パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

10万円をどこでどう使おうか。

2020年5月28日 (木曜日)

昨日、我が家にもついに来ました。これ👇が。

特別定額給付金を申請するための書類です。全国民に10万円が一律に給付されるっていうあれですね。

フォークソング居酒屋開業(いつになるんだろうか…)のために、うん千万円単位の資金調達を目論んでいる身としては小さなお金だし、日々の暮らしに(今のところ)困っているわけでもないので「不要」って書いて送り返そうかと思っていたのですが考えが変わりました。

もらうだけもらって、パーッと使い切ることにします。経済を回すために。

問題はどこで使うか。何に使うか。

やっぱりこの自粛期間で売り上げが低迷してしまった飲食店で使うべきでしょうか。ミニシアターに行って映画を観まくるのもいいかもしれません。故郷に飛行機で帰って、旅館に泊まったり、みやげもの屋さんでたくさん買い物をするのもいいですね。

なにしろケチ臭く銀行口座に貯めこんだりせず、パーッと使っちゃいましょう。早いところ街に活気を取り戻さなきゃね。

さて、本日は会社に行く予定です。火&水は終日在宅だったのでカラダが鈍ってしまいました。朝食&エール後、60分のウォーキングで行ってきます!

さて、今朝の日記ネタはどうしたものか。

昨日の日記ネタだったFネット総選挙は終了し、次期幹事が無事に決定したのですが、新会長含め新しい執行体制が発足するのは来週末になるので、そのタイミングでまた書くことにしましょう。

ということで、今日はまた「新・パフの創業物語」を書こうと思って、原著である「パフの創業物語」をネットでググって取り出すことにしました。

「パフ 創業物語」でググると検索結果の先頭に表示されるのが20年前に書いた「パフの創業物語」です。先ほども同じようにググってみました。

すると「パフの創業物語」の何個か下に、「オプト創業物語 」という検索結果が出てきました。

ん?なぜオプトさんのコンテンツが上位に表示されるんだろう。創業物語というワードは確かに一致しているけれど……。

ちなみにオプト創業者の鉢嶺登さんと僕とは旧知の間柄で、パフの創業から3年間ほどは社外役員になってもらって、オプトの生きのいい若者に出向してもらったりもしていました。

でも、そんなことをGoogleの検索エンジンが知る由もなく。

不思議に思って、「オプト創業物語 」をクリックしてみました。

あー、なるほど、そういうことかあ。

鉢嶺さんも創業時のあれこれを物語として自社(オプトホールディングス)のホームページに載せているんですが、そこに僕のことも書いてくれていたんですね。

ちょっと引用してみましょう。

(引用元:オプトの歴史と逸話11 ~原宿オフィスと新卒採用へのこだわり~


1995年5月資本金300万円から

1000万円への増資をきっかけに
2つめのオフィス?!に移った。オフィスといっても、原宿の一軒家で、1階は韓国料理屋。
しかも、韓国料理屋の中階段を昇らねばオフィスには行けない。
家賃は20万円。
贅沢は言っていられない。(中略)

その年新卒採用を始めた。
まだ創業2年目で正社員は私含め3名だったが絶対欲しかった。
佐藤君や古谷君という学生バイトが優秀だったこともある。
有名な新卒採用媒体はコストもかかるし、大手企業に埋もれてしまう。

色々と手法を探していると、やはり創業間もないネット求人媒体を見つけた。
「登竜門」
と言う日本初とも言えるネット求人サイトであった
(責任者の釘崎さんはその後独立しパフという新卒採用媒体を立ち上げる。
http://www.puff.co.jp

その後はずっとパフを活用して良い人材を採用した。
パフは当時70社あまりの企業しか掲載されておらず、
しかも三菱商事やマクドナルド、講談社といった大手企業と
我々のような無名ベンチャー企業が一堂に会しており、
じっくり比較でき、優秀な学生を採用できたのだ。

