パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

ホワイトデーの贈り物

2017年3月15日 (水曜日)

昨日はホワイトデーだった。

朝、パフ随一のお姉キャラとして有名なコバやんが、手作りのお菓子を女性メンバーに配っているのを見て思い出した。僕もおこぼれを頂戴したのだが、これがなかなかイケる味。さすがコバやん。

僕がたまに机の隅っこを間借りしている経理担当者から「あなたはちゃんと買ったの?お返ししなきゃダメでしょ!」と詰められて、そうだよなあとしばし反省。

ということで、昼休みになるや否や、会社を飛び出した。

向かった先が、銀座コージーコーナー。

で、買ったのがこれ!

生クリームシュー(銀座コージーコーナーHPより)

 

ジャンボシュークリーム(銀座コージーコーナーHPより)

 

合計20個のシュークリームをデカい化粧箱に詰めてもらって会社に持ち帰った。

現在パフの女性スタッフは、新卒採用シーズンに合わせてアウトソーシング業務をテキパキこなしてくださる主婦の方々が過半を占める。ボやっとした男性社員の何倍ものパフォーマンスを発揮している。

そんな女性スタッフの皆さん(プラスお菓子を朝くれたコバやん)に感謝の意を込めたシュークリーム。喜んでいただけたようでよかった(*^^)v

バレンタインデーだとかホワイトデーだとか、正直めんどくさいと思うこともあるが、こういうちょっとした贈り物を、恥ずかしがりやの僕でも堂々とできる機会だと捉えれば悪くない。

年に1回だけとはいわず、たまには外からお土産を買ってきましょうかね。忘れたころに(笑)。

 

さて、今朝も寒い。冬に戻った感じだ。でも雨は止んだようなので、いつものウォーキングで行ってきます!

日記ネタがみっつあった日

2017年3月14日 (火曜日)

昨日は日記ネタにしたいことが三つあった。どれを書こうか迷ったが、あとで読み返したときのために三つとも書き留めておこう。

 

①社員と元社員の子供たちが遊びに来てくれた日

ここのところ、社員&元社員たちの出産ラッシュである。

昨日は、室蘭で蕎麦屋さんを経営している元社員オオノが遥々子連れで遊びに来てくれた。昨年の11月に生まれたばかりでまだ4か月。

ちょうど同じタイミングで4月から育休を終えて復職するヒラハラも子連れで(復職後の仕事の打ち合わせで)来ていた。こちらは昨年の6月生まれなので9か月かな。

いわば僕にとっては孫みたいなもの。いやあ、可愛かったな。

 

 

②昔、のろで働いていた人から突然電話がかかってきた日

釘さん日記読者にはおなじみの「のろ」。パフ創業時からずっとお世話になってきた新富町の昭和情緒たっぷりの小さなスナックである。

ちょうど昨年の今ごろ、僕らのことをとても大事に想ってくださっているママが交通事故に遭ってしまった。そのときの日記がこれ。⇒ のろママ、早く元気になってね!(2016年3月18日)

ネットで「新富町のろ」で検索すると、この記事が最初に出てくるらしい。

昨日、昔(1980年ころ)のろで働いていたという男性の方から僕宛に電話がかかってきた。昔が懐かしくなって「新富町のろ」で検索したところ僕のこの記事が出てきて、ママが交通事故に遭ったことを知ったのだそうだ。安否を気遣うあまり僕のところに電話をかけてくれたという。聞けば、この男性の方は僕と同い年。岩手が実家の方なのだが、20歳前後の若いころは築地市場で働いており、夜は、のろでも働いていたのだそうだ。

岩手の〇〇さん、ママはすっかり元気ですよ~(^^♪ つい2週間ほど前、日記に載せた写真を再掲しますね(*^^)v

 

③大分で知り合ったオヤジたちとの採用&教育談義

4年ほど前、大分県からUIターンを促進させるための仕事を請け負ったことがある。この日の日記に書いてある。⇒ どぶ板営業in大分が始まる日(2013年7月23日 )

この仕事がきっかけで親しくなった地元大分県の有力企業オーイーシーの採用責任者と、九州大学のキャリアサポートの職員の方にお誘いいただき、銀座であれやこれやのオヤジ同士の語り場が繰り広げられた。

三人ともほぼ同年代。三人とも音楽好き。三人とも若者の育成に一家言を持っている。そりゃあ話も盛り上がるというものだ。昨日は美味しいお酒で締めくくることができたのだった(*^^)v

 

さて、本日は朝から雨。日記ネタはあるのだろうか……。

では、きょろきょろとネタを探しながら行ってきます!

