを贈ってくださるA女史。僕がまだ30代前半、A女史が20代前半のころからのお付き合いだ。

いや、怪しいお付き合いではなく、最初はビジネスだけ(A女史が人事担当として勤務する会社のシステム導入や運用を手伝っていたのが僕)のクールなお付き合い。

チョコをもらい始めたのはいつからだろうか。もう忘れてしまうくらい昔からだ。

これはもはや「義理」ではなく「習慣」と呼ぶべきか。「いや、たんなる惰性でしょ?」という声も聞こえてきそうだが、僕としては毎年「本気の愛」が届いていると思いたい(#^^#)。

 

 

たとえ義理であっても惰性であったとしても、手書きのメッセージカードというのは嬉しいものですね。

ということで、僕の周辺では義理チョコが減ったかどうかは定かではないが、「恋人だろうがなかろうが、届けたい気持ちを遠慮せずに届けられる日が一日くらいあってもいいではないか」というのが僕の結論でした。

 

さて、本日は来客や打ち合わせがひっきりなし。夕方はボディーケアだ。明後日は熊本に飛ばなきゃいけませんしね。

では、いつもどおりアンクルウェイトを装着して行ってきます!

昨年12月の紅白歌合戦白組トリといえば・・・・・・。

「ゆず」と答えた人は甘い。釘さん日記の読者とは言えませんね(笑)。

そう、パフThe紅白歌合戦の白組トリはこの人たちである。

 

 

知る人ぞ知る「真心30’s」。西暦2000年~2004年にかけてパフと取引を開始した企業の人事担当者たちで結成されたグループ。当時30代だった飲み助たちだ。

この方々、昨年の12月は仕事もそっちのけで紅白歌合戦の練習に励んでいたという。

この奇抜な衣装や小道具ももちろん自前。練りに練られた脚本もオリジナル。踊りもなかなか決まっている。たいしたものだった。

昨夜はこの「真心30’s」の皆さんの奮闘努力を労うために、我々の思い出の地である月島(スペイン倶楽部)でご接待申し上げたのだった。

 

 

いやあ、実におもろい方々だ。昨夜はグループ結成秘話や紅白歌合戦の裏話をたっぷり聞かせていただいた。

パエリアも美味しかったし。

 

 

真心30’sへのプレゼントとして、紅白歌合戦の模様を収録したDVDを差し上げた。

 

 

 

いやー、何回見ても元気にさせられる唄だ。

今週の飲みは昨夜が最初で最後。今日から土曜日までは4日間連続で禁酒である。そして日曜日は熊本城マラソンで42.195kmを走り切る。明日も明後日も明明後日もあるのだ。

あ、そうそう。きょうは職サークルの会員学生が200名ほど集まるイベントもあるんだった。僕は様子を見に行くだけだけど、楽しみにしながら行ってきます!

 

前回のブログでは、熊本城マラソンまであと12日となったことに焦って、リストウェイトとアンクルウェイトを装着して通勤していることを書いた。

あれから一週間。

効き目があったかどうかさっぱり分からない。新入社員のイシガミから「いったいどこを目指しているんですか」と不思議がられたくらいかな(苦笑)。

そう、いったい僕は、どこを目指しているんだろうか・・・。

 

・・・んなこと、考えてたら42.195kmなんか走れません(笑)。

ということで、この3連休は完全にアスリートになりきった。平昌オリンピックを尻目にトレーニング(最後のあがき)に励んだのでした( `ー´)ノ。

 

 

これ ↑ 昨年の東京マラソンの30km地点での写真。

facebookのプロフィール写真に期間限定でアップしてみました。

わりと好評です(^^♪

 

 

土曜日は、近所のスポーツジム(区立なので2時間で400円と安い)で、せっせと筋トレに励んだ。

日曜日は、皇居まで走っていき、さらに皇居を一周。そして自宅まで約15kmを走破した。

そして昨日の月曜日は、隅田川沿いを計12kmゆっくりと走った。

 

本番直前にたくさん走るのはよくないと聞いたことがあるが、この数か月ほとんど走っていないのだから、これだけ走ったからといってマイナスになることはあるまい。

むしろ自信になった。

なんだ結構走れるじゃないか。これなら大会本番も、そこそこイケるんじゃないか?

・・・と、根拠のない自信が湧いてきたのだ( ^)o(^ )

 

今週は不摂生は禁物。今夜の宴会もアルコールはほどほどに。アルコールの代わりに炭水化物を多めにに摂取しよう。

明日から大会前日の土曜日までは完全禁酒だ。寝る前に体幹トレーニングを5分間ほどやることにしよう。

そして18日(日)の完走後(完走するって決めてるけどw)は、浴びるほどの酒を熊本で飲むのだ(*^^)v。

 

あ、そうそう。昨日の練習時の風景がすごく良かったので、本日の日記にアップしようと思っていたんだった。

隅田川沿いから見える風景が素晴らしかったのだ。時系列にアップして本日の日記を終わることにしよう。

では、下の画像をアップ後、アンクルウェイトを装着したウォーキングで行ってきます!

 

隅田川テラス。中央区、墨田区、台東区をずーっと繋いでいます。

 

 

まあ、ある意味、浅草名物ですよね。

 

沈みゆく夕陽を背にして駆け抜ける東武鉄道。なんかいい感じ(*´з`)

 

もうすぐゴール。ここをまっすぐ20分ほど歩くとパフの茅場町本社オフィスなのですよね。

 

 

この隅田川テラスのランニング、なかなかいいですよ。今度みなさん一緒に走って、ラン後は美味しいビールを飲みましょう( ^)o(^ )