のどぐろは美味しいのだ
2012年1月18日 (水曜日)
昨夜は、創業来の同志であり、ナンバーワン取引客でもある2名といっしょに銀座で食事をした。
入った店が「のどぐろ」の専門店。
のどぐろのことをwikipediaで検索してみた。次のように解説されていた。
アカムツ(赤鯥、学名:Doederleinia berycoides)とはスズキ目スズキ亜目ホタルジャコ科に属する魚類である。別名、ノドグロ(喉黒)。
スズキ科とする分類もある。分布は太平洋西部。日本から東南アジア、オーストラリアまで。水深100 – 200mに生息する。
全長約40cm。体型は楕円形で、側偏する。背側の体色は赤紅色で、腹側は銀白色。櫛鱗をもつ。口の奥が黒いので、「ノドグロ」の名がある。
佐渡、能登、山陰では高級魚として扱われ、島根県浜田市では「ノドグロ」の名称で市の魚にも指定されている。上品な味わいで、焼いても煮ても美味。
まあ、つまり、美味しい魚なのだ。
本日の日記は、「美味しいのどぐろを食べたんだぞ。いいだろ^^」という自慢であり、備忘録である。
ただそれだけ(笑)。
美味しいものを食べられるというのは実に幸せなことだ。生きていることに対して理屈抜きに感謝できる。嫌なこともすべて忘れられる。
ああ、楽しかった。
さて、本日の夜は、久々の「職学校ライブ」である。本日のテーマは「営業」。営業の仕事について、50名の学生たちの前で、営業職を経験してきた職サークル協賛企業のパネリストたちと語り合う。どんな話の展開になるか楽しみだ。
では、またもや寒い朝。マフラーを首に巻きつけて行ってきます!
うまれよ塾 on No Working No Life Weeksだった日
2012年1月17日 (火曜日)
昨夜は17時半から久々の『うまれよ塾』だった。今シーズン初めての開催である。
うまれよ塾を最初に実施したのは1998年末~1999年春にかけて。西暦2000年の就職を目指していた当時の大学3年生が対象だった。もう13年前。今シーズンのうまれよ塾で、14年目を迎えたことになる。パフでいちばんの長寿イベントだ。
ただ、今シーズンのうまれよ塾は、いつもと違うことがある。
職サークル協賛企業の人事担当者が、模擬面接の面接官として特別に参加していることだ。
昨日から来週の金曜日まで、No Working_No Life_Weeks というキャンペーン(例えて言うならば交通安全週間のようなもの)が実施されている。この2週間は、職サークル協賛全社が“一斉”に、各社各様の「若者の成長機会を創出する取り組み」を行うことになっているのだ(詳細は上のリンクをクリックしてみてください)。
その取り組みのひとつとして、僕が毎年ひとりで行っているこの「うまれよ塾」を、この2週間は協賛企業の方々に協力してもらいながら実施することにしたのだ。
場所は、パフの小さなセミナールーム。参加学生は8名(部屋の広さの関係で毎回少人数での開催なのだ)。
いやー、自分で言うのもなんだが、良かったなあ。
良さの原因は何か。
協賛企業の人事担当者2名(レリアンの飯野課長とKYBの渡辺課長)に加わっていただいたことにその半分はある。
そして残り半分は、学生諸君のひたむきな姿勢だ。
本物の人事担当者の面接はやっぱりスゴイ。面接後のフィードバック(良かった部分と改善ポイントを個々に伝えてあげた)が、ものすごく的確だった。
そして学生諸君のひたむきで前のめりな姿勢。彼ら・彼女らの期待に応えなければと、こちらも次第に熱が入っていくのがわかった。
僕自身、最近ちょっと憂鬱なことがあったのだが、それがものの見事に、昨夜のうまれよ塾で吹き飛んで行った。
参加してくれた学生諸君、協力してくださった飯野さんと渡辺さんに感謝しなければならない。
みなさん、昨夜は本当にお疲れ様でした&ありがとうございました!
