長かった年末年始休暇も終わって、本日が2019年の仕事始めという会社も多いだろう。わがパフもご多分にもれず、本日から平常通りの仕事が始まる。
本日は、午前10時過ぎに全社員で徒歩5分くらいのところにある東京大神宮に行って新年の団体祈祷を行う。毎年仕事始めの日に実施している恒例行事だ。
ちなみに昨年までは茅場町にある日本橋日枝神社で、8年前までは築地にある波除神社での祈祷だったのだが、やり始めたのはリーマンショックで先行きに暗雲が垂れ込めていた2008年くらいからだったと記憶しているので、今年で12年目になるだろうか。仕事始めの日に気を引き締めることができるので、とてもいい慣習だと思っている。
などと清々しいことを書いている僕だが、今年の正月は散々だった。
年末は29日から休んでいるので9連休だったわけだが、元日の夜から体調を崩してしまい(単なる風邪だと思うが)、朝ランもできず、遊びに行くこともできず、勉強も宿題もすることができず、悶々としてしまった。
元日の朝、11kmの朝ランを敢行したまでは良かったのだが、そのあと日本酒をカッポカッポ飲み過ぎたのが良くなかった。知らぬ間にうたた寝してしまい、目覚めたときには扁桃腺のいや~な痛みが襲ってきた。翌日から重い頭痛と鼻水と咳の症状が始まってしまった。
平成最後の正月なので、2日の日は皇居まで一般参賀に出かけようと思っていたのだがそれもかなわず。3日の日は、箱根駅伝の復路の応援に出かけようと思っていたのだが、それすらもかなわず。
でも、自宅に籠ってばかりいてはかえって体に悪いと思って、4日は会社に出かけてみたり(事務所では何人かが仕事をしていたw)、5日は音楽スタジオでピアノの練習をしてみた。
その甲斐あってか現在は少し持ち直して、鼻水の量も減ってきた。アタマはボーっとしているが、それは風邪のせいではなく元々だな(苦笑)。
ともあれ!
ボーっとするのはあと1時間でおしまい。出社したらシャキッとしましょう。
本日は2019年の仕事始めの日でもありパフ第23期下期がスタートする日でもある。午後からはキックオフミーティングも行われる。今週中に片づけないといけない宿題もたくさんある。
ということで、今年一発目の行ってきます!
みなさま、あけましておめでとうございます。
ただいま、2019年1月1日午前9時30分。
朝6時半に自宅をスタートし、初日の出とともに皇居までランニングして、8時過ぎに帰宅。その後、初風呂をゆっくりと浴びて、今年初めての日記を書いています。
下の写真は、千鳥ヶ淵公園から見る初日の出です。神々しいですね。
ちなみに下の写真で僕が着ているTシャツは、昨年の9月、パフチームが勝利したナゴヤドームでのリレーマラソンで着ていたものです。
縁起ものなので、元旦ランのために引っ張り出してみました(^^)v
ところで僕は今年、東京に出てきて丸40年となります。
田舎育ちで世間知らずの18歳の少年が、この大都会東京で、よくもまあ今日まで生き延びてきたものだと、この40年間を振り返りながら走っていました。
1979年2月、大学受験のために九州・大分の片田舎から上京。当時大学4年生だった兄貴のオンボロアパートに居候をしたのが東京暮らしのスタートでした。
受験した大学にはすべて落ち、でも田舎には帰らず、そのまま東京の予備校に入学手続きを済ませ、兄貴が就職先の会社の寮に引っ越していったのをいいことに、そのままオンボロアパートに居抜きで住み着いたのでした。
懐かしいですね。あれから40年。明日をも知れぬ身でしたが、人間生きてればなんとかなるものです。
考えてみれば、東京で暮らした40年のうちの半分以上を、パフの社長として過ごしてきました。
なんだか感慨深いものです。
昔のことを思い出しながらの帰り道、このビルの前を通りました。
