1980年代前半という時代
2018年4月12日 (木曜日)
NHK朝のテレビドラマ『半分、青い。』を毎朝、観ている。昨年の今ごろは『ひよっこ』にハマっていたのがもはや懐かしい(笑)。
このドラマの舞台は岐阜。ヒロインが生まれたのは大阪万博翌年の1971年なので、僕とは11歳違いということになる。ちょっと年の離れた妹っていう感じかな?
現在は、そのヒロイン楡野 鈴愛(にれの すずめ)が10歳。1981年。僕が20歳から21歳になる年だ。
この時代に流行ったテレビ(ザ・ベストテンとか)や唄(松田聖子や、もんた&ブラザーズとか)が出てくるのだけど、自分の学生時代を思い出しながら観ている。
僕が大学に在籍していたのが1980年4月~1984年3月(1983年1月からは90%社会人だったけどw)。この1980年代前半という時代には、濃密な思い出が詰まっている。
今のようにスマホなどで気軽に写真を撮れた時代ではなく、ましてや動画なんてまったくないので、思い出のほとんどはアタマのなかだけ。
なので、その思い出はどんどん自分のアタマのなかで美化されていく。
可愛かった女の子がより可愛いくなるのはもちろんだが、ブスな子(表現悪くてゴメン💦)でも、それなりの容姿に増幅されていく(笑)。
いま振り返ると、この時代に学生時代を過ごせて幸せだった。携帯もスマホもパソコンもネットもなかった。6畳一間の下宿には風呂もなくトイレは共同。決して便利な時代ではなかったけれど、そのぶん友人・先輩・後輩たちとの(男も女も含めての)泥臭い付き合いがたくさんあった。
あ、だめだ。書いていていろんな思い出が駆け巡ってきた。恥ずかしくなってきた。胸もキュンとしてきた。10分程度の日記でまとめることはできなそう。まだまだ青いな(*’ω’*)。
では、そんな青かった1980年代前半の秘蔵写真(昔、一瞬だけfacebookに載せて皆から大笑いされた)を最後に載せておくことにしましょうか(^^ゞ
ということで、本日も『半分、青い。』であの頃を思い出したうえで、35年後の現実の世界に行ってきます!
新本社事務所のサイン(看板)案ができました。
2018年4月11日 (水曜日)
一昨日の日記で「移転に関する話は(どうでもいい話も含めて)ネタがない日に、これからもお伝えしていこうと思います」と書いたのだけど、早速、本日はネタがない(というか、まだ書けない話ばかり)ので、移転後の新オフィスの看板(サイン)案でも載せておこう。
昨夜、オフィスレイアウトを担当しているパートナー会社さんからデザイン案がメールで送られてきたので、そのまま載せちゃおう。
どうですかね?
昨年、パフが発起人として立ち上げ、運営事務局を務めている「日本採用力検定協会」と「履修履歴活用コンソーシアム」も、加えたバージョンだ。
引いて見るとこんな感じ。
看板は大事なのだけど、周囲の意見をきいているとキリがないので社長に一任させてもらおうと思う。
移転まであと20日。来週からは段ボール詰めの作業が始まる。日常業務の多忙な時期と重なってしまったんだけど、皆さん頑張りましょう!
さて、きょうも日記ネタがなさそう。
明日は食べ物ブログでも書いてみようか(苦笑)。
では、ちゃちゃっと一仕事してから行ってきます!
社長面接ラッシュ
2018年4月10日 (火曜日)
パフ自身の新卒採用もいよいよ大詰めである。
先週は2名の社長面接、本日も1名の社長面接、明日以降も5名分の面接のための時間がセットされている。
あれ?うちって何名採用するんだっけ?