富士山マラソン以降も、いろんなマラソン大会に出場した。

手元に残っている完走証・記録証を貼り付けてみよう。

 

ぎふ清流ハーフマラソン。これも名大社の山田さんに唆されて出た大会。日差しが強くて熱中症寸前だったっけ。2012年5月20日っていうことは富士山マラソンよりも前だったんだ(◎_◎;)

 

2013年2月10日の赤羽ハーフマラソン。単独出場だったけど2時間10分で走ってる。この時点での自己ベスト。

 

2013年5月12日の仙台国際ハーフマラソン。前日深夜まで国分町で騒いでいたのに、タイムは2時間03分と自己ベストを更新。振り返ればこのころが僕のピークだった。52歳6か月のころ。

 

2013年12月8日の袋井クラウンメロンマラソン。これも山田社長に唆されての出場。甘いネーミングとはうらはらに坂の続く厳しいコースだった。

 

これは下薗さんに唆されて、はるばる鹿児島の指宿へ。いぶすき菜の花マラソン大会。三回目のフルマラソンだったが、あまりにきつくて途中から食べることに徹した大会。打ち上げで食べた豚しゃぶが最高に美味かった。

 

2014年3月9日の名古屋シティマラソン。誰に唆されたかは言わなくても分かりますね(笑)。

 

2014年5月11日の仙台国際ハーフマラソン。前年よりも10分以上遅かった。もはや体力は下り坂😢

 

2015年3月8日の名古屋シティマラソン。タイムは2時間13分。まあまあじゃないか(‘_’)

 

こんな写真も出てきた(笑)。

 

2013年12月の袋井クラウンメロンマラソンの35㎞地点くらいじゃないかと思う。へばってた山田さんを励ましながら走っていたのだ(笑)。

 

いま手元にはないが、上の大会のほかにも毎年5月に多摩川沿いで開催されるチャリティーマラソン(パラカップ)にも、ほぼ毎年出場している。

 

皇居をリレーで5周するマラソン大会を自分たちで企画したこともあった。あれは楽しかった。あ、あった。これだ⇒「第一回大人たちの・・・駅伝大会」無事終了!

 

ナゴヤドームで名大社チームとディスコチームとパフチームの3社対抗のリレーマラソンをやったのが一昨年。パフの圧勝だったな、たしか(*^^)v 見つけた。これだ⇒ 勝てば官軍(アクトス42.195kmリレーマラソン詳報)

 

こうしてみると、いろんなランをやってきたんだなあ。それぞれにそれぞれの思い出がある。

・・・と、今回はぜんぜん総括にならなかったので、最終回はまたあらためて書こうかな。

では、またそのうちに!

 

2011年2月に神奈川マラソンでデビュー。そして、いびがわマラソンに出場したのが2011年11月。

デビュー戦のときは苦しみでしかなかったマラソンが、2回目のいびがわマラソンでは完走後なんだかとても爽やかな気分になっているのが分かった。

本大会のときだけでなく、日頃の練習の後も爽やかな気分で、ご飯やお酒がとても美味しくなった。よく食べよく飲むのだが、日ごろ走っているので太ることを気にすることもなくなった。

いや、太るどころか腹回りもずいぶんと小さくなった。中性脂肪やコレステロールの値も、一年前と比べびっくりするくらい改善していた。久々に会う方々からも「あれ?釘さんずいぶんとスッキリしたねー」と言われるようになった。

こりゃあいいぞ。

ランニング効用を実感できるようになっていた。

でも、僕の体力では、まあせいぜいハーフマラソンまでが限界だろうと思っていた。フルマラソンなんて絶対に無理だと思っていた。

なのに、なぜかわずか一年後、フルマラソンに挑戦することになってしまった。

なぜだったかよく覚えていない。

名大社の山ちゃんにそそのかされたのか?