東京駅の丸の内北口を出たすぐのところにあるこのビルに入居する会社に、僕は平成元年、転職しました。28歳の春。東京に出てきて丸10年が経っていました。
この転職先で過ごしたのはわずか1年間でしたが、このとき僕の社会人としての運命は大きく決定づけられたんじゃないかなと。
あれから30年。平成元年に働いていた場所を、平成最後の元旦に眺めながらランしているっていうのも不思議なものです。
おっと、元旦早々、うっかり思い出迷子になってしまいました(笑)。
未来のことを書きましょう。
今年パフは22歳になります。人に例えるなら大学4年生。社会人となるための準備をする年です。
これから何十年も続く、しっかりとしたキャリア(事業基盤)を構築する一年にしたいと思います。
そして今年僕は59歳となります。サラリーマンなら定年まであと一年。そろそろ次のキャリアの準備を本格化しようと思っています。
未来のことを考えると、なんだかワクワクしますね。
ということで、元旦早々まとまりがありませんが、基本はユルく、たまにだけ真面目なことを綴る「釘さん日記」を、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さんにとってハッピーでラッキーな一年となることを心から願っております。
では、おせちをつまみ、お酒を飲みに、行ってきます!
さあ、暮れもいよいよ押し詰まってきた。今日は前置きなしに振り返りの最終回を書いておこう。
【2018年重大ニュースその8】パフ社外取締役に名大社社長 山田哲也氏が就任
これは内外にもインパクトのあるニュースではなかったろうか。外向きには愚か者ぶりを振り撒いている昼行燈な我々であるが(少なくとも山田さんはw)、その実、経営のことをかなり真面目に考えている(少なくとも僕はw)。
なぜ山田さんがパフの社外取締役になったのかということはその経緯も含めて、僕の日記と山田さんのブログにも書いてあるので、まだ読んでいない方はぜひご覧ください。
本日はパフの第22期定時株主総会なのです。(釘さん日記2018年9月26日)
なぜ山田さんがパフの取締役に?(釘さん日記2018年9月27日)
社外取締役 就任(名大社社長ブログ2018年9月27日)
【2018年重大ニュースその9】HR業界の経営者たちとの面談を日々重ねる
今年ほど同業他社の経営者との面談をたくさんもった年はなかった。履修履歴活用コンソーシアムが今年の6月から一般社団法人となり、正式に仲間になっていただける加盟企業を募り始めたのだ。
おかげで多くのHR事業者のみなさんが、加盟を表明してくださった。まだ検討が継続している会社もあるが、現在のところの加盟企業はコンソーシアムのホームページに掲載されているので、よかったらご覧ください。
【2018年重大ニュースその10】パフ満21歳。そして第23期を昨年並みの業績で折り返す
2018年12月12日にパフは満21歳を迎えた。特別なイベントは何もやっていないが、一人でこの21年の重みを噛みしめている。そしてここ数年この時期になると、自分はなんてラッキーで幸せな奴なんだろうと思うことが多い。
今年の第一四半期(7月~9月)の業績は、かなり低迷してしまったのだが、第二四半期(10月~12月)の三か月でみごと跳ね返してくれた。
僕は何もしていない。すべては社員たち、そして社員たちの頑張りを支えてくださるお客様やパートナーの皆さんのおかげだ。月並みだが、社員とすべてのパートナー・お取引先企業に対して大感謝である。本当にありがとうございました。
今日でパフは仕事納め。第23期をいい形で折り返せそう。来年も引き続き、社員一同がんばってまいりますので、皆さんよろしくお願いいたします。
さて、この日記も今年はこれで最後。次回は2019年1月1日の朝ラン後、お昼くらいにはアップされると思いますので、その時にまたお会いしましょう。では、今年最後の行ってきます!
