パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

ふと思い出した昔の出来事。

2019年1月17日 (木曜日)

「釘崎さん、私たちをお客さん扱いしないでください。そんなふうにお詫びされたりすると困ります。私たちは協賛企業なんです。パフの心意気に賛同している仲間なんですよ!」

こんな感じのメール文章だったと記憶している。

時は2001年。現在パフの取締役となっているヨシカワが泣き虫の新入社員、執行役員のホサカが生意気で言うことを聞かない内定者の時代だった。

当時は「協賛企業になってもらわないと、パフと取引することはできません」ということを営業方針としていた。創業間もない会社のくせに……。

そんな生意気で排他的なことを言っていたので、パフの取引企業は50社にも満たなかった。その代わり、とても濃くて熱い採用担当者たちが集うコミュニティーが自然と形成されていた。

そんな協賛企業の一社(当時30代の採用担当者)からもらったメッセージが冒頭のメール文章だった。

当時は新入社員と内定者だけですべてを回していたので、仕事は穴だらけミスだらけ。僕の仕事のほとんどは、そんな穴やミスの尻ぬぐいだった。

このころ、協賛企業採用担当者の「熱き想い」をまとめた小冊子を数万冊印刷して学生に郵送していた。が、稚拙な取材や進行管理が災いして、約束した発行時期を大幅に遅らせることになってしまった。

僕はすべての協賛企業にお詫びの電話をかけていた。電話で捕まらなかった担当者の方々には夜遅くまでお詫びのメールを書いて送っていた。

そのお詫びメールに対する返信が、冒頭のメッセージだったのだ。

頭をガーンと殴られたような気持になった。と同時に、言葉にできない感動と感謝の気持ちが込みあげてきた。

「“協賛する”って、そういうことだよな。そんな想いで“仲間”になってくれた採用担当者の方々を裏切ることなんてできないよな」。そんな気持ちにさせられた18年前の出来事だった。

なんで、そんなこと急に思い出したんだろう。きっと何か理由があるんだろうけど……。

あ、そうだ。今日はパフの社外取締役も入っての経営会議。上期評価、上期業績報告、下期戦略の議論、その先の先の話……など、テンコ盛りの予定だ。

だから思い出したわけではないんですけどね💦

では、いつもどおり、朝食&まんぷく後、行ってきます!

これは昨夜開催した「つきしま村塾」のテーマ。

「人の優秀さは何をもって決まるのか?」

さて、何でしょうかね。

昨夜は4人の学生と3人の社会人が円座になってビールを飲みながら、この問いに真剣に向き合った。

 

そもそも優秀って何なんだろう。

どこの企業でも採用担当者は皆、口をそろえて「優秀な人材を採用したい」というのだが、この「優秀」の定義は企業によってもバラバラ。

ひとつの企業の中でも、社長と人事部長と営業部長と採用担当者が考えている「優秀」には違いがあるのではなかろうか。

 

さて、あなたが考える「優秀」って何ですか?その「優秀」は何をもって決まるんですか?

では、僕も朝食&まんぷく後、それを今一度考えながら行ってきます!

 

2020採用も「あえて、パフ。」

2019年1月15日 (火曜日)

周辺では、2020年の新卒採用の動きが俄かに活発になってきた。パフの営業担当もサービス(納品)担当も、お客様のインターンシップイベントや会社説明会や選考会の運営支援などで日本全国を飛び回る日々が続く。皆たいへんだと思うけど、この季節に忙しくないとヤバイからね。せっせせっせと稼ぎましょう(^^;

そんな書き入れ時で皆が忙しいシーズンの到来なのだが、わがパフも2020採用を行うことに決めた。

パフの採用HP「あえて、パフ。」も、このほどリニューアルした。

 

リニューアルの主な個所は「パフで働く社員たち」。いっきょ6人の社員情報が加わったのだ(うち2名はまだ内定者だけど💦)。

以下、入社日順にリンクを張っておくので日記読者の皆さん、お時間あるときにぜひお読みください。

 