キーカンパニーの下さんに巻き込まれたのか?

いや、なんか違う気がする。

中性脂肪やコレステロール値の低下とともに、僕の記憶力もこのころから低下してしまったようだ(笑)。

ともあれ、一年後の2012年11月25日、僕は富士山マラソンに出場した。

出場前は自分でも感心するくらいよく走り込んでいた。

そして見事、完走することができた。

タイムも5時間47分で、初フルマラソンとしては(いま考えれば)上出来だった。

なにより間近に見える富士山がとても美しかった。ハーフマラソン以上の達成感があった。

この日のことは日記にも書いてあった。⇒  富士山マラソンを完走した日 2012年11月26日 (月曜日)

 

でも、ラン後の体はボロボロで、一週間くらいはまともな歩行ができなかったのにはマイッタ(^_^;)。

(このシリーズも飽きられてきたので、そろそろ終わることにしましょうかね…)

ランニングの昔話ばかりだと読者離れを起こしそうなので、本日はひとやすみ。

今朝は、代わりにこれを書こう。

いろんなところで言ったり書いたりしているが、パフは今年12月で設立20周年を迎える。

僕が37歳になったばかりのとき、ひょんなことをきっかけに生まれたこの会社。ホントは今年の12月には、60階建ての自社ビルヂングが竣工し、僕はキングレコードから歌手デビューしているはずなのだが……(10周年で書いた10年後を予想する寸劇台本ですw)。

ともあれ、潰れずに存続していることを素直に嬉しく思う。設立以来、懸命に働いてくれた(今は辞めたり取引がなくなってしまった人たちも含めて)多くの社員、アルバイト、インターン生、パートナー企業の皆さんのおかげであり、多くの株主の皆さんのおかげであり、もちろん多くの顧客企業の皆さんのおかげである。

そんな皆さんへの感謝の気持ちを込めて、そして20周年という節目の年でもあるので、ちょっとだけ贅沢&盛大に記念式典&祝賀パーティーを開催することにした。

場所は、日本橋公会堂の大ホール。演劇やコンサートなどが行われる本格的な大ホールだ。

たぶん僕が社長として迎える最後の周年式典になると思うので、この日記を毎朝お読みいただいている読者の皆さんには特別に先行してご案内しちゃう。

こちらのページに詳細が掲載されていますので、内容を確認いただいたうえで、ぜひとも参加表明をいただけると幸いです。
⇒ https://www.puff.co.jp/20th/

この記念式典では「紅白歌合戦」なるコーナーがある。お取引企業の皆さまから出演者を募るそうだ(20周年記念委員会が企画しているので僕にも全貌はよく分からない)。僕ももちろん応募しようと思っているのだが、オーディションをやって出演者を厳選するとのことで、出場できるかどうかは分からない(汗)。

この紅白歌合戦、いっちょ応募してみるかという皆さんは【事前相談会】にもぜひチェックしていただければと(*^^*)。

まあ、この紅白歌合戦はともかくとして、記念式典と記念祝賀会にはぜひともご参加ください。ありあまるほどの席をご用意しております。

さて、僕は紅白歌合戦に出場(オーディションに合格)できるように、また週末からピアノとボイトレに励むことにしよう!

本日は、爽やかな快晴の朝。いつものウォーキングで行ってきます!

