15周年記念イベントをやると決めた日
2012年1月6日 (金曜日)
昨日は仕事始め2日目。そして今期の第3Qキックオフ会議の日だった。
午後1時から6時まで。ずっと真剣モードの会議が行われた。
今期の折り返し地点。楽観はできないものの、運気が上昇してきているのは確かだ。下期は、この運気を確かな成果に変えていけたらと思う。
ところで、本日の日記のタイトルは、この真剣モードの会議が終了した後の懇親会の場所でのこと。
今年は、パフ設立15周年を迎える年。
そこで、(僕の強い希望もあり)記念イベントを開催することに決めたのだ。
しかも、出来る限り多くのゲスト(お客様や、パートナーの皆さまや、職サークル会員OBOGや、社員OBOGや、たんなる野次馬も?)をお呼びしようということになった。
大きなイベントを実施するためには、実行委員を決めなければならない。そして、ぐいぐい推進させるリーダー(委員長)を決めなければならない。
昨日のキックオフの懇親会の場では、極めて民主的な方法で委員長が選任されたのだった(誰が委員長になったのか? もったいつけて、まだ伏せておこう)。
そして、委員長主導のもと、イベント開催候補日と、イベントのコンテンツ案が話し合われた。
パフの設立日は1997年12月12日。
普通なら、この設立日の近辺でイベントを実施するのだが、12月といえば、我々のお客様やパートナー企業が、休日も含めて無茶苦茶に忙しいタイミング。仕事の都合でご来場いただけないのでは寂し過ぎる。
ということで、実施のタイミングは10月にしようということになった。
コンテンツは、堅苦しい儀礼的なものではなく、ゲストの皆さまと一緒に楽しめるものにしようということになった。
そこで発案されたのが、キャンプ。
キャンプ場を借りて、特設ステージや、いろんなコーナーを設けて、夜通し皆で飲んで、食べて、歌って、踊って、ハグして(それはしないか?)、楽しもう!ということになったのだ。
ということは、多くの人が参加できる、金曜の夜から土曜日の朝にかけて、ということになる。
そこで開催候補日として決まったのが、10月12日(金)~13日(土)。
この10月12日という日も、パフ設立の鍵となる、実はとても意味のある日なのだが、その説明はまた今度。
さてさて。
いったいぜんたい、どうなることやらさっぱり分からない状況ではあるのだが、「ぜひ参加してみたい!」と思っている方は、まずは上記日程を空けておいていただけたらと思う。
※いろんなことが正式に決まったら、お取引先の皆さまには最優先で正式なルートよりご案内させていただきます。それまでのあいだは、「釘さん日記」や、スタッフブログや、twitter,Facebookなどを通じて、不確定・無責任情報(?)として流していこうと思います^^。
ということで皆さま、パフの15周年記念イベント、乞うご期待です!
世の中が動き出したという感じがいいね!
2012年1月5日 (木曜日)
昨日は仕事始め。いつも通り、いつもの道を歩いて会社まで向かった。
月島の自宅を出発後、佃公園を横切り、中央大橋を渡り、新川を通り抜け、八丁堀をかすめながら新大橋通りへ。新大橋通り沿いを永代通り方面に3分ほど歩けば、そこは茅場町のパフ事務所だ。
自宅から早歩きで約30分。朝の運動と考えれば、ちょうどいい距離とコースなのだ。
新川から新大橋通りに出るまでの道の途中では、多くのビジネスパーソンとすれ違う。たぶん住友ツインビルや、その周辺の大きなビル群に入居する大企業の社員たちなのだろう。
一昨日まではほとんどひと気がなかったのだが、昨日の朝はもういつもどおり。ついに2012年が本格的に動き出したなあ、という感じだった。
兜町方面にある神社に初詣に向かうときにも、街はいつもどおりの風景だった。全国的に見れば昨日まで正月休みという会社も多かったと思うのだが、茅場町、兜町界隈は証券金融の街ということもあり、もう完全にビジネスモードに切り替わっていた。
我がパフも、昨日こそスタンバイモードだったが、本日から本格始動モードだ。午後からは第三クオーターキックオフのロングミーティングもある。
社員たちに真剣モードで伝えなければならないことが、本日はたくさんあるのだ。
あ、そうだ、思い出した!