さて、本日もNo Working_No Life_Weeks の取り組みの一つとして、とある企業の採用責任者と僕との対談を、学生の前で公開形式で行う。この数年やってきて、毎年好評な企画なのだ。担当者によると、今年はグループワークも織り交ぜるらしい。なかなか凝ったプログラムだ。
では本日も、寒さに負けずに行ってきます!
五郎さんに共感して涙した週末
2012年1月16日 (月曜日)
ドラマ「北の国から」のことを好きな人はたくさんいると思う。僕もそのひとりだ。
連ドラが放映されていたのは、1981年の10月から1982年の3月にかけて。僕が大学2年生のときなのだが、バイトやサークルに明け暮れていた僕は、ほとんど観ることがなかった(この頃ってビデオレコーダーなんてまだない時代だかから、放送時間に「ブラウン管」の前にいなければならなかったのだ)。
僕が真剣に観るようになったのは、1983年以降のスペシャル番組から。そして、大ファンになったのは、「'87初恋」というスペシャルドラマからだった。この頃にはビデオレコーダーも普及しており、何回も何回も繰り返し観るようになる。連ドラ時代の再放送やビデオも、何回も観るようになった。
当時僕は20代。だから、五郎さんよりも純や蛍のほうに年齢が近い。親世代への反抗、親からの自立など、共感する部分がたくさんあった。
この週末、久々に、80年代のシリーズを見返した。なんと6本ものDVDを、土曜の夜からぶっ通しで観たのだ。30年~20年もの昔のドラマなのだが、これっぽちも飽きることがない。それどころか、感動のあまり涙してしまった。
10歳そこそこの純と蛍が、どんどん成長していく。子供が少年と少女に。そしていつしか、大人の男と女に成長していく。一方で、五郎さんはどんどん年老いていく。10年の歳月は、かくも子どもと親と、その関係を変えていくものなのか。
20年前は、純と蛍の気持になりながらドラマを観ていた僕なのだが、いまは完全に五郎さんの気持になって観ている。そして、「純の根性なし!」 「蛍、なんでもっとお父さんに優しくできないんだ!」と、心の中で叫びながら、そして切なくなりながら、ドラマを観ていた。
いやあ、それにしても凄いドラマだ。10年経っても20年経っても、色褪せることなく語り継がれていくドラマだ(って、初回連ドラの放送から、すでに30年以上が経っているわけだからね)。
さあ、来週以降は、「'95秘密」、「'98時代」、「2002遺言」を観なければ。
シリーズの中で、僕が最も秀作だと思っているのは、なんといっても「'98時代」だ。慌てる必要はない。ゆっくりできる週末を選んで、じっくり鑑賞することにしよう。
ああ、青春
2012年1月13日 (金曜日)
昨夕は、パートナー企業の社長であるTさん(あえてイニシャル)と、真面目な打ち合わせ。そして夜は引き続き、Tさんとサシで新年会。
焼酎のお湯割りを酌み交わしながら、昭和の匂いがぷんぷん漂う、茅場町の老舗の焼鳥屋で語り合っていた。
Tさんは先日、息子さんが成人式を迎えた。僕も先日、娘が成人式を迎えた。
ということで、最初は自分たちの息子・娘の話が中心だったのだが、そのうち、「では自分たちの成人式の頃はどうだったか」という話題に移っていった。
いやあ、面白かった。
Tさんの青春時代。まさに、昔の青春映画や青春小説に出てくるような物語がたくさん。
いろいろあるのだが、やっぱり「下宿」での話が面白い。
昔の下宿っていうのは、だいたい二階建て。一階には大家のお婆ちゃんが一人で暮らしており、何部屋かある二階の一室(だいたい四畳半~六畳)を借りる。隣の音は筒抜け。テレビやラジオの音はもちろん、鉛筆が転がる音まで聞こえてくる。トイレは共同。風呂は外の銭湯を使う。
そんななんとも不便な環境で、地方から上京してきた当時の貧乏学生たちは暮らしていた。もちろん僕もTさんも。
この下宿を舞台に、数々の青春ドラマが繰り広げられたわけなのだが、そんな話で昨夜は盛り上がっていた。詳細(不意の先生の来訪に、彼女を押し入れに隠したTさんの話とか!)は一切書けないけど、まさに、「ああ、青春」なのだ。いろんなエピソードをまとめると、一冊の小説が書けるかもしれないな(笑)。
さて、今朝も寒い(>_<)。
吉永小百合の「寒い朝」でも聞きながら会社まで行くかな。
では、行ってきます!
