自転車操業物語の続きをどうする?
2018年4月17日 (火曜日)
先日の社長面接の際、ある学生から聞かれた。
「自転車操業物語の続きは書かないんですか?」
そうだった。
自転車操業物語。正式な名前は「パフ涙の自転車操業物語」。
パフを創業した日(1997年12月12日)から新卒一期生が入社する直前の2001年始めまでの、約3年間の悪戦苦闘ぶりを振り返りながら書き綴った物語である。
当時の学生向けメルマガのコンテンツとして毎週1話を書いていた。
が、第96話の執筆をもって、突然、断筆してしまっている。
何があったのか。
断筆したのはたぶん2004年の春。当時の新入社員(まだ内定者だったかな?)からの評判がとても悪く「あんなコラムを書くのはやめてほしい」というクレームがあり、気の弱い僕はその声に抑え込まれて断筆してしまったのだ。
「ほとぼりが冷めたころにまた再開すればいいや」と思っていたのだが、あれから14年以上が経ってしまった。
最後の執筆となった第96話では、なんと当時大学3年生だったタシロ(コラムの中ではT君)のことを書いていた。
まだパフに応募する前の、イチ学生だったタシロが書いたコラムを紹介した「番外編」。興味のある人はこちらをクリックしてお読みください⇒ 第96話 「変な就職講座“つきしま村塾”」(番外編)
この第96話の最後、僕はこう結んでいる。
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以上、T君のコラムでした。
次回は、また2001年1月に戻ります!(…つづく)
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そう、「つづく」と書いているのだ。この回を書いたときには自分でもまだ断筆することを決めていなかったんだな。
で、学生からの質問「自転車操業物語の続きは書かないんですか?」への回答。
「うーん、書きたいのは山々だけど、もはや当時のことを思い出すのが難しいんだよねえ……」
とは言ったものの、新卒一期生が入社したころのパフ。刺激的な毎日だった。断片的にだが、ちゃんと覚えている。
さて、どうするか。
そういえば、このころ(2001年あたま)から僕はブログ(釘さん日記)を書いていたのだが、そのブログも「サーバーの容量を増やす」という大義名分のもと、当時のシステム管理者に削除されてしまった。たぶん磁気テープか何かに保管されていると思うのだが、見つけることが出来ないでいる。
せめて昔のブログが見つかれば、続きを書くことが出来るのだが。
マツモトさん、何とか見つけ出せないですかね?
・・・てなことで、社内への呼びかけで終わる本日の日記でした(^^;
さて、本日は雨が降るらしい。気温も低め。フードが付いたランニング用のウィンドブレーカーを羽織って行ってきます!
新しいメガネをつくった日
2018年4月16日 (月曜日)
僕が今かけているメガネ。いつ作ったんだろう。いつからかけているんだろう。
なかなか思い出せない。
ためにしに「釘さん メガネ」でググってみた。
おお、出てきた!
「丸めがねデビューの日」2013年1月15日 (火曜日)
という日記をちゃんと書いていたのだ。
そうか、5年前だったのか。
ご丁寧にこんな自撮り写真まで載せていた(@_@)。
このメガネに替えた時、周囲の反応は冷ややかなだったような記憶がある。
いや、冷ややかというか、みんな必死に笑いをこらえていたような感じだったかな”(-“”-)”
最近さらに老化が進んできており、このメガネも合わなくなってきた。
で、あらたに遠近両用のメガネをつくることにした。
昨日、日本橋の某メガネ屋さんに行き、視力検査をしてもらい、レンズを慎重に選んだ。PCやスマホを見ることも多いので、ブルーライトカットの加工もしてもらうことにした。
そして最後に、フレームも一新。新しいものを選んだ。
出来上がりは今度の日曜日。来週の月曜日の日記で、また記録に残すことができそうだ。
それにしても、日記(ブログ)って便利なものだ。「釘さん」+「○○○」で、過去自分が関わってきたことが検索されて出てくる。
たとえば明後日、仙台に出張するのだけど、「釘さん 仙台」で検索すると、仙台のことを書いた過去の日記(コラムも含む)が7つも出てきた。
東北大出身の新卒二期生(2002年入社)のキミワダを国分町で面接したときの話なんかも出てきて笑える。
「くだらない」「手抜きだ」「もっとマジメなことを書け!」という批判も少なからずあるこの日記なのだが、日常のあれこれを書き残しておくことの意味を感じる(笑)。
さて、それはともかく。問題は新しくなったメガネ。来週出来上がったときに批判されなきゃいいんですけどね(#^^#)。
では、今週いっぱいは5年間かけ続けた丸メガネで、行ってきます!
またもや日帰りで名古屋に行ってきます!