今朝は通勤路を外れたところにある住吉神社に立ち寄って、昨年のお札を納めにいかなきゃならなかったんだ。ゆっくりしてる場合ではなかった。
ということで、ちょっと中途半端だけど、早めに日記は切り上げて、行ってきます!
さあ、仕事始めだ!
2012年1月4日 (水曜日)
正月三が日もあっけなく終わり、いよいよ本日から仕事始め。
仕事始めの本日のメイン行事は、神社への集団参拝。
昨年までは築地の波除神社に参拝していたが、今年は茅場町に本社事務所を移転した関係で、近くの日枝神社(日本橋摂社)にお参りすることになった。
手を合わせて、心を無にし、新たな気持ちで2012年の仕事をスタートさせることにしよう。
そうそう、以下のURLは、パフ&マジックドラゴン社の年賀メール用の画像である。
タシロが年末の多忙ななか苦心して作ってくれた傑作なので、ぜひ皆さんに見ていただけると嬉しい。
http://puff-c20.s3.amazonaws.com/uploads/file/pmgroupnenga2012.pdf
では、仕事始めの本日も、いつもと同じくウォーキングで、行ってきます!
さあ、2012年。パフ・ザ・マジックドラゴンイヤーの幕開けだ!
2012年1月1日 (日曜日)
皆様、あけましておめでとうございます。
今年は2012年。辰年です。辰=龍=ドラゴン=パフ。つまり、我らがパフ・ザ・マジックドラゴンの年。12年に1回しかない当たり年なのです。
12年前の辰年はどうだったかというと…。
そう、12年前。西暦2000年は、まさにパフにとって飛翔の年。新年早々、事務所移転とともに初めての新卒採用を決意した年でした。
この12年前の西暦2000年が、現在のパフが組織として実質的にスタートした年。この事務所移転と新卒採用が功を奏して、毎年(売り上げベースで)前年比30%~50%の成長を遂げることとなりました。
知識も常識も経験もスキルもない、ないない尽くしの若者たちに振り回されながらの(毎日のようにトラブルが起きてしまうような)大変な会社運営でしたが、反面、驚くほど前向きで純粋で愛すべき若者たちに囲まれて過ごせた、幸せな成長の時代でした。
しかし、2008年のリーマンショックを境にして、それまでの成長がストップ。企業の新卒者採用が(人数だけでなく予算も)大幅に抑制され、この数年は厳しい状況が続いています。
そんななか、我々は起死回生(というのは言い過ぎですが)を期すべく、事務所移転と体制の大幅な変更を、昨年の夏に一気に実行しました。まだ結果こそ出ていませんが、いい気運が訪れているような気がします。
昨年の体制変更に伴い生み出された新会社の名前は、マジックドラゴン株式会社。実はこれがパフの正体です。パフの社名の由来をご存じない人は「なんじゃそりゃ?」と思われたかもしれませんが、ファンの方々にとっては、大ヒットの社名だったようです。
西暦2000年に生まれたばかりのパフが飛翔していったように、2012年の今年は、パフが生んだマジックドラゴンとともに、もういちど空高く飛翔していく年となっていくことでしょう。
そうそう。2012年はパフの設立15周年の節目の年でもあります。これ以上の良いタイミングはありませんね。
今年は15周年記念イベントもやろうと思っています。
パフのイベントといえば寸劇です。
すでに役者を希望している人も現れています。笑いと涙が満載の、とっときの脚本を書きあげようと思っています。
そして唄です。
MSPのメンバーにも手伝ってもらって15周年記念ライブもやりたいと思っています。今野さん、下薗さん、荒木さん、住本さん、まだなんの相談もしていませんが、よろしくお願いしますね^^。
そしてマラソンです。
今年52歳になる僕ですが、ハーフマラソンを、なんとか2時間以内で走ってみたいと思っています。(名大社社長の)山田さん、負けませんよ^^。
なんにしても当たり年の辰年2012年。
ビジネスも、エンターテインメントも、スポーツも、大勝負の一年にしていきたいですね。
釘さん日記の読者の皆様、パフ&マジックドラゴン&釘さんを、本年もどうぞよろしくお願いいたします!!