昨日に続いて2018年を振り返ってみましょう。今日は、重大ニュースその4からその7まで。
【2018年重大ニュースその4】春よ来いライブ2018を開催
僕が「なんちゃっておやじコンサートライブ」をスタートしたのが2008年の暮れ。以降、最低年一回は、多くの方々にお越しいただいて開催している。
2017年からは、「春よ来いライブ」という名前のコンサートライブを、2月の立春の時期にあわせて開催している。
今年も2月3日の立春に、「春よ来いライブ2018」を開催した。今年は、僕には珍しく英語の唄を多く歌った。ビートルズに偏っていたけれど💦。バイオリンのすみもっちゃんが体調不良で参加できないというアクシデントがあり、僕がそのパートを急きょ慣れないハーモニカで代わりに演奏したり、ということもあった。
この「春よ来いライブ」は、来年ももちろん開催する。そして再来年(2020年)は、さらに思い切った企画を構想中だけど、そんな先の話をすると鬼が笑うどころか呆れてしまうので、またいずれ。
【2018年重大ニュースその5】熊本城マラソンに出場、愚か者が熊本侵略を果たす
2017年の東京マラソンに当選したことをもって、僕はフルマラソンを引退したつもりだった。が、愚か者名古屋本部長こと名大社山田社長の策略にまんまと嵌まって、熊本城マラソンに出場することになった。2月18日(日)。これが大会の模様を綴った日記だ⇒ 熊本城マラソン、無事完走しました。
マラソン後は、熊本に住む僕の幼馴染(中学の同級生)と再会して、球磨焼酎とカラオケを楽しんだり。愚か者ぶりをいかんなく発揮した熊本ツアーとなったのだった。
【2018年重大ニュースその6】約半年間の通院生活
熊本城マラソンを頑張りすぎたのが良くなかったのか、3月くらいから体調を崩すことが多くなった。
単なる風邪だと思っていたのだが、なかなか治らず、鼻水や喉の痛みが続くようになった。内科のクリニックで「花粉症かもしれない」と言われ、耳鼻咽喉科に行ってアレルギー検査をしてみたのだが陰性の診断。急性の副鼻腔炎とも診断されたり。逆流性食道炎の疑いも持たれて、急きょ大きめの病院で胃カメラを撮っての精密検査をしたり。
あ、それと昔治療した歯(かぶせ物)がボロボロと割れ始めたのも今年の出来事。計算した訳じゃないけど、今年の通院回数と治療にかけたお金は、史上最大ではなかったろうか。
【2018年重大ニュースその7】北海道ひとり旅を決行
北海道ひとり旅を決行したのも今年の大きな出来事。7月13日から7月18日までの7泊8日を、北海道で過ごした。折しも、東京は(というか本州は)記録的な猛暑。連日35℃を超えるような暑さだったようだが、僕が過ごした北海道は20℃前後の快適な気候。ひとりだけの気ままな旅をさせてもらった。来年もまた行きたいなあ……。
上の写真は北海道で撮った写真の中での一番のお気に入り。
と、本日は仕事とは関係のないことばかり並べてみました。
明日もまた続きをお届けしましょう。
では、今年の(会社での)シゴトもあと二日。まんぷく後、行ってきます!