その年、2名に内定を出した(星谷くんと小口さん)。
当社の新卒第1期生である。
内定を出すと、小口さんのお父様から連絡があり、
私との面談を希望された。
どうやら地方から出てきた娘さんが悪い人に騙されていると思われたようだ。
確かに韓国料理屋の2階事務所では不安になるのも致し方ない。
結局、面談をして事なきを得たが、
それから社長の私がご両親に逆に面談されるという風習?!は数年続くことになる。

それでも新卒採用にはこだわった。
特に社風を大切にする会社においては新卒がとても良いと思う。
何しろへんな固定概念がない。
真っ白なキャンバス。
俺はこんな会社を創りたいと言えば、
純粋にできると信じてくれ、
それに向かって一緒に走ってくれる。
そういえば、前職の森ビルも私が入社した当時は同様の理由で新卒採用のみだった。
周囲のベンチャーを見ても
早くから新卒採用している企業は伸びているように思う
のは気のせいだろうか。


なるほどねー、そういうことだったのか。鉢嶺さん、嬉しいじゃあないですか。

オプトのことや鉢嶺さんのことや登龍門のことは、僕の創業物語でももちろん出てきます。かなり後半の方ですが。

その時にまた詳しいことを語ることにいたしましょう。

では、本日も朝食&エール後・・・あ、きょうはこのあと面接です。準備しましょう。履歴書届いたかな?

きょうは選挙の開票日

2020年5月26日 (火曜日)

僕(パフ)が事務局を引き受けているFネット(ふるさと就職応援ネットワーク)には5名の幹事(うちひとりは会長)がいて、会の方針やルール・重要事項を決めながら運営しています。

この幹事の任期は2年間。来月(6月末)で任期満了となります。

で、いま次の幹事を決めるための「Fネット総選挙」を実施中でして、次期幹事に推薦された候補者10名のなかから5名を選出します。

👆投票画面です

 

加盟企業には2票(社長に1票、社員代表に1票)の投票権が与えられています。全加盟企業が権利行使してくれれば44票が投じられることになります。

実は本日がこの選挙結果を発表する日なのです。

昨夜をもって投票を締め切りました。あとは投票箱(アンケートシステムですがw)から票を取り出してカウントするのみ。

さて、どうなるんでしょうね。

ちなみに選出された幹事5名による新幹事会を来月中に開いて、次期会長を互選によって決めることになっています。

山田会長の再選はあるんでしょうか。でもその前に、幹事として選出されないといけないですからね。そういう意味では、今回の選挙は現会長の支持率を測る、という意味合いもありそうですw。

午前中に開票を終えて、お昼過ぎには加盟各社に選挙結果をお知らせする予定です。

Fネット加盟各社のみなさん、どうぞお楽しみに!

さて、本日僕は在宅勤務。お江戸日本橋から全国に開票速報をお届けしましょう。

では、朝食&エール後、開票します!

 

20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第5話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。


礼子ちゃんのおかげで自信を取り戻した僕は、以降の小学生時代をとても楽しく過ごしていました。

時が過ぎ、中学(湯布院中学校)に進学した僕は、入学式の初日に柔道部の門を叩きました。

この頃テレビで「柔道一直線」(桜木健一主演、近藤正臣が足でピアノを弾いたことで有名)が流行っており「強くなって黒帯を締めたい!」と単純に思ったのが入部のきっかけでした。

ブームだったこともあって4月には新入部員が30名ほどいたのですが、3ヶ月後に残ったのはわずか7名。

先輩に容赦なく畳に投げつけられる毎日に、ほとんどの連中は逃げ出すように退部していきました。

僕も毎日辛くて、辞めたいと思ったこともしばしばだったのですが、意外と負けず嫌いなところもあり、そのままズルズルと続けることになりました。「黒帯をいつかは締めたい!」という思いもかなり強かったのでしょう。

結果的に中学3年の夏の大会まで柔道を続けることになり、3年生の夏には昇段試験にも受かり、念願の黒帯(初段)を締めるまでになりました(初段の免状と黒帯を先生から受け取ったときには、ムッチャクチャ嬉しかったです)。