さあ、仕事納めだ
2011年12月28日 (水曜日)
本日は2011年の仕事納め。明日から1月3日までの6日間は年末年始休暇。1月4日から2012年の営業開始となる。
いろいろあった一年だった。二年分くらいの出来事が一年の間に起きた。
3月以降は、震災の影響もあり、激動の毎日だった。5月にはチャリティーライブを開催したり、職サークルシンポジウムを開催したり、取引企業の方々を巻き込んでの無謀な寸劇も行った。脚本がなかなか書けずに胃が痛かった。いま振り返ると、遠い昔の出来事のように思えてくる。
7月には新会社マジックドラゴンを設立した。9月には7年ぶりに事務所移転を行った。夏場は、難しい交渉ごとが毎日のように続き、あわせて職サークルの学生向けイベントも毎週1回の頻度で開催されていた。
11月は岐阜の揖斐川でハーフマラソンを走った。2月には神奈川ハーフマラソンにも出場している。練習で走った距離をあわせると、おそらく人生で一番長い距離を走った一年だった。
大分の田舎で暮らしている母親が脳梗塞で入院したのは、米寿の誕生日を迎える直前だった。お祝いの帰省のはずが見舞いの帰省になった。中学時代の同級生たちにずいぶんと世話になった。まだ一カ月しか経っていないのに、これもずいぶん昔の出来事のように思えてくる。
昨日は、朝から15時くらいまで、香港にいる先輩とスカイプで打ち合わせを行っていた。パフ創業のきっかけを作った先輩で、かなり深い話をじっくりと行った。
その後、14年前の創業時からずっとパフを支えていただいている社外役員兼大株主の方のところに伺い、年末のご挨拶と近況報告を行った。14年間の歴史をしばし振返った。
夜は、やはり創業の頃、営業の指導をしてもらっていた元社外役員と久々に再会し、近況報告をしあった。カウンターだけの居酒屋で芋焼酎のお湯割りをすすりながら、今と昔と未来を語り合った。
慌ただしかった一年の締めくくりの割には、ずいぶんとゆったりした一日だった。
そして本日のメインイベントは大掃除。その合間には、ランチ忘年会(?)も予定されている。上期の会計締日でもあるので、売上と利益の集計もしないとな。
休暇中は出来る限り仕事からは遠ざかろうと思っている。右脳を鍛えることをしたい。足腰も引き続き鍛えたい。ゆっくりひとりでお酒も飲みたい。
とりとめのない日記となってしまった。
いま実は深夜2時前である。酔いも覚めて、眼も冴えて、久々の夜更かし。夜更かしついでに日記を書きはじめたのだった。
いつもの日記は、朝(出勤直前)のわずかな時間で書いているのだが、深夜に書く日記も、まったりとしていて、たまにはいいかも(苦笑)。
さて、ではそろそろ風呂に入って、ちょっと寝て、仕事納めに向かうとしよう。
ということで、「釘さん日記」読者のみなさん、今年一年、どうもありがとうございました。また来年も、よろしくお願いいたします!
スカイプってすごい!
2011年12月27日 (火曜日)
ムライさんという先輩がいる。パフと僕にとっての超重要人物でもある。現在は香港で仕事をしている。
年明け、パフのセミナーやイベントに出演してもらう関係で、打ち合わせをする必要があったのだが、最近、メールのレスポンスが悪くて、ちょっと心配していた。
昨日やっとFacebook経由でメッセージが届いた。メールだとなかなか返事が来ないのだが、Facebookだとクイックレスポンス。iPadやスマホで反応できるからなんだろうな。
「正月休みに打ち合わせをしませんか?」と持ちかけたのだが、ムライさんは、正月は日本に帰れないのだという。
こりゃ困ったなあと思っていたら、「Skypeで打ち合わせしようぜ!」と次のメッセージに書いてあった。
Skypeなるものの存在は知っていたのだが、実はいまだかつて使ったことがない。簡単に出来るんだろうか?