今年も残すところあと6日。会社の営業日でいうとあと3日となった。ということで、今日から何回かに分けて、2018年の1年間を振り返ってみることにしよう。
2018年1月は、前月(2017年12月)に会社設立20周年記念のイベント(式典やパーティーや社員旅行)を終えたばかりで、大きな区切りを無事越えられた安堵の気持ちの中で迎えた。
恒例となった元日の日記では、次のようなことを書いている。
僕自身の体調もすこぶる好調。腹囲がメタボに引っかかっていることとγGTPが高いことを除けば、健康そのものです。忘れっぽくなったことと老眼が進んでいることも、考え方によっては(忘れたいことは忘れ、見なくても済むことは見ない、という意味で)心身に良好に働いているのかもしれません(^^ゞ。昨年の12月に無事20周年を迎えたパフ。21年目の今年はどのような年になるのでしょうか。
なるほど。このころはまだ健康そのものだったのか……。というのも、今年は体調不良に悩まされた1年間だったのだ。今年ほど病院にたくさん通った年はなかった。このことは振り返っていく途中で出てくるだろうからまた後日。
では以降、【2018年重大ニュース】という感じで、思いつくままに列挙していこう。
【2018年重大ニュースその1】パフ創業来初めて中央区から飛び出す
2018年の大きな出来事としては、なんといっても事務所移転だろう。1月以降、何度も関連業者さんとの打ち合わせを繰り返している。
4月28日~30日のゴールデンウイーク前半に、7年間過ごした中央区日本橋茅場町から千代田区飯田橋(最寄り駅は九段下)に移転した。設立以来20年間、本社所在地はずっと中央区だったのだが、千代田区に移転したことで本店登記のための手続き(臨時株主総会を経て法務局への登記)も行った。
新しい事務所の家賃はそれまでとほとんど変わらないのだが、執務室は50%ほど広くなった。あと10人くらい社員が増えても大丈夫だろう。
あとセミナールーム(もともと現事務所が入居するビルの7Fにあった)が近くなったというのもよかった。それまでは20分ほどかけて、茅場町から移動していたので時間的にも経済的にも大きなロスを生んでいたのだけど、それが移動距離数メートル、時間にして10秒ほどで済むことになった。
移転に伴って、このセミナールームも大改装した。椅子やテーブルも新品に取り換えたり、床を全面フローリングに張り替えたり。お金はそれなりにかかったが、効果はそれを上回るものがあったと思っている。
【2018年重大ニュースその2】創業来最高の売上と利益(営業利益&純利益)の業績となる
20周年の区切りとなる決算で、この結果はやっぱり嬉しかった。リーマンショックで奈落の底に落ちたパフの業績だったが、そこからどうにかこうにか(時間はかなりかかったが)這い上がることができた。取引銀行からの評価も高く2011年(ここが底だった)のころと比べると雲泥の差。借入金利もビックリするくらいに引き下げられた。
【2018年重大ニュースその3】創業来初の株主配当を行う
そんなわけで、創業来初の配当に踏み切ったのも今年の大きな出来事だった。20周年記念配当の意味合いも込めて純利益の50%に相当する金額を原資とした。つい先日会った後輩(創業来の株主でもある)から「まさか配当があるとは思いませんでした。お小遣いありがとうございました」と言われたのは存外に嬉しかったですね。
おっと、時間が無くなったので、今日のところはこの辺で。続きはまた明日(かな?)。
では、まんぷく観ながら準備して行ってきます!
この3連休、シゴトをしたのは3時間だけ(こっそり会社に行きました)。が、それ以外は、いつもとまったく違った空間で過ごしていた。
なかでも土曜日の夜は、若者で賑わう横浜にいた。
学生時代に結成していた「人形劇団ZOO」。僕は大学3年生のときの1年間、団長を務めていたのだが、このころの1年生と2年生が、限定的かつ非公式な同窓会を開くというのでオブザーバー(?)として参加させてもらったのだ。
当時、四六時中いっしょにいた後輩たち。僕にとっては可愛い弟や妹みたいな感じかな。
当時の1年生は8人、2年生は6人、計14人だった(と思う)。そのうち同窓会に参加していたのは7人。急きょ開催が決まった割には高い出席率だったのではなかろうか。
で、ここで思わぬ嬉しいプレゼントをもらった。
これだ。
そう、トレーナーです。
いまの学生はトレーナーってあんまり着ないのかな。当時の若者の普段着といえば、トレーナーとジーンズとスニーカー。日々着るもので悩むことがないくらい定番だった。
で、このトレーナーは、人形劇団ZOOで作成した団員おそろいのトレーナー。僕が3年生のときに作ったものだ。
しかし、出来上がってすぐ、僕のトレーナーは人形劇の舞台づくりのとき(だったと記憶しているが)釘に引っ掛けてしまい、破れてしまった。
「あちゃー!買ったばかりなのに……。あ、そうだ。おい、これお前が縫ってこい!」と、近くにいた後輩の2年生女子に渡した。
NOとは言わせない、団長の強権的かつ理不尽な命令だった。いまならパワハラかな?