2018年4月13日 (金曜日)
いま朝の6時。いつもなら顔を洗って髭を剃り終えて、朝のニュースを見ながらボーっとしている時間だ。
が、きょうはもうすぐ出なければならない。
うっかりしていた。これから名古屋に行かねばならなかったのだ。つい数週間前に行ったばかりなんだけど💦
ということで、いつものようにボーっとしているわけにはいかない。悠長に日記を書いている場合でもない。
きょうは名古屋の愚か者たちに僕が行くことを伝えていない。夜の7時には別件の用事が東京であり、仕事が終わったらすぐに帰りの新幹線に飛び乗らねばならないからだ。愚か者たちに待ち伏せされないように気をつけなければ(;^ω^)。
では、本日は(も?)中身のない日記でゴメンナサイ。新幹線に乗り遅れないように、大急ぎで行ってきます!
1980年代前半という時代
2018年4月12日 (木曜日)
NHK朝のテレビドラマ『半分、青い。』を毎朝、観ている。昨年の今ごろは『ひよっこ』にハマっていたのがもはや懐かしい(笑)。
このドラマの舞台は岐阜。ヒロインが生まれたのは大阪万博翌年の1971年なので、僕とは11歳違いということになる。ちょっと年の離れた妹っていう感じかな?
現在は、そのヒロイン楡野 鈴愛(にれの すずめ)が10歳。1981年。僕が20歳から21歳になる年だ。
この時代に流行ったテレビ(ザ・ベストテンとか)や唄(松田聖子や、もんた&ブラザーズとか)が出てくるのだけど、自分の学生時代を思い出しながら観ている。
僕が大学に在籍していたのが1980年4月~1984年3月(1983年1月からは90%社会人だったけどw)。この1980年代前半という時代には、濃密な思い出が詰まっている。
今のようにスマホなどで気軽に写真を撮れた時代ではなく、ましてや動画なんてまったくないので、思い出のほとんどはアタマのなかだけ。
なので、その思い出はどんどん自分のアタマのなかで美化されていく。
可愛かった女の子がより可愛いくなるのはもちろんだが、ブスな子(表現悪くてゴメン💦)でも、それなりの容姿に増幅されていく(笑)。
いま振り返ると、この時代に学生時代を過ごせて幸せだった。携帯もスマホもパソコンもネットもなかった。6畳一間の下宿には風呂もなくトイレは共同。決して便利な時代ではなかったけれど、そのぶん友人・先輩・後輩たちとの(男も女も含めての)泥臭い付き合いがたくさんあった。
あ、だめだ。書いていていろんな思い出が駆け巡ってきた。恥ずかしくなってきた。胸もキュンとしてきた。10分程度の日記でまとめることはできなそう。まだまだ青いな(*’ω’*)。
では、そんな青かった1980年代前半の秘蔵写真(昔、一瞬だけfacebookに載せて皆から大笑いされた)を最後に載せておくことにしましょうか(^^ゞ
ということで、本日も『半分、青い。』であの頃を思い出したうえで、35年後の現実の世界に行ってきます!
新本社事務所のサイン(看板)案ができました。
2018年4月11日 (水曜日)
一昨日の日記で「移転に関する話は(どうでもいい話も含めて)ネタがない日に、これからもお伝えしていこうと思います」と書いたのだけど、早速、本日はネタがない(というか、まだ書けない話ばかり)ので、移転後の新オフィスの看板(サイン)案でも載せておこう。
昨夜、オフィスレイアウトを担当しているパートナー会社さんからデザイン案がメールで送られてきたので、そのまま載せちゃおう。
どうですかね?
昨年、パフが発起人として立ち上げ、運営事務局を務めている「日本採用力検定協会」と「履修履歴活用コンソーシアム」も、加えたバージョンだ。
引いて見るとこんな感じ。
看板は大事なのだけど、周囲の意見をきいているとキリがないので社長に一任させてもらおうと思う。
移転まであと20日。来週からは段ボール詰めの作業が始まる。日常業務の多忙な時期と重なってしまったんだけど、皆さん頑張りましょう!
さて、きょうも日記ネタがなさそう。
明日は食べ物ブログでも書いてみようか(苦笑)。
では、ちゃちゃっと一仕事してから行ってきます!
社長面接ラッシュ
2018年4月10日 (火曜日)
パフ自身の新卒採用もいよいよ大詰めである。
先週は2名の社長面接、本日も1名の社長面接、明日以降も5名分の面接のための時間がセットされている。
あれ?うちって何名採用するんだっけ?