①大門慶子(2018年1月入社)⇒ 仕事一筋じゃないけれど、あえて、パフ。

②阿久根美咲(2018年4月入社)⇒ 就活いったん辞めたけど、あえて、パフ。

③石河誠司(2018年4月入社)⇒ 大学2年から就活はじめて、あえて、パフ。

④村上真希子(2018年8月入社)⇒ 会社員から独立まで経験したけど、あえて、パフ。

⑤岡崎葉澄(2019年4月入社予定)⇒ 選考さえも大変そうだったけど、あえて、パフ。

⑥里見瑛梨奈(2019年4月入社予定)⇒ 医療技術を学んでいたけど、あえて、パフ。

 

ああ、そうそう、僕の紹介ページもリニューアルされている。リニューアル前はミゾブチ(通称ウニオ)が僕のことを書いてくれていたのだけど、やつは昨年めでたく独立開業(?)したので、新入社員の石河誠司が新たに書き下ろしてくれた。

⑦釘崎清秀(1997年12月創業)⇒ 夢はシンガーソングライターだけど、あえて、パフ。

どうぞ読んでやってください。

 

リニューアルされた箇所は他にもある。なぜか学生よりも社会人に好評なのがこれ⇒「社員相関図」だ。登場人物が増えたので、かなり複雑に入り組んでしまったね(苦笑)。

 

それから採用HPではないが、コーポレートサイトの社員紹介のページもリニューアルされている。社外取締役もシレっと載っているし(笑)。

 

あと、中途採用ページ「もういちど、仕事でワクワクしよう。」もひっそりとアップされている。

まだ工事中の箇所もあるけど「パフの役員座談会」や、「お客様/パートナーから見たパフのこと」のコンテンツが面白いね。

 

・・・ということで、新卒、中途にかかわらず、「あえて、パフ。」に少しでも関心のある方は、ぜひぜひご応募ください。

説明会はまだやらないみたいだけど、こういう変なイベント(酒を飲みながらの座談会)は、しょっちゅうやってます⇒「つきしま村塾」。酒が飲めるというので、僕も毎回参加の予定です(^^)v

あ、そういえば今夜も、つきしま村塾の開催日だ。テーマは「人の優秀さは何を持って決まるのか?」だって。うーん、なんだろうね。

では、まんぷく&朝食後、それを考えながら行ってきます!

 

そろそろランを再開させよう。

2019年1月11日 (金曜日)

お気づきの方もいらっしゃるかもしれない。今週は、月・火・水・木・金と、毎日日記を書いている。朝ランをやる関係で「日記は月・水・金だけ」と決めていたにもかかわらず。

先日も書いたように、このところずっと風邪っぴきで、今週は朝ランを自粛していたのだ。

とはいえ朝の起床時間は同じ。「走ってもないくせに日記を書かないとは何事だ!手抜きだ手抜き!」というヤジが遠くの方から聞こえる気がして、しょうがなく筆を執っている(キーボードを叩いている)次第だ(^^;。

元日の夜から始まった風邪の症状。鼻水や咳・痰が鎮まらずなかなか治ってくれなかったのだが、今朝はいい感じだ。鼻水も垂れてこないし寝ているときの咳もなかったようで寝起きが快適だった。昨日までの朝は、起きたときアタマがボーっと重かったのだけど。

ということで、そろそろランを再開させることにしよう。無理せずまずは短い距離から。リハビリ兼ねてランではなくウォーキングにしようかな。

 

そう、今年も上の写真のパフランニング部が優勝できるように(笑)。

ということで今朝は、ちょっと早めに自宅を出発して、一つ先の駅までウォーキングで行ってきます!