夕方、外から戻ってきてすぐ、会社にあったWebカメラを引っ張り出してPCに接続した。そしてSkypeのホームページから通信アプリをダウンロード。案外、簡単にインストールできた。
そしてムライさんのアカウントを通信対象として設定。
これで本当に繋がるんだろうか?と思っていたら、PCから変な音が聞こえてくる。インストールしたばかりのSkypeのアイコンが動いている。クリックしたら、なんと、「おー、クギサキ、アタマ薄くなったなあ!」とムライさんの声。そして、ほどなくすると、ヘッドホンを被ったムライさんの顔が画面に映し出された。
わー、すごい。つながった。
こんな簡単にテレビ会議の環境が整うのか。画質も音質も良好だ。しかも無料なのだ。国際電話で高い通話料を払っていたのも今は昔。技術の発達は恐るべし。まさにSF小説の世界が現実のものになっている。
「おい、クギサキ、そろそろ飲みに行こうぜ!」と、画面のムライさんは話しかけてくる。まるですぐ傍にいるかのようだ。
Skype、すごいな。
この正月は、遠隔地にいて日ごろ会えない人たちとの接触を試みることにしようかな。
さて、本日の午前中は、このSkypeを使っての打ち合わせ。午後は、社外役員兼大株主のところに訪問して、上期業績のご報告と年末のご挨拶。その後は、創業のころの社外役員に久々にお会いして情報交換をする。
外はむちゃくちゃ寒いけど元気に歩いて行ってきます!
『坂の上の雲』をまとめて観た日
2011年12月26日 (月曜日)
いよいよ2011年も残すところあと1週間。いろいろあった1年間だったが、こうして年末を迎えてみると、やはりあっという間だった。
昨日まで世の中は3連休だった。クリスマスと重なったこともあり、家族や友人と楽しくゆっくり過ごした人たちも多かったんじゃないかな。
我が家は子供も大きくなり、もはやクリスマスとは無縁であるので、僕は気ままにひとりで時間を過ごした。
なかでも多くの時間を費やしたのが、テレビドラマ。
12月4日の日曜日から4週間連続で放映されたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』をまとめて観たのだ。
いや、もっと正確に言うならば、2009年11月29日の第1回放映から昨夜の最終回放映まで。3年間13回分の放映を一気に観たのだった。
このドラマは、もうすごいね。テレビドラマの常識や枠組みを完全に超越した、驚異的な作品だと思う。制作者と役者の情熱が、画面の隅々からビシバシと伝わってくる。
特に今年の4回(第三部)は、1904年~1905年の日露戦争の描写がその大半を占めていたのだが、VFX技術を駆使した映像が半端なく凄かった。映画をも上回っていた。大スクリーンでもう一回観てみたい。
そして俳優陣。主役(秋山真之)を演じた本木雅弘は言うまでもなく、柄本明(乃木希典)、高橋英樹(児玉源太郎)、渡哲也(東郷平八郎)などなど、名優たちが演ずる明治の英雄たちは、見応え十分だった。
それにしても、こんなドラマを作ってしまうNHKはすごい。尊敬してしまう。民放テレビとの格の違いを見せつけた。
原作を書いた司馬遼太郎は、長くこの作品の映像化を許可しなかった。それもNHKの制作陣の粘り強い交渉の末(最終的にはご夫人の許諾を得て)ドラマ化が決定したのだという。しかし、制作過程では(脚本家の自殺やNHK自身の不祥事騒ぎなど)様々な困難に出くわし、当初スケジュールを大幅に変更しながら完成に漕ぎつけた。そんな生みの苦しみを味わったうえでの大作。舞台裏では、我々の想像を超えた苦労があったことを考えると、さらにこの作品が味わい深く思えてくる。
・・・などと知った風なことを書いている僕は、司馬遼太郎の原作をまだ全部読んでいない。ドラマの方が先に終わってしまったのだが、あらためて正月休みを利用して読んでみたいと思う。
wikipediaでは、原作のことをこう紹介している。
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『坂の上の雲』とは、封建の世から目覚めたばかりの日本が、登って行けばやがてはそこに手が届くと思い登って行った近代国家・列強というものを「坂の上の雲」に例えた切なさをこめた題名である。作者が常々問うていた日本特有の精神と文化が、19世紀末の西洋文化に対しどのような反応を示したか、を正面から問うた作品である。
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やっぱり司馬遼太郎は偉大だよな……。心して読まなきゃね。
では、残りわずかとなった2011年。
近代日本のために命をかけて(そして「坂の上の雲」を信じて)戦った明治の人々に感謝しながら行ってきます!