山本五十六のことを「どげえするんか?」で書いた日
2012年1月12日 (木曜日)
毎月10日を発行日として、パフ/マジックドラゴンのメルマガを、社会人向け(企業の人事担当者を中心に数千名)に配信している。
そのなかで僕は、「どげえするんか?」というコラムの執筆を担当している。今月の配信で、もう58回になってしまった。
メルマガのコラムなので、SNSやブログの記事と違って、読者の反応が見えにくい。毎回ネタ探しに苦労している割には、ちょっと報われない執筆なのだ(苦笑)。
このコラム、(朝ちょっと日記を執筆する時間がないということもあり)最新のものをコピペしておこうと思う。
今回のコラムの題材は、山本五十六。
東映の配給で上映中の傑作の映画を観て、「あ、これ書こう♪」と思ったのだ。
では以下、最新の「どげえするんか?」。ぜひ読んでやってください。
で、ついでに、「いいね!」をポチっとしてもらえると、とてもありがたいですね^^。
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【01】釘崎の「どげえするんか?」
第58回 山本五十六の言葉に学んでみんか?
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パフ代表釘崎が、現在の採用市場、就職活動、世の中のあれこれについて、
日々感じることを徒然なるままにお届けします。
※「どげえするんか?」=大分弁で「どうするんだ? どうしたいんだ?」
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この三連休の中日に映画を観ました。「聯合艦隊司令長官 山本五十六」。
役所広司が演じる山本五十六に、いたく感動しました。
山本五十六は、海軍次官のとき、日米戦争への発展を懸念し、日独伊三国
軍事同盟に強硬に反対していたのですが、皮肉なことにその後、連合艦隊
司令長官に任じられ、日米開戦のきっかけとなる真珠湾攻撃の総指揮者と
なります。
最期は1943年4月。前線で戦う兵士たちを激励するために訪れたソロモン
諸島ブーゲンビル島上空で(山本五十六の行動予定を打電した暗号電文を
解読していた)米軍機の待ち伏せ襲撃によって59歳の生涯を閉じました。
映画では、この山本五十六の生涯を淡々と描写していました。
軍人として、というよりも、人間としての山本五十六の魅力が存分に表現
された映画でした。
戦争を扱った映画としては珍しく、戦闘シーンがあまりなく代わりに山本
五十六の食事のシーンが目立ちました。
水饅頭、干し柿、干しイモ、カレイの煮付け、鰯の海軍食、イモの煮っ転
がし、お汁粉、お茶漬け、スイカ、妻と幼少の子供たちとの食卓……。
美味しそうに、そしてある時は、ただ黙々と食べ続ける役所広司の演技に
は、戦闘のシーン以上に、観客に訴えかけるものがありました。
この食事のシーンだけでも、山本五十六の人間味あふれる人柄が存分に伝
わってくるのですから、役者っていうのは、本当にスゴイ職業です。
☆☆☆
ところで山本五十六といえば、私たち、若者と接する仕事に携わる者たち
にとって、学びや教訓となる名言を数多く残した人としても有名です。
もっとも有名な言葉がこれですね。
| やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
| ほめてやらねば、人は動かじ。
この言葉には以下の続きがあります。
| 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
| やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
しびれますね。組織のリーダー、マネージャーは、肝に銘じなければな
らない言葉です。
そして、特に経営者にとって、ぐっとくる言葉が次のものです。
| 苦しいこともあるだろう。
| 云いたいこともあるだろう。
| 不満なこともあるだろう。
| 腹の立つこともあるだろう。
| 泣きたいこともあるだろう。
| これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。
はい。私まだまだ修行中の51歳。じっと堪えることにします(苦笑)。
☆☆☆
次は、昨年の職サークルシンポジウムのときにもご紹介した言葉です。