 

一昨日の朝のこと。

こんな一通のメッセージがいきなり送られてきた。

 

フォークソング居酒屋の看板の写真だ。

送り主は21年半前、僕をそそのかしてパフを創業させたMさん。

「釘崎の新規事業?」と尋ねてきた。

後で聞いたら、Mさんの通勤途中、上野広小路付近で見つけたお店なのだそうだ。Mさんは最近、健康のために上野から勤め先の本郷まで徒歩通勤しているのだという。

で、僕はMさんに「なんと!競合ですね。どこですか?敵情視察に行きましょう😎」という返事を送った。

Mさんは善は急げのタイプで、「お、いいね。じゃ、明日行こう!パフの不器用な若い連中もいっしょに連れてきてよ。俺もオジサンひとり連れて行くから」とのリクエスト。

ということで、パフの不器用な新人イシカワと、イシカワを日々不器用に指導しているイシガミを誘って、昨夜この店への「敵情視察」を敢行した。

まずは僕とMさんの二人で開店間際の誰もいない段階から忍び込んでお店の様子を撮影した。

 

 

なかなか、いい雰囲気のお店だ。1970年代の空気が充満している。

ステージには、アコースティックギターが2台、ドラムセットが一台、ベースもキーボード(電子ピアノ)も置いてある。スゴイ。

さらに凄かったのは、実はこのお店1980年前後にプロのフォーク歌手として活躍されていた方々(ご兄弟)が店主として切り盛りされていたところ。特にお兄さんは、ギター演奏とともにステージや会場を絶妙に盛り上げてくださる名司会者だった。

僕とMさん、そしてMさんの同僚のカガヤマさん(僕らと同年代)、イシカワ、イシガミの5人は、この名司会者にすっかり乗せられてステージに引っ張り出され、気持ちよく歌ってしまった(笑)。

以下、その写真をアップしておこう♪

トップバッターは、Mさん。曲は古井戸の「さなえちゃん」。誰も知らないだろうな(笑)。右隣でギターを弾いているのは名司会の店主。

 

お次はカガヤマさん。歌うは拓郎の「たどりついたらいつも雨ふり」。なつかしいー!

 

そして不器用な若者代表のイシカワ。なんと、西城秀樹のYMCAを踊り付きで披露(@_@)

 

日ごろは人前で歌わないイシガミもついに。歌うはゴダイゴの「ガンダーラ」だ。僕も初めて演奏して歌った。

 

Mさんが「おいクギサキ、音楽居酒屋ぜったいやろうよ、今夜は記念となる日だからちゃんと記録しとけ。来年おまえがやるっていう音楽居酒屋、俺も出資しようかな」などと調子のいいことを言っていたが、さて、どうなるか。

それはともかく、本当にとても素晴らしい音楽居酒屋だった。僕が来年開業しようとしているお店のお手本とさせていただこうと思う。これからしばしば通うことになるだろうな。

関係ないけど昨夜のアジアカップ、日本勝ってよかったね、Mさん(笑)。

てなわけで、朝食&まんぷく後、行ってきます!

 

いやはや、この冬の風邪はしつこいですな。一週間たってもまだ、鼻水、痰、咳、それから頭の中のボーっとした感じが取れない。

今日は午後から柄にもなくお客様先で面接官研修の講師という役目を与えられてしまったのだが、さて、ちゃんとボーっとせずに全うできるだろうか。

 

あ、チコちゃんに叱られてしまった…💦

 

それより前に研修の準備がまだ済んでいない。これからやらなきゃ……。

でもその前に、昨日の出来事をひとつだけ。

校正、校正、校正・・・。校正一色である。

昨年から書き続けてきた採用本(書名もやっと決まりました!)の出版まであとわずか。

夕方からは共同執筆者の伊達さんと、編集者のお二人がお見えになり、最終的な詰めの打ち合わせも行われた。

打合せの結果、新たに書き直さなければならない箇所も発生したのだが、来週のアタマまでにはすべてを仕上げなければならない。

正月は寝込んでいて何もできなかったのだが、いよいよ待ったナシ。ボーっとしてる場合ではなくなった。

今週末はたぶん休み返上だな。世の中は3連休みたいだけど(*´Д`*)。

では、研修準備のオシゴト&朝食&まんぷく(これだけは忙しくても欠かさない)のあと、行ってきます!