今では、お腹も胸もぜい肉だらけでプヨプヨしていますが、当時は結構逞しかったものです。

卒業記念に撮った柔道部の写真

ところで、中学生ともなると高校進学を前提とした勉強にも力を入れざるを得ない時期。我が湯布院中学校は、田舎の中学校でありながら学業指導にも熱心な学校でした(それが普通なんですかね)。

僕は柔道漬けの毎日だったため、家で勉強や宿題をやることは殆どありませんでしたが、それでもまー、授業中はちゃんと起きていたこともあってクラスでは2番か3番、学年では10番前後をキープしていたでしょうか。

自分では「我ながらよーがんばっちょる。こんくらいの成績やったら上出来じゃよ…」と思っていたのですが、学校の先生や母親は、そうは思ってくれなかったようで、 「お前なー、どしちもっと勉強せんのかのー。お前の兄ちゃんはのー、学年で1番以外取ったことなかったんぞ!」と、いつも口やかましく言われていました。

僕には5歳年上で「中学始まって以来の秀才」とまで言わしめた成績優秀な兄貴がいて、当時の学年主任や数学や英語など主要科目の先生の多くが、兄を教えた人だったんですね。

そんな秀才だった生徒の弟が入学してくるということで、先生たちの期待はずいぶんと大きかったようです。

折悪しく?そんな兄が、東大法学部に受かってしまったものだから、余計その期待は膨らんでいきました。

「おい、お前の兄ちゃんは東大ぞ!お前もがんばって東大めざさんか!」と母親や一部教師たち。

「うるせー、俺は俺じゃ!兄貴なんかと比べるんじゃねー。何が東大じゃ!」「お前らは兄貴の東大入学だけで満足しちょりゃ、それでいいんじゃ」と、僕の心の叫び。

なぜか学業の上ではかなり劣等感を抱いていた中学時代。普通なら誉められてもおかしくない成績だったのに、おかしなものですね。

おそらくこの中学時代に兄と比較された悔しさが、大学卒業後に普通の進路を選択しなかった僕の生き方に繋がっているような気がします。

(つづく)


そういえば先週放送の「エール」に、桜木健一が登場していました。スランプに陥っている主人公(窪田正孝)に気づきの一言を語るレコード会社の録音技師として。ほんの数十秒の出演だったんですが感激しました。桜木健一、もう72歳なんですねえ……。

さて、本日は在宅勤務の予定だったんですが、会社に置いてある資料を取りに行かねばなりません。今週は月末なので、郵便受けには請求書もぼちぼち届き始めるころですしね。ついでに経理担当者宅までお届けすることにしましょう。

では朝食&エール後、きょうは自転車で行ってきます!

 

行きつけのお店を応援しよう!

2020年5月22日 (金曜日)

お客さんや仲間たちと、よく行く食べ物屋さんが何軒かあります。

僕は食べ物ブロガーとはちがって、たくさんのお店を開拓するのは苦手です。

でも、そのぶん気持ちの通じる店長やオーナーが経営するお店には、足しげく通っています。

このお店もそのひとつです。

 

 

東京大神宮のすぐそばにあるイタリアンレストラン、シンチェーロさんです。

もうずいぶん前になりますが、このお店のすぐそばに事務所を構えていた今野さん(株式会社GOODandMORE社長)に教えてもらったお店です。

パフが現在の事務所に移転した2年前からは、僕の行きつけ&お気に入りのお店になりました。美味しいワインを飲みながら少人数で語り合いたい夜などはよく利用しています。

でも、外出自粛となったこの2か月はパッタリと行けなくなってしまいました。

ところが、今野さんがつい先日このお店のことをFacebookでご紹介していました。


当面の間、ランチとテイクアウトの店として営業している。
テイクアウトは・・・
・12:30までの予約で14:00までのお渡し
・16:00までの予約で17:00~20:00のお渡し
なんだって。


 

わ、そうだったのか、これは行かねば!