・・・・・・と、ふと思うのだけど、まあ細かいことは言うまい。いや、細かくはないんだけど(苦笑)。
でも、さすがにこれまでの面接や適性検査をみごとに通過してきたツワモノたち。面接をしていてなかなか楽しい。
僕の面接は、ただただ自分の話をしてもらう面接。自分が生まれてから今日までの人生を語ってもらう。
「へー、そうなんだー」「うん、それで?」「ほー、なるほどねー」
僕が喋ることといったら、それくらい。
なんて楽チンな面接なのだろう・・・と思ったら大間違い。
僕の右脳はその学生が生きてきたその時その時の姿をアタマのなかに映し出し、僕の左脳は映ったその姿を冷静に解析している。右脳も左脳もフル稼働しているのだ。
まあ、僕のアタマの回転速度はたいして速くないんだけど(苦笑)。
そして、人生を語ってもらった後は僕に質問をしてもらう。とことん質問してもらって、疑問や不安を解消してもらっている。
そんな社長面接なのだ。
面接時間は一人あたり約2時間。それでも足りないこともあって、応接室での面接が終わった後、外でご飯を食べながら延長戦を行うこともある。
昨夜、採用担当のイシガミに、「もし全員合格して、全員ともパフへの入社を希望したらどうする?給料払えるのかな・・・」と、社長らしからぬ質問をしたら、「大丈夫です。私が稼ぎますから!」と、入社2年目らしからぬ上からの答えが返ってきた(笑)。
いまから18年前。新卒一期生の採用枠は2名だったのに4名を採用した。17年前の新卒二期生も、2名の採用枠のところ5名を採用してしまった。
果たして歴史は繰り返すのか?
ということで、社長面接、本日も頑張ります(^_-)-☆
では、朝食後、あたまをスッキリさせるためのウォーキングで行ってきます!
あと3週間で茅場町を離れます。
2018年4月9日 (月曜日)
この日記にも以前書いたような気がするし、いたるところでちょこちょこ話しているので知っている人も多いと思うのだが、あらためて。
パフは今月末で現在の茅場町本社事務所を引き払います(^^)/~~~
あ、やっぱり半年くらい前の日記に書いていた。
昨年の10月12日の日記だ。⇒ 「事務所移転を計画してます。」
この日の日記をそのまま引用してみよう。
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そう、この茅場町の事務所そのものには不満はないのだが、このたび五番目の事務所を探すことにした。移転は来年の夏が来る前に完了させる予定だ。
なぜか。
まあ、その理由はまた今度。
さて、どこになるのだろうか。(この20年間はずっと中央区内の事務所だったのだが)中央区にこのままとどまるのか。他所の区に出ていくのか。いや、それ以前に東京都内なのか。まさか「奥茨城村に移転する!」なんて言い出したりはしないだろうかと社員は心配しているかも(笑)。
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なるほど、ずいぶんと思わせぶりなことを書いている(苦笑)。
お取引先様各位には来週末くらいに、ハガキやメールで移転案内が送られることと思うが、本日の日記でも(ちょっとフライング気味だけど)お知らせしておきましょう。
現在の茅場町での営業は、4月27日(金)をもって終了。
4月28日(土)~30日(月)が移転作業日。
5月1日(火)から、新本社事務所にて営業を開始します。
どこに移転するのか?
さすがに奥茨城村まで行く勇気はなく(笑)都内である。
しかし、ついに中央区を離れることになった。
創業から20年以上を過ごした中央区を離れるのに、ちょっとした寂しさもある。
が、もう決めた以上は引き返せない。
もったいつけてもしょうがないので明らかにしよう。
移転先は、千代田区である。
なんと、現在「職サークルセミナールーム」を設置しているところと同じ、九段下(正式な住所は飯田橋ですが)の精文館ビルである。
移転先のビルを探し始めて数週間もしないうちに、セミナールームのすぐ下の階のテナントが来年(もう今年ですが)の3月に退去する、という情報が入ってきた。
そのあと、正式にオーナーさんから借り増しの打診があり、ほぼ即決で本社を移転させることに決めた。まさに電光石火の早業である。
そもそも、僕が本社事務所を移転をしようと思ったイチバンの理由は、
「本社事務所と職サークルセミナールームが離れていることによって生じている非効率を改善したかったから」
そして
「両者を一緒のビルに持っていくことで、パフのすべての社員と職サークル会員学生との距離を近づけたかったから」
である。
なので当初は、本社事務所を移転すると同時に、職サークルセミナールームも移転させようと考えていた。
2か所を同時に移転させることになるのでコストは倍かかってしまうが、コスト以上のメリットがあると判断したのだ。
だから、職サークルセミナールームのある千代田区の精文館ビル(しかもセミナールームのすぐ下の階)に空室が出たことは願ったり叶ったり。移転コストも想定の半分以下になるわけだし。超ラッキーなことだったのだ。
でも今回の移転、僕にとっては一点だけデメリットがある。
それは、20年間続けてきた徒歩通勤ができなくなってしまうことだ(*´Д`*)。
いや、歩いて歩けないこともないのだが、たぶん現在の自宅からだと一時間くらいは優にかかる。それはさすがに・・・ね💦
この移転に関する話は(どうでもいい話も含めて)ネタがない日に、これからもお伝えしていこうと思います。
では、残り三週間となった徒歩通勤、本日も行ってきます!