 

2019年の社長メッセージ

2019年1月8日 (火曜日)

昨日は仕事始め。朝8時45分からの朝礼では、13か月前の設立20周年祝いで頂いていた日本酒で乾杯した。

 

 

これがすごく美味しかったのだが仕事始めの朝から酔っぱらうわけにもいかないので、みんなコップ10分の1くらいで我慢した。

10時過ぎには皆で東京大神宮へ。

 

 

「東京のお伊勢さま」とも呼ばれるこの神社、有名なだけあってすごい人出だった。

が、我々はちゃんと団体祈祷の予約をしてあったので、すぐに控室に通され、予約時間通り10時半から社殿に上がり、お祓いを受け、祝詞を上げていただき、玉串を捧げ、二礼二拍手一礼の拝礼を行った。ありがたや~。

 

帰りには、こんなにたくさんのお土産(?)をもらったり。他にも破魔矢とかお財布とか冊子とか、たっぷりと頂戴して帰ってきた。

 

そして午後は、全社員が参加したうえでの第23期下期キックオフミーティング。上期までの業績と、下期に向けての体制や戦略が発表されたり、新企画のアイディアコンテスト(のようなもの)が最後に行われた。

写真はアクネの発表シーンですね(^^)

 

で、このキックオフの冒頭、僕からは年始恒例の「社長メッセージ」を読み上げた。あくまで社内向けのものだけど、今年は特別に、釘さん日記にも公開しましょう。

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2019年の社長メッセージ

パフで働くすべての皆さん、あけましておめでとうございます。
2019年の仕事、そして第23期下期の仕事が本日より本格スタートしました。
本年もよろしくお願いいたします。

 さて、平成から新元号に切り替わる記念すべき今年、皆さんにとっては、どんな一年になるのでしょうか。

昭和から平成に切り替わったのが1989年1月8日でした。その前日、当時の官房長官で後に総理大臣となる小渕恵三さんが「新しい元号は『へいせい』であります」と、墨で書かれた「平成」の2文字を掲げて記者会見に臨んだ姿は今でも目に焼き付いています。その日は土曜日でしたが、システム開発の納期に追われていた私は当時在籍していた会社に出勤しており、開発プロジェクトのメンバーたちと、テレビを見ながら新しい時代の幕開けにワクワクしたものです。小渕さんが平成を発表したのが1989年1月7日の14時過ぎ。奇しくも、ちょうど30年前の今くらいの時間でした。

 ところで、平成元年という年は私のキャリアにとっても大きな節目の年でした。それまでの零細企業でのシステム開発の仕事から、大手コンピューター会社での営業に関わる仕事に大きく舵を切ったのが平成元年4月のことです。このキャリアチェンジは実は大失敗で、約一年後に挫折してしまいます。しかし、このキャリアチェンジによる挫折のおかげで、その後パフを設立するうえでの、貴重な仕事と人脈と機会を得ることができました。ですから、この平成という時代は、私の20代後半から、30代、40代、そして50代が終わろうとする現在に至るまで、かけがえのない経験をさせてもらえた時代だったと言うことができます。

 そして、平成から新しい元号となる今年。皆さん個人にとっても、パフという会社にとっても、「振り返ってみれば新しいことが芽を出した節目の年だったんだよね」と、あとから言えるような、そんなメモリアルな年になるような気がしています。

皆さんにとってワクワクできるような一年となることを心より願っています。そして30年前の、これからの生き方に悩んでいた弱冠28歳の自分に今会えるなら「お前の選んだキャリアは、いまは失敗だと思っているかもしれないが、最後には大正解になるぞ」と伝えてあげたいと思います。
 

2019 年 1 月 7 日
株式会社パフ代表取締役 釘崎清秀

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いかがだったでしょうか。平成最後の新年メッセージなので、平成元年のころのことを思い出しながら書いてみました💦

さて。今日は朝から冬休みの宿題を猛スピードでやらなければ。では、朝食&まんぷく後、行ってきます!