いよいよ明日は20周年記念イベントです!
2017年12月15日 (金曜日)
今週の日記は20周年ネタが多かったけど、それも今日まで。
・・・いや、もとい。明日の報告をしなきゃいけないから来週の月曜日までですね💦。
明日はいよいよ、午後1時から「パフ設立20周年記念式典」。そして午後5時からは「パフ設立記念祝賀会」だ。
実行委員長のヨシカワに言わせれば「20年に一回しか来ない日」だとのことだけど、あと20年後にやってくるのは「40周年」なので、20周年は泣いても笑っても今回だけ。
先ほど、20周年委員のヒラハラから「オープニングムービーをチェックしてくれ」というメールが(なんと早朝4時前に!)送られてきたのだけど、それを眺めていたら泣き出しそうになった(笑)。
どんなムービーなのかは明日のお楽しみ(^^♪
20年は長いようで短いようで、でもやっぱり長かったのかな。いろんなことがあった。
10年前の10周年のときも「よくここまできたなー」と思っていたが、そこからさらに10年が経ってしまったわけだ。
さすがに、次の30周年のときに僕が社長として居座っていることは100%ないが、パフという会社だけは、30年どころか50年でも100年でも続いていってほしいよね。
昨日のイシガミのブログに書いてあったように、「パフというドラゴンは不老不死」だもんね。
さて、きょうは明日の準備(僕の準備と言うのは唄の準備が8割だけどw)で大忙しだ。
きょうはビジネスバッグの代わりに、ギターを背負って行ってきます!
<追伸:やっぱり行こうかな・・・という皆さんへ>
式典会場は広くて、あと100人くらいは入れます。どうぞ、突然いらしゃってください。紅白歌合戦がんばりますので(^^♪
詳細&参加表明はこちらから ⇒ https://www.puff.co.jp/20th/
採用は会社の未来をつくる仕事
2017年12月14日 (木曜日)
パフ自身の採用活動が始まっている。
採用人数は2~3名の少人数採用なのだけれど、かなりのおカネと労力をかけている。
パフには採用担当者はおろか人事を担当する社員などいない。やりたい社員が自ら手を挙げてプロジェクト結成し、自分のふだんの仕事と兼務しながら採用のシゴトを行っている。
しかし、手を挙げたプロジェクトメンバーだけが採用のシゴトをするわけではない。プロジェクトメンバーは他の社員たちも巻き込んで(自社・他社とわず)様々な「顔の見える」イベントに参加したり、「顔の見える」Webをつくったりしている。
たいへんなことだと思う。スゴイなと思う。
しかし、採用は会社の未来をつくる仕事。たいへんなことだけど、とてもやりがいに満ちたことだろう。
自分たちの将来の仲間を、自分たちの手と足と頭と目をフル稼働させながら探しに行けるんだもんね。
いまから17年前(もうすぐ18年かな)「まだ新卒なんて採れるような会社じゃないだろう?」という一部からの批判を跳ねのけて、新卒採用に踏み切ったことが現在のパフに繋がっている。あのとき無理して新卒採用を行っていなかったら、間違いなく「未来のパフ=現在のパフ」はなかった。
これからの20年をつくってくれる仲間たちを、ぜひ総力を挙げて探してきてほしい。おカネは惜しみません・・・なんてね(笑)。
では、ちょっとだけピアノの練習をしてから行ってきます!
「顔の見える」を掲げた理由
2017年12月13日 (水曜日)
昨日の日記で
「そのドラマの一部は、『パフの自転車操業物語』にも書いてあるので、自分でもあとで読み返してみたいと思う」
と書いた。
先ほど実際に、その10話までを読み返してみた(全96話もあるので自分でも全部読み切れないのですw)。
そう、そうだった。
パフが「顔の見える就職と採用」という事業コンセプトを掲げ、パフ自身も「顔の見える会社」になろうと決意したのは、このメールがきっかけだった。
パフ創業から3か月ほど経ったある日、ムライさん(物語ではM氏としていますがw)から僕に送られてきた長いメールだ。
会社の資金も底をつき、今後の売上のメドも立たず、途方に暮れていたときだった。
ここから先は、『パフの自転車操業物語』から引用してみる。
===
ボクは悩んでいた。運転資金が2ヵ月後には底をついてしまう、ということよりも、今後の事業運営の軸が自分の中で、ぶれ始めていたのだ。
「俺は、いったい何をやりたくて会社を作ったんだろう……」
そんな時、ボクがパフを設立する際、大きなキッカケと勇気を与えてくれたM氏から一通のメールが届いた。
> 釘崎へ
>
> (中略)
>
> お前は事業の志をどこに置くのか?
> 儲かろうが儲かるまいが、体を張ってお前は何を追求したいのか?
> 事あるごとに、出会うどんな人にも(従業員にも愛人にも)熱く語る、
> パフを通じて実現したい夢……それは何なのか?
>
> 企業の採用成功? 学生の就職成功? 一攫千金? 日本のビルゲイツ?
> 打倒リクルート? 学歴社会の打破? 夢ある人生支援?