| 実年者は、今どきの若い者 などということを絶対に言うな。
| なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。
|
| 今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、
| 道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、
|
| などと言われたものだ。
|
| その若者が、こうして年を取ったまでだ。
|
| だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
| 何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。
これを読んで、耳が痛くなった上司の方々も大勢いらっしゃるのではない
でしょうか。
山本五十六は、非常に部下思い、若者思いの上官だったそうです。
部下が無事帰還した際には涙を流して喜び、部下が戦死したときには名前
を一人ひとり手帳に認め、常に携行していたといいます。
任務遂行のためとはいえ、数多くの部下を犠牲にせざるを得なかった山本
五十六の無念たるや、いかほどのものか……。
最後に、次の言葉です。
| 人は神ではない。
| 誤りをするというところに人間味がある。
山本五十六が生きたのは、少しの失敗であっても、それが死に繋がる危険
の大きかった時代です。いかに現代の日本社会が「大変」だと言いながら
も、戦争の時代とは比較にもなりません。
怠慢や不注意による過ちならまだしも、挑戦の結果招いてしまった少しの
過ちをも許容できなくなった、「潔癖症」ともいえる現代日本社会は、こ
の山本五十六の言葉を謙虚に受け止める必要があるでしょう。
☆☆☆
昨日は成人の日でした。
ピークだった1970年代と比べると、その数が半減してしまった新成人世代
ですが、これからの日本を支えてくれるのは、間違いなく彼ら彼女らの世
代です。
戦後生き残った、昭和20年代の若者世代が、たとえ少数であっても、日本
の復興を力強く担ったと同じように、現代の若者たちにも、大いなる期待
を寄せていきたいものです。
そのためにも、若者と日々接する私たち大人は、山本五十六のように、愛
と情熱をもって彼ら彼女らと向き合い、社会への巣立ちを応援していきた
いと思います。
【今回のどげえするんか】
本文とは関係ないが、映画には、柄本明や、阿部寛や、香川照之と
いった名優たちがたくさん出ちょったの。さすが唸る演技じゃった。
ん?でもよく見れば「坂の上の雲」に出ちょった俳優と同じじゃの。
うーん、そうか。俳優の世界も人材不足っちゅうことか。
これはいかんの。どげえかせんと。
そうだ。俺も役者デビューするかの。
どげえですかね?
銀座の中心でパフが歌われていた日
2012年1月11日 (水曜日)
昨日の午後、銀座7丁目の中央通り沿いにある某金融機関で打ち合わせを行っていた。
打ち合わせが終わったのが午後2時半。次のアポが京橋で午後3時。
中央通りをまっすぐ日本橋方面に歩いていくと、15分程度で京橋に着く。
時間的にちょうどいいので、銀ブラ(死語?)モードで京橋までテクテク歩いて行くことにした。
銀座4丁目の交差点を渡って、和光の前を通り過ぎ、木村屋のアンパンをモノ欲しそうに眺めていたときである。
聞き覚えのあるメロディが耳に入ってきた。
音の元は、木村屋のお隣にある山野楽器店の軒先からだった。
軒先にはこんなデカイ看板が。
そして、大音量で流れていた曲は、なんと我がパフの主題歌なのであった(上の看板の4曲めですね)。
それにしてもニクイ演出ではないか。僕がちょど店の前を通りかかろうっていうときに、この曲を流してくれるなんて(笑)。
時間もあったので最後まで聞いてから京橋に向かうことにした。
ついでにiPhoneで上の写真を撮って、投稿もしちゃった。
すると、多くの方から「いいね!」が押されているではないか。
嬉しいことだなぁ。
社員のブログによくコメントを投稿してくれる(関西在住の)フクイさんなんて、わざわざyoutubeの動画まで見つけてくれてコメント欄に投稿してたし。マニアックだな^^。
ということで、この「釘さん日記」にも、そのyoutubeの動画を貼り付けておこう(いつかは削除されると思うけど)。
由紀さおりさん、銀座の中心でパフを歌ってくれて、ありがとうございました!