ということで、昨日出社していた社員たちにも声をかけてテイクアウトのランチをオーダーしたのでした(なんと全9名の社員から手が挙がりました。ランチを食べるために出社した社員もいるのではないかという疑惑もw)。

食べたランチがこれ。

ホサカ撮影

写真ではよく分からないと思いますが、パスタとミートボールとサラダとパンとデザート(苺とケーキ)のセット。ボリューム満点でとっても美味しかったです。

これで料金はリーズナブルな1,100円(税込み)。

いいでしょ?

九段下、飯田橋界隈でお仕事をしてらっしゃる方は、ぜひご利用ください!

昨日出社していなかった経理担当者が「私も食べたい!」というので、僕は今日も二日連続でのパスタランチになりそうです💦

さて、本日は銀行との電話打ち合わせ、顧問税理士さんとの2か月ぶりの対面打ち合わせ、採検理事陣とのオンライン打ち合わせなどが立て込んでいます。在宅でも出来るんですが、ランチを食べるためには出社ですね。

では、朝食&エール後、行ってきます!

 

20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第4話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。


湯布院の冬はホントに寒い。12月頃でも、雪の降る日は珍しくありませんでした。

その事件当日も前日にまとまった雪が降り、登下校途中の道路には雪がたくさん積もっていました。

クラスの仲間とうち解けることのできなかった僕は、その日も学校が終わると、ひとりトボトボと家に続く一本道を歩いていました。

ぼーっと歩いていた僕の背後に人の気配を感じたと思った瞬間、うしろ襟をグイッと引っ張られて冷たいものが背中に流し込まれていきました。

一瞬、何が起こったのか分からず振り向くと、そこには図体のでかい、いわゆるいじめっ子ども数名が卑猥な笑いを浮かべながら、さらに大きな雪の固まりを僕の襟首めがけて執拗に放り込もうとしています。

泣き叫びながら必死に抵抗するのですが、多勢に無勢、攻撃の手はいっこうに緩みません。

僕は悲しいのと悔しいのと冷たいのとで、相当な混乱状態だったと思います。

と、その時です。

「やめなさいよー!」と、ひとりの女の子が、そのいじめっ子どもに飛びかかっていったのです。

「あんたたち、なにしよんの!」「こげんこつして、ひでーと思わんのかい!」「先生にいうちゃるけんね!」

と、いじめっ子どもを睨み付け、見事に蹴散らしてくれたのです。

その女の子は、同じクラスの「礼子ちゃん」。

礼子ちゃんのイメージイラスト(フリー素材)ですw

 

この時まで一度も口をきいたこともなかった女の子でした。

彼女は、いじめっ子を追っ払った後、「くぎさきくん、いっしょに帰ろう!」と言って僕の手を握り、家まで送っていってくれました。

礼子ちゃんとその日の帰り道に交わした会話は、残念ながら思い出すことが出来ないのですが、礼子ちゃんのいじめっ子に放った威勢のいい啖呵と、手をつないだ横から見る礼子ちゃんの可愛い横顔(透き通るような白い肌と、大きい瞳、小さい唇…)は、33年経った今でもハッキリ覚えています。

唯一、礼子ちゃんから言われたことで覚えているのが「負けちゃ駄目!」という言葉でした。

翌日から、クラスに礼子ちゃんという味方がいるということだけで、自然と勇気が湧いてきて、徐々に「暗黒の小学校一年生」を脱却することになりました。

 