・・・・・・と、書いた後に気が付いたけど、本日も某社の会社説明会コーディネートで、これから直接会場に直行しなければならないんだった。
電車が通勤ラッシュになるまえに、ちょっと早めに行ってきます!
危機一髪だった福岡の説明会
2018年4月6日 (金曜日)
昨日は、某社の会社説明会コーディネートin福岡。超満員の学生の参加申し込みだった。
パフからは説明会進行役としてのボクと、新人のイシカワが受付や(説明会後の)筆記試験の試験官役として応援にかけつけていた。
説明会の受付は朝の9時半から。僕らはそれまでに会場を設営するなど準備を整えなければならない。
通常は30分もあればできるのだが、初めて使う会場だったこともあり、イシカワには45分前(つまり朝8時45分)に会場に入るように指示していた。
で、僕が会場に入ったのは8時40分ころ(5分前行動です。えらいw)。
でもイシカワは、僕よりもさらに20分以上も早く会場に入っていた。なかなかやるじゃないか。
が、イシカワの様子がなんだかおかしい。
「資料がまだ届いてないんです」とイシカワは僕に告げる。
「なに!?」
資料というのは、学生に配布する会社案内や説明会につかう大事なワークシート、それから筆記試験のための問題冊子等々。150名分で段ボール6箱にもなる重要かつ大量の荷物なのである。
イシカワはそこから大活躍。某社に電話連絡し、宅配業者の名前、伝票番号などを確認。会場の警備員さんを通じて宅配業者に連絡を取り、荷物がまだ福岡の営業所に留め置かれていることを突き止めた。前日着指定だったにもかかわらず、宅配業者のミス(どうやら人手不足の問題らしい)で届けられていなかったのだ。
で、その宅配業者から「届けるのが10時になってしまう。取りに来てもらえればすぐに渡せるのだが……」と言われたとのこと。
「そんなバカなことあるか!」と僕は憤っていたのだが、すっかり騒ぎに巻き込まれていた会場の警備員さんが、「いや、その宅配業者の場所はここから歩いて行けるところですし、台車をお貸ししますんですぐに行きましょう。私も手伝いますんで」と申し出てくれた。
宅配業者の対応には納得できなかったものの一刻を争う事態だ。背に腹は代えられない。僕らは警備員さんの好意に甘えることにした。
イシカワと警備員さんは、荷物が留め置かれている営業所まで台車を転がして段ボール6箱を運んでくる。そして、そこから準備を開始し、間一髪、受付開始時間にはすべての準備を整えることが出来たのだった。
宅配業者の営業所が会場から近かったことと、会場の警備員さんがあり得ないくらい親切な人だったという、超ラッキーな偶然に救われた某社の説明会コーディネートの一日だったのだ。
あ、あと予定の集合時間よりもド早く会場に入っていたイシカワの素早い対応と脚力のおかげでもある。イシカワ、入社早々のお手柄だったね(^_-)-☆。
思わず長々と書いてしまったけど、地方で開催する説明会ではこういうこともあるので、事前準備と確認作業は怠りなく、という教訓でした。
さて、本日は2日ぶりに東京に戻る。週末も九州で過ごしたいところだが、本日はパフ自身の採用のための社長面接がセットされている。
ということで、後ろ髪をひかれながら空港に行ってきます!