「いびがわマラソンに出ませんか?」

世界の山ちゃんで、名大社の山ちゃん、いや失礼w、山田社長から繰り出された言葉である。

揖斐川が流れる岐阜県の町を走るそのマラソン大会の素晴らしさを、この日、山田社長からこれでもかというくらい吹き込まれた。

「よし、出ましょう!」

神奈川マラソンで懲りていたはずの僕だったのだが、山田社長の熱心な誘いでその気になってしまった。

しかし、僕だけが東京からはるばる揖斐川まで行くのはいかにも寂しい。当然巻き込むべき人物がいる。僕を神奈川マラソンに巻き込んだキーカンパニーの下薗社長だ(笑)。

翌日の3月11日、当時いっしょのビルで仕事をしていた下薗社長に「いびがわマラソンに出ますよ!」と有無を言わさず申し込みを迫った(よく覚えてないんですがたぶんそうw)。

 

が、奇しくもこの日の午後、我々は東日本大震災に襲われた…。

 

この日を境に、しばし様々な仕事を中止、変更せざるを得なかった。リーマンショックで負った傷がさらに広がってしまい、またもパフは赤字決算を免れない状況に陥ってしまった。マラソン大会どころではなかった。

 

いろんなことがあった。精神的にも参ってしまうような出来事もあった。

 

よし、走ろう!いびがわマラソンにも出よう!

そう思い直すようになったのが、5月中頃だったと思う。

不思議なもので、走っていると前向きな気持ちになる。いろんな辛さ苦しさから逃げるんじゃなくて、乗り越えて行こうという気持ちになるのだ。

 

そんなわけで山田社長、下薗社長、僕とで出場し、完走した「いびがわマラソン」である。

2011年11月13日。日曜日だった。

 

揖斐川の素晴らしい景色、突き抜けるような青空を、いまでもよく覚えている。

記録は2時間24分37秒。半年前の神奈川マラソンよりも5分以上縮めることができていた。

(前日に名古屋で食べた「ひつまぶし」のほうが記憶に鮮明に残ってるのですが笑)

 

2011年3月10日。僕は名古屋にいた。朝から夕方までは、顧客企業の会社説明会のコーディネーターとして真面目に働いていた。

そして夕方からは、名古屋の就職情報会社としては歴史も実績もナンバーワンである名大社の山田社長とのサシの会食だった。

いや、会食といっても「世界の山ちゃん」ですが(笑)。

このころ僕らの業界は、2008年度下半期に突如として襲ってきたリーマンショックによって相当な痛手をこうむっていた。我がパフも、2009年の決算で大赤字に転落し、深い傷を負っていた。

名大社さんも例外ではなかったはず。山田さんが社長を引き継いだのはリーマンショック後の2010年で、まさに組織&事業改革を託されての社長就任だったに違いない。

いったん時間をその10年近く前まで巻き戻す。つまり西暦2001年~2003年のころ。

全国採用を行う顧客企業が多かったパフは、札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡の地方都市で、学生向けのイベントを開催していた。パフ創業5年前後のころで、売上げも右肩上がり。僕も若かったし、今思えばずいぶんとヤンチャで勢いがあったものだ(笑)。

しかし名古屋だけは、どうにもこうにも集客がうまくいかなかった。

「名古屋といえば名大社でしょ」

昔から名大社さんは、学生に対して大きな影響力をもつ会社として就職情報業界の中で有名な存在だった。

僕は直接、名大社さんに電話をし、名古屋でのイベント開催や学生への告知に関して協力を仰げないか打診してみた。

・・・しかし結果は「けんもほろろ」。つまり、まったく相手にしてもらえなかった(苦笑)。

まあ確かに地元就職を応援するのが名大社さんのミッションなのだから、全国採用企業を引き連れてのイベントへの協力など(しかも名も知れぬ創業したばかりの会社が唐突に申し入れたのだから)断られても仕方なかった。

そんな名大社さん。社長が交代し方針が大きく変わった。

全国の同業者ともコラボできるところとは積極的にコラボしていこうということになった。

当時キーカンパニーの下薗さんが事務局となって運営していた「ふるさと就職応援ネットワーク」(パフは幹事企業の1社)に名大社さんが加盟したのも、そんな方針転換のなかでの判断だった。

これが、名大社の山田社長と僕とが急接近し、「世界の山ちゃん」で会食するまでになった経緯である。

(今回はマラソンの話はまったく出てきませんでしたね、笑)