> 日本産業の再構築? 敗者復活人生の支援? 国家を超えた人材の交流?
>
> 何でもいいんだけど、このへんが見える企業=顔が見える企業、にパフは
> なってもらいたいもんです。
>
> (中略)
>
> 他の同業他社との競争優位は、資金力でも商品力でもブランド力でも人材 でもない。
> 釘崎の努力と、その背中をつき動かす志、軸、コンセプトの斬新さだけが 競争優位のような気がします。
>
> その軸がしっかりしていれば、商品設計でぶれることはないし、思想に合 わない人間を切ることもできます。
>
> 志があればベトナム(パフ)だって、アメリカ(リクルート)に勝てるわけです。
>
> (中略)
>
> 忙しいのはわかるけど、事業の関係者だけと会うのではなく、音楽やら 映画やら女やらと、釘崎がどこまで付き合いの範囲を広げられるかも重要 でしょう。
>
> (中略)
>
> 苦しいからといって、二流の会社や人物と付き合うのはやめよう。
>
> (中略)
>
> パフは失うものが何もないはずです。
> どこまで個人の味方になれるかは大きなポイントでしょう。
> 他人のフンドシや智慧をどこまで使うか。
> またパフの資源をどう提供するか。
> 流れは、利権・独占・大資本から、自由・共生・提携なんだと思います。
>
> (中略)
>
> まー、いろいろあるけど、酒でも飲みながらまた今度。
涙が流れてくるほど嬉しかった。
===
創業のキッカケをつくったのもムライさんなら、事業コンセプトのヒントをくれたのもムライさん。ついでに言うなら、パフの社訓になっている「うまれよ」を教えてくれたのもムライさんだった。「陰の創業者」と呼ばれる所以である。
話は変わるけど、昨日の朝礼ではマツザキさん(パートタイムで働いてくださっている主婦社員)の心憎い仕掛けに感動した。
会社の壁に貼られている下のカレンダー。
12月11日と12日のところに何やら細工されているのが分かるだろうか。
11日のところにズームしてみる。
「PUFF10代最後の今日、皆さん何を思って過ごしますか? 成人まであと1日。Do your best ^^ 」と書いてある。
そして、隣の12日(つまり昨日の設立記念日)のところには「祝」と書かれた箱が括り付けられている。
なかには、なんとクラッカーが仕込まれていたのだ。
昨日の朝礼で、このクラッカーを「パーン」と鳴らして「20周年おめでとうございます!」とやれるようにしてくれていたのだという。
なかなかやるじゃないか。これも「顔の見える」文化がなせる業かもしれませんね。
マツザキさん、ありがとうね(#^^#)
さて、今夜は16日に向けての個人レッスン(?)がある。がんばっぺ(*^^)v
では、冬本番の寒さの朝だけど、元気なウォーキングで行ってきます!
やっとハタチになりました。
2017年12月12日 (火曜日)
設立20周年イベントは今週末の16日(土曜日)だが、本当の設立記念日は本日である。
きょうと同じように20年前の12月12日も、とても寒い日だった。
会社をつくると決めたのが1997年の10月10日。そこから設立までの2か月間、様々なドラマがあった。
たとえば資本金集め。
当時、株式会社を設立するための最低資本金は1,000万円(そのように会社法で規定されていた)。これを設立前日までに、銀行の(会社設立用に特別に開設された)別段口座に払い込まなければならなかった。
しかし、サラリーマン時代に一切の貯金をしていなかった僕の手元にあるのは娘(当時6歳)名義の貯金100万円だけ。残り900万円を調達しなければ、会社をつくることはできない。
僕は、会社をつくると決めた日の翌日から出資してくれる人を探すために奔走することになる。
「おまえがやるっていうんならしょうがない」と言って株主になってくださった方々が約30名。そして、11月中旬には自分の(娘の?)お金も含めて、1,130万円の資本金が集まったのだった。
紙切れ2枚の事業計画書によくぞ出資をしてくださったものだと(たいへん失礼な話だが今考えると)不思議に思う。
そんなこんなで生まれたこの会社。生まれてからも様々なドラマがあった。今なら笑って話せることも、今でも自分の中だけで留めている辛いことも、たくさんあった。もちろん楽しいこと、ハッピーなことも辛いこと以上にたくさんあった。
そのドラマの一部は、「パフの自転車操業物語」にも書いてある(書いたのはもう15年くらい前かな?)ので、自分でもあとで読み返してみたいと思う。
たかが20年、されど20年。感慨深くないわけがない。
今夜はひとりしんみりと、この20年を振り返りながら酒でも飲むかな。
では、20歳の初日も、ふだん通りのウォーキングで行ってきます!
どうするラン!