わが良き友よ
2018年4月5日 (木曜日)
僕らが中学生のころ、かまやつひろしが歌って大ヒットさせた吉田拓郎作詞作曲の唄、「わが良き友よ」。
「下駄をならして奴がくる腰に手ぬぐいぶらさげて~」で始まる唄なのだが、僕はこの唄の終盤の歌詞がとても好きだった。
===
古き時代と人が言う
今も昔と俺は言う
バンカラなどと口走る
古き言葉と悔みつつ
アー友と よき酒を
時を憂いて飲みあかしたい
今も昔もこの酒つげば心地よし
===
この唄の歌詞が、年を取るにつれて染みてくる。
昨夜もそんな夜だった。
同年代の男と女。
同郷の地で酒を酌み交わしながら、ちょっと恥ずかしい思い出や今も変わらぬ純な気持ちを交換し合う。
わが古き、良き友ならではこその、なんの衒いも遠慮もなく語り合える夜だった。
お許しをいただいたので、その友の写真を特別に載せちゃいましょう(^^♪
ってーことで、本日はあっさりめの日記。
では、ホテルでの朝食後、福岡でのお仕事に行ってきます!
帰ってきた暑苦しい男
2018年4月4日 (水曜日)
いまからちょうど6年前(2012年3月30日)に「暑苦しい男」というタイトルの日記を書いていた。
この暑苦しい男と出会ったのは、さらに6年さかのぼる2006年の秋だったのだが、僕は彼のことをこんなふうに書いている。
===
ノブという暑苦しい男がいる。
最初に会ったのは彼が大学四年生のとき。もう六年前のことだ。
「クギサキさんが絶対気にいる男なので、ぜひ会ってみてください」と、かつて一度もそんなことを言ったことのなかったヨシカワが、珍しく熱くなりながら僕にそう言うものだから、半信半疑ながら会うことにした。
『どうせ、“俺はできるぜ”というオーラを出しまくっている自信満々の勘違い学生だろう』と、正直たいして期待していなかった。
しかし、会って10分もしないうちに僕は彼と意気投合し、おまけに思わず寿司までご馳走してしまい、別れるときには固い握手をしながら、「こいつとは一生付き合いたい」と思ってしまった。
なぜか。
説明するのも面倒なくらい暑苦しい男だったからだ。
(中略)
不思議な奴だ。ノブと話していると、つい釣られて、こちらも熱くなってくる。
でも、こういう若者がこれからの日本企業には必要だ。
たくさんいたら、それはそれで迷惑なのだが、10人にひとりくらいは、こういう暑苦しい男であってほしい。
===
なるほど(笑)。
で、この暑苦しい男ノブが6年ぶりに日本に帰ってきた。
彼は某総合商社に2007年に入社し、日本で5年勤務したのちタイ(バンコク)に飛んだ。タイで3年間勤務の後、カンボジア(プノンペン)勤務となってさらに3年を過ごしていた。この6年間、異国の地でたくさんの挑戦をしてきたのだという。
海外勤務は自分で希望してのことだったらしいのだが「もういいかげんアイツを日本に呼び戻せ」ということで、この4月から東京本社に戻ってくることになったのだ。
先日の彼のFacebookへの投稿でそれを知った僕は「で、いつ飲む?」というたった5文字の書き込みをしたところ、昨日の早朝突然「今夜はどうですか?」という連絡が入ったのだった。相変わらず暑苦しい奴だ(笑)。
茅場町の焼き鳥屋で自撮りツーショット(‘_’)
それにしても嬉しいね。
12年前の学生時代の付き合いがこうやって続いている(帰国後すぐに会いに来てくれた)こともそうだけど、その昔、僕が見込んだ以上に(暑苦しさを超えて)逞しい男に成長していたことが何より嬉しい。
ということでノブ、昨日は帰国早々(東京本社への着任早々)疲れていただろうに、わざわざ茅場町まで来てくれてありがとう!
次は九段下のパフ新事務所で会おう。昭和のカラオケスナックが近所にあるので、朝まで熱く歌いまくろうな(*^^)v
あ、記念に昨晩の写真を(暑苦しくてムサイ写真ばかりだけど)何点かアップしておきましょう。
さて、本日は午後から福岡に飛ぶ。
今夜は、別の意味で暑苦しい男とちょっと涼しい女と一緒に飲む予定。そして明日の夜は、本当に熱い地元の経営者と飲む予定だ。
いや、昼間はちゃんと仕事もしますけど(笑)。
では、2泊3日の出張準備をしてから行ってきます!