初めての春休みを経て、2年生の始業式の日のことです。

クラス替えが行われ、指定された教室に入って真っ先に礼子ちゃんを探したのですが、礼子ちゃんの姿はどこにもありませんでした。

「何組になったんだろう……」と、他のクラスをのぞきに行っても礼子ちゃんは見あたりません(当時は1学年3クラス編成でした)。

意を決して、「先生、1年2組だった礼子ちゃんは、今度は何組になったん?」と聞いてみたら、ショッキングな答えが返ってきました。

「礼子ちゃんはな、お父さんの仕事の関係で、湯布院を引っ越したんよ」

礼子ちゃんのお父さんは、湯布院の駐屯地に勤める自衛官だったのです。自衛官は転勤が多く、別の部署に異動になったとのことでした。

ほんの数ヶ月しか顔を合わせることのなかった礼子ちゃん。でも間違いなく、ずーっと僕の心に残り続けています。

「弱きを助け強きを挫く」という言葉や「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が本などに出てくるたび、礼子ちゃんの威勢のいい啖呵を思い出し、少しだけ胸がキュンとしてしまいます。

(つづく)


 

この回を書いたとき(西暦2000年8月でした)の読者の反響は大きくて「礼子ちゃんを探せ!」というプロジェクトが作られたほどでした。

でも、結局は見つからず……。

上の物語では「礼子ちゃん」となっていますが、ひょっとしたら「令子」や「玲子」という字だったかもしれません。

なにしろ小学校1年生のころのお話。あれからすでに53年もの年月が過ぎようとしています。6~7歳だった礼子ちゃんも、もう還暦を迎えてしまうわけですが、僕の中ではいつまでもイメージ画像の可愛い女の子なのであります(#^^#)。

さて、本日は寒いですね。朝食&エール後、上着を羽織って久々に会社に行ってきます!

よのなかには、評論家や批評家という人たちがたくさんいます。ネットやSNSが普及した現代では、新聞や雑誌への寄稿だけでなくブロガーとして活躍してらっしゃる方も多いですね。僕の身近にも「食べ物ブロガー」と称して名古屋・伏見界隈で暗躍している人もいます。

食べ物ブロガーはともかくとして、批評家の皆さんは世の中で話題になっている様々なことに対して、ときとして痛烈な(あるいは茶化すような)評論をおこなって読者の支持を集めようとします。僕もたまに目にしますが、ブログだけで有名になっている人たちの文章力はすごいなと感心することも多いです。

そんな有名な批評家(ただしくはブロガーなのかな?)のお一人が、とある自治体の涙ぐましい努力をtwitterで小ばかにしているのを先日たまたま見かけました。

僕は、10年くらい前まではtwitterもよく使っていたのですが、最近は宣伝で使う以外はほとんど見ていません(無責任な投稿を見ていると気持ち悪くなるのでw)。

ところが、先週の日経電子版に載った記事(僕が深くかかわっている団体に関する記事)がtwitterで話題になっているというので(そのことはまたいずれご紹介しますね)、その小ばかにした投稿を目にしてしまったというわけなんですね。

その小ばかにされた「自治体」というのが僕の故郷であり、友人が勤務しているところでもあったので、僕もちょっとムッとして、その批評家に以下のような注意文を投稿しました。

 

 

小ばかにした発言はほんの一言だったんですが、かなり有名なブロガーでフォロワーもたくさんいることから、リツイートやコメントが繰り返されていて、その自治体の方々がほんとうに可哀想に思えてきたわけなんです。なので、僕の投稿で少しは鎮まってくれたらなと期待していたんですが……。

数時間後、どうなったのかなと先の投稿を覗こうとしたら、以下の表示がされてビックリしました。

 

あちゃ~。なんとブロックされており、投稿を見ることができなくなってしまっていました。ブロックされたことなんて今まで一度もなかったので、軽いショックを受けた次第です。

まあ、批評家という仕事がら、権力者(自治体が権力者かどうかは??ですが)のことを批判するのは仕方ないとは思うんですが、その批評を逆に読者から批判されることくらい覚悟してほしいものです。「言い逃げ」っていうのはどうもいただけません。世の中ではそういう人のことを「卑怯者」って言うんですよね。自分のアタマで考えればわかっていただけると思うんですけどね💦

ということで、今朝は、批評家を批判してみました。僕も批判されちゃうかな?

さて、僕は本日も在宅勤務です。郵便受けが満杯にならないかちょっと心配なので、明日は会社に行かなきゃな。

では、朝食&エール後、仕事します!