ところがこの後輩、なかなか縫ってこなかった。「あー、スミマセンこんど必ず持ってきます」と言いながら。彼女のせめてもの抵抗だったのだろうか。
何か月も過ぎていき、いつしか僕はトレーナーのことなど忘れてしまい大学を卒業してしまった。その後輩とも会うこともほぼなくなった。
そのトレーナーが、上の写真のトレーナー。
「おー!まさか36年の歳月を経て戻ってくるとは!」
しかも、破れていた箇所は、ちゃんと修理されていた。カワイユウコさん、ありがとうね(^^)v
掲載許可をもらっていないので、こんな写真だけど、お礼の気持ちを込めて載せておきましょう(笑)。
考えてみたら、このトレーナーは真っ赤なので、ひと足早い還暦祝いのつもりだったんですかね(^^;。
さてと、今年も残りわずか。
しれっと朝ランをサボった火曜日、まんぷく&朝食後、行ってきます!
まずは一昨日の夜のことを書かねばなるまい。
一昨日は、6年ほど前より新卒採用業務の心臓部を任せていただいているS社の採用責任者コヤマさんの「卒業式」が飯田橋の中華屋さんで盛大に催された。
以下は、ヨシカワ取締役が「卒業証書」を授与しているところ。
実はこのコヤマさん、年明けから異動することになり、いままでとはまったく違う部署に行くことになったのだ。
6年前、1億円の見積を出したりしてwさんざんお世話になってきたコヤマさんの異動なので、本来ならこちらからご挨拶に伺うべきなのだが、わざわざコヤマさんのほうから泊りがけで(S社は静岡県なのです)ご来社くださった。それなら、いままで関係してきた社員たち全員で「卒業式」を催して送り出してあげよう、ということになったのだ。
この「卒業式」のことは、パフの社員がいずれスタッフブログで取り上げてくれるだろうから、僕からはこのへんで。
で、中華屋さんでの一次会まではよかった。問題は二次会の昭和カラオケのお店。
一軒めで紹興酒をカッポカッポ飲んでいたこともあって、いっぺんに酔いが回ってきてしまったのだと思う。中盤から完全に記憶が飛んでしまった。
気が付けば朝7時過ぎ。「朝ごはん食べないの!!」という声で目が覚めるまで一切の記憶がない。目覚めたのが自宅のベッドだったのがせめてもの救い(苦笑)。
今年、1、2を争うオロカモノぶりだったのではないかと想像する(オオオカがスマホの写真で怪しげな写真を撮影して送りつけてくれてたのを朝発見したのだが、怖くて日記には載せられませんw)。
当然、昨日はずっと二日酔い。真面目に朝から仕事に取り組んでいる社員たちには申し訳ないのだが、はっきり言って社長は使い物にならなかった(-_-;)。
で、話は昨夜のこと。
タイトルに書いた通り、南こうせつのコンサートライブに行ってきたのだ。数か月前から楽しみにしていた。
誰かいっしょに行ってくれるだろうと思ってチケットは2枚買っておいた。ところが「いっしょに行かない?」と声をかけた人たちから、ことごとく断られ、途方に暮れていた。
捨てる神あれば拾う神あり。というか、灯台下暗し。僕の席から直線距離で5メートルくらいのところで仕事をしているキーカンパニーのシモゾノさん(僕は6階の窓際族だがシモゾノさんは真上の7階の窓際族なのだ)が「僕、行ってもいいですよ」と言ってくれたのだ。
僕と南こうせつの関係(?)については8年前のブログで書いていたのでコピペしておこう。
==