・・・・・・と、ふと思うのだけど、まあ細かいことは言うまい。いや、細かくはないんだけど(苦笑)。
でも、さすがにこれまでの面接や適性検査をみごとに通過してきたツワモノたち。面接をしていてなかなか楽しい。
僕の面接は、ただただ自分の話をしてもらう面接。自分が生まれてから今日までの人生を語ってもらう。
「へー、そうなんだー」「うん、それで?」「ほー、なるほどねー」
僕が喋ることといったら、それくらい。
なんて楽チンな面接なのだろう・・・と思ったら大間違い。
僕の右脳はその学生が生きてきたその時その時の姿をアタマのなかに映し出し、僕の左脳は映ったその姿を冷静に解析している。右脳も左脳もフル稼働しているのだ。
まあ、僕のアタマの回転速度はたいして速くないんだけど(苦笑)。
そして、人生を語ってもらった後は僕に質問をしてもらう。とことん質問してもらって、疑問や不安を解消してもらっている。
そんな社長面接なのだ。
面接時間は一人あたり約2時間。それでも足りないこともあって、応接室での面接が終わった後、外でご飯を食べながら延長戦を行うこともある。
昨夜、採用担当のイシガミに、「もし全員合格して、全員ともパフへの入社を希望したらどうする?給料払えるのかな・・・」と、社長らしからぬ質問をしたら、「大丈夫です。私が稼ぎますから!」と、入社2年目らしからぬ上からの答えが返ってきた(笑)。
いまから18年前。新卒一期生の採用枠は2名だったのに4名を採用した。17年前の新卒二期生も、2名の採用枠のところ5名を採用してしまった。
果たして歴史は繰り返すのか?
ということで、社長面接、本日も頑張ります(^_-)-☆
では、朝食後、あたまをスッキリさせるためのウォーキングで行ってきます!
あと3週間で茅場町を離れます。
2018年4月9日 (月曜日)
この日記にも以前書いたような気がするし、いたるところでちょこちょこ話しているので知っている人も多いと思うのだが、あらためて。
パフは今月末で現在の茅場町本社事務所を引き払います(^^)/~~~
あ、やっぱり半年くらい前の日記に書いていた。
昨年の10月12日の日記だ。⇒ 「事務所移転を計画してます。」
この日の日記をそのまま引用してみよう。
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そう、この茅場町の事務所そのものには不満はないのだが、このたび五番目の事務所を探すことにした。移転は来年の夏が来る前に完了させる予定だ。
なぜか。
まあ、その理由はまた今度。
さて、どこになるのだろうか。(この20年間はずっと中央区内の事務所だったのだが)中央区にこのままとどまるのか。他所の区に出ていくのか。いや、それ以前に東京都内なのか。まさか「奥茨城村に移転する!」なんて言い出したりはしないだろうかと社員は心配しているかも(笑)。
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なるほど、ずいぶんと思わせぶりなことを書いている(苦笑)。
お取引先様各位には来週末くらいに、ハガキやメールで移転案内が送られることと思うが、本日の日記でも(ちょっとフライング気味だけど)お知らせしておきましょう。
現在の茅場町での営業は、4月27日(金)をもって終了。
4月28日(土)~30日(月)が移転作業日。
5月1日(火)から、新本社事務所にて営業を開始します。
どこに移転するのか?
さすがに奥茨城村まで行く勇気はなく(笑)都内である。
しかし、ついに中央区を離れることになった。
創業から20年以上を過ごした中央区を離れるのに、ちょっとした寂しさもある。
が、もう決めた以上は引き返せない。
もったいつけてもしょうがないので明らかにしよう。
移転先は、千代田区である。
なんと、現在「職サークルセミナールーム」を設置しているところと同じ、九段下(正式な住所は飯田橋ですが)の精文館ビルである。
移転先のビルを探し始めて数週間もしないうちに、セミナールームのすぐ下の階のテナントが来年(もう今年ですが)の3月に退去する、という情報が入ってきた。
そのあと、正式にオーナーさんから借り増しの打診があり、ほぼ即決で本社を移転させることに決めた。まさに電光石火の早業である。
そもそも、僕が本社事務所を移転をしようと思ったイチバンの理由は、
「本社事務所と職サークルセミナールームが離れていることによって生じている非効率を改善したかったから」
そして
「両者を一緒のビルに持っていくことで、パフのすべての社員と職サークル会員学生との距離を近づけたかったから」
である。
なので当初は、本社事務所を移転すると同時に、職サークルセミナールームも移転させようと考えていた。
2か所を同時に移転させることになるのでコストは倍かかってしまうが、コスト以上のメリットがあると判断したのだ。
だから、職サークルセミナールームのある千代田区の精文館ビル(しかもセミナールームのすぐ下の階)に空室が出たことは願ったり叶ったり。移転コストも想定の半分以下になるわけだし。超ラッキーなことだったのだ。
でも今回の移転、僕にとっては一点だけデメリットがある。
それは、20年間続けてきた徒歩通勤ができなくなってしまうことだ(*´Д`*)。
いや、歩いて歩けないこともないのだが、たぶん現在の自宅からだと一時間くらいは優にかかる。それはさすがに・・・ね💦
この移転に関する話は(どうでもいい話も含めて)ネタがない日に、これからもお伝えしていこうと思います。
では、残り三週間となった徒歩通勤、本日も行ってきます!
・・・・・・と、書いた後に気が付いたけど、本日も某社の会社説明会コーディネートで、これから直接会場に直行しなければならないんだった。
電車が通勤ラッシュになるまえに、ちょっと早めに行ってきます!