2017年12月11日 (月曜日)
うーむ。どうしよう。11月12日以来、まったく走っていない。1kmも。
実は、名古屋のライバルにそそのかされて、来年の2月、フルマラソンに出場することになっている。2月18日に開催される熊本城マラソンである。
フルマラソンは今年2月の東京マラソンで卒業したはずだった。
【追加でリンクします】⇒ 自分のランニングを振り返る(最終回)
しかし、「チャリティーになるんですよ」「熊本は故郷なんでしょ?」「熊本と関係ない僕が出るのにクギサキさんが出ないんですか?」「それでも名誉本部長ですか?」と脅されたかどうかは定かではないが、なぜか即答で「じゃあ出るよ!」と答えてしまった。
まあ、そんなこともあって9月以降、本格的なランを再開していたのだけど(三日に1回は走っていたんだけど)さっき書いた通り11月12日以来、中断してしまっている。
原因は「三重苦」である。
なかでも喉の痛み。これ、やっぱり風邪だったようで微熱が続いており、鼻水もしばらくは治まらなかった。下手に走ってしまうと、さらに悪化させてしまうと思って完治するまで走るのは控えようと思っていた。
11月末くらいには微熱も鼻水も、それから肩の痛みも治まってきたのだが、やっぱり走れていない。
原因は「引っ越し」である。
いや、走って走れなくもなかったのだけど、「走ったりしてる場合か⁉」という神の声が聞こえてきそうで、自粛してしまった(^^ゞ。
そんなこんなで現在に至る。
昨日までの身の回りの片づけで、一連の引っ越し作業はほぼ落ち着いた。昨夜は久々に自宅でピアノとギターの練習もやれたし。
そろそろ走りはじめないと、怠け癖がついてしまいそうだ。
ふとライバルのブログを見ると、昨日は10kmマラソンに出場したらしい。ちょっと焦る。
とはいえ、考えてみればたかだか10kmだ。しかもラン後は満足しきって昼間から飲んでいるようなので、まだまだ逆転は可能だろう。
ということで、今週末の20周年記念のイベントが終わったらボチボチ走り始めるようにしよう。近所に区のスポーツセンターがある(トレーニングジムやランニングコースや温水プールもある)ので、まずは屋内トレーニングから始めようかな。海水パンツも買わなきゃな。
よし、善は急げ。朝7時からやっているらしいので、出勤前にちょっと覗いてそのまま会員登録してこよう。
では、本日はちょっと早めに行ってきます!
22年前の自分と再会した日
2017年12月8日 (金曜日)
大昔のビデオを編集していることは先日の日記でも書いた。残存しているビデオでいちばん古いビデオは1999年2月のものだった。
ところが昨日、さらに古いビデオを再生することに成功した。
映像制作のパートナー・キタイズミさんにダメモトでお渡ししたVHS。古すぎてダビング屋さんでも再生できなかったVHSをデータ化することに成功したのだ。
会社をつくる丸2年前の1995年。「インターネットエクスプレス」というテレビ東京の番組があった。
当時はWindows95日本版がリリースされたばかり。この年の暮れくらいから徐々にインターネット人口が増え始めたのだが、その普及を後押しした番組だった。
光栄なことにこのテレビ番組で、僕が当時サラリーマンとして企画・開発した「登龍門」という元祖就職サイトが紹介されたのだ。
放映は(いまでもよく覚えている)1995年12月1日だったので、僕が35歳になったばかりのころだ。パフのヒラハラやタシロと同い年くらいかな?
当時僕はこんな感じだった。
いやー、なんか生意気そうでイヤな奴だ(笑)。でも、いちばん仕事ができたころかもしれない。
このときの「登龍門」の仕事があったからこそ、いまのパフがある。社名を「パフ」にした隠れた理由のひとつも、この「登龍門」の龍(すなわちドラゴン)にあった。
そんな昔話、知ってる人はもうあんまりいないかな。
来週の日記では、記録に残しておく意味でも、この時代のことをもう少し詳しく書いてみてもいいかも。
ちょっと検討してみます。
では、きょうもさらに寒い朝、朝食後、小走りで温まりながら行ってきます!
今年最後の月次キックオフミーティングだった日
2017年12月7日 (木曜日)
昨日は夕方より月次のキックオフミーティング。いつもは前月の業績発表から始まるのだが、昨日は、来週末に迫った20周年記念式典のプログラムの説明が冒頭に行われた。
委員長のヨシカワが「なんといっても20年に一度のことですから!」と繰り返すたびに、「いやいや、20周年は一度しか来ないでしょ!」と突っ込まれているのが面白かった(笑)。
それはともかく。
今年も残すところあと3週間となった。パフの第22期も半分が終わることになる。おかげさまで受注状況は好調なのだが、年明け以降のシーズンピークのことを考えると気を抜くことはできない。
昨日のキックオフミーティングで、社員が最後に発表した宣言文(全社員がA4用紙にマッキーで書いている)からも、その気迫が窺われた。
僕も、社員と同じように宣言文を書いている。
僕の12月の宣言文は、「20周年式典が終わっても気を抜かず、2月3日のライブに向けてピアノの練習に励む!」というもの。
「気迫もなにも窺われないじゃないか!」という突っ込みが聞こえてきそうだが、さにあらず。僕のライブは、会社の業績に大きな貢献を果たしているのだ。
と言っても、誰も信じてくれないので、それはまた今度ゆっくりと説明しましょう(2月3日のライブ会場で💦)。
さてさて。本日も寒い朝だけど、朝食後、温まるウォーキングで行ってきます!