さて、本日は朝8時から経営会議。
それが終わるやいなや、東京駅にダッシュ。こだまに乗って三島まで行く。某社の面接官研修を行うのだ。
そういえば去年もいまくらいの時期に行ったっけかな。富士山がきれいだったのを覚えている。
きょうもいい天気。きっと素晴らしい富士山を拝めるだろう。
ということで朝早くから、行ってきます!
教え子にご馳走になるということ
2012年1月10日 (火曜日)
先週の金曜日のことだが、いまから13年前(1999年)、創業2年目のパフでインターンとして働いていた二人の(当時の)学生と新年会をやろうということになった。
ひとりは大学卒業後、証券会社に入社し、いまでは営業の管理職として活躍(苦労?)している。
もうひとりは大学卒業後、大手人材派遣会社に入社し、拠点長まで務めたのち、いまはハローワークの職員に転じている。
二人ともすでに30代半ばである。
が、僕にとっては、いつまでも若者ならぬバカ者学生。毎日のようにブチ切れながら鉄拳制裁していた13年前のあのころを懐かしく思い出す。
まあ、雇っていたパフ(当時は僕一人)側も、相当に酷かった。なにせ、交通費以外は無給なのだ。
インターンシップとは名ばかりで、その実、徹底的などぶ板営業。しかも、成果があがったら海外旅行くらい軽く行けそうなニンジンをぶらさげていた(もちろん海外はおろか熱海にも行けなかった)。完全なブラックベンチャーだった(苦笑)。
にもかかわらず、僕はやましい思いなんかこれっぽっちもなく、来る日も来る日も、彼らを思い切り叱り飛ばしていたのだから、ある意味たいしたものだ。そんな理不尽な仕事を続けていた彼らも、それ以上にたいしたものだ。
そんな彼らだったのだが、不思議なもので、いまだにずっと付き合っている。年に1~2回は、飲みにいったりもする。
しかし、金曜日の新年会では異変が起きた。
いままでの飲み会では(昔タダ働きさせていたという負い目もあり)もっぱら僕がご馳走していたのだが、金曜日の新年会では、彼らが僕にご馳走してくれたのだ。しかも帰りのタクシー代まで払ってくれた。
いやー、たまらなく嬉しかった。
ただ数千円を奢ってもらっただけといえばそれまでなのだが、それがたまらなく嬉しかったのだ。
僕にとっては、会社を創って最初に苦楽を共にした教え子のようなものだ。
その彼らが立派な大人になってくれたような気がして。いや、事実、もうとっくの昔に立派な大人なのだが、それが酒をご馳走になることで、あらためて証明されたようで。
自分の子供が、ちゃんとした大人に成長する。ただそれだけのことなのだが、それが嬉しい。
実は昨日は、本当の子供(いや他に隠し子がいるわけではないですよ)が、成人式を迎えたのだが、やはり想像した以上に嬉しいものだったし…(実の子からは、まだ酒はご馳走になっていないが、あと数年後の楽しみにとっておこう)。
こんなこと(って酒をご馳走になることね)で喜んでしまう僕は、やはり年をとったということだろうか。
いや、こういうことで喜べる年の取り方なら幸せなことである。もっともっと喜ぶべく、いろんな連中から酒をご馳走になりたいものだな(笑)。
さて、では連休明けの本日。もう正月気分ともおさらばだね。
では夜が明けたら、行ってきます!