南こうせつ氏は、僕の高校(大分舞鶴高校)の先輩であり、大学(明治学院大学)の先輩でもある。といっても、同じ時期に通っていたわけではない。こうせつ氏のほうが僕より11歳も年上なのだ。
南こうせつ氏の存在は、僕が小学生の時分から知っていた。「酔いどれかぐや姫」という奇妙な唄を歌っていたのを覚えている。地元のラジオ局で、たまに紹介されていた。ヘンなフォークグループだなぁ…という印象しかなかった。
それが大きく一変したのが、僕が中学一年生のとき。「神田川」が大ヒットしたのだ。
その2年後、僕は南こうせつ氏の母校である大分舞鶴高校に入学する。そして、南こうせつ氏が放課後、仲間たちと歌っていた音楽室で、僕もフォークギターの練習をするようになる。
僕が高校2年生のとき、南こうせつ氏が大分放送の深夜のラジオ番組に生出演していた。僕は下宿の部屋を飛び出し、急いで放送局まで自転車を漕いだ。放送局の玄関前での生放送だった。そしてなんと僕は、こうせつ氏に話しかけてもらった。「おお、キミは舞鶴の後輩かー」「は、はい!」と、たったそれだけのやりとりだったが、ずいぶんと舞い上がったものだ。
僕が南こうせつ氏と同じ大学に進んだのは、まったくの偶然。大学に入学して初めて、こうせつ氏がこの大学の出身だと(正確には中退だけど)いうことを知った。そもそも大分舞鶴高校から明治学院大学に進む生徒は、当時ほとんどいなかった。大分の人間には、明治大学と明治学院大学は一緒の大学だと思われていたくらいだ。こうせつ氏は東京に出ることが第一目的で、「たまたま合格した大学が明治学院大学だった」と語っている。なんだか僕と似ている。
と、なんでまた突然に、こんな思い出話を書いたのかと言うと、今週の日経新聞夕刊の「人間発見」という連載は、南こうせつ氏の話だったのだ。『若き日々を呼び覚ます』というタイトルで、子供時代、高校時代、大学時代、プロになってからの裏話などを、5日間にわたって南こうせつ氏自身が語っていたのだ。連載されていることは知っていたのだが、きょう5日分を、やっとまとめ読みした。
こうせつ氏は、1980年代なかばからずっと、平和チャリティーコンサートに力を入れている。そのことについても連載で触れていた。こうせつ氏は、曲が売れて有名になったあと、「なぜ自分は有名になったのか。何かの使命があって有名人にさせてもらったのではないか」と自問自答することがよくあったらしい。たまたまミュージシャン仲間(山本コウタロー氏)から誘われて協力した「広島ピースコンサート」に出演して、その答えが見つかったのだという。「核兵器の廃絶、平和を訴えるために自分は有名になったのだ」と。
数年前、こうせつ氏は、北朝鮮拉致被害者の家族を励ますために日本に訪れていたPPMのポール・ストーキーさんと一緒にチャリティーコンサートを開いたこともある。僕はとても縁を感じて(PPMは我がパフにとって切っても切れない関係)、コンサートを観に行ったのだった。
そんな南こうせつ氏が今回の連載の締めくくりで語っていたことに感動した。
「人々が悲しく、つらいとき、そばに寄り添うようなメロディーを今後も大切にしたいですね」
南こうせつ氏、今年で61歳である。僕の尊敬する先輩のひとりだ。僕も、こうせつ先輩に倣って、使命感をもった仕事を続けていきたいと思った。
==
南こうせつは来年70歳。でも昨夜は、そんな年齢にはとても見えないパワフルなコンサートだった。僕もあと12年は頑張れそうだな。お酒もほどほどにしなきゃね(;^_^A
では、朝食&まんぷく後、行ってきます!